第三話 神々のいつわ
「二柱は共にある一人の人間に封印され、世界に平和が戻った」
「人間に? そんなの、平和じゃないよ」
ムイは冷めた瞳で「仕方がなかったの」と言いました。
「その時代の人々は神々を強く信仰していた。正も負も併せ持つ存在として『器』には好都合だった。神々が望むと、人々は一人の人間を差し出した……」
ムイは溜め息を付き、砂糖もミルクも入っていない紅茶を一口飲みました。空気を引き締めて話を続けようとします。そこでエルネアが、ふと疑問を零しました。
「器になった人間は、やがて死ぬわよね」
人の命は短いものです。そんな不安定さこそが器の条件とも言えるのでしょうが、遠くない年月のうちに寿命は尽きてしまいます。
「宿った魂は子孫へと受け継がれる。ただ、その度に封印は少しずつ弱まっていくけどね」
「……復活したの?」
「過去に一度。意識を取り戻すまでに至った邪な神は宿主の体を乗っ取って暴走した。あれは……怒りを爆発させるようだった」
記録を掘り起こすように喋っていた彼女の、固かった口調が現実味を帯び始めました。この辺りからは、彼女自身の記憶を元に語られているのでしょう。
けれども、「神が暴れる」などと言われても、こちらにはピンと来ません。ミモルはうまく想像出来ませんでした。
「その時も、同じ人間に封じられていたサレアルナ様が再度封印をなさったことで騒ぎは収まった」
ただ、一つだけ前と違うことがある。ムイはそう言って一呼吸置きます。
「神々は、二度も世界を蹂躙した邪な神を滅ぼそうと決意されていた。サレアルナ様を救い、再び天へお迎えするためにも」
「じゃあ、どうして?」
「サレアルナ様が、お許しにならなかったから」
『いつか、人の中で生き続けるうちに邪な神の心が洗われるでしょう』
「悲しい話だね」
ミモルは視線をカップへと落としました。話に聞き入っている間に湯気は立たなくなってしまっています。残った熱を惜しむように、そっと両手で包みました。
「女神様は『その時』を待っているんでしょ? 探さないほうが、良いんじゃないのかな」
狂った友の心が治まり、かつての関係に戻れる日を待ち続ける女神。それをわざわ探し出すのは、ミモルには余計なことのような気がしたのです。
「ここ数ヶ月で事情が大きく変わってね。猶予がないの」
「うわぁ、大きな街~!」
三人は数日もしないうちに、森の南にある大都市――王都に入りました。
空を突くような建物が並ぶ街です。がっしりとした石造りで、民家でさえ立派に見えてこちらを圧倒します。
「王都なんだから当たり前でしょ」
キョロキョロと辺りを見回して感嘆の声ばかり上げている少女に、外見だけなら同じくらいの年の少女が言いました。
「だって、初めて来たんだもん」
舗装された道を馬車が行き交い、そこここで商人が客を呼び込む声が響きます。料理店からは嗅いだ事のない香りが漂い、ふっと誘われそうになります。
「前を見て歩かないと危ないわ」
「過保護だなぁ」
ムイが口の端を上げると、保護者はむっとした表情を作りました。
「私以外に、誰がミモルちゃんに身を守る術を教えてあげられるのよ」
皮肉を浴びせた本人は言葉に詰まりました。深く考えもしませんでしたが、まだ年端もいかないミモルには、生きていく糧を与えてくれる者さえないのです。
「ご両親は行方知れず。代わりに育ててくれた聖女も先の戦いで亡くなってしまっているのよ」
それも目の前で、彼女を守るために。表には出さなくとも、あの出来事がミモルに刻んだ心の傷が、もう癒えただなどとはエルネアには思えません。
「あんな風に笑ってくれるようになったのも、ここ最近のことなのに」
「……わかった。もう言わない」
ミモルは瞳を輝かせ、村では見た事もない衣服や装飾品を眺めて歩いています。こちらの会話は耳に入らなかったらしく、エルネアはほっと安堵の息をつきました。
