第二話 つかいの訪れ
その時、ノックの音が二人を振り向かせました。再びコンコンと二回扉が鳴ります。
「他にお客さんが来る予定はないんだけれど。……どなたですか?」
開く前にエルネアがそう問いかけるのは珍しいことでした。
こんな森の奥に何の用もなく訪れる者などいませんし、彼女は足音や気配で相手が誰なのか、ある程度判断出来るのです。
「ちょっと、開けてくれない?」
少女と思われる声でした。少なくとも、先ほどのお客さんが戻ってきたのではないことだけは確かです。エルネアはミモルに目配せし、頷きあってから玄関を開きました。
「迎えに来たわよ、ミモル」
「えっ?」
年齢はミモルと同じくらいでしょうか。陽光のような明るい色の髪を頭の左上で結い、鋭い瞳で見詰めてきます。
動きやすそうな服装ではありますが、とても森歩きに適しているとは思えませんでした。
「『迎えに来た』って、どういう――」
「あなた、あの方の使いね」
戸惑うミモルを遮って、エルネアが不安げに問いかけます。少女も「そうよ」と答え、素性を隠す気はないようでした。
「私はクロノ様に仕える者・ムイ。でも、今回はあの方々の総意を受けて来たの。天使エルネア、この意味が分かるでしょ?」
「総意、ですって……?」
エルネアは顔色を青くし、顔を俯かせました。言葉がそれ以上続かないようです。
子どもとも思えない話しぶりにミモルは目を白黒させていましたが、内容の端々から気付くことはありました。
「えぇと、もしかして……天から来た人なの?」
パートナーの正体を知っていることからしても、それくらいは想像が付きます。エルネアが応えました。
「そう。人の言葉で表現するなら、神の側近ね。私達は『使い』と呼んでいるの」
「『使い』……。天使ではないの?」
ミモルには天のシステムなど分かりません。大多数の人間がそうであるように、神の使いは天使を指すものだと思い込んでいました。「使い」という少女は首を振ります。
「違う。私達は翼を持たない。常にあの方々の傍で働く補佐のようなもので、一人の神に一人しか存在しない」
とんでもないことが起こっているとミモルはようやく感じました。神様のたった一人の側近が自分に会いに来るなど、普通ではありません。
「そんな人が、私に一体何の用が……」
言いかけてはっとします。
「ま、まさか罰を与えに来たんじゃあ。あれは私が全部決めたことで、エルは従っただけだよ。だから罰するなら私だけにして!」
以前の旅において、エルネアは天使として間違った選択をしていました。そのことは聖域の主から指摘されています。
いずれは天の知るところになるだろうと予測してもいました。でも、何の音沙汰もないので最近では忘れかけていました。今更、処遇が決まったとでも言うのでしょうか。
「あぁ、エルネアの、以前の主の記憶を呼び起こす恐れがある情報との接触、ね。あれについては不問になった」
『えっ?』
驚きが重なります。少女は面倒臭そうに溜め息を付き、言いました。
「結果的に悪魔を退けてミモルを守り通した。記憶も蘇っていない。マカラとニズムの逃亡を許した件についても――」
「ちょっと待って。二人は無事なの?」
ミモルの制止に彼女は頷きます。
「あれにしたところで、あなた達の責任ではない。というのが天の総意。他に質問は?」
きつい性格なのと思いきや、ぺらぺらと喋るのも嫌いではないのかもしれません。ミモルは頭が今のことでいっぱいになっていたけれど、全て横に押しのけて訊ねました。
「じゃあ、どうして私のところに来たの?」
「単刀直入に言う。あなたにはサレアルナ様捜索の命が下った」
「……そうさく?」
聞きなれない名前と突然の命令に、ミモルは首を傾げます。
知らない者を何故自分が探さなければならないのか。そもそも、どうやって探すのか。エルネアも怪訝な顔で神の使いを見詰めます。
「サレアルナ様は、今は失われた女神。第五の創造神」
「ちょっと待って。私は知らないわ!」
さらりと言われたセリフに、遮る声が上がりました。
「だから、失われたって言ったでしょ」
話にまたしても付いていけていないミモルは、二人を交互に見比べます。
「なんのことだか良く分からないけど……。エルも知らない神様なんて居るの?」
「証拠は、目の前のあなた自身よ」
「えっ?」
ムイはびしりとミモルを指差しました。外でするべき話ではないようだと、二人はムイを台所へ案内しました。
まだ朝食の準備も出来ておらず、昨晩綺麗に掃除したままの状態です。
いつもならミモルのために卵を焼いたりしているのにと思いながら、エルネアは主と客人のために紅茶をいれて差し出し、自らもテーブルにつきました。
それだけで、冷え切った場にほんの少し生活の熱が灯ります。
「力が血によって受け継がれることは知っているでしょ」
言われ、ミモルは炎の精霊がそのようなことを言っていたことを思い出しました。
神の血と、力を継ぐ者。全ての精霊と契約したもののみが知ることを許される、存在の理由です。
「契約者こそ、サレアルナ様の血に『選ばれし者』なの」
「女神さまの、血……?」
エルネアの反応から察するに、神と呼ばれる存在は複数いるようです。 ムイは頭をかきながら、自分も聞いた話でしかないと前置きしてから口を開きました。
「初め、六つの大いなる力があった。力は一つの世界を創り、『天』と名付けて、自らの形をも創られた。力は……神々はそれぞれに『使い』を生み出し、さらに天使を創られた。天は賑やかになり、しばらくは平和が続いた」
エルネアはぴりりという痛みを覚えてこめかみを押さえました。
「エル、大丈夫?」
「えぇ。続けて」
これは天使の存在に関わる話ですが、彼女にとっては寝物語に過ぎないはずです。何故、こうも頭の隅を刺激するのでしょうか。
「神々は新しい世界をお創りになった。様々な生き物を生み出し、その中には人もいた。そこは『地上』と名付けられた。神々は地上を眺め、人々は神を崇める。そんな日々が、ある時からゆっくりと傾いていった」
話の気配が変わって、ミモルはぎくりとしました。
辛そうな表情のエルネアのことが気がかりである一方で、ムイの語る物語に惹きこまれているのも事実です。体が、無意識に前のめりになります。
「六つの力――六神うちの一柱が、心を乱し、自らの意思を押し通そうとし始めた。全てを自分で支配したがった。世界も、人も、天使も、神々さえも。他の神々は怒り、悲しみ、止めようとした。けれど、聞き入れられることはなかった」
「どう、なったの?」
ムイは目を伏せ、「争いが起き、二つの血が流れた」と言いました。
「天使達から『邪な神』と呼ばれるまでに穢れたその神は、封印された」
「……もう一つの血は?」
「そのお方が、女神サレアルナ様。封印された神に最も改心を望んでいた。けれど、想いが届くことはなかった。戦いの中で深手を負い、危うい状況に陥り……」
もう、どうなったの、とは聞けませんでした。悲しい話の結末を、知りたくないと心が訴えています。
「自らを犠牲にして、邪な神を封印する楔となる道をお選びになった」




