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扉の少女  作者: K・t
番外編
120/124

番外編1 Summer Information

このお話は、友人の志月祥楽さんが描いてくれた漫画を小説化したものになっています。

時期でいうと、第二部と第三部の間の物語です。どうぞご覧ください。

※ご本人には掲載の許可を頂いています。

 青く、青く、どこまでも広がる透き通った空。

 こんなふうに空を見上げるのは、どれくらいぶりでしょうか。


 あの、何年も戦っていたような長く苦しい時も、今はもう過ぎ去った日々。


 彼らは自分達で勝ち取ったわずかな幸せを満喫まんきつするために、今、海に来ていました――。


 ◇◇◇


 さぁさぁと寄せては返す波の音が耳に心地よく響きます。


「ティストぉー」

「うん、今行く」


 高い声に呼ばれ、強い日射しに照らされてきらきらと輝く水面を眺めていた少年が振り返りました。

 淡いグリーンの瞳や髪、普段はあまり外に出ないために色素の薄い肌が日光を反射しています。


 水着に上着一枚という、これまでしたこともない格好が珍しかったのは最初だけで、目の前の光景に長い間目を奪われていたことに気付きました。

 自分を呼んだ相手を見止めたティストが首を傾げます。


「あれ、エルネアだけ?」


 砂浜を小気味よい音を立てながら歩いて来たのは、腰まで長い金の髪を垂らした女性でした。


 夏の暑さにさらされても、いつものワンピース姿で立つその美貌びぼうには少しのかげりもありません。


「えぇ。ミモルちゃんは着替え、ナドレスは荷物を取りに行ってくれてるの」


 それでね、と彼女は言葉を区切り、両手に抱えた大きくて長いものを差し出しました。


「悪いんだけど、これを立ててもらえない?」


 大きなパラソルです。折りたたまれていても、赤や黄色や緑とカラフルなのがわかります。


「うん、いいよ。どの辺にしようかなぁ」


 水着と同様、ティストは初めて見るそれをわくわくしながら受け取りました。


 普段、大国の王子として大切に扱われている彼には、むしろ「頼まれる」という行為そのものが嬉しいようです。


 キョロキョロと辺りを見回し、どこに立てようかと迷っている様子は年相応の男の子らしさをにじませていて、エルネアもふっと笑みをこぼしました。


「ティスト、およごーよ!」

「う、うん」


 着替えを済ませて走ってきたミモルを見て、パラソルを立てていたティストの顔にさっと朱がさします。


 エルネアお手製という、腰にフリルの付いた水着をまとった少女は非常に可愛らしく、どこを見ていいのか戸惑ってしまいました。


 ミモルはそのまま手を引いて、彼を海へと誘います。その際、水に入るのが初めてのティストを安心させようと優しく声をかけるのも忘れません。


 微笑ましげにその光景を見詰めていたエルネアの後ろに、ふっと影が生まれました。


「どうかした?」


 飲み物などが入った袋を抱えた長身の青年――ナドレスが文字空から通り舞い降りてきて言います。

 足先が砂に触れると同時に、その背に生やした翼が羽根を数枚散らしてすうっと消えました。


「元気だなと思っていたの」

「元気、か」


 ほら、と見るように促すと、しかし二人を見たナドレスはその表情をくもらせます。どこか自嘲じちょう的な瞳でした。


「ナドレス?」

「今は、元気に笑っていい時なんだよな」


 エルネアはどきりとし、彼女の美しい顔にも痛みに耐えるようなしわがうっすらと刻まれます。思い当たる節があり過ぎるからです。


