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扉の少女  作者: K・t
第六章 しんじつを追って
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第二十八話 こえの意味

「……知ってたよ」


 紅い瞳がゆっくりと振り返ると、その顔は泣きそうな顔で微笑んでいます。リーセンは全身に冷や水を浴びせられたみたいに、その場に凍りつきました。


「ううん、違うかな。なんとなく、リーセンはもう一人の私じゃないって気はしてたの。時々、私が知らないようなことを知ってるふうだったし」


 他にも色々、と呟く声に苦笑が混じります。幼い頃からうっすらとミモルの中に芽生え、力を得て形になった心。


 それは少女には似つかわしくないほど、成熟せいじゅくしたものでした。


「どうして問い詰めなかったの」


 ようやく声を絞り出すと、ミモルが手を掴んだままくるりと背を向けます。何かに耐えるように黙り込む彼女に、リーセンはなおも言いつのりました。


「『出て行って』って、いつでも言えたはずでしょ。『消えて、出てこないで』って。今のあんたにはきっとその力もある」


 問い詰めて責める機会はいくらでもあったのに、気付かないふりをし続けてきた理由をいくら考えても、リーセンには思いつきません。


「いなくなっちゃうかもって、思ったからだよ」

「え……」


 小さくて静かな声でした。


「真実を知ったら、さよならしなきゃいけないんじゃないか。どこかに行ってしまったらどうしよう、って」


 震える声に込められた心にリーセンはうろたえ、互いの思いに食い違いがあると気付くまでに、しばらくの時間を要してしまいました。


 沈黙にひそむ疑問に応え、ミモルはしっかりとした口調で言います。


「私はリーセンのこと、大切に思ってる。エルだって。だから、自分がここにいなきゃ良かったなんて思わないで」

「……」

「確かに、リーセンは隠し事をして、嘘を付いてたかもしれない。でもそれって、私のためでもあったんでしょ?」


 ちっぽけな子どもの心が壊れたり、精神をじ曲げてしまわないように。


「ずっと見守ってくれてたよね。旅が始まってからも、何度も助けてくれたし」


 たとえきっかけが何だったにしても、彼女が勇気を出して話しかけていなければ、ミモルは命を落としていたでしょう。


「不自由な思いをさせてきたよね。でも、これからもリーセンと一緒にいたいよ」

「っ!」


 それは長い長い魂の旅の中で、リーセンが初めて聞く言葉でした。「ありえない」と頭の中で繰り返しつつも、嘘や偽りのないことは確かめるまでもありません。


「……まだ、ここに居てもいいの?」

「女神様の代わりには、なれないけどね。だから、そんな顔しなくていいんだよ」


 リーセンは弾かれたように自分の顔に手を当てて、目じりがれていることに気が付きました。

 ミモルは悪戯いたずらっぽく笑ってみせて、なんでもないことみたいに問いかけます。


「あたしは……」

「ねぇ、女神様のこと、本当は今でも好きなんでしょ?」


 人間のうちを点々と流されるより、共に封印されていた方がましだった。


 そう思うのは、サレアルナと離れて「自分」を完全に引き裂いてしまうことが、耐え難いことだったからです。


「もう一人のリーセンを、助けてあげようよ」

「もう一人のあたし?」

「うん。リーセンって名前を付けてくれたの、女神様だよね? 自分の一部に過ぎないと思ってたら、名前なんて考えない。リーセンはリーセンであって、女神様や私の影なんかじゃないよ」


