娘は使い魔を受け入れてもらいたい
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──娘は使い魔を受け入れてもらいたい
2月下旬。
中等部への進級までもう少し。そろそろ初等部気分も終わりにしなければならない。
そんな中、クラリッサも休みの日は自宅で期末テストに向けた勉強をしていた。
「うーん。やっぱり第一外国は難しいよ。そう思うよね、アルフィ?」
「テケリリ」
「そうか。アルフィも難しいって思うか」
……のだが、暖房で暖まれるリビングでは毛糸のマフラーに巻かれたアルフィ──名状しがたい生き物が、テーブルの上でクラリッサとともに第一外国語の教科書を見下ろしていた。アルフィは触手を伸ばしたり、鉛筆で冒涜的角度の文様をノートの端に落書きしたり、サイケデリックな色合いに変色したりなどしていた。
「ただいまだ。クラリッサ、勉強は進んで──うわっ!」
何も知らずにリビングに入ってきたリーチオが悲鳴を上げる。
「パパ。アルフィが驚くから大声出しちゃダメ」
「間違いなく俺の方が驚いている」
リーチオは触手をうねらせるアルフィに警戒の視線を向けている。
「その名状しがたい生き物と勉強しているのか?」
「そだよ。アルフィと一緒に勉強しているの。アルフィも第一外国語を私と一緒に勉強して、理解できるようになるんだよ」
「……どうせ奇妙な鳴き声でしか鳴かんだろ」
「酷い。アルフィの努力を否定しないで」
クラリッサが抗議するのにアルフィも『テケリリ』と抗議した。
「それにその生き物は裏庭の物置で飼いなさいと言ったはずだぞ。屋敷の中に連れ込むんじゃありません」
「やだ。アルフィの小屋、暖房がないよ? アルフィが寒いって言ってるよ?」
「それが寒さぐらいでくたばるようには俺には見えない」
クラリッサがぶーっと不満を述べるのに、リーチオが蠢くアルフィを見て告げた。
「パパは冷たいね、アルフィ。アルフィは寒いところは嫌だよね?」
「テケリリ」
「そうか、そうか。アルフィも暖かいところの方がいいか」
アルフィが触手を伸ばしながら鳴くのに、クラリッサが頷く。
「全く。せめてどんな生き物くらいかは分かったんだよな?」
「……アルフィは謎」
「前もそう言っていたな?」
アルフィの正体は依然として謎のままであった。
「正体不明の生物を娘に近づけさせておくというのも親の責任に欠ける。ここは大学でこいつが何なのか調べてもらおう。そうした方がお前も安心できるだろ?」
「ダメ。大学に渡したら解剖される。標本にされる。その上、軍事利用されてアルフィが可哀そうなことになる。だから、ダメ」
「お前は大学にどんな偏見を持ってるんだよ」
クラリッサは大学を秘密結社の類だと思っている節がある。
「俺も専門家じゃないから分からんが、解剖しなくても何の動物かぐらいのことは分かるだろう。犬だって解剖しなくても犬種は分かるしな。大学ならいろいろと資料もあるだろうし、ちょっと大学見学だと思っていこうじゃないか」
「本当に解剖したりしない? アルフィの細胞を使って生物兵器を作ったりしない?」
「しない」
クラリッサは大学にかなりの不信感を覚えているぞ。また誰かが余計なこととを吹き込んだに違いない。恐らくはベニートおじさん辺りだろう。
「そういえば、お前は進路はどうするんだ? 大学に行きたいなら行かせてやるぞ。俺は大学なんぞにはいったことがないが、なかなか興味深い場所だとは聞いている。一生懸命勉強すれば、お前も大学に入学できるだろう」
「パパは私に死ねって言いたいの……」
「どうしてそうなる」
戦慄するクラリッサにリーチオが突っ込んだ。
「大学って勉強するところだよ? 私に勉強しろって言いたいの?」
「お前の通っている学園も勉強するところだってこと忘れてないよな?」
王立ティアマト学園も立派な教育機関です。
「とにかく、その名状しがたい生き物を家に上げるなら大学で調べてもらうこと。そうしないとそれは小屋に戻す。一緒にリビングで勉強するのはダメだ。分かったな?」
「酷い。けど、アルフィが何かわかればうちの中で飼っていいんだね?」
「正体が分かったうえで、危険がなければな」
アルフィはサイケデリックな色で発光している。警戒色のようなその姿にリーチオは本当にあれには害がないのだろうかと思った。
