娘は父に喫茶店に来てほしい
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──娘は父に喫茶店に来てほしい
「ただいま、パパ」
文化祭の準備も着々と進む中、クラリッサは夕方遅くに帰宅した。
クラリッサはクラスで行う喫茶店の他にアーチェリー部の実演の準備もあるのでそれなりに忙しいのだ。部活によっては模擬店をやったり、逆に何もしなかったりといろいろだが、ここが見せ場である文化系の部活ほど張り切る傾向にある。
「お帰り。今日も遅かったな。文化祭の準備は順調か?」
「順調」
リーチオが尋ねるのにクラリッサがブイッとVサインを送る。
「執事服とメイド服は無事に選べたのか?」
「うん。ジョン王太子が凄いの選ぼうとしてたけど」
「どんな奴だよ」
「真っ白なスーツに黒のシャツ」
「……すげーセンスだな……」
ジョン王太子のセンスにはリーチオも脱帽。
「それからこれ文化祭への招待状。4枚あるよ」
「4枚か。さて、3枚は無駄になっちまうな」
「……? ベニートおじさんたちを誘わないの?」
「あいつらを文化祭に呼ぶのか」
この初等部6年生に進級するまでの間、文化祭は5回あったが、いずれもベニートおじさんたちは誘われていない。クラリッサとしても大嫌いなお化け屋敷をやっているところを見られたくなかったのか、誘おうという声はなかった。
だが、今年は喫茶店だ。
ちゃちな脅かしも、みっともない小道具も、残念な幽霊もなし。ばいばい、お化け屋敷! もう帰ってこなくていいよ!
今年はクラリッサもお化け屋敷ではないということで気合を入れている。クラスメイトの食品担当の手伝いをして、コーヒー豆の選び方を教えたり、コーヒーの淹れ方を教えたりとなかなか重宝される人材になっているぞ。これもパールのおかげだ。
「私、張り切ってるから、ベニートおじさんたちにも来てほしい」
「まあ、お前がそこまでいうなら……。だが、基本的にあいつらはマフィアだからな? 大人しくさせるには俺がついていなくちゃならんって分かるか?」
「ベニートおじさんはそんな人じゃないよ。ちょっとワイルドだけれど、きちんと物事がわきまえられる人だよ。私は知ってるもん」
「きちんと物事がわきまえられる人が馬の首を投げ込んだりするのか」
「すると思う」
リーチオが神妙な表情で告げるのにクラリッサが視線をそらしてそう告げた。
「あいつらが来るなら一緒には見て回れんぞ。あいつらの世話をせにゃならん」
「パールさんを呼ぼう。パールさんに見ててもらおう」
「高級娼婦までまた学園に呼ぶのか」
パールが体育祭に来たのは初等部1年の時が最初で最後だったが、クラリッサはどうやら文化祭にパールを呼ぶつもりのようである。マフィアの幹部と高級娼婦が君の学園にやってくる! これはどうなのだろうか。
「パールには自分で来てもらえるか聞いてきなさい。俺から聞くのは少し下心があるように思われる。お前なら聞きやすいだろう」
「下心?」
「マフィアのボスが高級娼婦を誘ったと言えば、その気があると思われるだろう?」
「その気?」
肝心なところで鈍感なクラリッサである。
「俺はな。ディーナを、お前のママを未だに愛しているんだ。そのことを他人に疑われたくはない。お前だってママのことが好きだろ?」
「うん。分かった」
クラリッサはディーナとともに過ごせた時間は2年ほどだが、大切な2年間だ。
「じゃあ、呼ぶのはベニートおじさんとピエルトさんとパールさんね」
「……ピエルトも呼ぶものか?」
「招待状余るし」
余り物を与えられるピエルトであった。
「まあ、ベニートよりもピエルトの方が物分かりはいいが。今度の幹部会で時間があるか聞いてみるとしよう。ベニートについては間違いなく、時間を作ってくるだろう」
「私がメイド服でご奉仕するって言ったら誰でも来るよ」
「その自信はどこから湧いてきてるんだ」
自信満々なクラリッサである。
「アーチェリー部でも出し物をするんだろう? そっちはどうなんだ?」
「んー。微妙。あんまり面白くはないかも。大会の方が盛り上がったと思う」
「お前の成績凄かったもんな」
クラリッサは初等部5年生の時から代表入りして大会に出場していたのだが、大会新記録を更新し続け、瞬く間にエースになった。筋肉だけの娘ではないのだ。何故かこういうことには手先の器用さを発揮する娘なのだ。
