閑話7 雪の降るゆめ
ミモルとエルネアのお話です。
寒い日、とある宿屋に泊まった二人は一人の少女と出会います。
とある町の宿屋での出来事です。泊まった翌日、冷えた空気に驚いて起きてみると、窓の外は真っ白になっていました。
「……道理で寒いと思ったわ」
窓際でカーテンを開いて外を眺めるエルネアの、そう言う声も白く吐き出されています。ふわっとわいては消え、また新しい息が生まれて消えました。
「この地方は雪が降るんだね」
「少し待ちましょう。良くなるかもしれないし」
昨夜遅くから降り始めたらしい雪は、天候を見る限りまだ続きそうです。二人は着替えて出掛ける準備をしたものの、今日くらいはと旅を諦めました。
止むでもなく、激しくなるでもなく、しんしんと降る雪。静かに積もって、建物も遠くの海さえも白一色に染め上げるかのようです。
暖炉の火を宿の主人に起こしてもらうと、部屋の中が緩やかに温まり始めました。
「お客さん、入ってもいいですか?」
ノックの音に振り返り、エルネアが「どうぞ」と応えます。高い声から察してはいましたが、やはりこの宿屋の娘でした。ミモルと同じくらいの少女です。
明るい色の髪をツインテールに結い、鮮やかなエプロンを身に纏っています。手にはお盆を持ち、カップが三つ並んで湯気を立てていました。
「急にごめんなさい。ココアが入ったのでどうぞ。あの、少しお話してもいいですか?」
「ありがとう。私達も足止めされていて時間を持て余しているの。良かったらここへ座って?」
少女は嬉しそうに笑って、ココアを配ってから自分の分を抱えて、勧められた椅子に座ります。
「この雪じゃあ、お友達とも遊べなくて寂しいわね」
「そうなんです」
ココアをゆっくりと口に運びます。暖炉のように優しい甘さと暖かさが体の内側にゆるやかに広がりました。
「ありがとう。美味しいよ」
「良かった」
ミモルは久しぶりに同年代の少女と話せて嬉しく思いました。明るくて飾り気がなく、人当たりも良い子です。
宿屋の娘として育つと、自然と人付き合いが上手になるのでしょうか。
「宿屋さんなんて大変だね。色々なお客さんが来るんでしょ?」
「私はお手伝いだから、そんなに大変じゃないかな。それに、お客さんとお話しするのって楽しいし」
同い年くらいの子ども連れが泊まった時には、こうしてココアやミルクを持ってお邪魔して、旅の話を聞かせてもらうのだと彼女は言いました。
「この間はちっちゃな女の子と友達になったんだ。お世話をしてるっていう男の人と一緒に泊まっててね」
「へぇ。お世話をしてる人がいるなら、お金持ちの家の子かな?」
「そうみたい。たった一日だけだったけどね。私、その女の子と遊んだの。楽しかったな」
「羨ましいな。旅をしていると友達なんてなかなか出来ないから」
話を聞いていたミモルがぽつりと呟きます。占いの町で塔に暮らす友人は、元気にしているでしょうか。旅などしていると、手紙のやり取りも出来ません。
「じゃあ、私と友達になってくれる?」
「……いいの?」
この申し出にミモルは目を丸くして驚きました。宿屋の少女はにっこり笑って手を差し出しています。
ミモルも早ければ明日にはここを立ち去り、次にいつ会えるかも分からないのに友達になろうというのですから。
「また、いつか会いに来るって約束してくれるなら、大歓迎」
いつ、とは言いませんでした。互いの一生が終わるまでに、もう一度自分と会いたいと願ってくれるなら――。
嬉しくなって、その手を強く握ります。片手では足りなくて、両手で包み込みました。
「分かった。絶対会いに来るよ。約束する」
「じゃあ、友達。よろしくね。ねぇ、下においでよ」
ミモルが連れて行かれたのは宿屋の奥に作られたキッチンで、一人の青年が料理を作っているところでした。
エプロンを付け、青く長い髪を邪魔にならないように後ろで束ねています。包丁で刻んでいる野菜は、昼食のメニューになるのかもしれません。
