第三十五話 生まれのこたえ
血の表現があります。苦手な方はお気を付けください。
「何もない……」
それが、単純な感想でした。ミモルは旅の途中で通り過ぎた砂漠を思い出していました。砂漠には太陽が照り付けていたけれど、ここは足から悪寒が上ってくるようです。
「それにしても、どうしてここへ来てしまったのかな」
ニズムは確かに天への扉を開くと言っていました。マカラが望むなら力を貸すと。
「何かが足りなかったの? それとも」
「見て、向こうに何か見えるわ」
ぶつぶつと呟く少女にエルネアが声をかけます。指差す方向に、覗くものがありました。建物のようです。
でも、ミモルには小さな点にしか見えませんでした。一体、天使にはどれだけの視力が備わっているのでしょうか。
「あれ、そういえばこの世界の空気って毒なんじゃあ?」
ダリアがマカラと共に呼び寄せてしまった地の底の空気は、生あるものを呑み込む毒だったはずです。それなのに今、ミモル達は平然とその中を歩いています。
「精霊の加護が私達を守っているからよ」
「……そう、なんだ」
ざくざくと砂を踏みしめて進むも、やはり生き物の気配はありません。近寄ってみると、そこは小さな建物の群でした。
土の壁にはひびが入り、遠くに見える噴水らしきオブジェは水もなく乾ききっています。
「待って」
「え? あっ」
廃墟を進んでいたミモルが目を見開きます。茶色く枯れた植物の蔓が地面を這っていました。
見れば、あちこちに広がっており、奥に行けば行くほど太く、量を増しています。
「向こうの方は緑色に見えるね、まだ生きてるのかも」
どこから生えてきているのか、不安を感じつつも気になりました。慎重に、鋭い棘を生やした蔓を避けながら、二人は根本を目指します。
「……これは」
しばらく進んで、先を見ようと顔を上げたエルネアが呆けたように呟きました。ミモルも同じ物に気付き、ぽかんと口を開けます。
「茨の、塔?」
目の前には、一つの大きな塔が聳えていました。
太い蔓を全身に纏い、血のように赤い花をあちこちに咲かせています。その姿は一つの脈打つ生き物のようで、美しさより毒々しさを感じさせました。
「気持ち悪い……」
花を見てこんな風に思ったのは初めてです。
「っ!」
「わぁっ」
――しゅる、と動く何かに気付いた時には遅く、世界が反転しました。
ミモルは頭にのぼってくる血に圧迫感を覚えながら、自分が逆さ吊りにされたことを知りました。廃墟が真っ黒な空に張り付いているように見えます。
「ミモルちゃん!」
助けようとしたエルネアの動きが止まりました。闇雲に突っ込んでも同じ目に遭うのは必至です。
ゆらゆらと揺れる細い体を前に唇を噛んで、手近に何かないかと探しました。
「うっ」
ミモルが小さな痛みを訴えたのと同時でした。蔦にびっしりと生える棘が白い足首を傷つけ、赤い血が滴り落ちました。
「きゃっ」
すると、強い力で締め上げていた蔦が自らミモルを放します。空中に投げ出された彼女をエルネアがしっかりと受け止めます。危うく地面に叩き付けられるところでした。
「な、何?」
「この蔦、あなたの血が苦手なのかもしれないわ」
「血?」
足首は未だ真新しい傷から液体が流れています。それに触れた蔦の一部が緑から土くれ色に変わり、朽ちて砕けました。その光景を戸惑いの表情で見つめます。
「何もしていないのに」
これではまるで毒のようです。さっとエルネアが手をかざし、傷を癒しました。
『その答えは私が示そう』
「フィア?」
声が聞こえ、炎が二人の前に生まれました。それは一気に燃え上がり、人の形を取ります。
根本から先にかけて橙から紅に染まる髪、赤い瞳。象徴に過ぎないと理屈では分かっていても、傍に居るだけで熱を感じそうです。
『炎は記憶を届ける役にはない。何もかもを焼き尽くし、消し去る定め。代わりに答えを与える使命を持っている』
「答え?」
『生まれの答えだ』
いきなり現れてそんなことを言われても、ミモルには何のことだか理解できませんでした。それを、どうして今教えてくれるのかも、です。
『必要とする者に、答えを与えるために』
つまり、ミモル達に今必要だから、ということでしょうか。返事を待たず、フィアは語りました。
『お前達が選ばれる基準は、神の血を引いているか否か。そして、その血が濃いか否かにある』
「神様の血……?」
エルネアはまた頭痛がするのか、こめかみを抑えて眉間に皺を寄せています。
『ただ一つ言えるのは、その血のためにお前達は神の力の一端を使うことが出来るという事実。故に神は人に天使を遣わし、力の制御を促す』
答えになっているのかいないのか、ミモルは首を捻りました。突然、あなたは神様の血を引いています、などと言われても困ってしまいます。
「どうして?」
『それを語ることは許されてはいない』
なんともそっけない返事ですが、これまでの旅で理解もしていました。彼らはそういう存在なのです。神によって創られ、神の意思に沿って生きる者達なのです。
答えられないと言っている相手に無理に喋らせようとしても仕方がないと、別の質問をしてみることにしました。
「えぇと、じゃあ……あの植物が枯れちゃったのは、血のせいなの?」
『そうだ。悪魔を封じるために作られたこの世界のあらゆる物質は、神々の前には無力に等しい。その証拠にあの幻を私の炎で焼き尽くしてみせよう』
「幻?」
火の精霊の手の平に、小さな炎が生まれる。そっと放つとたちまち蔦を焼きはじめ、すぐに塔は巨大な建物から炎の柱に変わりました。
直後、空気が陽炎のように揺らめき、塔がかき消えます。あとには平地ばかりが残り、火を避けた蔦が更に奧へ続いていました。
「あの姿は偽物だったんだね」
『この世界そのものが幻に近い。塔はお前達には無用の場所だったから消したに過ぎない』
目指す場所はここではないと言いたいのでしょうか。あの先にもっと恐ろしい光景が広がっていると?
ミモルは数歩前へ出て塔があった場所を確かめます。でも、やはり何もありません。足元では蔦がするすると避けて道を作りました。嫌われているみたいです。
そうか、とだけフィアは言い、役目を終えて消えていこうとしました。
「あ、待って。最後に一つだけ質問して良い?」
『答えられることなら』
「私は……人間、だよね」
びくりと天使が肩を振るわせます。
『たとえ神の血が流れていようと、力が与えられていようと、人であることに変わりはない』
「そっか。ありがとう」
今度こそ辺りに火の粉をまき散らし、フィアは消えました。精霊を見上げていた顔を伏せ、少女は自嘲気味に言います。
「凄くほっとしてるんだ。良かったって安心してる。こんな状況なのにね」
「ミモルちゃん」
「故郷であんなことがあって、ここに来るまでだって色々あったし。どんどん自分が変わっていくのが、怖かったのかも」
旅の途中で様々な相手と知り合い、知識と力を手に入れました。だからこそ、自分が人であるという確かな証拠が嬉しかったのでしょう。
「どんなに変わってもあなたはあなたよ。そして、隣にはいつも私がいるわ。さぁ、今度こそ旅を終わらせましょう」
「うん」