「まずは大学にアポを取らにゃならん。流石にアポなしじゃ学者どもは取り合えってくれん。オクサンフォード大学ならコネがあるから、それを使ってやろう。それまではアルフィは小屋で生活させておきなさい」
「アルフィが小屋は寒いから嫌だって」
「文句を言うなと言ってやれ」
というわけで、小屋に強制送還となったアルフィであった。
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翌週。
リーチオのコネでオクサンフォード大学の生物学部の教授とコンタクトが取れた。
未知の生物の調査をしてほしいというリーチオの依頼に教授は快く応じてくれた。それはアルフィが本当に未知過ぎる生き物であるということもあるが、リーチオが教授の研究室に多額の研究援助金を贈ったためでもある。
世の中金だな。クラリッサはひとつ学習した。
「ここがオクサンフォード大学だ」
「へー。広いね」
大学は教会や宮殿のように荘厳なつくりをしており、そしてその敷地は広大だった。何せ在籍者の数は王立ティアマト学園以上なのだ。理学から経済学、法学に至るまであらゆる分野の研究が日々行われている。まさにアルビオン王国の頭脳だ。
「お前も大学に入ってみようって気になるかもしれないぞ?」
「死ぬ」
「……お前はなあ……」
クラリッサが言い放つのに、リーチオはため息をついた。
「しかし、学園を卒業したら進路はどうするんだ? しばらくはのんびりしててもいいが、いずれは進路を決めなきゃならんぞ。今は働く女も多いから働いてもいいし、婿を迎えたいというならばそうしても構わない」
「パパの後が継ぎたい」
「ダメ」
「なんで……?」
リーチオが無慈悲に却下するのに、クラリッサが困惑した表情を浮かべた。
「お前、俺がどういう仕事をしているか薄々気づいているだろう。荒くれ者どもを束ねて、荒事をやって、汚い仕事に手を出して、そうやって金を稼いでいるんだ。俺の後をお前に継がせるわけにはいかない。お前には堅気に育ってほしい」
「体育頑張って私も荒くれ者を束ねるよ?」
「そういう問題じゃない」
確かに人狼ハーフのクラリッサならば、大抵の荒くれ者はねじ伏せられるようにはなるだろう。だが、お父さんが言いたいのはそういうことじゃないぞ。
「とにかく、ダメなものはダメだ。他の仕事を探しなさい」
「ファミリーから独立しろと……!」
「なあ、普通の仕事をするという発想は出てこないのか?」
リーチオは力なく突っ込んだ。
「さて、アポの時間までそろそろだが、まだ余裕はある。大学を見て回りながら、お前も大学に通うといいかもしれないと思うものを探しなさい」
「ないものを見つけろと言われても」
「探す前から決めつけるんじゃありません」
ほとほと勉強は嫌なクラリッサだ。
「あれ? 君は……」
そんなクラリッサとリーチオが大学の構内を歩いていると向こうから見知った顔が。
「ウィレミナのお兄さん?」
「そうそう。君はクラリッサちゃんだったっけ? 大学の下調べ?」
現れたのはウィレミナの兄だった。
「大学生は儲かる?」
「ううん……。むしろ、学費がかかるね……」
「そうか……。ますます私には用のない場所だ」
ウィレミナ兄が告げるのにクラリッサが肩をすくめた。
「おい。クラリッサ。お前、理系の分野は得意だったろ。確かこの人は物理学専攻のはずだ。学問の面白さについて聞いてみなさい」
「ええー……。ねえ、ウィレミナのお兄さん。物理学って儲かりそう? 具体的には年にどれくらい儲かりそう?」
「えらく現金な価値観を持ってるんだね、君……。物理学者は建築学などにも携わるから、その手の仕事で稼げるよ。それに王立アカデミーに入れれば、研究職で年収は600万ドゥカートはいくんじゃないかな。でも、俺の家、貧乏だからとにかく稼がないといけなし、建築事務所にでも入ろうかって思っているよ」
「600万ドゥカートか……。それだけか……」
「いや。ちょっと待ってよ。年収600万ドゥカートってかなり稼げているよ? ね?」
肩を落とすクラリッサにウィレミナ兄が必死にそう告げる。
「パパはもっと稼ぐよ。やっぱり金融業だね」
「そっか。金融業なら経済学部かな? ウィレミナから聞いたけど数学は強いんだってね。それなら経済学部に入ることをお勧めするよ。まあ、経済学も社会学とかが絡んでくるから数学だけじゃダメだけどね」
