第十四話 おそいくる影達
戦闘や痛い描写、残酷な場面があります。ご注意ください。
「……」
不気味な沈黙でした。あれだけ大きな音をさせて入っておきながら、ぐっと押し黙ったままです。
やがて、黒服の連中のうちひとりが歩み出て、手袋をはめた右手を振りました。――いけ、という合図でした。
ひらり、黒い影が舞い、何かがその懐で閃きます。影の一つは扉の最も近くに立っていたカナン達に迫りました。
「きゃっ……」
ランプの灯りの下に晒されたのは短刀で、見た者の胸を打つには十分な煌めきを放ちます。逆手に握られたそれが、少女の足を目がけて振り下ろされました。
「ちょっと、触らないでよ!」
ガッという鈍い音と甲高い音、そしてまた鈍い音が間髪入れず続き、黒服が倒れます。横にはからからと黒い柄の短刀が転がりました。
あまりに素早くて捉えきれませんでしたが、オーブが敵の腕に蹴りを入れて刃物を飛ばし、前かがみになった相手の首筋に次の蹴りを打ち込んだのです。
「あ、ありがとう、オーブ」
未だ構えを解かない彼女の後ろで、カナンが震えた息を吐きます。オーブがいなければ、短刀の代わりに飛んだのは自分の片足だったに違いありません。
「凄い……」
誰ともなく呟くも、その先は続きませんでした。まだまだ敵はいて、仲間を倒されても臆さずに走り込んできていたからです。
「二人は下がって!」
エルネアが叫びながらすっと屈むと、その上を刃が駆けました。判断を誤れば首を境に上下が分かれていたのだと思い、ミモルはぞっとします。
敵は攻撃を交わされて一瞬バランスを崩し、彼女はその隙を見逃さずに腕を相手の足めがけて振るいました。
どどっと重い体が床に投げだされます。
立っていられない、どころの痛みではなかったのでしょう。そのまま地面に転がると、打たれた箇所を押さえて呻きを漏らします。
反対側から少女達を狙ってきた別の者も、軽くかわしたフェロルの手とうを受けて気絶し、もう一人もスフレイに殴られて壁まで吹き飛びました。
手から落ちて宙を舞った刀身は床に突き刺さり、鋭さを雄弁に語ります。一連の流れは文字通りあっという間で、気付けば敵は半分に減っていました。
「まだやりますか?」
「来るなら相手になるわよっ」
「もう終わりかぁ? 楽しめねぇな」
フェロル、オーブ、スフレイがそれぞれ言い、最後にエルネアが視線でリーダーらしき男を射抜くと、彼らは背を向けて去るかと思われました。
「ミモル様っ!」
「……え」
ひゅっと風を切る音がして、その出所が敵の放ったナイフだとミモルが気づいた時には、すでに目前まで迫っていました。
――避けられない。
どんどんと距離を詰めるその輝きは、つい先日襲われたばかりの悪魔の爪に似ています。
「だめっ!」
誰かの悲痛な声がした途端、背中から強く押され、ミモルは前につんのめりました。刹那、焼けつくような痛みが右肩に走ります。
『ミモル!』
あまりのことに目を開けていられなくて、食いしばった歯の間から空気が行き来する音が聞こえます。リーセンに返事をすることも出来ません。
「ミモルちゃん!」
暗闇の中で聞こえるのは、怒声と激しい物音だけ。それも、僅かの間に終わってしまったようでした。
「今、治癒を」
耳元でフェロルが囁くと、肩の辺りが温かくなる感覚が生まれました。傷を治してくれているのでしょう。
『しっかりしなさい。大丈夫、掠めただけだから』
リーセンが冷静に励ましてくれるおかげで混乱が和らぎ、ミモルは痛みがある箇所を確かめる勇気がわきました。
恐る恐る触れてみると、そこに想像していた固い感触はなく、ただぬるぬると生暖かいものが広がっていく気持ち悪さがあるだけです。
だいじょうぶ。少し切れただけ……。そう自分に言い聞かせ、心を落ち着けていきます。
『ジェイレイのおかげね。あの子が突き飛ばしてくれなかったら、胸に刺さって命はなかったわよ』
「えっ」
驚くべき事実に目を見開くと、頬を赤く染め上げ、涙を浮かべて見上げてくる大きな瞳とぶつかりました。
「ママ、だいじょうぶ? いたい?」
赤い宝石をはめ込んだような澄んだ目です。ああ、殺意に駆られた獣はもういないのだとミモルは思いました。
目の前にいるのは、自分を助け、ただひたすら心配する幼い子どもです。そっと小さな体を抱き締めると、高い体温が自分まで温めてくれるようでした。
カウンターの影に身を潜めていた宿の主人に、見回りの兵士を呼んでくるよう頼むと、エルネアはその背を見送ってから敵の中でも意識がある一人に近付きました。
「目的は何? 誰に雇われたの」
黒服の男はまだ若かったものの、引き締まった体つきと暗い眼光は町の人間と明らかに違っています。
襲ってきたタイミングからしても、ただの強盗だとは思えません。
「隠しても無駄よ。あなた達からは血の匂いがするもの」
「もう探すのはやめろ」
低いしわがれた声には、逃げる気がないのか、諦めが滲んでいました。
「あのお方は目的のものを手に入れて満足しておられる。そちらが手を出さなければ、被害が広がらずに済む」
「ふざけるなっ!」
叫んだのはネディエでした。男に走り寄り、その襟首を掴んで噛みつかんばかりに怒鳴ります。
「奪っておいて『手を出すな』だと? ヴィーラは物じゃない!」
「他のものまで失うぞ」
それは何も知らない少女への警告でした。
「俺達はただの先発だが、あのお方の恐ろしさは身に染みて知っている。これ以上踏み込めば、たった一人の連れのために仲間も家族も消されるだろうよ」
彼の後ろに控える者の存在を感じて、ミモル達は息を呑みました。その瞬間に、男は最後の力を振り絞ります。
「待って!」
鋭い静止は、しかし間に合いません。彼は懐に忍ばせていたもう一本の短刀で、一息に自らの首を――!
フェロルが咄嗟にかばい、ミモルはその場面を目に焼き付けずに済みましたが、塗りつぶされた暗闇の中で想像せずにはいられませんでした。
何もかもを埋め尽くすかの如き勢いで飛び散る、赤を。
「どうして。どうして、こんな」
捕まるのが嫌だったから? 逃げても口を封じられると分かっていたから?
答えの出ない問いが、頭のなかで堂々巡りします。体ががたがたと震え、おさまるまでしばらくの時間がかかりました。
腕の中から解放された時には諸々が終わっていて、辺りには凄惨な光景の残骸が広がっていました。
「あれは囮だったってわけか。『先発』ってのが本当なら、随分と人材豊富な集団だな」」
スフレイが言おうとしていることも同時に理解します。他にも生きている者が確かにいたはずなのに、全てが手遅れと化していたのです。
おそらくは任務に失敗した場合、誰かが派手に死を演じることでこちらの目を奪い、その隙に他の者も命を絶つよう指示されていたのでしょう。
エルネア達はあっさりと撃退してしまったけれど、決して「大したことのない敵」ではなかったとミモルも解っています。凶器の扱いも身のこなしも、訓練されているようでした。
守護者がいなければ、今頃横たわっていたのは少女達の方です。自分達が相手にしようとしているのは、そんな手練れを使い捨てに出来る者なのです。




