第十三話 であいと異変
「幼なじみ?」
言葉通りの意味なら、この元気な女性は天使なのでしょう。でも、今一つピンと来ません。
「天使に幼なじみなんてあるのかよ」
スフレイが代表して疑問を口にします。ミモルは図書館での話が頭をよぎり、周囲を見回しましたが、幸い誰も聞き耳を立てている様子はありませんでした。
「正確なことをいえば、我々は皆兄弟のようなものです。でも、中でも同じ時期に生まれた者、近くにいて同じ師に教わった者同士……ということになるでしょうか」
オーブが、自分達は同い年なのだと口を添えます。エルネアの笑顔を白い花にたとえるなら、彼女のそれは場を明るくする、太陽を思わせる笑顔でした。
「そうなの。よろしくね」
手を差し出したのはエルネアで、オーブは笑顔のまま向き直り――体を強張らせます。どうしたのでしょう。
「も、もしかして」
「え?」
「え、エルネアさん、ですか?」
「そうだけど、どこかで会っているかしら?」
ごめんなさい、覚えていないわ。彼女がすまなさそうに続けようとした言葉は、きらきらし始めたオーブの瞳に射抜かれて消えてしまいました。
「あああのっ、ずっっと憧れてました! 握手して下さいっ!!」
体をグッと折り曲げて両手を差し出すその姿は、まるで交際でも申し込む場面のようです。
「……おい。この姉ちゃん大丈夫か?」
スフレイの問いに、返事が出来る者はいませんでした。
最初に声をかけてきた少女の方は、カナンと名乗りました。
遠くからでも目立ちそうなオーブとは対照的な、短い茶の髪と瞳という一般的な容姿の、落ち着いた印象の女の子です。ミモルやネディエよりは少し年上になるでしょう。
この街に住む二人の案内で、ミモル達は品がよく値段も手頃な宿に部屋を取ることが出来、せっかく会えたのだからと一階の食堂で食事をご一緒することにしました。
「じゃあ、エルやフェロルが天使じゃないかと思って、声をかけたの?」
暖かみのあるランプの灯と、年月を感じさせる木の床。いくつか並んだ丸テーブルの一つには子ども同士で座り、ミモルの隣に席を取ったカナンが頷きます。
遠くにちらりと見えた姿から、もしかしてと気付いたのはオーブの方だったそうです。
「滅多に会えるものじゃないし、もしそうなら話をしてみたかったの」
トレイに乗って運ばれてきた料理は、卵のスープも焼き魚も味付けや火加減は絶妙です。香りだけでお腹が鳴る品々に、この宿を選んで大成功だとミモルは思いました。
カナンの反対側に座らせたジェイレイも、子ども用のスプーンとフォークで無心に食べ続けています。
「なるほど」
ネディエが温かいお茶を飲みながら、気持ちはわかると同意しました。自分も同じ立場なら、交流を求めただろうと。
あの時のカナンのしどろもどろの様子は、本当のことを確かめたくて、でもどう切り出していいか困ってのことだったのです。
ミモルは微笑ましい心地を味わいながら、家はどんなところかと訊ねました。
「家族は両親と弟。親は花屋をやってて、私はその手伝いかな」
「えっ、じゃあもしかして、家に二人も天使がいるの?」
「ミモルは一人で二人連れているじゃない。その方が驚きよ」
「あ……そうだね」
目を丸くすると、今度は彼女がくすくすと笑います。指摘されてみれば、確かにその通りです。
同時に、さしたる取り柄もない自分を二人もの天使が守っている事実を思い出し、複雑な気持ちがわきあがってくるのを感じました。
「あなたは?」
カナンは自然な流れでネディエに話を振ったつもりでしたが、漂ってきた空気を感じ取り、何か悪いことを言ってしまったかと詫びました。
「いや、あなたは悪くない。確かに私にもパートナーがいる。でも今は……行方知れずなんだ」
えっという声は、か細過ぎて呼吸の音に紛れてしまいそうなくらいでした。
ミモルは息を吐き、これまでのいきさつと、その手がかりを探すためにこの街を訪れたのだと簡単に説明します。
「そうだったの……」
隣のテーブルではオーブが同じ内容をエルネア達から聞き、表情を曇らせています。
「そんな、あのヴィーラさんが主人の傍を離れて行方をくらますなんて、ありえない」
重苦しく息を吐き出すような言い方には、信頼の深さが滲みます。ミモルはその独白を聞きとめて、大人達の方へ首を向けました。
「ねぇ、エルとヴィーラって、有名人なの?」
エルネアに出会った時のオーブの反応は、知っている人にあったという程度のものではありませんでした。
なにしろ握手して交わしたあと、しばらく感激に打ち震え、「この手、もう洗わない!」とまで叫んでいたのです。
遠くから見つめるしかなかった憧れの相手と、初めてお近づきになれた時のようでした。
「そりゃあ……もう!」
再び感極まってしまったのか、その後が続かないらしいオーブに代わってフェロルが教えてくれます。
エルネアやヴィーラは神々のとても近くでお役目を果たす、優秀な天使達なのだと。
「憧れている者は大勢いますよ。僕も、エルネアさんを遠くから拝見して、いつもあぁなれたらと思っていました」
ちょっと恥ずかしそうに教えてくれたフェロルの微笑みは初めて見る表情で、また互いの心の距離を縮めてくれた気がしました。
『もしかして、ずっと気を張っていたのかな』
『かもね。「あのエルネアのサポート役が、自分に勤まるのか」って感じじゃない?』
嬉しい反面、ミモルの中では更に謎が深まってしまいました。そんな優秀な天使が、何故自分の元に舞い降りたのだろうかと。
悪魔の襲来を予測してのもの、とも言えなくはありませんが、それだけではフェロルの存在が説明できない気がします。
何か大きな出来事が、この先に待ち受けているような予感がしました。
「別に私もヴィーラも、あなた達と何も変わらないわ」
「そんなことありませんっ」
エルネアにオーブが食い下がり、いかに素晴らしいかを滔々と力説し始めます。
「良くあることだから気にしないで」
カナンは呆れた視線を送りました。その遠慮のない言い方は、全く違う気質の二人が互いに良きパートナーであることを伺わせます。
「ちょっと羨ましいな」
「オーブの元気っぷりが? 助けられる時もあるけど、毎日だとねぇ」
「あ~、カナンひど~い。私、役に立ってるでしょ!」
冗談めかしたふくれっ面も、なんだかおかしくて笑ってしまいます。こんなに楽しい食卓は久しぶりでした。
美味しい食事と明るいお喋りが味付け以上のものを演出していて、暗くなりがちだったネディエのほっとしたような笑顔も見ることができました。
異変は、その夜に起こりました。
ゆっくり食事をして遅くなってしまい、今後の話は翌朝へ持ち越すことに決めたミモル達は、カナンやオーブにおやすみを言って二階に引き上げようとしていました。
ばん! と何かが弾けるような音が鳴ります。
正面の扉が乱暴に開いたと思ったら、けたたましい足音と共に、数人の黒服の者達が宿に押しかけてきたのです。
「な、なんですか。あんた方は」
カウンターで片付けをしていた老齢の主人は、物々しい雰囲気に声を荒げました。こういう仕事をしていれば、こんな手合いに遭うこともあるのでしょう。
驚きはしても、睨みつける瞳は鋭く光ります。
「うちは見ての通りの安宿。お金なんてありませんよ。襲うなら、他を当たるんですな。それともお客かい?」
どうせ違うのだろうと、声に含んだ響きが語っていました。




