第十二話 自分にできること
「エルネアさんにお聞きにならなかったんですか」
「……怖くて聞けなかったの」
なぜ頑なに正体を隠すのか、ずっと疑問ではありました。
騒ぎになるかもしれないとは思っていたのです。無用の混乱や、嫉妬や羨望などの感情を生むかもしれないとは。ミモルもそれを望まないのは一緒です。
ただ、それだけでは説明できない何かも感じていました。
「エルが悲しい顔をする気がして、聞いちゃいけないと思ってた」
おとぎ話のように、知ることで大切な何かが壊れて終わってしまいそうで、恐ろしかったのです。
「フェロル。私達はやっとのことで生きてるだけなんだよ」
青年は急かすこともなく、黙って耳を傾けています。
互いを傷つけず、波風を立てずにいられる距離は、何で測ればいいのでしょう。エルネアはいつだって、心のどこかでミモルをご主人様だと思っています。
少女がそのことについて考えを巡らせるたびに、いつも「自分は彼女に生かされている」という息の詰まる結論に辿り着くのです。
「天使にとっては、当然のことです」
「神様の命令だから? 親子でも親戚でもないのに?」
そんな一方的な関係が、正常であるわけがない。少なくともミモルは平然としていられる人間ではありませんでした。
「ネディエもティストも、やるべきことを頑張ってるのに」
誰かや何かを守ったり、より良くしようと行動している彼らを前にすると、言葉にならない劣等感が膨らみます。
「私には何もないもの。ご飯を食べさせてもらって、勉強を教えてもらって、森で過ごしたり買い物について行ったりして、夜になったら眠るだけ」
出来ることと言えば、エルネアの育てる野菜や薬草に水をあげたり、彼女が請け負った服作りの手伝いをする程度でした。
「ミモル様は『やるべきこと』が欲しいのですか?」
「別に、大きな仕事が欲しいわけじゃないの。自分に背負いきれるか不安だし、大きなことは恐ろしいものを惹きつけてしまうって知ったから」
それに、やるべきことならちゃんとあるのです。ミモルは自分に言い聞かせるように呟きました。
「今の私の仕事は『元気でいること』なんだよね」
「はい」
「でも良いのかなって、色々考えちゃって、堂々巡りなんだ」
棚に腕が当たらないように気を付けながら伸びをして、大きく息を吐き出します。不思議と呼吸が楽になって、視界が明度を増した気がしました。
「色々教えてくれて、話も聞いてくれてありがとね。なんだかスッキリした。話し相手にフェロルを選んで正解だったよ」
言って笑うと、彼もまたつられたのか苦笑します。
「僕は何もしていませんよ」
「ううん、胸のもやもやがちょっとだけ晴れたもん」
そうか、とミモルは心の中で納得しました。自分は相談相手が欲しかったのです。
エルネアは心強いパートナーで深く信頼も置いていますが、あまりに距離が近過ぎました。
前を見る努力を怠らないネディエや、新しいパートナーと未だ手さぐり状態にあるティストには、吐き出せない種類の弱音でもあります。
『あんたは一人で考え過ぎなのよ』
リーセンが呆れた口調で釘を刺しました。そういえば、いつも偏りそうになる思考を引き戻してくれたのは彼女です。
全く違うからこそ、うまくいくこともあるかもしれないと思いました。
「フェロルには、リーセンの声も聞こえる?」
これもエルネアには直接聞いていなかった質問です。時折聞こえているふうだったから、それ以上突っ込んで確かめたことはありませんでした。
「いえ、会話の気配のようなものを感じる程度ですね。おそらく、リーセンさんが直接働きかけるつもりにならなければ、はっきりとは届かないのでしょう」
『エルネアとの方が、繋がりが強い分、気配も強く感じてるんじゃない?』
そのエルネアはどうしているでしょう。良い情報は掴めたでしょうか。
「聞いておられるかもしれませんよ?」
フェロルと二人きりで話したいとは思いましたが、ミモルはエルネアに対して「閉じて」いるわけではありませんでした。
彼女が意識を集中すれば、今の会話も聞くことは可能です。
「かもしれないけど、ちゃんと自分の口で言うよ。エルが与えてくれる日常に甘えてたと思う。だからこんなモヤモヤを抱える羽目になっちゃったんじゃないかな。二人で煮詰まっちゃったら、フェロルも参加してね」
「僕もですか?」
ぽかんと口をあける彼に、ミモルは人差し指を立てて「当然でしょ」と力強く言いました。
「フェロルも、もう私の家族なんだから」
「……はい」
ミモルは「さぁ探そう」と声をかけ、目的の棚を改めて探し始めました。
「ふぅ……」
建物の中より澄んだ冷たい空気で肺を満たします。図書館に入る前に晴れていた空は、そこを出る頃には夕暮れへと移り変わっていました。
高い建物が群れを成すこの街では、そのオレンジ色も四角い光の線のように区切られて射し込みます。
閉じられた空間で書物をあさるのは、結構な重労働です。
全員がどこか疲れた顔をしていて、宿に泊まって調べた内容について話そうというネディエの提案に、反対するものはありませんでした。
「街の入口近くに良さそうな宿屋があったわね」
「こんなに時間がかかるなら、先に予約を入れておけばよかったね」
エルネアが思い出し、ミモルも返します。本を探してページを捲る作業など、すぐに終わると思っていたのです。
「別に観光地でもねぇし、選ばなきゃ部屋なんていくらでもあるだろ」
「限度がある。お前はどんな『安宿』に泊まるつもりなんだ」
などと、皆で話しながら歩いている時でした。
「あの……」
唐突に声をかけられ、全員が振り向きます。
そこには肩で息をする――ミモルやネディエよりやや年上の――どこか不安げな表情の女の子が立っていました。
「私達に用事かしら?」
近付いたエルネアが首を傾げて尋ねると、走ってきたらしい彼女は呼吸を整えてこくんと頷きます。頬が赤く染まって見えました。
この街に知り合いはいません。ネディエの素性が知れて貴族や役人が来るならともかく、子どもに声をかけられる理由が思い付きませんでした。
「えぇと、その。もしかして、皆さんは――」
歯切れの悪い物言いです。それでもなんとか口にしようとする彼女の、次の言葉を待っていると。
「わっ、フェロルじゃない! こんなところで何やってるの?」
という、別の大きな弾んだ声が飛んできて、緊張感をかき乱しました。咄嗟に全員がフェロルを見ると、彼はぽかんと開けた唇をなんとか動かし、言いました。
「……オーブ?」
驚いた顔に笑みを浮かべながら歩いてきたのは、この街の夕焼けに染め上げられたような髪色の女性でした。
淡い色の服にふわりと広がるワンピースを身に着けた、遠目でも判る美人です。
「まさかこっちで会うなんて。こんなことってあるんだねー!」
本来は長いのだろうと思われるその鮮やかな髪を、団子に結って残りを散らした形は、そのまま彼女の活発さ、明るさを表しているようです。
走り寄ってくると、フェロルの手を取ってぶんぶんと振り回しました。される側は呆けた顔で、事態を理解するのに時間を要しています。
「知り合いなの?」
ミモルが問うと、彼はようやく我を取り戻し、振り回され続ける手を止めて頷きました。
「こちらはオーブ。僕の……そうですね、幼なじみです」