大会にはベニートおじさんたちも招かれていたが、対抗選手を脅迫しようとしたり、クラリッサが得点を獲得するたびに大きすぎる大歓声を上げたために、大会の途中で強制退場になってしまった。リーチオがベニートおじさんを文化祭に招くのに消極的だったのは、まあそういう前科があるからである。
「だから、喫茶店がメイン。アーチェリー部は割とどうでもいい」
「ベニートはああ見えて甘党だからな。甘い菓子があると喜ぶだろう」
「ばっちり。甘いものが苦手なお客さん用にチョコレートもあるよ」
「準備万端だな。期待させてもらおうか」
リーチオはそう告げて、3枚の文化祭の招待状を大切に引き出しにしまう。
「それじゃあ、パパ。忘れずにベニートおじさんたちを呼んでね。私はパールさんに来てもらえないかどうか頼んでみるから」
「おう。……なんかもうお前が娼館に行くことに慣れてしまったな……」
頑張れ、リーチオさん。娘と一緒に文化祭を回るにはパールさんの助力が必要だ。
……………………
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翌日、クラリッサはファビオの護衛付きで宝石館を訪れた。
「こんちは、サファイア」
「あら、こんにちは、クラリッサちゃん」
いつもものように玄関からすぐ入った部屋でクラリッサがサファイアに挨拶する。
「今日はどうしたの? そういえば文化祭の時期だったわよね。そのお誘い?」
「その通り。パールさんに来てほしいと思って。今回、うちのクラスは執事・メイド喫茶をするんだよ。私がメイド服でお茶を入れたりするの。興味あるでしょ?」
「あるある! クラリッサちゃんならきっとメイド服も似合うわよ。実をいうと常連のお客さんから招待状をもらっているからお邪魔しちゃおうかな?」
「大歓迎。いつももてなされているから今度は私がもてなすよ」
サファイアも王立ティアマト学園に子弟を通わせている貴族の客から招待状を受け取っており、そのことで王立ティアマト学園の文化祭に行くことができるようになっていた。若くして妻を亡くした男性からのもので、当日は一緒に見て回ることを約束しているそうだ。高級娼婦という身分は隠すが、この宝石館の貴族の顧客率からみるに、サファイアを見て気づく人間は少なくないだろう。
「クラリッサちゃんのクラスは6年A組よね。見に行くわ」
「ありがとう。それで、パールさんは?」
クラリッサがきょろきょろと周囲を見渡す。
「今接客中なの」
「な。こんな時間から娼館に入り浸るダメな大人の相手を?」
「いやいや。お客じゃないの。クラリッサちゃんにも少し関係があるかしら」
サファイアはちょっと困った表情でそう告げる。
「リーチオさんはファビオさんについて何か言っていた?」
「何も。ファビオが関係あるの?」
「そうなの。でも、リーチオさんが話してないならまだ話せないわね」
「気になる」
クラリッサはファビオがパールとどう関係しているのか知りたがっているが、その好奇心を受け流す大人の余裕がサファイアにはあったぞ。
「あら。クラリッサちゃん。いらっしゃい」
そんなやり取りをしていたら、階段からパールが下りてきた。
──執事服の人物を連れて。
「こんにちは、パールさん。そっちの人は誰?」
「そうね。新しい用心棒の人よ」
クラリッサが早速尋ねるのに、パールがそう告げて返した。
「君、名前は?」
執事服の人物はハーフエルフで、顔立ちが中性的でイケメンとも美少女ともとれる。背丈はクラリッサより頭ふたつは大きく、その執事服は新品ピカピカであった。そして、何より背筋がピンとしている。まるで軍人のようだ。
「シャノン・スターリング軍曹であります! あ、いや、違った。今はただのシャノン・スターリングであります!」
シャノンと名乗った人物はよく通る声でそう告げた。
「そうか。よろしく、シャノン。私はクラリッサ・リベラトーレ」
「よろしくであります!」
クラリッサが手を差し出すのに、シャノンが手袋に覆われた手を差し出した。
「……? ひょっとして義手?」
「分かるでありますか? まあ、冷たいですからね。東部戦線に6年間従軍していて、その時に腕が吹っ飛んだんであります。それからは傷痍軍人として軍から叩き出されたであります。リーチオ様には用心棒として拾っていただき、こんな立派な義手まで与えてくださって感謝しているであります」
そう告げてシャノンが手袋を外す。
