第二十五話 還るばしょ
話は少し前に遡ります。
ムイは、ミモル達にアレイズの家で休んでいるよう告げると、アルトと共に騒ぎを収拾するため、てきぱきと天使達に指示を出し始めました。
「さぁさぁ、愚図々々言う奴は端からぶっ飛ばすわよ!」
鋭い檄が飛びます。アレイズの協力者だった天使は容赦なく天へと送還され、人間は結界の外に放り出されました。その際、能力の一切を剥奪されて。
天への不満を申し立てようと集まっていた彼らでしたが、目的の途中で目論見が露見し、中心人物たるアレイズまでが居なくなった以上、何の抵抗が出来るわけもないと承知していました。
「身を引き裂かれるほどの重い罰だとお思いでしょうが、神々は命をお救い下さると仰っておられます」
死よりも深い苦しみを覚悟していた者達ですが、アルトの静かな説得が功を奏し、抗いと呼べるものすら起こりませんでした。
長い時間、妄執に身を預けていた分、燃え尽きてしまったのかもしれません。
彼らから聞き出した通りの場所には、新たに攫われてきた者達が軟禁されていました。
そんな哀れな被害者たちも解放すると、あっという間に村は空っぽになったのでした。
「他に方法はなかったの?」
ミモルはやるせない気持ちで胸がいっぱいです。
仕方ないのは解っていました。二人は主の命令を忠実に遂行しただけで、暴力を振るったわけでもありません。それでも問わずにはいられませんでした。
……まただ。
また悲劇が生まれてしまいました。それも今度は自分の目の前でです。
巻き込まれた身とはいえ、ミモルは事件の渦中にいたにも関わらず何も出来なかったことが悔しくて、ぐっと唇を噛みしめます。
「これじゃまた同じことが繰り返されるだけだよ」
今回の事件はボヤ騒ぎのようなものでした。燃え盛る前に火を消したように見えて、影でたくさんの種火をまき散らしたのだと少女は訴えます。
「なら、あいつらの要求を呑めっていうわけ?」
ムイはため息をついて、面倒なことをを言わせるなという瞳で返します。
「それは……」
それこそ出来るわけもありません。沈黙を是と受け取った彼女はアルトの淹れてくれた紅茶をやや乱暴な仕草で飲みました。
「じゃあこの話はここまで。次の仕事をさせて貰うわよ」
「次の仕事……?」
他にどんな用事があるというのでしょうか。聞く間もなく、神の使いは音を立てて席を立ち、ネディエの前に素早く歩み出ます。一切の迷いを持たない足取りでした。
アルトが、黒髪を揺らしながら静かに告げます。
「不要な魂を回収致します」
「なっ……」
静止するタイミングもなく、突き出されたムイアの腕がネディエを貫きました。
がたん、と椅子が後ろに倒れます。少女は自分の胸元から伸びる白いそれを、これ以上ないくらいに見開いた瞳で見つめています。
「ネディエ!?」
不思議なことに血は一滴も落ちて来ず、腕が埋まった断面は湖のように波打つのみ。
物理的に傷を負わせる行為ではないということなのでしょうが、見る者を蒼ざめさせるだけの恐ろしさは十分にありました。
「やめ……ろ」
たとえ怪我をさせるつもりがなくとも、ネディエの歪んだ表情からは苦しみが伝わってきます。異物が侵入する感覚が、ぞわぞわと全身を駆け巡っているのです。
「見つけた」
腕を小刻みに動かしていたムイが呟き、動きを止めました。何を指すかは明白です。
ネディエに吸い込まれたアレイズの魂は、天界にとっては破棄すべき諸悪の根源。誰かに取り込まれたからといって諦めるはずもありません。
しかし、掴んで引き抜こうとしたムイは小さく舌打ちします。
「融合がこんなに進んでるなんて」
「……うっ」
ネディエの顔に刻まれた眉間の皺が更に深くなりました。少し我慢してなさいと前置きして、ムイが腕に力を込めます。
断面の波が激しくなり、淡く光を発し始めました――あの青い光です。
「止めてください! 魂を無理やり剥がそうとすれば、壊れてしまいます!」
血の気を失った顔でヴィーラが止めに入り、その言葉を聞いて他の皆も目を剥きました。
けれど、ムイを引きはがしてでも止めようとした手は見えない壁に阻まれてしまいました。
「これも任務ですので」
アルトの結界です。空間を切り取るその壁は、容易に破れるものではありません。
魂が壊れる。ミモルには想像も付かない話ですが、友人が危険に晒されていることだけは理解できました。
「やめてっ!」
どんどんと激しく壁を叩けど、ヒビ一つ入りません。
手を伸ばせば届く距離に助けを必要とする人がいるのに、指先ひとつ触れられないことが歯がゆくて、悔しさがノドをせり上がってきます。
「どいてろ!」
轟音が耳を打ちます。スフレイが渾身の蹴りを放ったのですが、それでもびくともしません。やはり、物理的な力では破壊できないのです。
「神の犬共が。そういうお高くとまってるところが大っ嫌いなんだよ」
敵意剥き出しで叫ぶ彼に混じって、誰もが口ぐちにやめるように言いました。でも、壁の中の二人には聞こえていないようです。
ネディエが苦し気に「やめろ」と言いました。
「抵抗すると余計に苦しいわよ。大人しくしてなさい」
片手では埒が明かないと悟ったのか、ムイはもう片方の手も強引に突っ込みました。当然のようにネディエは悲鳴に似た声を上げてのけ反ります。
表現しようのない気分の悪さに耐えながらその腕をぐっと掴みました。
「これは私のものだ」
「拾ったものは自分のものって理屈? 早く分離させないと、浸食されるって解るでしょ」
記憶を受け継ぐということは、他人の人生を引き受けるのと同義です。
人格形成の大部分を「生き方」が占める以上、ネディエの選択は自分を捨てるに等しい愚かな選択のはずでした。
それでも、呆れたといわんばかりの視線をネディエは強く睨み返します。
「私は前世でアレイズだった。そうなんだろう……?」
壁を叩き続けていた無数の手が止まりました。
「奴が切り離して転生した片割れが私なんだろう? それを知っていたから、ヴィーラを付けたんじゃないのか」
「神々の意思は我々の知るところではありません」
規定通りの返事をするアルトに、苦しみから涙の浮かんだ目を向け、ネディエはなおも訴えます。
「アレイズの魂が私に入ったのも、融合が早いのも、元は一つだったからだ。違うか……!?」
掠れた叫びが室内を満たします。その考えは、もし全て事実なら恐ろしい結論に辿り着くものでした。
「ヴィーラは獲物が囮に食いつく瞬間を見誤らないための監視役だろう」
魂は引き合います。アレイズにはネディエの居場所を探るのは容易かったでしょう。
神々が気付いていた上で魂を転生させたなら、そしてその生まれ変わりが本当にネディエだったなら、少女は地上に放られた餌ということになります。
可能性に思いを巡らせていたエルネアが、仮定のその先を告げました。
「おそらくアレイズは初め、天の読み通りの行動を取り……そこで見つけてしまったのね」
自分の魂の傍らに、かつて救おうとしたパートナーの姿があるのを。
彼はその瞬間悟ったはずです。計画が敵の知るところであることも、ヴィーラ自身が第二の囮であることも。