「経済学部か。ふむ」
クラリッサは何やら考え込んだ。
「ありがとう、ウィレミナのお兄さん。参考になったよ」
「どういたしまして」
「ほら、アルフィもお礼を言って」
「……!?」
クラリッサが下げていたバスケットの中からサイケデリックな色合いのアルフィがひょこりを顔を見せ眼球をずずずと移動させてウィレミナ兄を見るのに、ウィレミナ兄が後ずさりしてアルフィから距離を取った。
「テケリリ」
「あ。はい。テケリリ」
そして、謎の挨拶を交わすアルフィとウィレミナ兄であった。
「クラリッサ。その名状しがたい生き物をバスケットの中に引っ込めなさい。よそ様の正気を削るんじゃありません」
「ぶー。アルフィは人の正気を削ったりしないのに」
アルフィはあえなくバスケットの中に押し込まれた。
「それじゃあね、ウィレミナのお兄さん」
「ああ。それじゃあね」
ウィレミナ兄と別れるとクラリッサたちは生物学部に真っすぐ向かった。
「ここだ。ダリル・ドーキンス教授の研究室」
ダリル教授はオクサンフォード大学にいる生物学者の中でも優れた人物だとリーチオは聞いていた。生物がいかにして今の形に至ったのかを調べる研究で名を上げたそうであり、微生物から大型海洋哺乳類に至るまで様々な分野の研究に携わっているそうだ。
「ダリル・ドーキンス教授はいるか?」
「はい。ミスター・リベラトーレですね。教授がお待ちです」
リーチオが尋ねるのに秘書の女性がそう答えた。
「教授。約束していたリーチオ・リベラトーレだ。よろしいか」
「ああ。ミスター・リベラトーレ。ようこそ、私の研究室へ」
ダリル教授は壮年のエネルギーに満ち溢れた学者だった。他の学者たちと違ってフィールドワークも多いのか、その肌は日に焼けている。健康的な男性だ。
「それで、調べてほしい生き物がいるとか?」
「そうだ。実をいうと娘が使い魔召喚で召喚したんだが、とんと見当がつかない。危ない動物だとしたら困るし、どうにか教授の手で調べてはもらえないだろうか」
「ほう。使い魔召喚は面白い動物が召喚されたりしますからね。その動物は今日ここに連れてきていらっしゃるので?」
「ああ。このバスケットに入っている」
リーチオがそう告げるのにクラリッサがテーブルの上にバスケットを置いた。
「いいか。かなりやばそうな見た目をしている。正直なところ、この世の生き物かも不明だ。これまで人間たちには危害を加えていないが、どうなるのかまだ分からない。用心して扱ってくれ。迂闊なことで死人が出ると困る」
「分かりました。用心しましょう」
そう告げるとダリル教授は頑丈な手袋を付けてバスケットを開けた。
「テケリリ」
「……!?」
そして、バスケットからひょっこりと姿を出すアルフィ。
アルフィは触手を形成して伸ばしたり、逆に体に取り込んで消したり、眼球のような組織を現したり、消したりしてうねうねと蠢いていた。そして、サイケデリックな色どりに変色したり、発光したりしていた。
「……これは確かに見たことのない生き物ですね。軟体動物に似ているが、それにしては体の組織が不定形だ……。それにこの見るものの正気を失わせるような体にはいったいどんな秘密が……。うう、頭が痛くなってきた」
アルフィは見る人の正気度をがりがりと削るぞ。
「アルフィが何か分かる?」
「私の知る限りでは初めて見る新種だ。これまで発見されてきたどのような生き物とも違っている。まるでこの世界の生き物ではないかのようだ……」
クラリッサが尋ねるのにダリル教授がアルフィに手を伸ばす。
そして、アルフィの触手がダリル教授の手に伸び、ちょいと引っ付き合う。
「テケリリ」
「あ。はい。テケリリ」
触手と指が合わさり、アルフィとダリル教授が謎の挨拶を交わした。
「『こんにちは、教授』だって」
「一応知性があるのか……。しかし、名状しがたい……」
それからダリル教授はアルフィを顕微鏡などで調べたりしたが、分かったことは何もなかった。ただ、この世界にいるどの生き物との類似点もないということであった。
「アルフィは結局謎だったね」
「だから、アルフィは小屋で飼うんだぞ」
「酷い」
頑張れ、アルフィ。もうすぐ暖かい春が来るぞ。
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