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扉の少女  作者: K・t
閑話Ⅰ
44/124

閑話4 雪空のおとしもの(4)

『占い?』


 紫のローブを被る女の手元には、テーブルにのせられた水晶玉が一つ。


『初めてのお客さんだから、特別にタダで占ってあげるよ』

『えっ、ほんとう?』


 妖しげな話し方も謎めいた魅力を持っていて、ディーはすうっと引き寄せられました。水晶は覗くと奧まで透き通っていて、何かが浮かび上がってきそうです。


『あぁ、後でお代を頂戴ちょうだいなんて言わないから、安心をし。その代わり、当たったら贔屓ひいきにしておくれよ?』

『わかった』


 女の子は占いが好きなものです。いえ、女の子に限らず、娯楽のない村では占い師は物珍しく、男でも試しにやってきます。


 同時に閉鎖的な村では怪しまれる商売でもあったため、まずはこうして代金を受け取らずに相手をして、安心感を植え付けるのでした。

 女は小さな客から名前を聞き出すと、細い指先を水晶にかざして低く唸ってみせます。


『そうさねぇ。お嬢ちゃんの悩みは……家族のことかい?』

『えっ、どうしてわかったの?』

『そりゃあ、占い師だからねぇ』


 驚く反応を見て、女は客に悟られないようにほくそ笑みました。


 もしここが大きな町なら「恋じゃないかい?」とささやくのですが、人口の少ない村ではこれを常套句じょうとうくにしていました。

 貧しい家の者が多い山村では、親や兄弟に関しての悩みが圧倒的に多いからです。


『話してごらんよ。決して誰にも言ったりしないからさ』


 悩みを言い当てられた少女が逡巡しゅんじゅんを見せたのは最初だけでした。親や友達を失って以来、無意識に会話の相手を求めていたせいもあったのでしょう。


 ぽつりぽつりと話し始めたディーの口から、占い師が狙う情報を引き出すのに、大した時間は要りませんでした。

 占い師が聞き出したかったこととは、家族構成や収入などについての話です。


『へぇ、じゃあお兄さんと二人暮らしなのかい。苦労しているんだねぇ』


 同情したのではなく、女は念を押したつもりでした。子供の記憶は曖昧あいまいなもので、大事なことを言いそびれたりするものだからです。


 そして、この時もそうでした。ディーは「あっ」と声をあげ、少し前に新しい家族が加わったことを告げたのです。



「いやぁ、予想外の大物だよ。お嬢ちゃん、ありがとうねぇ」


 胸の苦しみを助長する、ねっとりとした口調に少女は肩を震わせます。


「ディー、お前……」


 なぜそんな軽はずみな真似をしてしまったのか。

 ヴィタの声も非難の色を含んでいました。罪の意識から流れる涙でしゃくりあげ、今や息をするのも苦しそうだったディーは、これだけはわかって欲しいとそんな兄にすがりました。


