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扉の少女  作者: K・t
閑話Ⅰ
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閑話5 往くみち・後編

「本当に知りたい?」

「えっ……」


 鋭く虚を突かれ、彼は前屈みの姿勢のままで固まりました。


「知れば、引き返せなくなる。折角あなたを守ろうとした両親の気持ちを踏みにじることになる。それでも……知りたい?」


 惹き付けられそうな瞳と同じ色の言葉に少年は再び俯くように席につきます。


「それが本当なら、聞いちゃ、いけないんだよね」


 感謝だけを胸に抱き、一人で生きていかなければならない。それが両親の望みなら……。


「いけなくはない。あくまであなたが決めることで、警告はするけど止めはしない」


 少女のうちで渦巻く思いは複雑でした。彼の両親が行ったのは、この世ならざる者との取り引きだろうと考えていたからです。


 ミモルがエルネアと交わした契約とは訳が違います。貧しい家の者が生活の苦しみから解き放たれようと「彼ら」に引き渡すのは命です。


 大体の人間がそうであるように、少年の両親も金品を得た瞬間に目が覚めたのでしょう。そして犯した罪の重さに震え上がったに違いありません。


「あたしが考えていることが必ずしも真実とは限らないしね」


 こともなげに言い、最後の一口を飲み干し、一息つきます。それからなんとはなしに付け加えました。


「あたしはね、守らなければならないものがすぐ近くにあるのに、何も出来なかったの」


 頭の隅で、子供相手に何を話しているんだろうと思う自分がいます。けれど、口はそんな考えを無視して言葉を紡ぎ続けました。


「結局守っていたのは別の誰かで、あたしは見てただけだった」


 悲鳴や声にならない不安や悲しみや痛みが、胸にじわじわと蘇ってぎくりとします。きょとんとしていた少年は、彼女の顔を見て、「僕ね」と話し始めました。


「僕には、おねえちゃんの気持ち、よくわかんない。僕には守りたいものなんてもうないし……」


 ま、あんな独白で納得される方が、気味が悪いか。どうかしているな。いくら話したってわかってもらえるわけがないのに。


 彼はカップを口元に運び、湯気を顎の辺りに触れさせます。しばし思案顔をしていましたが、ふと話の矛先を変えました。


「……別のことを聞いてもいい?」

「何?」

「おねえちゃんの大事な人は、近くにいるの?」

「えっ、あ……まぁ」


 どきりとして思わずマフラーを握りしめます。「近くにいるか」と聞かれれば、誰よりも近くにいます。


「その人は、おねえちゃんのこと好きなの?」


 彼女は自分を呼ぶ声を思い出してみました。少年に似た笑い方で微笑んでいる少女の声を。


『ありがとう』

『ずっと一緒にいてね』


 近い言葉は次々と浮かんでくるのに、それだけは脳裏に現れることはありません。


「どうしてそんな悲しい顔するの? 最初に会った時もだけど、なんだかいらいらしてるみたい。欲しい物が何かわからなくて」


 そんなに傷付いたような面差しをしていただろうかと思い、自分の顔に触れてみました。


 違う、何も欲しくなんかない。


「――帰る」


 彼女はすっと立ち上がり、家を飛び出しました。マフラーを手渡された時に、きっと見抜かれていたのです。


 何かに突き動かされるように、肩で息をしながら走りました。家並みを過ぎ、もうすぐ元来た大通りに戻る寸前に、


「待って!」


 大声が体を貫きます。彼女の中で何かが弾けました。



「……あれ? 戻ってる」


 ミモルはふわふわした感覚から解き放たれていることに気付き、足を止めました。手を握ったり開いたりして確認します。そうしている間に、少年が真後ろまできていました。


「ごめんなさいっ」

「……え、えと」


 体を折って謝られ、ミモルは戸惑いました。どう説明すればいいのか解らなかったのです。先程まで、自分であって自分でなかったなどとは。


 記憶はあります。彼と交わした会話も、その間抱いていた痛みも。でも、それはミモルのものではありません。


『何でもないの。ほら、帰るわよ』

「え? そんなの、だめ……」

「僕、そんなつもりで言ったんじゃないんだ。ただ」

『今日は朝からどこかおかしかったのよ! 出掛けるんじゃなかった』


 どちらに耳を傾ければ良いのか混乱し始めた時、ミモルの目に飛び込んできたのは肩を震わせて涙ぐむ少年の淡い瞳でした。

 反射的に手が伸びて、肩を抱き寄せていました。息を呑む気配が触れたところから伝わってきます。


「悲しい時や辛い時は誰かにこうやってもらうのが一番なんだよ。……悲しいの、治った?」


 体を離して様子を確かめると、何かにひどく驚いているようでした。


「おねえちゃん……誰?」


 ぎくりとします。


「おねえちゃんと同じ顔だけど、ちょっと声がひくくて、目つきがこわいおねえちゃんはどこに行ったの?」


 ミモルは吹き出しそうになる口元を押さえました。子どもらしい、可愛くて容赦のない観察眼のなせる業です。


