第二十四話 待ち受けるものにむかって
「お前、仲間と一戦交えるつもりか?」
ナドレスは怪訝そうに顔をしかめました。もう決めてしまっているといわんばかりの態度に、天使は大仰に肩を落として溜め息を付きます。
「言って聞くように見えるか」
「みんな、先に行ってくれ。すぐに追い付く」
仲間が心配そうに見詰める視線を微笑みで返してから、不満げなスフレイと黒衣の女性を交互に見比べます。
「あぁ? 別に逃げたりしねぇっつの」
「俺からはそんなに遠くまで離れられないって言ったろ」
小さな舌打ちを合図にするかのように、ムイは通路の奧へ突進しました。それはつまり、ルノーが立ち塞がっている方へです。
「行かせない」
「お前の相手は俺がしてやるっつってんだろ」
遮るように、スフレイは手元に転がっていた石ころを彼女めがけて蹴り上げました。床や壁が崩れ、小さな欠片となってそこらじゅうに落ちているのです。
無論、ルノーはひらりとかわしましたが、その石ころに気を取られている合間に、ミモル達は素早く駆け抜けます。さっと走り込んで、双方の間にスフレイが立ちました。
「たまには周りにも目ぇ向けてみろって。面白いものがあるかもしれないだろ」
にやりと笑います。ルノーは白い顔に驚きを乗せて言いました。
「お前の口からそんなセリフが出るとは思わなかった。この世の滅びを望んでいたのではないのか」
「……別に宗旨がえしたわけじゃねぇよ。ただ、キナ臭さを感じたのに盲信出来るほどお人好しでもないんだよ」
『全てを壊してみたくないか?』
彼はただ、この世の終わりが見たくて付いてきました。
生まれた時から頼る者もなく、街の片隅で文字通り死にものぐるいの思いをして生きてきたスフレイに唯一声をかけたのが、薄笑いを浮かべた黒服の男――ロシュでした。
上品な雰囲気を纏っていたからどこぞの没落貴族か何かかとは思いましたが、そんなことよりも惹き付けられたのは「人」や「命」をなんとも思っていない者だけが見せる目です。
ほとんど何の説明も求めないまま、スフレイは路地の片隅からゆっくりと立ち上がって闇の方へと歩いていきました。あの記憶は、さして昔のものではなかったはずです。
「新参者が口を挟むなってんだろ? お前らがいつからあいつについてるんだか知らねぇけどよ」
連れられていった先で仲間として紹介されたのが、全身黒ずくめのルノーと、やけに明るい色の髪をしたクピアでした。
『よろしくね』
肌の露出の多い服装をした彼女に目を奪われたのも束の間、その妖艶さの奥に隠された何かが、スフレイには透けて見えました。
きっと、それに気付かないまま近付けば、弄ばれて消されるだろうとすぐに分かったのです。
計画は非常に簡単なものでした。スフレイが加わった時には、すでにロシュは城へと入り込んでいて、王家と国政を手中におさめるのも時間の問題でした。
やることと言えば邪魔者を排除する程度で、そんなことは今まで生きる為にしてきたことの延長でしかありません。
過去へ飛びかけていた意識を、ルノーの声が引き戻します。
「どこがキナ臭い。神は現れ、世界は終わろうとしている。計画に綻びはない」
「その『神』とやらにロシュがクビにされてもか? あんたにとって、あいつは一応仲間なんじゃねぇの」
言いながら、スフレイは自分でも否定的な気持ちでいました。
「些細なことはどうでも良い。ロシュが消えても、一切支障はない」
「……ま、だろうな」
そもそも「仲間意識」などという高尚なものを持ち合わせた集団ではありません。単に目的が一緒だったから、行動を共にしていただけに過ぎないのです。
「それにしても、お前結構喋れるのな。いつもすげぇ無口だから、本気で人形か何かかと思ってたぜ」
ぴくり、とルノーの眉が動きます。
「つくづく駆け引きが苦手な男だ。が、この状況では乗らないわけにもいかないか」
「へぇ、今日のお前はほんと、面白ぇな」
ちょうど、後ろにいたナドレスが彼へとかけた拘束を解いたのを耳で確認し、再びにやりと笑いました。
「手、出すなよ」
「お前の指図なんて受けるか」
天使が付いた大きな溜め息が、開始の合図になりました。
「もっと慎重にいかなくて大丈夫かな」
ミモル達はいよいよ確信を強め、まっすぐに走っていました。時間がないのは事実ですが、途中の部屋らしき空間には目もくれず先を行くムイに問いかけます。
「あいつらの狙いがなんにせよ、放っておいたらろくな事にならないのだけは間違いないでしょ」
「そうだけど、罠があったら」
前後に注意を払いつつ、隣にぴったりと付くエルネアが小さく首を振りました。
「敵はあれで全部だと思うの。足止めとして一度任務を失敗したルノーを差し向けたのは、きっと目的を達するのに彼女くらいしか人員が割けなかったからよ」
「というより、こっちのことなんて眼中になくて、念のために見張りを置いただけじゃない?」
身も蓋もない話にミモルは顔をしかめます。二人の推測のどちらが正しいにせよ、あの黒衣の女性が彼らにとって捨て駒だと言っているのは同じです。
「なんだか、悲しいね」
「急がないと、そんな悠長ことも言ってられなくなるわよ」
たった三人だけで立ち向かえるとは思えない敵の居場所へと、全力で駆けていきます。
こうしていると、つい数日前までエルネアと二人で穏やかな日々を過ごしていたことが、酷く遠い出来事に思えました。
このまま進めば、取り返しがつかなくなるような気がする。大事なものが消えてしまうような……。
抑えようのない焦燥感に胸が締め付けられます。ムイが視線を外して前方を見据えた瞬間、声が耳に届きました。
『ミモル』
ずっと近くにいて、自分を支えてきた者の声です。自分ととても似ていて、けれど全く違った響きです。
『リーセン』
巻き込んでごめんなさい、とは口が裂けても言えませんでした。舌先から離したら最後、その紅い瞳を閉じて二度と話しかけてきてくれないような予感がしました。
無言のまま待っていると、リーセンは静かに告げます。
『何があっても、この選択を後悔しないって約束して』
『……ティストを助けるよ。絶対』
足元を照らしていた光に別のものが浸食し、俯きがちだったミモルは顔を上げました。通路の向こうから、激しい力の奔流と明かりが伸びています。
「行くわよ」
ムイが言い、ミモルの小さな肩を震わせます。その腕にエルネアが触れて微笑みました。
たとえ目線が同じ高さになっても、笑顔の柔らかさと込められた想いに変わりはありません。
「大丈夫。きっとうまくいくわ。早く終わらせてみんなで帰りましょう」
「……そうだね」
何度こうして瞳を合わせたでしょうか。「帰る」という言葉に、ふいに涙が込み上げそうになって、少女は慌てて笑い返します。
外見だけなら子どもにしか見えない三人だけで、光の渦へと飛び込んでいきました。




