第十七話 かなしい再会
「無事だったんだね!」
「お怪我もなさそうで」
「こんなところで何してんだよ」
探しに探し求めたヴィーラが、目の前に立っていました。
指先が土で汚れている以外は、幸いなことに囚われているわけでも、ひどい目にあわされているのでもなさそうで、まずは一安心……と、思ったのも束の間です。
以前と同じ、左右で互いに違う色の瞳のまま、彼女は言いました。
「あの、確かに私はヴィーラですが、どちら様でしょう?」
ひゅうっと、北から吹く冷たい風が通り抜けます。背筋に寒気を感じたのは、ミモルだけではなかったでしょう。
誰にも、何を言っているのか理解できません。いえ、理解したくないといった方が正しいでしょうか。
「お前、何を言って……」
その先が続きません。ネディエが一番、パートナーのことを知っているからです。ヴィーラがこんな場面で、こんな冗談を言うはずがないことを。
「お客さん?」
誰かの声がして、ヴィーラもそれに「はい」と明るく答えます。振り返ると、玄関に見知らぬ女性が立っていました。
脳裏に何かを呼び起こさせるような鮮やかな髪。すらっとした体形と、紅をひいた唇が垢抜けたイメージを与える二十代前半の女の人です。
「随分沢山ね。こんな辺鄙なところに……って言っちゃ村の人達に失礼か。とにかく中へどうぞ」
さばさばした物言いで彼女は笑いました。
驚いたことに、その女性――アレイズこそ、ソニア村の村長でした。
「親が早くに死んじゃって、跡を継いだだけ」
そんな偉いものじゃない、と些細なことのように言ってまた笑います。家は大きくないものの、中は綺麗に掃除がなされていて、新築みたいに輝いていました。
通された客間のガラス棚に飾られたティーカップのコレクションが、ここだけ鄙びた村とは違う場所なのではと錯覚させてきます。
「ああそれ? 趣味で昔からちょっとずつ集めてるの。他に飾れるものもないから」
花模様が散りばめられたものや、粉雪の如く金箔が貼られた逸品、取っ手がハートの形になっているものなど、確かにインテリアになるくらい、どれも装飾が素晴らしいものばかりです。
何事もなければひとつ一つじっくり眺めたいところですが、今はとてもそんな気分になれませんでした。
「どうぞ」
部屋の中央には楕円形のテーブルがあり、真ん中には花壇から摘み取ってきたらしい小さな花が添えられています。
用意していたとばかりに椅子が並んでいるのは、時折村の話し合いをここで行うからだと、アレイズは説明してくれました。
「あの」
勧められ、席に着く前に言葉を発したのはネディエです。彼女には椅子に腰を落ち着ける前に聞いておかなければならないことがありました。
「ヴィーラとは、どういう関係なんですか」
「関係?」
これまでの道のりはなんだったのだろうと、皆が混乱しています。ヴィーラは何者かにさらわれたのではなかったのかと。
だからこそ、こうして方々を探し、大きな街の図書館で資料を漁り、危険な目にも遭いながら遠くまでやってきたというのに。
「失礼します」
軽いノック音がして、扉が開きます。トレイに紅茶のセットらしきティーポットとカップを載せて、ヴィーラが入ってきました。
脇の棚にそれらを置き、静かに湯を注ぎます。茶葉が広がるのを待つ姿は、かつてネディエの傍らに在った時と全く変わりません。
無事なのは良かったのですが、だったら何故戻ってこないのか、という疑問が頭をいっぱいにしていました。
そもそも、この村は恐ろしい場所ではなかったのか? 襲ってきた者達はこの件とは関係ない? どこかで考えを間違えた……?
疑念を断ち切るように、ことり、とカップが目の前に置かれます。ふわりと甘いミルクのような香りが漂いました。
「ありがとう」
アレイズが受け取り、ゆっくりと香りを楽しんだあとで一口、含みます。一連の動作が自然で、旧知の間柄なのではと思わせるほどでした。
「それなりに長い話になるから、とにかく座ってくれる?」
そう言われては従うしかありません。ミモル達は座るというより、体の力が抜けて倒れ込むようにして席に着きました。
「ヴィーラは何日か前、ふらっとこの村に現れたの」
まずは簡単に説明した方がいいと判断したらしい彼女は、ことのあらましを手短に語ります。何の前触れもなく、ヴィーラは村を訪れたというのです。
着の身着のまま、ひどく疲れている様子だったために村の人が保護し、話を聞いたものの、名前以外は何も覚えていない。
しばらくすると元気にはなりましたが、そんな状態で放り出すわけにもいかず、とりあえずアレイズの家で手伝いのようなことをしてもらっていた……。
「というわけ」
そんな、とエルネアが呟きます。他の者も、話さないだけで胸中は一緒でした。
『確かに私はヴィーラですが、どちら様でしょう?』
あれは言葉通りの意味だったのです。
「皆さんは私をご存じなのですね?」
ヴィーラは余った席にそっと座ると、怪訝そうな表情で問いかけてきました。その仕草も何もかも、本人であることに間違いありません。
「本当に忘れてしまったのか」
その後には「私のことを」が続くのでしょう。ミモルには、友人が泣きそうに見えました。
ハエルアで再会してから、いつもの調子を崩してばかりのネディエです。ここにきて精神的打撃もピークに達しつつあるようでした。
やっと見つけたのに、こんな現実ってあんまりだ。顔にそう書いてある気がしたのです。
「ともかく、これで最大の謎が解けたってわけだ」
スフレイが言い、フェロルが頷いて引き継ぎます。
「ヴィーラさんが帰って来なかったのは、記憶を失い、戻る場所さえ忘れていたからだったのですね」
「それにしたって、おかしいわ」
謎の一つが解明されても、疑問点はいくらでもあるとエルネアが言いました。
「そもそも何故この地にヴィーラが現れたのかが不明だし、戻って来ない理由は分かったけど、探すのにこれだけ苦労するなんて」
全員がはっとしてヴィーラを見つめ、不安げに揺れる蒼と碧の瞳で、彼女は訳も分からずそれを受け止めます。
そう、ヴィーラは生きて、元気でいます。記憶がなくても、主人との繋がりが切れたのではない以上、声は届くはずなのですから。
「……」
しばらく沈黙があって、ネディエが首を振りました。試しに声を送ってみたけれど駄目だった、という意思表示です。
「教えてください。私は何者なのでしょう」
ヴィーラが再び立ち上がり、皆をそれぞれ眺めてからややかすれた声で訴えました。
「……」
誰もが口を開きかけ、事の難題さに動揺します。ひとつの存在を間違わずに説明することは、簡単そうでいてひどく難しいと気付いたのです。
何がその人を、その人たらしめるのか。一言で表すのは不可能ですし、どこから話し始めればよいのか、切り出し方さえ分かりません。
「お前……いや、貴女は」
それでも一歩踏み出すように語りかけたのは、やはりネディエでした。




