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扉の少女  作者: K・t
第七章 さいごの審判
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第三十二話 見えたかこ

『どうして許されないのですか……っ』


 声に弾かれて、意識が戻ってきます。視界を埋め尽くすのは本の山で、その向こうから悲痛な叫びが聞こえてきました。


「覚えてる。森の奥にあった、ニズムの家だ」


 紅茶を振舞われた、木で出来たあの小さな家です。ただ、雰囲気が違っていました。

 本から発せられる匂いは同じでも、ミモル達が招かれた時よりずっと明るくて暖かく、人の気配を感じさせます。


『……』


 誰の声なのか、見るまでもないと思いました。あの叫びも、伝わってくる息遣いも、何度も聞いたものです。


『私は、あなたとずっと一緒に居たいのです。たとえ神々に背くことになっても』

『……マカラ』


 少年の、幼くも優しげな響きが名前を呼びかけます。本にへだてられた向こうにニズムとマカラが居るのは間違いありません。


「これが、空の記憶? 昔の二人が見えてるの……?」

『僕も、マカラと一緒に生きたいよ』


 だから、という科白せりふにはっとして、ミモルが走りだします。黒々とした書物の山の向こうで何かが光り始めました。


「何を?」


 遮っていた壁を過ぎると、光が手を取り合った二人の足元から発せられていました。円の中に見たこともない文字が刻まれて、輝きを放っています。


『僕はどこへも行かない』

『絶対に探し出します。あなたが何度生まれ変わろうとも――』


 凄まじい光で視界が真っ白になり、意識が途切れました。



「今のが、二人の秘密? あれは何?」


 自然に手が離れたところで、精霊の姿はかき消えました。すでに契約は完了したのでしょう。体中に力がみなぎっているのが分かります。


 これで謎が解けたとエルネアが言いました。思い出しかけた記憶も消えてしまったのか、辛そうな様子はありません。


「ミモルちゃんを通して、私にも見た物が流れ込んできたの。そう……だから、二人は――」


 話が見えないミモルに悲しそうな瞳を向けます。


「ニズムとマカラは、主と天使以上の想いをお互いに持っていたの」

「……恋人同士みたいに好きだったってこと?」


 子どもの、それも恋などしたことがないミモルでも、それくらいはなんとなく想像が付きました。


「でも、主が死んだら私達は全て忘れてしまう。それに耐えられなかったのね」


 強く信頼しあっていたであろうチェクとエルネアさえ、記憶はほとんど残っていないのです。唯一無二の相手のことを忘れてしまう事実が、どれだけ絶望をもたらすか。


「だから、二人はしてはいけない選択をしたのよ」

「『してはいけない選択』?」

「体から離れた魂を神に返さず、記憶を保ったまま生まれ変わるの」

「そんなこと出来るの?」


 心の中にまで、冷たい風が吹き込んできた気がしました。エルネアは目を背けて頷きます。


「えぇ、神の意思に背く、大罪よ」


 これで分かりました。何故天使だったマカラが悪魔にとされたのか。天をてた行いが、神の怒りを買ったのです。その罰は、天へ昇る権利の消失です。


「……結局、二人は一緒に居られなかったんだね」


 後はミモル達が知るとおりでした。記憶を失いかけても天への恨みだけは忘れなかったマカラが、ダリアによって下界にび出され、復讐を果たそうとしているのです。


「誰も悪くないのに。ただ、一緒に居たかっただけなのに」


 何がいけなかったのか、ミモルには分かりません。


『全ての精霊との契約を果たした者よ』


 びくりと肩を震わせ、ミモルは後ずさりました。目の前に、突然人影が現れたからです。

 燃え上がるような、赤とオレンジが入り混じった瞳と髪。薄い布をまとったその女性は、見た目から受ける印象とは全く逆の冷ややかなな声音で告げました。


『我が名はフィア。これより、選定を行う』

「あっ!」


 ミモルは有無を言わさぬ勢いで腕を掴まれました。そこから焼け付くような痛みが広がり、思わず悲鳴を上げます。


 瞬間、旅の全てがとてつもない勢いで脳裏のうりを駆け巡りました。懐かしく感じるものも、思い出したくないものも。記憶が無理矢理再生されていきます。


「いやっ、やめて!」


 ミモルは相手を弾き飛ばしました。その場に倒れこみ、荒い息で相手を見つめます。

 頭の中では、まだぐるぐると色々な感情が渦巻いていて気分が悪く、胃に入れたものが逆流してきそうです。


「大丈夫? しっかりして」


 エルネアが背中を優しく撫で、高ぶった気持ちを静めました。ふと、突き飛ばしたがために「相応しくない」と言われるのではという恐れが少女の胸に過ぎります。

 ですが、精霊の反応は予期していたものとは異なっていました。


『選定は完了した』


 少女は目を見開きます。まさか、ただ腕を取られるだけで終わりだとは思いませんでした。

 てっきり、何か質問に答えなければならないような、「問答」をするのだと考えていたのです。息を呑み、次に続く言葉を、結果を待ちます。


『真の契約者と認める。証は、すでにその腕に刻んだ』

「光ってる……」


 すっと、人差し指がミモルの腕を示しました。先ほど取られて熱を感じた、左腕の肩に近い場所です。鈍く、赤い光が防寒着の布の縫い目かられ出ていました。


 雪が降り積もるほどの寒さの中にあって、不思議と暖かさを感じます。袖をめくって確かめると、四角い模様が判で押したように刻まれ、光を放っていました。


『火を求めるなら呼べ』


 それだけ言うと、フィアは足元から上がった炎に包まれて燃え尽きてしまったかのように姿を消しました。


「あれ、そういえば何も伝わってこなかった」


 袖を戻し、目を上げます。これまで出会ってきた精霊からは、記憶の断片が伝わってきました。

 触れられそうなほどリアルな映像に戸惑うこともあったけれど、ミモルにとってはどれも有用な情報でした。


「きっと、これ以上必要ないからよ。問題を解決するために必要な材料は、もうそろっているんだもの」

「……そうだね」


 取り引きの条件である「天への扉を開く力」と、望む結末を迎えるのに大切なものを、二人は手に入れています。


 山を降りるのは、登る時よりずっと短時間で済みました。空は快晴で、地面を覆っていた雪も解ける勢いです。道もくっきりと浮かび上がり、迷うこともありませんでした。



「何か食べるものを貰ってくるわね」


 二人は防寒着を買い求めた町の、同じ宿に帰ってきました。その日のうちに辿り着いたものの外は暗く、恐ろしい獣の咆哮ほうこうも遠くから聞こえてきます。


 宿の一階は、昼間は食堂、夜は酒場として活用されているようです。

 ミモル達が入ってきた頃には、一日の労働から解放された男達が酒の入ったグラスをあおっていました。


 暖炉で燃えているのよりも更に明るい火で照らされる中にいると、顔の赤さが際立って見えます。

 子どもにとって居心地の良い場所ではありません。エルネアはミモルを部屋に残し、遅めの夕食を宿の主人に頼みに向かいました。


「エル、遅いな」


 もしや、あの上品とは言い難い人達にからまれているのでは。そんな懸念けねんが胸に過ぎります。


 人を見た目で判断してはいけないのでしょうが、すれ違えば誰もが振り向くほどの美貌びぼうです。酔っ払いに目を付けられてもおかしくはありません。

 心配になり、立ち上がった時でした。


「……る」


 細い、糸のような音に足が止まります。


「ミモル。……覚えてる?」


 気を抜くと涙が溢れてきそうなそれは、とても懐かしい声でした。

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