手袋の下は金属と木材でできた手になっていた。魔術で神経連動させてあるのか、動きはスムーズでぎこちなさは欠片もない。
「大変だったね。用心棒、頑張って」
「はいであります、リベラトーレの御令嬢。今はこの宝石館に勤めるに当たっての行儀作法について学んでいるのですが、これが結構大変でありますよ」
クラリッサが頷くのに、シャノンはそう告げて返した。
「私も礼儀作法はよく分からないところがある。仲間だね」
「リベラトーレの御令嬢はしっかりされているでありますよ。自分は軍隊時代の癖が抜けないであります。もう軍人でも何でもないというのに……」
クラリッサは一応家庭教師やパールから礼儀作法を教わっているぞ。
「でも、用心棒になんて礼儀作法がいるの? くだらないことで騒ぐ客がいたら外に連れ出して、ちょっと怖い目に遭わせるだけでいいんだよ?」
「え? そうなのでありますか?」
そこでシャノンがパールを見る。
「さて、シャノン君は少し休憩していいわよ。私はクラリッサちゃんと話があるから」
「了解であります」
シャノンは軍人式に頭を下げると退室していった。
「さて、クラリッサちゃん。今日の用事は何かしら?」
「文化祭。今度、うちの学園で文化祭があるのは知ってる?」
「あら。もうそんな季節なのね」
クラリッサが告げるのに、パールがそう返す。
「そう、そんな時期。パールさんにも文化祭に来てもらいたい」
「まあ、これまでは呼んでくれなかったのに?」
「これまではお化け屋敷という退廃的かつ自堕落な催し物しかしてこなかったから。けど、今年は執事・メイド喫茶という建設的な催し物をするんだ。だから、パールさんにも見に来てほしい。私がメイド姿でご奉仕するよ」
「あらあら。可愛らしい催し物なのね。それは行かなくてはいけないかしら」
「来て。絶対来て」
クラリッサはそう告げてパールに招待状を差しだす。
「確か招待状はひとり4枚だったわよね。ひとりはリーチオさんとして、他のふたりは誰を招待することにしたのかしら?」
「ベニートおじさんとピエルトさん。パパはこのふたりには見張りがいないといけないっていうんだよ。ベニートおじさんは礼儀正しい人なのに。酷いと思わない?」
果たして馬の首を投げ込んだり、敵対組織の構成員の指を犬に食わせる人物を礼儀正しいといっていいのだろうか。かなり疑問である。
「リーチオさんはクラリッサちゃんのことを思っているのよ。もし、ベニートおじさんたちが学園内で問題を起こしたら、それは招待したクラリッサちゃんの責任になっちゃうでしょう。ベニートさんたちも堅気の方ではないから常識は違うし、リーチオさんは用心されているのよ。全部、クラリッサちゃんのためにね」
「なるほど。パパは私のことを思っていてくれたんだね。嬉しい」
パールが告げるのにクラリッサが納得したというように手を叩く。
「親というものはいつだって子供のことを考えているものよ。それにクラリッサちゃんはひとりっ子だもの。それはもうとても可愛がられているわよ」
「それにしてはパパはあれはダメ、これはダメと私を縛る……」
「それも愛情のうちよ。子供のことを親はいつだって心配してるの。クラリッサちゃんは特に恐れ知らずでびっくりさせられることがあるから、リーチオさんも用心なさっているのよ。クラリッサちゃんも少しは自覚があるでしょう?」
「うーん。ない」
「もう少し自分を振り返った方がいいわよ、クラリッサちゃん」
クラリッサ、王太子と決闘したり、馬の首を机に置いたり、友達を取り戻しにフランク王国に乗り込んだり、名状しがたい生き物を飼ったりするのは普通じゃないぞ。大抵の大人がぎょっとすることだぞ。
「それにしてもパパ、ママのことを愛しているからパールさんは誘い難いんだって。パパとパールさんは友達だから関係ないと思うけどな」
「そうね。けど、周囲の人はどうみるか分からないから。そこら辺を徹底しているリーチオさんのことは私は好きよ。自分が死んだ後も愛されるなんて、なかなか難しいことですもの。リーチオさんは立派な方ね」
「うん。パパは立派だよ。世界一のパパだもん」
パールが告げるのに、クラリッサが自慢げに返した。
「それじゃ、文化祭には喜んで招待されるわね。楽しみにしてるわ」
「お楽しみにね」
パールは招待状を受け取り、クラリッサは去った。
これで、後はベニートおじさんたちがきてくれれば完璧だ。
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