第三十六話 新たなはしら
『……幾千幾万の子らよ』
低く語りかけるのは初めて聞く声でした。けれど、どこかで聞いたことのあるようでもあります。
「クロノ様よ。クロノ様は時を統べる御方だから」
つい先ほどまで交わしていた彼の声はもっと高い、外見通りのものだったはずです。
『同じ時を生きる者達よ』
再び同じ声が響きます。何か、また新しいことが起ころうとしている予感がしました。
『我らの声を聞き』
また別の誰かの声です。こうして星空の下で聞いていると、それは詩や唄のようで、もう誰が喋っているのかなんてどうでも良くなってきました。
きっと天や地上の皆に向けたメッセージでもあるのでしょう。なら、これから起こる出来事を余さず見届けることが自分の役目だと思いました。
『星の光と光を繋げ』
それぞれの点が、呼びかけに応えてぽっと一際強く光ったと思ったら、隣の点へと線を伸ばし、繋がっていきます。
『世界を支える柱となれ』
「わっ……!?」
光の点が線になり、暗かった部分を塗りつぶして面になります。空一面が輝き、そのあまりの眩しさに目を開けていられませんでした。
「はい、おしまい」
エレメートの声と肩をポンと叩かれる感触に、弾かれるようにして瞳を開くと、そこは元の神殿内です。
まるで夢みたいでした。天の川を誰かと手を繋ぎながら歩くように、心が暖かくてわくわくして、醒めたあとも触れた時の感覚が残っていそうな、そんな夢です。
幻に近いものではあったのでしょう。ミモルの心の中で起きた出来事という意味では、現実と言い切ってしまってよいものか悩んでしまうところです。
それにしても不思議なことに、失った家族を思い出して涙が零れるくらい胸が締め付けられたはずなのに、今は妙にすっきりとしています。
「大丈夫、ミモルちゃん?」
心地よい響きで、理由が腕の先にあることを知りました。柔らかく包み込む手の温もりがあり、反対側にはフェロルの大きな手が繋がれています。
二人の心配する気持ちが握られた両手から伝わってきました。
「うん、だいじょうぶ」
自然と口元が綻びました。確かに育ての母を亡くして姉とも離ればなれになったのは辛いけれど、新しい家族がいることを感じ取ることが出来たからです。
すぅと息を吸い込み、ミモルは問いかけました。
「何が起きたのか、教えて下さい」
山ほどの星。繋がり。光の洪水。あれがなんだったのか、知らなければなりません。神々は目を交わし合い、やがてディアルが唇を開きました。
「お前を中心に地上の契約者を結び、世界を支える柱の役目と権限を譲渡した」
「それって……私達自身が世界を支えていくことになった、ということですよね?」
「そうだ」
つまり自分が決意し、宣言した通りになったのです。
「以前から考えておられたのですね?」
エルネアの指摘は確信めいていました。いくらミモルが言い出したとはいえ、あっさりと実行できる内容とも思えません。すると、エレメートがあっさり「もちろん」と肯定します。
「時が尽きかけているのは分かっていた。策を練るのは当然だろう」
継いだのはクロノでした。そういえば子どもの姿のままです。あの低い声を現実に耳にするのはまだ先になりそうです。
「僕達も結構悩んだよ。まぁ、どう頭を捻っても選択肢は二つしか思いつかなかったけどね」
言い、ぴんと二本の指を立てます。神々が迫られた二つの選択肢とくれば、おのずとミモルも見出すというものです。一つは、世界を終わらせること。
「始めたことは、始めた者たちが終止符を打つ。人の世でも同じことだ」
シェンテがこともなげに言い放ちました。発言そのものは正しくても、込められた意味は物騒極まりないものです。
捨てた今となっては、これまでのどんな深い懊悩も、今更どうでも良いということなのかもしれません。
そして選んだもう一つの道。彼らが長年悩んだ末の結論であり、ミモルの選び取った未来でもあります。
「終わらせないように人間が世界を支える……」
「ん~、正確にいうと、ちょっと違うんだけどね」
小首を傾げている間に、エレメートはさっと近づいてミモルの細い腕に軽く触れ、それからおでこを撫でました。
蝶の鱗粉のようなきらきらした粒子が流れたのは、目の錯覚でしょうか?
「はい、これで本当におしまい」
「え、え? 何ですか?」
にっこりと屈託なく笑われて何事かとオロオロしていると、変化にいち早く気付いたエルネアが「それは!」と甲高い声をあげます。
フェロルが焦った様子で、どこからか手鏡を取り出して顔を映してくれました。
わけも分からず受け取り、まじまじと隅から隅まで観察してみると、額の中央に何かがチラつきます。四角と直線だけで作られた、子どもの落書きのような模様です。
どこかで見たことがある気がします。それも、ついさっきのような近さで……。
「お揃いだね」
楽しげな声にはっとして目線を上げ、神々へと流しました。彼らの額や首筋、そして腕に、鏡の中の自分と同じ印が刻まれています。
クロノが片目を釣り上げ、苛立ちを含んだ口調で言いました。
「世界を存続させると言ったのはお前だ。なら、新しく神を創る以外に方法がないのは考えなくても分かるだろう」
かみを、つくる?
「人間だけで支えられるほど世界は軽くない。ディアルが『お前を中心に』と言ったのが聞こえなかったのか。誰かが舵取り役を引き受けなきゃ、細い柱なんてあっさり倒れて終わりだ」
だから彼らは生み出しました。不安定な柱達に天の方向を指し示し、この世界を見守る新しい「神」を。リーセンが言いました。
『呆れたわ。さっき、エレメートが「おめでとう」って言ったのはこれだったわけね』
ミモルはまだ全てを呑み込み切れたわけではありませんが、自分が「神」と呼ばれる存在の一員になってしまったことだけは理解しました。
「え……ええぇえっ!?」
ひとしきりの驚愕のあとでミモル達が連れてこられたのは、壁がこれまた白く塗り込められた家でした。
廊下によって神殿と繋がっています。草原の真っただ中にぽつんと建てられたそこは、お金持ちの別荘といってよいほどのサイズでした。
「失礼致します」
案内役を務めてくれた黒髪の少女・アルトが凜とした声で一言述べると、何もなかった場所が四角く切り取られ、扉に変化して内側へと開きます。
中からは開けられない仕組みのようでした。
脇には簡単な調理が出来そうな設備があり、それを横目に黙ったままついていきます。すぐに、向こう側にテーブルや椅子が見えてきました。
「あ……、ネディエ!」
「ミモルか!?」
きっちりと編まれた三つ編みが驚きに揺れました。広く開けたフロアに立っていた人物こそ、探し求めていた親友です。
むこうもミモルの姿を捉えると、一呼吸おいた後に走り寄ってきました。二人の少女は数時間ぶりに再会を果たし、互いの無事を確かめるように抱き合ったのでした。