 体は一つしかなくても、心は二つありました。互いに足りないところをおぎなって、二人は生きてきたのです。そこが、他の人と少し違っただけ。

 ミモルは、今度は優しげに微笑みかけました。



 よろめいたと思ったのは錯覚だったのか、瞬きをするように瞳を開くと、ミモルはさっきと同じ場面に戻ってきていました。


 目の前には怒りをあらわにするクルテス。後ろにはクピアにはばまれて近づけないエルネアとムイ。


 かなりの時間を消費したはずが、周囲の景色に一切の変化はありません。ただ、現実へ返った少女には、先ほどまでとは違うことが一つだけありました。


『もうやめて。お願いだから』


「あなたにはこの声が聞こえないの?」

「なに……?」


『これ以上、誰かが傷つくのを見るのは嫌。たくさんよ』


 悲痛な、涙ながらに訴える声。今ならそれが誰のものか、何故聞こえてくるのかが分かります。


「声が聞こえてくるの」


 クルテスがはっとして胸を押さえました。


『やっと、一つ』


 ミモルには、少年が何百年もの時をかけて悪魔を呪縛から解き放った、あの瞬間の声の意味がようやく理解できました。

 あれは、『やっと一つ救えた』と言いたかったのです。


 天使はあくまで守護役でなければならず、それ以下でも以上でもあってはならない。そんな戒めを、女神が悲しまないはずはありません。


 ミモルは拳を握り締め、もう一方の手でぎゅっと包みました。その様子は祈りを込めているようにも、痛みにえているようにも見えました。


「きっと、これまでも幾つもの繋がりが歪んで、ねじれて……切れて。その度に辛かったんだと思う。諦めろ、なんて私には言えない。好きな人に自分に笑いかけて貰いたいって思うのは、とても自然なことだから」


 でも。言葉を切って、数呼吸してから一息に吐き出しました。


「あなたがそう思った相手は、ずっと泣いていたんだよ。だって、女神様には、あなたが女神様を想うのと同じくらい、他に笑いかけて欲しいひとがいたんだから」

「そんなこと分かってる」


 クルテスが遮るように言います。これまで何度も考えては振り払ってきた現実を、まざまざと突き付けられるのを拒んで、消し去ろうとするかのように。


「分かってるんだ。でも、……どうしようもないじゃないか」

「……そうだよね」


 ミモルは痛々しいものを見るような視線で、彼にそっと触れました。そこにはもう恐ろしい化け物はおらず、傷ついた哀れな少年が立っているだけです。


 彼の身体は冷えて、強張っていました。少女は腕に触れたまま瞳を閉じて、「声」がする方へと精神を沈めていきます。


 真っ暗な闇から輪郭が生まれ、巨大な扉を形作ります。その扉に手を添えて、迷いを振り切るように強く押すと、光が溢れました。


 誰もが息を呑みました。肩まで伸びた黄金の髪と純白のドレスが波打ち、くっきりとした色合いの大きな瞳が現れます。地上に女神が降臨した瞬間でした。


「……」


 その体は透けていましたが、この場に現れたのは確かだと皆が肌で感じ取っています。そのピンク色に染まった唇がゆるゆると開かれました。


「……全ては、間違いでした」

「サレアルナ?」


 磨かれた宝石のように美しい顔に不釣合いな皺を寄せ、歌をさえずるためにある口から後悔が零れ落ちます。


「私があのひとを愛したのも、あなたと共に封印される道を選んだことも、……私の力を、子どもたちに分け与えたのも」

「それって、一度封印が解けたのは、女神様が解いたから?」


 ミモルには、最後までわからなかった謎が解けた気がしました。神話の中で抜け落ちていた、かつて一度だけ封印が解かれた場面が、ようやく埋められたことになります。


いさかいに耐え切れなくなった私は、年月がクルテスを変えてくれると信じていました。人の中で転生を繰り返して命を巡る間に、大切なものが何かに気付いてくれると」


 それは間違いでした。姿だけは変わってしまった友人を見詰めながら、彼女は悲しげに話し続けます。


「お互いにどこまでいっても変わらなかった。そのことを認めずにはいられなくなった頃、私は自らを呪いました」


 このままでは未来永劫、人の中で眠り続けるだけで、何の解決にもなりはしない。人間が神々から遠ざかったことで、むしろ悪い影響を受けるのではないか。

 そう思ったサレアルナは、方向を修正しようとしました。


「封印を緩めた私は人に力を与えました。精霊の声を聞き、天との距離を縮めてくれるようにと願って」


 その頃にはあまりに長い間漂い過ぎていました。

 永遠に近い命があっても、荒波のように揺れる人間の中では次第に意識は薄れて力も削られ、やがては埋もれて消えてしまうかもしれません。


「だから、力を継いだ人間の中から、いずれ封印を解く者が現れるのを待とうと思ったのです」

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