第八話 さいかいと合流
「あ~それ。一つ頂戴」
一方その頃、ミモル達とはぐれたムイは一人、出店を巡り歩いていました。美味しそうなものを見付けては手当たり次第に買い込んで口に入れていきます。
「お嬢ちゃん、よく食べるねぇ」
店のおばちゃんが鳥串を真っ黒いタレに浸けてから手渡しながら、半ば感心、半ば呆れ気味に笑います。
ぽっちゃり体型で笑うと目尻に皺が寄る、なんとも愛嬌があって好感を抱かせる女性です。
辺りにはじゅうじゅうと肉が焼ける匂いと、ここら一帯に連なる店じゅうの食べ物の香りが混ざっています。
老若男女が食べ物を求め、椅子を並べて喋りあい、ひしめき合って、湿度が異様に高く感じました。
「ま、ね」
鳥を掴む反対の手には、先程食べただんごの串が三本握られています。その前に食べた果物もなかなか美味かったなぁなどと振り返ります。
「にしても、なんでこんなに騒がしいの。王都はいつもこんなもん?」
すると、おばちゃんは驚いた表情になり、ひそひそ話をするように顔を近づけてきました。
そんなことをしなくとも周りは十分に騒がしく、隣で雑談をしている男達も話に夢中で、こちらに注意を向ける様子はないのにです。
「知らないのかい? 王子様が城から消えたらしいんだよ。緘口令を敷いてるって話だけど、こういう噂はどうしたって広まっちまうもんさ」
「へぇ?」
彼女は幅の広い肩を竦めて、「ま、無理もないかもねぇ」と呟きました。
「どして? あ、これもう一本」
興味を持った振りをして、受け取った串にかぶりつきます。口の中は鳥でいっぱいです。どうせ市井の噂。話半分に聞いて丁度良いのです。
「最近、王様の様子が変みたいでね。突然、怪しげな神様を拝めなんて言い出したとかなんとか」
ぶふっ! げほっごほっ! ムイは盛大に吹き出しました。
「大丈夫かい?」
「あ、ありがと」
ひとしきり咽せたあと、おばちゃんが差し出してくれた紙で口の周りを拭き取り、お金を払って店を出ました。空気の流れに沿うように、ムイはすいすいと歩きます。
ひどい混雑の中、少女が俯きながら歩いているのにも関わらず他人と一切接触しないのを、すれ違う誰もが気付きません。
「ここは城からまだ遠いし、どこまでが本当か分かったものじゃないけど」
そう前置きしながらも、眉間には無意識に皺が寄っています。地面を舐めるように見下ろしている自分に思い至り、ふと空を見上げると、
「あ」
二つの影が空を横切るところでした。
急襲から辛くも逃れたミモル達は、今後について話し合っていました。
「とにかくお城に行って、何が起こっているのか確かめなくちゃ」
「……怖いけど、逃げてたらみんなを助けられないよね」
ミモルはそう提案し、ティストも重々しく頷きます。
「なら、飛んでいきましょう。またあの人ごみに戻るのは得策じゃないわ」
「わかった」
エルネアが言い、ミモルに目配せすると、彼女にもすぐにピンときました。
ミモルは再び風の精霊・ウィンを召喚し、自分達の周りに空気の膜を張らせました。こうしておけば、普通の人の目に触れることもありません。
「ミモルってすごいんだね」
精霊の姿にも、それを使役する彼女にもティストはいちいち驚き、感嘆しました。
尊敬の眼差しを向けられ、ミモルはどきまぎしながら赤くなった顔の前で手を振ってみせます。
「そ、そんなことないよ。ティストにも出来るようになるよ」
「本当?」
「精霊と契約すれば良いんだよ」
にっこりと微笑み、エルネアの手を取ります。同じようにティストも恐る恐るナドレスに身を預けました。
天使達が羽を一扇ぎすると、今まで自分を支配していた重力が消えてしまったみたいに足が地面から離れ、瞬く間に上空高く舞い上がりました。
建物の影から解放され、人々の目鼻がぼんやりとしか判別出来なくなり――やがて、太陽に照らされて輝く王城がその輪郭を現します。
「うわぁ、街の三分の一くらいありそうだね。こんなに大きかったんだ……!」
ミモルが声を上げました。巨大だとは思っていましたが、上から見るまではこれほどのものとは思っていませんでした。
ティストも、自分の住む城を空から観察するのは初めてに違いありません。
「それだけ、この国の力が大きいという証拠でしょうね」
エルネアの分析に、彼はぽつりと呟きます。
「国力が大きいということは、即ち、他に脅かされない、平和だということ。……教育係がそう言っていたっけ」
そしていずれは自らが受け継がなければならないもの。その重みを感じてか、少年は唇を固く引き結びました。
「あれ、ちょっと待って。何か動いて……。あっ!」
ミモルの声で、全員が空の真っ只中に制止します。
雑踏の中、ほんの僅かに人の波が穏やかな辺りで小さく手を振っていたのは、王都に入ってすぐにはぐれてしまったムイでした。
この先で合流しようと身振りで合図すると、彼女もすぐに走り出します。やや北上し、人気のない場所に一端降り立ちます。目立つオレンジ頭はすでに待っていました。
「もう、何処に行っていたの? こちらは大変だったのよ」
噛み付くエルネアに、軽く笑っていた彼女もさすがに後ろめたいのか、目を泳がせます。
「いや、どうせそのうち会えるだろうと思って、その前に情報収集を」
「出店で?」
「ああいうところの方が、噂が集まってくるんだって」
少女の体からはつい先ほど食べたものの匂いが漂い、ミモルは思わず唾を飲み込みました。
「……ずるいよ。私もお腹すいてるのに自分ばっかり食べて」
急ぎの旅ゆえに休息や補給は十分とはいえない道行きでした。空腹を思い出し、腹部を押さえて不満を訴えます。今にも鳴りそうです。
「ねぇ、ミモル。この人がさっき言っていた仲間?」
ティストに訊ねられ、そういえば紹介もまだだったと気がつきました。ミモルは慌てて彼らを引き合わせ、説明を加えました。
「え~と。ムイ、こっちはティスト。なんと、この国の王子様なんだって、凄いでしょ」
努めて明るく言うと、ムイは顎をさすりながら「あぁ、あなたが噂の」と呟きました。外見上の年齢よりもずっと老成した瞳で彼を眺めます。
「噂?」
「城を飛び出して大騒ぎになってるって」
少年はうっ、と言葉に詰まりました。事情があったとはいえ、仮にも王位継承者が城を無断で出れば騒ぎにもなるでしょう。
本人もまさかこんなに早く広まっているとは知らず絶句してしまいました。
「だ、大丈夫だよ。戻って訳を話せば」
「おい、ティスト様にそんな口を叩くのはやめろ」
二人に割って入ったのはナドレスでした。主人を品定めするような目で見られるのが腹に据えかねたのか、きつく睨みつけています。
「ふぅん、王子は素養の保持者だったのね」
「なに?」
射抜くような視線を放っていた彼も虚を突かれて、改めて相手を見ました。
そもそもムイは空を飛ぶミモル達に手を振っていました。普通なら風の結界で目視出来ないはずの彼女達に、です。只者のはずがありません。
「何者だ?」
「『何者』とは酷い挨拶ね。何も感じないなんて、色々と足りないんじゃない」
なんだと! と激昂しそうになるナドレスをエルネアがやんわりと抑え、ムイにも「いい加減にして」と嗜めます。しかし、彼女は追及の手を緩めませんでした。