「……わたし、ヴィーラのこと」


 けれど、必死に伝えようとした言葉を女が遮ります。


「邪魔だったんだろう? 同い年なのに何でも出来て、お兄さんにも信頼されて、うらまましいって言っていたじゃないか。自分が役立たずみたいに思えて嫌だったんだろう?」

「ちがうッ!!」


 少女は感情を爆発させて叫びました。声を発したことで自分に活を入れたのか、立ち上がって男達に立ち向かいます。少女とは思えない壮絶な表情を浮かべ、小さな体で。


「ヴィーラを返せっ」

「おっと」


 しかし、人をさらおうという者達が、こんな体当たりにやられてくれるはずもありません。兄をかわすのよりも容易くひらりと避けて、その細い腕を掴みました。


「あっ」

「ディー!」


 女は笑って、「こっちもよさそうだ。ついでに頂いていくとするかねぇ」と連れに告げました。ヴィーラほどではないにしろ、金にはなると踏んだようです。


「いやっ、やめて!」


 暴れても放してくれるような相手ではなく、圧倒的な力の差に愕然がくぜんとする彼女は、隣で項垂れているヴィーラの姿を見て再び涙を零しました。


 こんなことになるなんて思いもしなかったのです。ただ、誰かに話してみたかっただけ、自分だけが知っている秘密を明かす優越感に、浸ってみたかっただけだったのに。


「……私が行くから、ヴィーラは助けてあげて」

「そいつは出来ない相談ってもんだ。お嬢ちゃんじゃあ半値にもならない」


 歯噛はがみしました。一緒に暮らした日々の出来事が浮かんでは消え、浮かんでは消えていきます。


 大切な思い出の全てが、これからも続くと信じていた未来ごと土足で踏みにじられた気がして、悔しくて悔しくて。

 その種をまいたのが紛れもなく自分であるという事実に、腹が立って仕方がありませんでした。


 薄ぼんやりとした意識の中で、ヴィーラはこの事態を見詰めていました。首を動かすと、同じように捕まってしまったディーのくしゃくしゃの泣き顔が目に入ります。


 向こうには歯ぎしりの音が聞こえてきそうなほど食いしばって敵を睨み付けるヴィタがいます。自分と妹を助けようと必死な気持ちが伝わってきました。


 だめ。


 ヴィーラは心の中で呟きます。ディーがいくら抵抗しても、ヴィタがどれだけ拳を振るっても、勝てる相手ではありません。連れ去られ、怪我をするだけです。


 いずれ主人を得て守護者になる天使には、それが容易に読み取れました。このままでは三人とも不幸になってしまいます。


 自分は良いのです。もとより地上を旅するつもりだったのですから、こういう場面も覚悟しています。

 でも、自分を受け入れてくれた心優しい兄妹が、自分のせいで引き裂かれるのは許し難い思いがしました。


 一緒に洗濯をした時のディーの楽しげな笑顔、弁当を渡した時のヴィタのはにかんだ顔……それを思い出した時、ヴィーラは心を固めました。


「……あるじよ」


 か細い呟きでしたが、不思議と空間を貫く響きがありました。その場にいた全員が口を止め、脱力する少女から語られる言葉に息を潜めました。


「我が主よ、どうぞ、私を天にお返し下さい」


 目蓋まぶたを焼くほどの閃光が生まれたと思ったら、局地的な嵐でも発生したみたいな強い衝撃が皆を襲いました。

 突っ立っていたヴィタは家の壁に叩き付けられ、空気の圧がおさまるのを待つことしかできません。


 遠くで誰かが痛みに呻く声が聞こえたものの、妹の無事を確かめようにも目を開けることさえ不可能だったのです。


「……う、く」


 ようやく風が去り、辺りが静かになった頃、彼は思いきって目を開いてみました。すでに光も失せ、さやさやと庭の周囲で木々が揺れている音がするのみです。


「おにい、ちゃん」


 か細い呼び声にはっとして見回すと、葉を鳴らす木の根本にうずくまる影を見つけました。

 走り寄って抱き起こすと、妹も風に打たれて負った傷痕が背中に赤く残っていますが、その他には怪我もなく、意識もはっきりしているようでした。


「あいつら、どこに行ったんだ?」


 人さらい達のことです。占い師をかたった女と、手下らしき男が二人。大人の体重ではそれほど飛ばされはしないだろうに、彼らの姿はどこにも見当たりません。


「ねぇ、ヴィーラは?」


 兄の腕からいだした少女が、立ち上がって振り返ります。答えられずにいると、泣きはらした赤い目のまま、覚束無い足取りで歩き回って探し始めました。


「……」


 ヴィタにはなんとなく解っていました。あの絶望的な瞬間に垣間見た、ヴィーラが浮かべた決意に満ちた表情と口調から。


 今こうして自分達が無事でいられることも、脅威きょういが去ったのも、きっと彼女のおかげであり、そして。


『私を天にお返し下さい』


 その日、ディーの部屋から聞こえてくる泣き声は、一晩中続きました。

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