第十話 ぶつかった女の子
「わっ」
細い路地を通り過ぎた途端、ミモルは何かにぶつかりました。
倒れる寸前、隣を歩いていたエルネアに支えてもらって事なきを得たましたが、気を取り直して見ると、女の子が尻餅をついていました。
「痛た……」と小さく痛みを訴えながら、腰をさすっています。
「だ、大丈夫ですか?」
「あ、あぁ、大丈夫」
ミモルが慌てて手を差し出し、相手を立たせると、同じくらいの背格好であることに気が付きました。
淡い青の長い髪を、頭の左上部で束ねて三つ編みにして垂らしています。動きやすさを重視した軽そうな服装と、きりっとした顔立ちもあいまって、活発な印象を受けました。
「すみません。急いでいたもので、前をあまり気にしていませんでした」
「え、えっと、こちらこそ……ごめんなさい」
相手の淑女というよりは紳士を思わせる口調は、丁寧で滑らかです。
子どもが使わないような話し方ではきはきと喋られて、ミモルは面食らってしまいました。
そして、お互いに怪我がないことが分かると、どちからともなく頭を下げて別れます。
「……村の子とは全然違うんだね」
相手の背中が人ごみに消えてから感想を述べると、エルネアは何故か鋭い視線を投げかけたままでした。
ミモルは話し方やさっぱりとした格好を見て、「都会の子」だと言いたかっただけです。しかし、天使は「きっと、良い家柄のお嬢さんなのよ」と言いました。
「どうして? お金持ちなら、もっとヒラヒラした服を着てるんじゃないの?」
森からほとんど出ず、近くの村人としか接したことがないミモルの知識では、「お嬢さん」と言われても、おとぎ話に出てくるお姫様のイメージしか沸いてきません。
綺麗なドレスに輝く宝石、どこへ行くにも馬車で向かい、自分でほとんど歩くことのない生活。
我ながら発想が貧困だと思いましたが、それと今の相手とは、全く重なり合う点が見えてきませんでした。
「服の生地はとても良いものを使っていたし、敬語もスラスラ言えていたでしょう」
エルネアに言わせると、この街は王都に比べるとまだまだ小さいそうです。
富豪も権力者も数が少なく、他は皆、ミモル達より少しばかり良い生活をしているだけで、大して変わりはしないのだと。
「平民には、あの服は手が届かないはずよ。それに、教育が隅々まで行き届いているようには見えないもの」
「……」
たった数秒の出来事から、そんなことが分かるなんて凄いとミモルは思いました。
二人はハルルクを出発した数日後、このハエルアに入りました。
街に入ったのは昼頃。太陽の光が真上から降り注ぎ、建物の屋根や人々を濃く照らしています。
大通りを歩けば、ハルルクより人々や馬車が、賑わいがずっと多く、大きいです。
がっしりした造りの店が軒を連ね、往来を行く者を誘います。看板の細工にさえ職人の技を感じました。
「こんなに沢山の人を見たのは初めてだよ。ちょっと緊張する」
初めて見るものばかりで気持ちが浮つき、ミモルはキョロキョロと辺りを見回しながら歩いていました。
だから、細い路地から飛び出してきた女の子を避けることが出来ずにぶつかってしまったのです。
二人は会話を二三交わし、気を取り直して再び歩み始めました。今度はミモルも周囲に気を配っていると、エルネアが強張った心身をほぐすように言いました。
「さっきは気がつかなくて、ごめんなさい」
「えっ、ううん! エルは助けてくれたじゃない。支えて貰わなかったら転んでたよ」
「巡回する兵士の姿もちゃんと見えるし、きっと治安は良い街なんだと思うの」
エルネアにとって安心させようと口にした言葉は、ミモルの表情を、驚きと感傷を伴ったものに変えました。
「私、幸せだったんだね」
パートナーに言われるまで、兵士のことなど考えもしませんでした。
ここに来るまでにも危険な目にあっておきながら、世の中の恐ろしいことが自分とは無関係な、遠くの出来事だと思い込んでいたのです。
まだ心のどこかで、全ては噂や本の中の物語で完結しているものだと、信じていたかったのかもしれません。
『安心して。私がついているわ』
「えっ?」
その声は、まさしく目の前に立っているエルネアのものに違いありません。
ですが、こうして吐息を感じられそうな距離にいるよりもずっと近く、耳の奥から聞こえてきました。
「今の、エルが言ったの?」
ミモルにはその感覚に覚えがありました。そう、心の奥からもう一人の自分が話しかけてくる時に似ているのです。
「驚かせてしまったわね。……あなたには辛いことかもしれないと思って、黙っていたの。これは心を覗かれるということでもあるから。でも、分かって貰いたかったのよ。私達は繋がっているって」
どこに居ても、決してはぐれることがない。ニズムが見せた夢の中で、彼女が言いたかったのはこのことだったのです。
ミモルは彼女の言葉を咀嚼するように考え、念じてみました。
『手、握っても良い?』
エルネアの青い瞳が見開かれます。
雑踏の中で、自分達以外には聞こえない声がはっきりと伝わる。それは酷く不自然なことなのに、とてもすんなりと心に馴染みました。
エルネアの細い手が、小さな手を取ります。すべすべして柔らかくて、とても温かかでした。
「一つ、提案しても良いかしら?」
「提案?」
ここに至るまで、どこの村や町に入っても、まずは泊まるところを探していました。
ルアナはしばらく暮らせるだけのお金を遺してくれています。けれども、ミモルは最初、使ってしまうことを躊躇しました。それを説得したのはエルネアです。
『しばらくの間は疲れやすくなるから、出来るだけきちんと休養を取った方がいいわ』
彼女は真剣な表情で言い、事実、その通りでした。
天使は水分以外を摂取しない代わりに、主人から力を分けて貰うことでこの世に具現化し続けています。
人間とは体の作りが違い、病気にならず、疲れもほとんど感じません。まさに理想の守護者です。そして、その恩恵の対価を支払うのがミモルなのです。
ここしばらくのぼんやりとした意識は、ショックと同時にそのせいもあったのでしょう。数日を経てやっと、一人で二人を支えることに慣れてきた実感がありました。
だから、今までとは違うパートナーの「提案」には驚かされました。
「さっきの子を探したいの。ビックリして言いそびれてしまったけど、あの子から……天使の残り香を感じたのよ」