「ティスト様さ、あの一件の後から今までほとんど笑わなかったんだ」


 事情を知らない人が聞けば、すぐには信じなかったでしょう。現に、手を引かれて海に恐る恐る足を浸けているティストは、ちょっと困ったように笑っています。


 ナドレスははじめ、笑わない主を見て、ミモル達との別れを寂しがっているのだと思っていました。

 けれど、しばらく経っても少年の心がいやされている気配はなかったのです。


「あんなことがあったんだ、当然だよな」


 あの戦いは、幼い彼にとってあまりにリアルでした。


 訳が解らないうちに戦いに巻き込まれ、信じていた城の者達も自分をおびやかす存在になってしまいました。彼自身は何も悪いことなどしていないのに……。


「初めてティスト様の前に現れた時、人を信じることに疑問を持った目をしてた」


 なんとか追っ手から逃れて辿りついた教会でミモル達に出会えたとはいえ、きっと何を信じれば良いのか心の底で迷っていたのでしょう。


「だから思ったんだ。持っている力の全てで守ろうって。もう二度と心を閉ざしてしまわないように」


 絞り出すように決意を語る青年をエルネアが見詰めていると、彼は背を向けて「ありがとう」と呟きました。


「実はちょっと行き詰まってたんだ。らしくないよな」


 ナドレスは乾いた笑い声を吐き出すと、「海に誘ってくれて正直有り難かった」と告白し、感慨かんがい深げに続けます。


「ティスト様のあんな嬉しそうな顔、久しぶりに見たなぁ」


 水をすくって眺めたり、飛沫しぶきを浴びてはしゃぐティストは、とてもあと数年で王位をぐような麗しい身分の者には見えません。

 どこにでもいる普通の子ども、そのものです。


「あっ」


 少年はナドレスに気付いて走り寄ってきました。砂に足を取られてうまく動けないようですが、それすらも楽しんでいるみたいに見えます。


「沖まで連れていってくれない?」


 目を輝かせて強請ねだるのが珍しかったのか、ナドレスも身をかがめて目を細めました。


「いいよ」

「本当? ありがとうっ」


 こうして手を取ったのも、いつぶりでしょうか。


「じゃ、ちょっといってくる」

「え、えぇ」


 見送るエルネアもやがて視線を落とし、不安なのは私だけじゃないのねと胸の内だけで呟いていました。



 ゆらゆら揺れる水面の立てる音が、体をいっぱいに満たします。陸から遠く離れたところで海に身をひたしていると、なんとも不思議な気分になりました。


「大丈夫、怖い? 結構深いよ」


 そう言うと、肩に掴まって浮いている少年は首を振り、気張った顔で平気だと言いました。


「本当?」


 目に見えて意地を張っているのが分かり、おかしくて思わず笑みをこぼしたら、ティストは怒ったように「本当!」と答えてふくれ面を作りました。

 そんな仕草が更に笑みを誘うとも知らずにです。


「あっ」

「何?」

「今ひかったの、魚だぁっ」


 ゆらりと揺蕩たゆたう水面が時折鋭い光を放ちます。海を泳ぐ細身の魚のうろこが陽光を照り返して輝いているのでした。


「ほらっ、また!」


 波立たせて見るように促しながら、次の瞬間にはくらげに目を奪われていて、かと思えば今度は浮かび方を教えてとせがんできます。


 くるくる変わる感情はまるで少女のようで、それでいて決して違うものも同時に抱いていることをナドレスは知っています。


 貴方は強い方だ。こんなに幼くても王子としての誇りを持っていて、毎日の雑務をこなされている。


 あまり笑わなくなってしまった時も、ティストは誰にも弱音を吐きませんでした。


 ……誰にも?


