第二話 ちかづく気配
「待って! はぁ、はぁ……」
荒い息と共に目覚めると、そこは背の高い木々が茂った森の中の空き地でした。ミモルともう一人の少女は、どちらも十歳くらいに見えます。
ミモルは上半身をゆっくりと起こしました。彼女の二つに束ねた黒髪は風に揺れ、蒼い瞳は周囲を映しています。純白のワンピースを纏う肌は、健康的につやつやと輝いていました。
「……」
ミモルはすぐそばに横たわる、未だ目覚めていないもう一人の少女に目をやりました。紫の髪を四方に散らして眠る様子には、みじろぐ気配はありません。
だんだんと意識がはっきりとしてくるにつれて、今の出来事が夢であることに気付きます。そして同時に「儀式」のための夢であることも思い出しました。辺りを見回し、通る声で呼びかけます。
「ルアナさん、どこ?」
「どうだった?」
そう応える声の主――ルアナは、濃く生い茂る木の間から姿を現しました。ゆったりとした服を纏い、流れるような動きでやって来て、ふっと笑いかけます。
「最近はちっとも『あちら』と繋がる人間がいなくてね。『こちら』からじゃあ、この儀式くらいしかコンタクトを取れないってのは……困ったもんだよ」
ミモルは上体を起こしたまま、夢の内容を洗いざらい話して聞かせました。
暗い世界。聞いたことのない声。光の筋。そして鍵……。
妙齢の女性であるルアナは、「ふぅん」と考える素振りを見せてから言います。
「……ま、やってみる価値はありそうだ」
「ホント?」
ミモルの声に喜びが溢れました。ずっと期待はしていましたが、叶うとは思っていなかったからです。
ルアナは、この「入らずの森」に住み、近くの村人達からは「森の聖女」と呼ばれて敬われている女性でした。
いつから森に居るのかを誰も知らず、また何故かほとんど歳をとらなかったため、畏怖も込めていつの頃からかそう呼ばれています。
そんな風に生きていて、反対に「魔女」と呼ばれなかった理由は、薬師として村人を助けてきたからでした。
もちろん、森を住処に選んだルアナが必要以上に他人と交わることはありません。このミモルも、横たわったままの少女も、彼女の本当の娘ではなく、とある事情から預けられて育てられているのでした。
「私、頑張るね!」
ですから、ミモル喜ぶのは決して自分のためではありません。全ては育ての親であるルアナのためです。彼女の行う「儀式」に協力することで、今までの恩を少しでも返せるならという気持ちからでした。
夢は苦しく、忘れてしまいたい内容でしたが、微笑む聖女の横顔を眺めていると、これで良いのだと思えます。しかし、そう考えれば考えるほど、一緒に儀式に臨んだ姉のことが気になりました。
「ダリア、目覚めないね」
横たわる少女――ダリアとは血が繋がっているわけではありません。でも、物心付く前から一緒に暮らしてきた、大切な家族でした。
眠り続ける彼女の顔は白く、なんの表情も浮かんではいません。それが余計に不安をかき立てます。
どんな夢を見ているのだろう? ミモルのそれは、底冷えのする恐ろしさを感じました。でも、同じ夢なら、同じように目も覚めるはずです。
「大丈夫よ。二日間くらい眠り続けることもあるんだから」
ルアナは安心させるように言ったようでしたが、ミモルは逆にぎくりとしました。二日間も言葉を交わせないかもしれないなんて。そんなことは今まで一度も経験したことがなかったのです。
(心配性ねぇ。何も出来ないんだから、放っておくしかないでしょ)
ミモルの心の奥で、いつもの「声」がしました。胸のあたりを掴んで、息を整えると、小さく「そう、だね」と応えます。「声」に同調すると、気持ちを切り替えてルアナに向き直りました。
「これから、どうするの?」
「もう夜が明けるし。家に戻って顔を洗って、朝食でも作るかねぇ」
そういう意味ではありませんでしたが、それ以上聞くのは諦めて後ろ髪を引かれる思いで立ち上がります。
ルアナが広場に特殊な力で開いた「場」から一歩外へ出たとたん、視界が一気に狭まりました。お互いの顔がはっきり見えていた状態から、文字通りほの暗い世界へと放り出されます。
「まだ夜明け前だったんだね」
家はすぐそばで、ここも遊び慣れた場所だから良いようなものの、そうでなければ足が竦むような暗さです。夜が明けるまであと僅か。こんなに朝日を待ち望んだのは久しぶりでした。
「帰ってきた感じがするなぁ」
つ、と見上げると、巨木に螺旋階段を施し、枝葉にうずまるようにして作られた小さな家がありました。
木戸を開けて玄関を過ぎれば、すぐ目の前が台所です。木桶を取り、のぼったばかりの階段をおりて、裏手の水がめから澄んだ水をすくって、顔にぶちまけます。
「ふうっ」
もやもやと胸で渦巻いていた感情が静まるのを感じました。と思うと、頬に柔らかい布が当てられ、ルアナが「ほら、忘れ物」と笑っています。
「ダリアなら心配いらないよ」
「うん、ありがとう」
曖昧に礼を言いながら、差し出されたタオルで顔を拭きます。洗顔を済ませて食卓につくと、もう食事の用意はなされていました。
テーブルの上のパンやスープを美味しそうに眺めているミモルを見とめて、ルアナがクスクス笑います。
「あんた、昔から本当に変わらないわね」
「え?」
「前もそうやってテーブルを眺めていたことがあったわよ、覚えてない?」
首を捻って、向かいに座ります。きっと、覚えていられないほど幼かった頃のことなのでしょう。進歩がないと言われたみたいですが、事実なのかもしれないなと思いました。
「……」
普段通りの態度を貫くルアナを前にしていると、今が何の変哲もない日常のように錯覚しそうになります。隣の席にダリアがいないことを、空虚感としてはっきり感じているというのに。
ゆっくり食事をする気にもならず、急いで口に放り込んでは咀嚼を繰り返しました。
美味しいはずなのでしょうが、こんな気持ちでは何を食べても同じです。全て食べ終えて席を立つと、一刻もと玄関に急ぎました。
「――え?」
ふいに呼びとめられた気がして振り返ると、しかしルアナはまだ半分ほど残った食事をのんびりと眺めています。気のせいだったのでしょうか。
フォークを掴む彼女の指先にはまった緑の石を視界のすみに捉えながら、扉を開けて外へ出ました。
「ダリア?」
息を切らせて駆けつけるも、ダリアは先ほどと全く変わらない様子で横たわっています。
「いったい、いつ起きてくるんだろ」
拗ねたような気持ちになって、ミモルはそばへ座り込みました。そういえば彼女の寝顔を見たのは久しぶりです。早起きのダリアに、いつもミモルは起こされてばかりでした。
覗き込まれ、毛布をはがされ、早く起きろと頬をつままれ……。今、同じことをしたら起きるだろうか? そう思って、頬へ手を伸ばそうとした時でした。
「……ん……」
「ダリア?」
ずっと微動だにしなかった唇が、小さく呻きをもらしました。長い睫毛が震えます。目を覚ましそうな気配に期待したミモルは――近付く気配に気が付きませんでした。
「ミモルっ!」
えっと呟く間もありませんでした。ルアナの切迫した声を遠くで聞いたのを最後に、意識はぷつりと途切れてしまいました。
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