『笑うなっ』


 この子は二人を見分けています。リーセンは怒りつつも、心に温かいものを感じました。


 あたしはここにいる。それをこの子が証明してくれた。


「えぇと、双子。双子なの」


 ミモルが人差し指を立て、取り繕うように言いました。いきなり本当のことを言っても怪しがられるに決まっています。

 この少年は年齢以上に聡いようですから、こんな言い訳が通用するかは疑問ですが。


「ふたご?」

「う~んと、どんなことでも話せるし、仲良いし」


 この世に生まれて生きてきても、結局あたしはいつも「影」なのだと思っていた。でも、今は色々なことがどうでも良くなった。


「私、大好きだよ」



「僕、帰るね」


 背中を見せた少年はちらりとこちらを向いて、「あのおねえちゃんに伝えて」と言いました。


「『一番大切で欲しいものは傍にあるんだよね』って。さっき言おうとしたんだけど……」


 今は一人じゃない。あたしを誰も知らなかった頃とは違う。ミモルが寄り添ってくれる。求めていたのは――。


「欲しかったもの、見付けた」

「えっ?」


 ふいに変わった声音に彼が向き直ります。またも何かに驚いたようです。


「というより、とっくの昔にあったのに、気が付かなかっただけみたい。……鈍感過ぎね」


 声の震えを嫌でも自覚させられます。鼻の頭がぼんやりと赤らんで見えるのは、寒さのせいなのでしょうか。そこにふわりと白いものが触れました。


「雪だ……」


 ひやりと冷たい感触が急速に水へと姿を変えます。頬を伝い、マフラーに吸い込まれました。彼は空の欠片を両手で大事そうに受け止めて、泣き出したいような顔で笑います。


 彼はすでに悲しみを越えつつありました。その強さを前にした時、打ちひしがれている自分があらわになりそうで怖かったのかもしれません。


「ねぇ、一人暮しじゃ着る物に困らない?」

「えっ、着る物?」


 空を仰いでいた彼が突然の問いかけにきょとんとしていると、リーセンが悪戯っぽく笑ってみせました。


「うち、服屋をやってるの。森の奥の一軒家なんだけど」

「あっ、知ってる。一人ひとりにぴったりの服を作ってくれるって聞いたことあるよ」

「そう、しかも丈夫で長持ち。ちまたで大評判」


 この村の者からはまだあまり注文を貰ってはいませんでしたが、噂にはなっているようです。

 彼女は、一緒に住んでいる保護者が服屋の主人で、自分は手伝いなのだと説明しました。腕前は保障つきだとも。


「今度、来なさいよ。美味しい紅茶と、お菓子も付けてあげるから」

「いいの? でも、あんまりお金使えないし」


 嬉しそうに瞳を輝かせる一方でそう言いました。彼はまだ子供で、どうやら親戚も当てには出来ない身の上のようです。

 親が遺してくれた大切なお金を、服代に使ってしまって良いのか迷っているのです。


「一人ひとりに作ってくれるんでしょ? 高かったら払えないよ」

「えぇと、確か子ども服は……これくらいだったはず」

「う、嘘だよ! そんなに安いわけないよ」


 財布から数枚のコインを出してみせると、少年は目を丸くしました。

 驚くのももっともです。服の材料である布地でさえ、彼女が提示した額より高いのが相場だからです。それでは生計を立てるどころか大赤字になってしまいます。


「嘘をついてどうするのよ。別に特別サービスをしてるのでもない。まぁ、ちょっとした企業秘密ってやつ」


 秘密、という言葉に少年は反応しました。出会ってから、この少女は謎ばかりです。

 大人のような口ぶりで何かを知っているように振舞うと思ったら、急に子どもじみたり、どこかへ消えてしまいそうなほど希薄な笑顔を浮かべたり……。


「おねえちゃんが何者なのかも、聞いちゃ駄目なの?」

「あぁ、そういえば自己紹介がまだだったわね。あたしはリーセン」


 思い出したかのように言うと、彼は教えられた名前を飲み込むように反芻はんすうし、目を逸らさずに「じゃあ、さっきのおねえちゃんは?」と訊ねました。


 やはり誤魔化せないかと呟きます。先ほど驚いたのは、彼女の「変化」を目撃してしまったからでしょう。すっと、リーセンの胸の辺りを指差します。


「なんとなく分かるよ。おねえちゃんの大事な人は、そこにいるんでしょ?」

「あの子は……ミモル。そう、ここにいる。あたしが怖くないの? 気持ち悪いと思わないの」


 エルネアにも同じ質問をしましたが、今回とは違います。彼女は大人で、天使で、ミモルのパートナーです。広く深い寛容さを持っています。彼はふしぎそうに言いました。


「どうして? それって、一人ぼっちじゃないってことでしょ。素敵だよね」


 心の奥でミモルが微笑んでいるのを感じます。だから、彼が差し出した手も素直に握ることが出来ました。暖かさを感じているのは自分なのだと実感します。


「ねぇ、僕はスーイっていうんだ。絶対遊びに行くから、お茶とお菓子、忘れないでね」


お読みくださってありがとうございました。次回からは第二話に入っていく予定です。

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