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扉の少女  作者: K・t
第五章 明かされるかなしみ
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第二十六話 少女のせんたく

「きっとその時から、結末を予測していたのよ」


 どれだけ隠しても居場所はあばかれ、遠からず組織は崩壊します。


 罠にはまっても回避しても同じところに帰結する未来が見えた瞬間、アレイズは舞台を降りる決意をしました。


「あいつが最後に望んだのは、仲間の無事とヴィーラの笑顔と……還ること」


 ネディエの顔には玉の汗が浮かび、体力はじょじょに失われつつあるようでしたが、抵抗の姿勢に変わりはありません。


「アレイズの魂はあるべき場所に帰ってきたんだ」


 絶望から目的を見出し、多くのものを犠牲してきた男が辿り着いた場所は、かつてのパートナーの隣です。そのヴィーラが泣きそうな顔で見つめています。


 ネディエはもう一人の自分が心を痛めているのを痛烈に感じました。


「やっと得られた安息を、誰にも奪わせるものか……!」

「だから何? 前はあんたのものだったかもしれない。でも、今は違う。それだけの話よ」


 ムイの声はこれ以上ないくらいに低く、冷たいものです。全ての感情を押し殺し、任務遂行のみを念頭に置こうとしているようでした。


「どう言いつくろったところで、あんたが第二のアレイズになる可能性を残すわけにはいかない」


 取り込んだ魂には、一人の人間の肉体という器を除いた「全て」が詰まっています。思考や感情、経験といった膨大な量の情報の塊です。


 本人がいくら否定しようとも、いずれその思想に飲み込まれないという保証はどこにもありません。神の側近が反逆の芽を見逃すことなど有り得ないのです。

 今度はネディエの方が首を振りました。


「引き裂けば、その記憶は魂に深く刻み込まれることになる」


 ひとは、どんなに上から白く塗りつぶそうとしても、辛い出来事を強く心に留めるものです。

 少女は苦々しげに呟きました。同じことを繰り返したくないなら、ここで断ち切るべきなんだ、と。


「魂が安寧を求めているのを、痛いほど感じる……」


 彼の願いを叶えてやれるのが自分だけで、そのタイミングが今しかないことを解っているからこそ、一歩たりとも引けませんでした。


「……」


 強い意志を持った瞳と瞳がぶつかります。けれど数秒後、それまで力がこもっていた手がすっと抜かれました。


 突然苦しみから解放されたネディエがいぶかしげに見上げると、怒りや焦りを通り越した顔でムイがため息を付くところでした。


「……?」

「勘違いしないで。情にほだされたとかじゃないから。……アルト!」


 彼女が同僚の名を呼ぶと、意図を読んだ相手も頷き、「仕方がありません」と応じます。


「これより先は私達では判断しかねます。貴女を連行し、上の指示を仰ぎます」

「待って下さい!」


 血の気の引ききった顔でヴィーラが叫びました。


「マスターを、ネディエ様を天に連れていくということですか!?」

「安心して下さい。貴女にもご同行願いますので」

「そういうことを言っているのではありません!」


 天の世界がどんなところかは想像する他ありません。一つだけはっきりしていることは、天に属する者と地上で肉体を失った者以外は入れないという原則です。


 まさかネディエを殺そうなどとは考えていないにしても、その原則を曲げてまで連れていこうというのです。ヴィーラが驚くのも当然でしょう。


「それと、そこのおチビさんもね」


 ムイが言い、全員の視線がジェイレイに集中します。本人も自分のことだとすぐに悟り、怯えた瞳でミモルにぎゅっと抱き着きました。

 小さい子ども特有の温かさと、震えが伝わってきます。


「ジェイレイに何をする気?」

「元々、事態を収拾してアレイズの魂を回収した後、悪魔の娘を連行するのが今回の任務だったの」


 その先までは知らされていないとムイは言い、右上でまとめた豊かな髪をかきあげます。髪留めの大きくて赤い玉がきらりと光りました。


「待ってよ。この子はもうただの子どもだよ。お願いだから連れていかないで」

「本気でそう思ってる?」

「え……」

「あんたは悪魔がどんな存在で、人間にどんな害悪を及ぼすのか知ってるはずよ。母親を殺されて、姉の心まで壊された痛みは、そんなに簡単にえるほど浅い傷だったの?」

「っ!」


 全身に衝撃が走りました。心のどこかで忘れようとしていた記憶が、痛みを伴って脳裏を駆け巡ります。


 真っ黒いもやの中に浮かんだ白い手、悪魔の嘲笑ちょうしょう、義理の姉ダリアのぐったりした姿――。


「やめて」


 エルネアが間に入ろうとするも、ムイは構わず言葉を続けました。


「アレイズの魂のように、この子どもだっていつまた悪魔として目覚めるか知れない。庇うってことは、遠くない未来に爆発するかもしれない爆弾を、『今は大丈夫そうだから置いておこう』って提案してるのと同じこと」

「ママ?」


 ミモルは幼子を見下ろしましたが、すぐに返事をすることも、それ以上強く抱きしめることも出来ません。


 別人だ。この子はあの悪魔じゃない。


 頭でそう理解していても、心は頷いてはくれませんでした。


 旅を共にするうちに、無邪気さに愛らしささえ感じ始めていたその女の子は、たとえ幾年月かを楽しく過ごせたとしても、いつか誰かを――エルネアやフェロルや友人達を襲うかもしれない恐れをも秘めています。


 湧き上がった感情に従うなら、怯える子どもを脅威きょういから救いたいのです。


 けれども、予見した通りの未来が現実となった時、自分はこの選択を後悔しないだろうかと、何度も何度も同じ問いがぐるぐると渦を巻きました。


「……ごめん」


 ぽつりと、けれどはっきりとした呟きです。ミモルには、己の問いに笑顔で頷けるほどの自信がありませんでした。


 そうっと体を離すと、己を引き渡すつもりなのだと知ったジェイレイの顔がみるみる歪んでいきます。


「ママ? ジェイレイ、わるい子だった? いけないことした? だからすてちゃうの?」


 大粒の赤い宝石のような瞳から、涙があとからあとから零れ落ちます。ムイが細い腕を掴むと、あれだけ何者をも通さなかった結界の中へと、するりと引きこみました。


「いやっ、はなして! 助けてママ!!」

「ほら暴れない。別に取って喰おうってんじゃないんだから」


 じたばたする幼子をムイがきつく抱きかかえます。そうされてしまっては、ただの子ども程度の力しか持たない今のジェイレイでは抗いようがありません。


「ミモルちゃん、良いの?」

「……うん」

「あなたがそうおっしゃるなら、僕達も従いますが……」


 いずれにしても、天使は神の使いに従順であるべき存在です。彼女達に手を出した瞬間、神々への反逆者という烙印らくいんを押されてしまうでしょう。


 それでも主人が望むのならば、多少の抗議なりともまだ出来ることがないでもないのですが、ミモルが肯定する以上は黙してたたずむ他ありませんでした。


「ごめん、ジェイレイ。私はやっぱりママにはなれないよ。天はきっと良いところだから」


 気休めがすらすらと口をつきます。弱々しく笑おうとする顔の筋肉は、感情を処理しきれなくて引きつります。


 自分でも白々しいと思いながら、渦巻く罪悪感から逃げたい気持ちが止められませんでした。


 私を生んだお母さんも、こんな気持ちだったのかな。


 顔も覚えていない本当の母親を思います。物心つかない赤子を森の聖女と呼ばれるルアナに預け、いずこかへと去った女性の心を覗いたような気がしました。

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