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扉の少女  作者: K・t
第六章 異なるせかい
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第二十八話 あくまの取り引き

「あなた、まさか……」

「ご名答。アタシよ、マカラ。覚えてた?」


 鳴らした手を開き、腕に抱く少女の頬を撫でます。ミモルは全身が震えるような嫌悪感に唇を噛みました。掌が酷く冷たく、じりじりとした痛みさえ感じます。


 くすくすという笑いと共に、コカレが消えて悪魔が現れました。変わらないのは表情と爪の切っ先だけです。


「さぁ、とっとと門を開いて貰いましょうか? それで、アナタの大事な大事なお姉さんが帰ってくるわよ」

「ほんとうに……? 本当に返してくれるの?」


 ミモルは目を見開きました。身動きが出来ない中、なんとか見上げて問いかけます。エルネアが「駄目よ、嘘に決まってるわ!」と必死に叫びました。


「利用するだけして、ダリアを返す気なんてないのよ。それに、天に悪魔を入れたりしたら……!」


 パートナーが正しいのは分かっています。でも、ここでね付ければダリアが犠牲にされてしまうかもしれません。

 それでは、ここまでの努力が全て水の泡になってしまいます。


「……全然変わらないのね、エルネア」

「……?」


 主を説得し、助け出そうとしている天使にふと、悪魔が呟きました。嘲笑ちょうしょうではなく、乾きを思わせる響きです。


「そう、まだ思い出さないの。アタシは地上へ戻って色々と思い出していたわ。天での暮らしや、かつて共に戦った仲間のことをね」

「天使だった時の記憶がよみがえってきたというの?」


 神の意向に従ったエルネアとは違い、マカラは地に落とされたせいで忘れていた様々な記憶が、地上へと現れたために戻ってきているのかもしれません。


「最初は、ただ憎かった。何故かも覚えていない癖に、ただひたすら神々を憎んでた。復讐しなきゃいけないってね。記憶と一緒にその想いはアタシの中でどんどん膨らんでる。きっと、その『何故か』の部分も思い出したら……もっと憎くなるんでしょうね」

「うぅ」


 感情が高ぶったのか、体を締め付ける力が強まり、ミモルが低く呻きます。マカラはそんな様子には目もくれず、話を続けました。


「なんであんな奴等に従うの。詭弁きべんや嘘ばかりじゃない。アタシはただ……ただ……」


 言いかけて口ごもります。軽い舌打ちが、すぐ傍にいた少女には聴こえました。でもそれは一瞬で、次にはすでに微笑を浮かべています。


「お喋りはこのくらいにしましょ。さぁ、開いてみせて?」

「だ、ダリアはどこ? 教えてくれなきゃ、取り引きには応じないよ」


 息を深く吸うことも、爪が食い込みそうで怖くて出来ません。浅い呼吸の中で声を絞り出しました。


「そんなこと言う権利、あると思う? 今すぐ戻ってあいつの息の根を止めることだって出来るんだから」

「あなただって、ダリアがいなくなったら困るはずだよ」


 凄むマカラに、けれどもミモルは怯みません。再び舌打ちが聞こえ、これ以上刺激すれば、目的など放棄ほうきして本当に人質を傷つけそうな目の色をしていました。


「ミモルちゃんが助けもなく扉を開くのは、分の悪い賭けよ」


 二人のやり取りを見守っていたエルネアが、おもむろに呟いた。苦虫を噛み潰したような渋面を作り、拳を握り締めています。


「まだその力は不完全なんだから」

「だから、どうだっての?」


 天使は、駄目だった場合を考えているかと聞きました。扉に触れ、無理やり開こうとして失敗した時のことです。

 ミモルもただでは済みませんが、何より無断で天へ入ろうとした者にどんな事態が起こるのか。


「最悪、体を光に貫かれて粉々になるでしょうね」

「甘く見られたものね。アタシがそんなヘマをするとでも?」


 必ず天へ辿り着き、目的を果たす。その執念が彼女の体から滲み出そうな勢いです。しかし、エルネアも負けてはいません。

 吹き付けるような情念をものともせず、言い放ちました。


「もっと、確実に扉を開く方法があるわ」

「もう少し待てば、全ての精霊との契約を終えるわ。綱渡りをしなくても済むようになるのよ」


 ミモルは、自分の浅い呼吸の音が耳の奥で響く中、パートナーの提案を聞いていました。


「だから待てって? 見逃せと?」

「契約を終えれば扉を開くと約束する。その代わり、それまでミモルちゃんとダリアに危害を加えないで」


 誰が聞いても妙な話だと思うでしょう。今しがたまで少女の意思を変えようと説得していた本人が、いきなり意見をひるがえしたのですから。


 当然、マカラも興醒めしたように息を吐き出し、「信じられるわけがない」と首を振る――人質でさえそう思っていました。


 ところが、悪魔は予想を裏切り、高笑いを始めました。ひとしきり笑ったあとでエルネアを真っ直ぐに見据えます。


「いいわ、面白い。アンタが天を売る真似をするなんて、実に面白い話。じゃあ、ここは引いてあげる。お嬢ちゃん達にも手は出さない。代わりに約束はきっちりと守って貰う。嘘を付いたら……分かってるわね?」


 早口の交渉でしたが、最後の声はぞっとする低音でした。

 途端、少女は支えを失い、前のめりに倒れそうになります。エルネアがさっと駆け寄って抱きとめました。後ろを振り返ると、すでに闇の化け物は消え失せていました。


「良かった。無事で」

「……エル」


 ふわっとした暖かさが胸のうちから広がりました。今にも泣き出しそうな顔で喜ぶエルネアに、先ほどまでの張り詰めた緊張感はありません。


「ダリアは、まだ大丈夫だよね?」

「まだ、時間はあるわ。きっと助け出せる」


 最も恐れている事を真っ先に尋ねると、彼女も深く頷きました。

 全面的に信用する訳ではないにしても、少なくとも取り引きが完了するまでは、ダリアに酷い仕打ちを行うことはないと信じるしかありません。


「ねぇ、どうしてマカラはあんなに簡単に引いたの?」


 ミモルは僅かに安心し、今度は別の質問をぶつけました。事がすんなりと運び過ぎだと思ったのです。何を根拠に、エルネアの言葉を信じたのでしょうか。


「天使は嘘を付けない生き物だからですよ」

「待って、すぐに手当てを」


 よろけながら立ち上がったネイスが答えました。倒れた時にあちこち打ち付けたのか、痛々しい姿です。手を出そうとするエルネアを、彼は遮りました。


「本気で、扉を開くつもりですか。神々を裏切るつもりなんですか」


 怒りと不審と嫌悪。色々なものがない交ぜになった瞳で非難します。彼女が嘘を付いていないとすれば、つまりマカラとの約束を守るということになります。

 ミモルを使って悪魔を天へ招き入れる――天の使いにあるまじき行為だと。


「本気よ」


 牽制けんせいする視線を避けてエルネアは近寄り、静かに手を傷口に当てました。柔らかな光とともに、癒しの力が流れ込みます。

 見る間に、色を変えていた肌に生気が戻ってきました。


「マカラと同じ道を歩むことになったとしても?」

「そう、なるでしょうね。……何の手も打たなければ」


 長い金髪を揺らす彼女の顔に強い決意が浮かんでいるのを見とめて、ネイスも驚いたようでした。

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