「友達になったんだ。宿の中を見せてあげたくて」
「そう」
あれ、このひと……。ミモルは何かを感じましたが、彼は優しく微笑むのみでした。
代わりにふと、何か思いついた顔をして、戸棚から箱を一つ取り出しました。白く、飾り気のない箱です。
「どうぞ、二人で食べて下さい」
持ち上げるように蓋を開きます。中からは青年の両手ほどある大きさのケーキが姿をあらわしました。
箱よりももっと白い生クリームを纏った上に、色とりどりの果物が散りばめられています。
「良いんですか?」
えぇ、と青年が再び微笑みます。ミモルはその笑顔がエルネアに似ている気がしました。やはり、このひとは――。
「今夜は聖夜ですから。幸せのおすそ分けです」
「聖夜?」
彼は笑っただけで何も言いませんでした。ミモルは少女とケーキを切り分けて食べ、紅茶を飲みました。甘い香りが漂う、花を浮かべた素敵なお茶です。
他愛無いお喋りさえ、とても楽しい時間でした。雪が降り止まない中、時間が経つのが早く感じました。
「もう寝ましょう」
二階で待っていてくれたエルネアに呼ばれ、初めてそんな時刻だと知りました。
少女と部屋の前まで来ても、まだ話し足りない気がして離れがたい思いがします。明日の朝、出立まではまだ時間がある。そう自分に言い聞かせました。
「じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
寂しげに笑い合います。扉を開け、中に入ろうとしたところで彼女が言いました。
「また、会おうね」
「え……」
意味を聞き返す前に扉が閉まり、何だったのだろうと思う間もなく、眠気が襲ってきました。
翌日、目が覚めると、ミモルはあることを知りました。
「……夢、だったんだ」
外は相変わらずの雪景色でした。吹雪はすでに止んでおり、行き交う人の話し声が聴こえてきます。
しかし、そこはあの少女のいる宿屋ではありませんでした。部屋も異なる趣です。暖炉はなく、宿の人が用意してくれた火鉢がはぜていました。
「夢を見たの?」
すでに着替えたエルネアが心配そうに尋ねてきます。狼狽したミモルの様子が気になったのです。
「うん。女の子と友達になったんだ」
宿屋の少女。一緒に食べたケーキとお茶とお喋り……。話していると、楽しかった思い出として蘇ってきます。まるで本当にあった出来事のようでした。
「そう。何て名前だったの?」
「名前?」
聞かれ、言葉に詰まった自分に驚きました。一日中一緒に居たのに、少女の名前を聞いていなかったのです。それどころか、自分の名前さえ伝えてはいません。
「あれはどこだったんだろう。……また会おうねって約束したのに」
ただの夢とは思えませんでした。それなのに、再会をしたくとも手がかりが何もない。これでは大事な約束が果たせません。
「……どうしよう」
沈んでいるミモルを慰める言葉が見付からなかったエルネアが、ふと思い出して言いました。
「ねぇ、ケーキを食べに行かない?」
「え?」
返事をする前から、彼女は荷物をまとめて出掛ける準備に取り掛かっています。
「どうしたの、急に。確かに夢でケーキを食べたけど、別に今食べたいってわけじゃ」
戸惑うミモルを遮り、エルネアが微笑みます。
「今日はこの地域の人にとって聖なる日だって、宿屋の人から聞いたのよ。みんな、ケーキを作ってお祝いするんですって。だから、ミモルちゃんも一つ食べましょ」
目を見開きます。夢でケーキを食べたことは言いましたが、それをくれた青年の話はほとんどしていなかったのです。
夢で彼は確かに言いました。「今夜は聖夜」だと。……ミモルは不安が期待に変わっていくのを感じていました。
終
今回は少し不思議なお話にしてみました。
実は別作品を読んで下さった方にはピンとくる内容にしているのですが、読んでなくても大丈夫にはなっていると思います。




