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扉の少女  作者: K・t
第六章 自分の答えをもとめて
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第三十話 柔和なひとみ

「それから、時間を司るクロノ様。天と地上の全ての時を見守っている方よ」

「時を見守る?」

「時間が過去から現在、そして未来へと絶え間なく続いていくのはクロノ様の御力のおかげなのよ」


 時間が流れるのは当然のことであり過ぎて、それを監視する存在のことなど想像したこともありません。


 実感がわかず、首を捻っているとフェロルが「考えてみて下さい」と言いました。


「時が急に途切れたり、すでに過ぎ去ったはずの出来事が再び起こったり、遠い未来の何かが今に突然現れたらどうなるかを」


 起こった出来事がなかったことになり、これからやろうとしていることが前触れもなく終わり、死者が生き返ったりするのかもしれません。滅茶苦茶です。


 全ての事象には原因があって初めて結果が伴います。皆、それを前提にしているからこそ生きていけるのでしょう。


「時間の流れが乱されれば、その前提が崩れてしまうわ。人はいつ何が起こるか分からずに戸惑って、恐れて、心を壊すでしょうね」

「……大事なお仕事なんだね」

「ディアル様やシェンテ様の御役目も同じよ。世界の力のバランスを正しく保つこと、という意味ではね」

「知識も力も無くてはならないものですが、身を滅ぼす元にもなりますからね」


 知識は兵器を生み出し、力は争いを生みます。欲望に駆られた何者かがそれらを得れば、人はやがて滅びてしまうかもしれない。二人はそう言いたいのです。


「つまり、神様の仕事は人が破滅しないように見張ること……?」


 ミモルだって争いを望んでいるわけではありません。

 人の歴史は戦争の連続で、彼女が住むオキシア王国とて今でこそ長期間の平和を維持していますが、どこか遠い異国では衝突が絶えず起きていると聞きます。


「でも、やっぱり変だと思う」


 うまく言えないけれど、納得がいかない。だからこそ、こうやって危険を冒して天にまでやって来たのです。


 友人達を救うのが第一の目的なのは変わらなくとも、ミモルは別の想いも同時に抱えていました。ぐっと拳を握りしめ、一度した決意をもう一度胸に刻み直します。


「私は知りたい。その上でこれからを決めたい。自分の意思で」


 この世界の大気はきらきらと明るく、見下ろすと自分の影と出会いました。


「やっと、来てくれたね」


 びっくりして顔を上げると、先ほどまで確かにそこにはいなかったはずの人物が立っていました。


 柔和な瞳で微笑む緑の髪の青年は、「なかなか来ないから迎えに来ちゃったよ」と優しい声で言います。


『エレメート様!』


 エルネアとフェロルが同時に驚きの声を上げ、一歩後ろに下がりました。彼――エレメートは「そんなに驚かなくても」と苦笑し、すっとミモルの目線までかがみこみます。


 吸い込まれそうなエメラルドグリーンの瞳が笑みの形に歪みます。白い服と同じ色の腰までのマントがひるがえるたび、ふわりとこちらの髪がなびきました。

 まるで彼自身が風であるかのようです。


「ずっと来るのを待っていたんだよ」

「えっ?」


 小さな天使達も歓迎ムードたっぷりの雰囲気でしたが、彼もまた言葉通り「待ちかねていた」と言わんばかりの態度で、ミモルは頭の中が疑問でいっぱいになってしまいました。


「エルネアもフェロルも、良く連れてきてくれたね」

「あ、あの……」

「それはどういう……」


 思わぬ労いに二人も戸惑うしかなく、言葉はひどく途切れがちです。エレメートは再び少女に微笑みかけると、「安心して」とささやきました。


「君の友達もあのおチビちゃんも元気にしているよ。もちろん、ヴィーラもね」

『!!』


 これが物騒な相手の言葉であったなら、脅迫に聞こえたでしょう。けれど、不思議と彼が口にすると、すんなり真実だと信じられました。


「あの……かみさま、ですか?」


 青年が現れる直前までエルネア達がしてくれていた説明では、知ることができていなかった名前です。


 でも、天使が畏敬の念を持って接し、事情にも通じているとなればあながち間違ってもいないはずでした。エレメート自身も、「まぁ、一応ね」とあっさり認めます。


「固くならないで。確かに他の3人はちょっとカタブツだけど、僕は君と仲良くしたいと思っているんだからさ」

「仲良く?」

「あぁ、自己紹介がまだだったよね。僕はエレメート。よろしく」

「あ、えと、ミモル……です」


 あまりにも自然に手を差し出されてたため、ミモルはおずおずと握り返してしまいました。柔らかくて暖かい感触は、人間と変わりがありません。


 ふんわりとした彼のたたずまいに、うっかりするとここへやってきた目的までも忘れてしまいそうになります。それが恐ろしくて、ミモルは勇気を振り絞りました。


「あ、あの! 私、ネディエは悪くないと思うんです。それは、いつかは……って不安はあるかもしれないけど、いけないことだなんて思えなくて」

「うん」


 返事は軽い頷きで、それは続きを促す動作でした。

 彼が驚くほど優しいから、ミモルもこのひとなら聞いてくれるのではないかと期待しながら、胸のうちにあるものを一気に吐き出します。


「それにジェイレイのことだって。……確かに私を殺そうとしました。でも今の小さなジェイレイは正しいこととそうじゃないことを教えれば、今度こそ生きていけるんじゃないかと思うんです。だから……」


 そう、そのためにここまでやってきたのです。


「だから、二人を返して下さい」


 言いきった瞬間、ミモルは深く頭を下げました。目も強くつむってしまったから、誰がどんな表情をしているのか分かりません。


 しぃんと沈黙が降ります。その静けさは途方もなく長いようにも、あっと言う間のようにも思えました。


「……頑張ったね」


 意外な返答に顔を上げると、笑顔のままの、けれど別の何かをも含んだ顔でエレメートが立っていました。


「君は僕達と戦う覚悟でやってきた」

「……はい」

「どう足掻あがいたところで負けると分かっていて」

「……はい」

「負ければ死ぬと知っていて」

「はい」

「親でも兄弟でもない者達のために」

「はい」


 ミモルは何度もしっかりと頷きます。その迷いのない瞳をエレメートは見つめて、「じゃあ、おいで」と再び手を差し出しました。


「……怒っていないのですか?」


 神にとって、人間は蝋燭ろうそくの火に過ぎません。不要になればふっと息を吹きかければおしまいの、些末さまつな存在のはずです。


 そのちっぽけな人間が、創造主に意見をした。たとえるなら、大声でわめきながら大海原に身一つで飛び込むような行為でしょう。


 ミモルはそんな想像をして、ぐっと息を呑みこみました。しかし、エレメートは心の底から不思議そうに首を傾げます。


「どうして?」


 ミモルは二の句が継げませんでした。想いは伝わったはずです。彼は少女のありったけの勇気に理解を示し、優しい言葉をかけてくれました。


 その上で怒りをあらわにするどころか、不思議で仕方ないといわんばかりの顔をしているのです。


 もしかして、神にとって人間があまりにちっぽけな存在であり過ぎて、怒る対象ですらないのでしょうか。


 ミモルは落ち込みかけ、それはどうやら違うようだと穏やかな青年の次の言葉で理解しました。

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