第十九話 異質なさいかい
それだけ責められても、スフレイは表情一つ崩すことはありません。
「そっちはついでに過ぎねぇよ。さらった王妃が吐くのを待っているうちに、そういえば使えるって思いついただけさ。王子の覚醒には強いショックが必要だったからな」
「じゃあ、やっぱり……王妃だったってワケね」
そうじゃないかとは思っていたけど、と呟くムイはあることを確信していました。
それをより強固なものにするために、ナドレスが掴みかかる相手を冷やかな瞳で見つめます。
「察しがいいな。俺達は始め王に近付いたが何もなかった。なら、教会から嫁いだ王妃が怪しいのは明らかだからな」
「教会と王家の婚姻?」
ナドレスは先ほど教えられたばかりの知識から疑問を感じました。歴史的な背景から互いに交わろうとしないはずの両者が、なぜ結婚という結びつきを求めたのかと。
「表向きは和解しようなんて話だったが、単にどっちも睨み合う余裕なんかとうの昔になくなっちまっただけさ。意地も貫き通せないんじゃ、手を結ぶしかねぇだろ」
「契約の証か知らないけど、巫女を差し出してしまったわけね。よりにもよって、欲と権力の象徴とも言うべき場所へ」
国は神の存在を認めて権威を取り戻すために。教会は後ろ盾を得て信仰を存続させるために。一つ言えるのは、教会が大きな過ちを犯したという事実です。
そのまま教会で受け継がれ続ければ、女神の望んだ通りの結末を迎えたかもしれないというのに。そうして「神」の魂は城へと持ち込まれたのです。
そこへ、先の悪魔騒ぎによる地の底の気の流出です。こんなに状況が整い過ぎてしまうと、すでにどれが引き金で何が最初だったのかなど、判別しようがありません。
「他にも聞きたいことがあったんじゃねぇの?」
「あんた達の力のこと? なら、察しは付いてる。というか、もっと早く気付くべきだったのよ。白い血があれば黒い血もあるってことに」
「まぁ、白く清らかってわけにはいかないだろうな」
黒い血。ムイがそう表現したものは、ミモル達が受け継ぐ女神の血とはまた別の系譜のことです。
「前に復活した時にあいつが残した破滅が、孵化した……。細く重い流れだったのね。じゃなきゃ、神々の目から逃れられるわけがない」
六番目の神が、女神と共に封じられる直前に力の欠片を血という形で残した負の遺産。それを受け継いでいるのが彼ら、というのがムイの推測でした。
「今は無理だけど、いずれ血筋を追う必要があるわね」
「ロシュはともかく、俺は自分の生まれなんて知らねぇし、興味もないぜ」
放っておけばどんな事態が発生するか分かりません。彼らの他にも力に目覚めて世に混乱をもたらす人間が生まれてしまうかもしれないのです。
スフレイは、そんなことは余所でやってくれと言わんばかりに手を振りました。面倒くさげな態度に怒りを感じたナドレスが睨み付けます。
「怖くないのか?」
「何が?」
「お前達のせいで世界が滅びるかもしれないんだぞ。自分だって死ぬかもしれないのに」
顔に楽しげな笑みを刻み、瞳に危険な光を宿してスフレイは言いました。
「ああ、やっと望みが叶うと思うとゾクゾクするねぇ」
「なっ……」
「俺はさ、ロシュに声をかけられたのが確かに参加したきっかけだったけど、目的は違ってたんだよ。俺は――世界の最後が見たいのさ」
あまりに価値観の違う相手を前にして、ナドレスは会話することに苦痛を覚えました。天使にとって世界とは神々の創ったものであり、人々は守護すべきものだからです。
「狂ってる。死を望むなんて、間違ってる。まして、自分の欲望のためだけにこの世界の全部を巻き込むなんて……」
滅びを心から望む者など、あってはならない存在です。
「放っておきなさい。どうせあんたじゃ手に負えない相手よ。あとで、こっちで手を打つから」
「そいつは穏やかじゃないな。消されちまうのかねぇ」
「ん~、『黒い血』全員を消して、新たに転生させるってのも一手ね」
ナドレスがぎょっとして少女を仰ぎました。人間を消す、それはつまり……。
「ムイ! あの方々がそんなことなさる訳がないだろ――えっ?」
軽々しく物騒な提案をする彼女に反論しようとしたところで、ナドレスは別の何かに気を引かれました。
「うるさいわね。そういう手段も考えておくべきだって言っただけ……どうしたの」
しっ。人差し指を立てて、二人に静かにするように告げます。
……コツ、コツ。耳を澄ますと、聞こえてきたのは足音でした。段々と近付いてきます。ムイが声を潜めました。
「置いてきたあの男じゃなさそうね」
「クピアが来たなら、もっと甲高い音がするだろうしな」
湿り気を帯びた不規則な靴音が、明らかに複数のものであることを教えています。スフレイが言う通り、地面を擦る音は高いヒール独特のそれとも違っています。
最も確立が高いのはミモルとエルネアが追いついてきた場合ですが、彼らはいまひとつ判断しかねていました。
「同じ音がする」
天使が困惑の表情を浮かべます。二つの靴音にはほとんど差異が感じられません。
もし仲間が向かってきているなら、大人と子どもで大きさや歩調に違いが出るはずです。
音はどんどん大きさを増し、息遣いまでが耳に届くようになり……薄明かりの中に輪郭を現しました。
「よかった、無事で」
青い瞳の少女が微笑みます。殺伐とした状況の中にあって、久しぶりに見た笑顔でした。
「ミモル!」
ムイが名を叫びます。エルネアを信じつつも、心のどこかに引っかかっていた不安がこの瞬間に弾け跳びました。
「ごめん。心配かけて」
警戒を解いて近寄ろうとする彼女が言うと、ミモルが小さく頭を下げました。
髪は乱れ、顔も服も汚れてしまっています。そんな少女の手を、ムイがそっと握りました。こうして再会出来たのだからもう良い、と呟いて。
「……それで、そっちは誰? エルネアはどうしたの」
つと視線を後方へ向けます。ミモルの連れはまだ暗がりから姿を現しておらず、どう出るべきかと思案しているふうに見えました。
背格好からすると、ミモルやムイと同程度の少女のようですが、その場にいる誰もが正体を思いつかず首を傾げます。やや高めの声が問いかけました。
「行っても、いいかしら」
それはどこかで耳にしたことのある響きです。ミモルが「もちろん」と差し出した手を取るように、その少女は足を明るみへと踏み出しました。
「え、ちょっと」
「びっくりしたでしょう」
一番近くに立っていたムイが戸惑いを零し、次いで男達から言葉を奪います。
流れる金の髪に白いワンピース。見慣れた格好をした女の子が、恥ずかしげに話しかけてきます。ミモルが連れてきた少女は、赤い顔で「私よ」と言いました。
「エルネア、なの?」
「……えぇ」
「へぇ、こいつは驚いた」
部外者のスフレイも遠目に見たエルネアの雰囲気くらいは覚えています。あの美しかった女性が幼い少女に変わっていたのでは、驚かないほうがおかしいでしょう。
「何が起きたんだ? こんなこと、ありえない」
ナドレスも駆け寄って頭から爪先まで眺め、疑問を吐き出します。
「確かに、激しく消耗すれば肉体を構成し続けられなくなるけど、そうなったら俺達は消えてしまうはずだ」
「そう。私も、天に還されるところだったわ」