「ミモルちゃん、あんまり先に行ってしまわないで! それで、あの方はこちらの方角だと仰ったのね?」
天使は確かめるように呟きます。
「そ。だいたいの位置しか分からないらしくってさ。あんた達が住んでいる森から南に位置する都市だろうってことしか、教えて下さらなかった」
「でも、この先って大きな街ばっかりだよ?」
慌てて戻ってきたミモルが眉をひそめます。この王都を始め、付近には都市が固まって存在していました。
「だから、頼みの綱はミモルなんだって。ほら、何か感じない?」
ミモルは細く伸びきらない腕を組み、う~んと首を捻ります。
「ねぇ、本当にミモルちゃんに女神様の声を聞く力があるのかしら」
「それは間違いない。現に一度聞いているはずなんだ」
二人は思い思いの瞳でミモルを見つめました。女神の声を聞き、存在を感知する力。それこそが、彼女が女神探索の人員として選ばれた理由だったのです。
以前の旅でミモル達は、ニズムとマカラの接触に巻き込まれる形で「地の底」へ飛ばされました。ミモルが思い当たるのは、そこから弾き出された瞬間に耳を掠めた声です。
『やっと、一つ』
柔らかく囁く声。慈愛に満ち、心から嬉しさを溢れさせた響き。
「あれが、女神様の声だったなんて……。気のせいじゃなかったんだ」
でもなぁと腕を組みます。本当にあれ一度きりで、それ以来、何を聞いた事も感じた事もないのです。
「たまたま聞こえただけなんじゃないのかな……」
「その『たまたま』だって初めてなんだから。私達はミモルに賭けるしかないの!」
いっそ、ミモル自身が女神の魂の保有者なら、問題はすぐに解決するのにとムイは歯噛みします。神の使いである彼女の見立てでは違うようです。
「一刻も早く、目覚めて頂かなければ」
ムイは一瞬張り詰めた表情を見せましたが、何かに気が付いて足を止めました。頭の後ろで腕を組み、軽口を叩きます。
「あれが王宮か。人間って、大きな建物が好きよねー」
ミモル達も、大人びた言動が彼女の一面に過ぎないと知り始めていました。その視線にならい、街の奧に聳える大きな影に目を凝らします。
「あれが、王様が住んでるお城なんだ……」
豊かな山を背にした強固な壁。それがミモルの抱いた印象でした。
正門には太い橋がかかり、いかつい兵士の検問を抜けた商人や貴人達が、中へと吸い込まれていきます。
「城は国家の象徴だもの。城の大きさは国の強さと権威を表し、他国を牽制する意味もある。このオキシアも例外じゃないわ」
オキシア。小難しい話の中に少女は自国の名前を耳にし、改めて自分が住む森が一つの国の領土に過ぎないことを感じました。
先の旅で精霊との契約で回った場所でさえ、オキシア王国からは一歩も出ていないのです。
「世界は広いんだね。あの雪山を越えた先に、国境があったんでしょ?」
話しているのは、雷の精霊との契約のために登った山のことです。街道を回れば検問所があり、隣の国へと入れるはずでした。
「行ってみたかった?」
「ううん。いつか行ってみたい気もするけど、あの時はやっぱり帰りたかったから」
ミモルは首を振り、天使に笑いかけます。そんなふうに喋りながら歩いていると、人々の流れが一方的になってきたことに気付きました。
皆、奧へ奧へと進んでいます。地面を細かな振動が伝わり、ざわめきも膨らんでいきます。
「何かあったのかな?」
「じゃ、ちょっくら見てくるわ」
待ってという間もなく、ムイは人混みへ駆けていきました。これだけの混雑にも関わらず、器用に隙間を抜けて視界から消えてしまいます。
「私も行くよ!」
「離れちゃ駄目よ」
エルネアが手を取ろうとする前に、ミモルも走り出してしまい、指先は届きませんでした。
今の彼女は自分を守る力を持っています。それでも心配は尽きません。直ぐさまエルネアも地面を蹴りました。




