第二十六話 明かされるなぞ
『……』
「ずっと、今回の一件について考えてたの。世界は壊れていないし、その女の人も『違う』って言ってた。他の神様に復讐したいなら、とっととティストの体を……捨てていたはずだよね」
確かに直系のティストはかなりの濃い血の持ち主かもしれませんが、幾度も他の人間と交わってきた彼が「頂点」だとは言い切れなくなっているはずです。
探せば実力者がもっと他にいくらでもいるでしょう。だとすれば、目的は別にあると考えるほうが自然です。
「ティストの体を保ってるのは、自分と一緒に女神様が封印されてるからだよね?」
『……』
少年は否定も肯定もせず、黙って聞いていました。次の言葉を聞くまでは。
「私ね、女神様の声を一度だけ聞いたの」
『本当に?』
その一言に全てが凝縮されていました。
「たった一回。それもちょっとだけ。でも、なんだか嬉しそうな感じだった。……優しそうだった」
『どこで、どこに!?』
ふわっと軽くなった感触で、ミモルは拘束が解かれたことを知ります。そのまますっと指を――ティストにさします。
「みんなでずっと探してたけど、やっぱりティストの中以外に考えられない」
人間への封神は、神々による外からのものと、女神による内からのものの両方で成り立っていたのでしょう。
ミモルの予測が確かなら、器が変わっても事情は同じはずです。
『嘘だ。いくら探してもこの内には何もない!』
「神」は怒りで顔を真っ赤に染めて今度こそ激しく否定しました。
『こうなったら一人残らず探してやる。まずはお前からだ!』
ぎゅっと両腕を掴まれて、ミモルは思わず痛みに悲鳴を上げました。幼さの消えた友達の顔が近付いてきます。
エルネアが「やめて!」と引き攣った叫びを上げるも、凄まじい力で抑え込んでくる敵の前には成すすべがありません。
『ほら、見るんだ』
「あ……」
再びあの瞳に射抜かれると、ミモルは全身の力が抜けるのを感じました。全ての事象が遠ざかり、少年の腕の中へと落ちていきます。
『思った通り、居心地も悪くなさそうだ』
耳元で囁かれる後半部分は、肉声よりもっと近くで聞こえました。
エルネアが心へ直接話しかけてくる時に似た感覚でしたが、違うのは何かが侵入してくるような、ぞわぞわとした嫌悪感です。
このまま、「神」の新たな器にされてしまうのでしょうか。ティストのために覚悟はしていたとはいえ、脱力したはずの両足がガクガクと震え始めます。
『安心するといい。痛みはない。すぐに何も感じなくなるよ』
い、いや。気持ち悪い。
唇ももはや浅い息の出入り口でしかなくなっていました。抱え込まれた格好のまま、触れそうなほどに接近したティストの顔が視界を埋め尽くします。
少年も今の自分と同じ苦しみを感じたのかもしれません。そう思うと、とうに自由を奪われたはずの目尻に涙が浮かびました。
諦めるしかないの? ……いやだ。そんなの嫌!
最後の力を振り絞り、心の内で叫んだ瞬間、
「――そんなだから見つからないのよ」
声と共に何かが弾けました。ぱんっという音とともに後ろへ飛ばされ、よろめく体を、自分とは違う何かが押し留めます。そのままよろよろと立つ姿勢を保ちました。
すぐには何が起きたのかミモルには分かりませんでした。彼女だけではありません。その場の誰もが同じで、状況を推し量るような沈黙が流れました。
『何だ?』
うろたえた表情の少年も、胸中はこちらと変わりがないらしく、突然の出来事に呆気に取られています。
『何をした?』
私じゃない。
反射的にミモルは首を振ろうとし――全く言うことをきかないことに気が付きました。こうして立っているのだって、自分の意識とは関係ないことにもです。
代わりに、先ほどは空気しか出入りできなかった唇が、しっかりとした動きで言葉を紡ぎました。
「何年経ってもちっとも変わってないね。……クルテス」
『どうして、ボクの名前を……まさか』
少年が大きく目を見開いて「ミモル」を見ます。その瞳には目的を当てられた時よりも更に深い驚きと動揺が浮かびました。
それは、これまで一度も告げられることのなかった名前でした。ただただ邪悪なものと恐れられ、穢れと忌み嫌われてきた「神」の名です。
「サレアルナはずっと、アンタが変わるって信じてたのにさ」
『リーセン、なのか』
次いで出た懐かしい響きに、クルテスと呼ばれた少年は指先を彷徨わせて言いました。
だったらどうなのと言わんばかりに、きつく睨み付けながら、血のように紅い瞳の少女はきっぱりと告げます。
「……これ以上ミモルに手を出すなら、黙っちゃいない」
『なぜ、そこにいるんだ』
世界がそこで切り取られたみたいに、二人以外の誰もが頑なに黙していました。
割り入ってはいけない雰囲気がそうさせていました。そっと触れただけで、水が入ったグラスを根本から叩き割ってしまいそうな危うさが漂っていたのです。
「あたしがどこにいようと、アンタには関係ないでしょ」
『キミはずっと、彼女の傍にいるべきだ』
「人を安定剤扱いするの、やめてくれる」
『答えになってない!』
クルテスは激昂し、「ミモル」の肩を再び掴もうと手を伸ばしました。が、彼女は素早く弾き返して数歩下がります。
『今までどこにいたんだ! ボクに「変わっていない」と言ったけど、キミだって何もしていないじゃないか』
「……やめなさいよ」
視線だけは外さなかったリーセンの目蓋が、ぴくりと震えました。
『彼女はキミを信じていた。頼りにしていた。でも、キミは助けを求める手を掴もうとするどころか、今みたいに振り払ったんだ』
「そのくだらないお喋りをやめろって言ってるのよ」
『キミは彼女を守らなきゃいけなかった。それなのに!』
「違う!」
『そんなちっぽけな器に入っているのが何よりの証拠じゃないか!』
ばりばりっと、何かが折れるような違和感が体を貫きました。リーセンがその正体に気付くのと、視界が真っ黒に塗り込められていくのとは、ほぼ同時でした。
気が付くと、真っ白い空間にミモルは立っていて、すぐにぴんときました。つるつるとした床や乾いた空気に、少し前に夢で見た光景とそっくりの質感があったからです。
体の自由は戻っていて、そのことが「この場」が現実でない証のような気がしました。
ふいに、背中で気配が生まれます。それはこちらをじっと見詰めるような視線を送り、ややあってから呟きました。
「あたし、ずっとミモルを騙してた」
「……」
少女は答えません。聞きたいことが沢山あっても、それらは溢れてぐちゃぐちゃに混ざって、形を成しませんでした。だから、胸を押さえて次の言葉を待ちました。
「本当は天界や神々や天使のこと、色々と知ってたのに、知らないふりをしてたの」
「どうして」
抑揚もなく問いかけます。それが相手の胸を一層抉ると知っていても。
「知られれば、それは『あたし』が『あんた』じゃないって告白することになる。こんなに気持ち悪いことってないじゃない」
本当の親がいない辛さから逃れる為に、自らが生み出したもう一つの人格なら受け入れられても、縁もゆかりもない存在が心の内に住んでいると知ってしまったら、どれだけの人間が納得できるでしょうか。
多くの者は、体を虫は這い回るような嫌悪感に駆られるに違いないのです。
「そのうちに何を信じて良いか、分からなくなる。世の中全てを気持ち悪く感じて、最後には……」
そこで彼女はぷつりと言葉を切ります。沈黙が漂い、互いの息遣いだけが耳に届く時間が過ぎていきました。