 ティストが一際強く跳ね上げた海水が、ぱしゃりとナドレスの顔や髪をらします。


 俺にも。どうして。いつだって一番近くにいたのに。


「びしょびしょだね。ごめん」


 慌てて謝るけれど、そういえば海のまっただ中だったと思い返したのでしょう。驚きは苦笑に転じ、ふいにかげりました。


 俺じゃ駄目なのか。力になれないのか。


「ねぇ、ナドレス」


 底をさらうような声音に、自分でも吃驚びっくりするほどに肩がね、瞳が見開かれるのを感じます。ただし、それも最初の衝撃に過ぎませんでした。


「なにがそんなに不安なの?」


 え? 音にならない声がノドに迫り上がります。


「あの戦いがすんでからずっとそう。いつも不安で寂しそうな顔して僕を見てる」


 何度も何度も、疑問符ぎもんふが生まれては頭を埋め尽くしていきます。


「ちっとも笑ってくれない。みんなで海に行けば、きっと元気になってくれると思ったのに」


 それは青年自身の科白セリフのはずでした。硬直する自分の前にいる少年は「もうどうすれば良いのか分からない」と言い、見詰めてきます。


「僕がキライになった?」


 召喚した者とされた者の間のつながりが、心に鋭く刺さる痛みを伝えてきました。


 違う、そうじゃないと強く心が叫びます。こんな顔をさせたいのではなく、ただ笑ってほしかっただけだと。


 寂しそうで不安な顔をして笑ってくれなかったのは貴方じゃないか。辛そうでも何も言ってくれず、だから。

 そこまで思考が及んだところで気付きました。


『いつだって一番近くにいたのに』


 あぁ、そうか。


 すとん、と引っかかっていたものが落ちる感覚があります。


 俯いて涙をにじませているティストがはっとする間も与えず、彼はその細い肩を掴み、確実に声が届く距離に引き寄せました。


「ごめん」


 はっきりと自覚したのは、不安で笑えなかったのが自分の方なのだという事実です。


 そう、不安で怖かった。これからティストを守っていけるかどうか、とても不安だった。でも、そんな気持ちを自分では認めなかった。


 守護者として召喚されたのだから、大丈夫かと疑問を抱くことすら禁忌きんきなのだと無意識にいましめていたのです。


「ティスト様は何も悪くない。嫌いなんて思ってない。俺が弱かっただけだ」


 気持ちを隠すために、貴方のせいにしたんだ。


 二人はパートナーです。望むと望まないとに関わらず、思いは伝わってしまいます。そして、今回ナドレスが押し隠した暗い感情はティストへと伝播でんぱしました。


 本人さえ持て余すものを、十を過ぎたばかりの少年に受け止められるはずもありません。

 笑わないんじゃない。笑えなかったんだ。


『ごめん』


 言ってしまったら気持ちが軽くなって、自然と唇が笑みの形に歪みます。


「許してもらえるかな」

「……うん」


 久しぶりに見る本当の笑顔は、少しばかり泣いたせいで赤くなっていました。



「大丈夫?」

「うん」


 ナドレスはパラソルの下で横になっているティストへ気遣わしげに声をかけます。初めての海で水に長く浸かりすぎたせいか、ややぐったりとしていました。


「ティスト、もう大丈夫なの?」


 後ろから声をかけてきたのはエルネアで、その更に後ろからミモルもひょっこり顔を出し、少年を見舞います。


 二人とも、沖に行ったきり帰ってこないことを心配していたのです。


「まだだるい?」

「ううん、平気」


 言いながら起き上がったティストに安心したエルネアが、遅めの昼食にしようと提案しました。


 パラソルの下で仲良く弁当の包みを開いている子ども達を見ながら、先輩天使は後輩に「良かったわね」とささやきます。


「あぁ」


 かつての決意が自然と胸にわきがってきます。ようやく本当の意味で戦いが終わったのだと、目の前の光景から実感したのでした。


祥楽さん、素敵なお話を&文章化、そして掲載の許可をありがとうございました!

漫画を文章へと起こすにあたり、どうしても加筆や変更の必要に迫られた部分があります。

明るいシーンもあったのですが、カットせざるを得ず心残りです。

でも、ミモルやエルネア以外の登場人物にスポットがあてられたこの物語の雰囲気を少しでもお届け出来ていれば幸いです。


ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 番外編ありがとうございます! ミモルちゃんとエルネアの絆もですが、ティストとナドレスの絆も読んでいて羨ましくなりました。楽しそうな皆の様子が目に浮かぶようです。皆が傷ついた分、幸せになって…
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