娘は海を楽しみたい
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──娘は海を楽しみたい
夏といえば海。海といえば夏。
そんなこんなで王立ティアマト学園初等部3年の生徒たちは夏の合宿で、海にやってきたぞ。既に海では勉強のノルマを終えた生徒たちが戯れている。
「フィオナ嬢。その水着、よく似合っているよ」
「ありがとうございます、殿下」
ジョン王太子とフィオナもすっかり仲直りしている。
「海だ」
「海だね」
クラリッサが告げるのに、サンドラが繰り返す。
「よし。遊ぼう。思いっきり」
「そうだね。遊ぼう!」
クラリッサとサンドラが海辺に駆けだす。
「おいおい。置いていかないでくれよ。今日はこんなものだって持ってきたんだから」
そして、遅れてウィレミナがやってきた。
彼女の手にはビーチボールが。
「おお。ナイスアイテム。今日はそれで遊ぼう」
「オッケー! いくぜっ!」
ウィレミナがクラリッサに向けてビーチボールをパスする。
「とう」
クラリッサは飛んできたビーチボールをレシーブして、サンドラにパス。
「え、えい!」
サンドラはそれをキャッチするとウィレミナに向けて投げた。
「クラリッサさん。皆さん、楽しそうですわね。私も混ぜてくださいませんか?」
「もちろん。いいよ、いいよ」
そして、その様子を見ていたフィオナが加わる。
「私にもそのボールを顔面にい!」
「……普通に遊ぶなら仲間に入れてあげる」
そして、その様子を見ていたヘザーが加わる。
女子たちはキャッキャッウフフしながら、海辺でボール遊びに興じていた。
「……あそこ、美少女濃度高くね?」
「高いな」
そんな様子を眺めている男子生徒たち。
フィオナは真っ白な肌とふわふわのブロンドの髪が美しい。ヘザーは口さえ閉じていれば美少女として通じる。ウィレミナは引き締まった肉体と褐色の肌という健康的な美しさ。サンドラは小動物的な可愛さ。クラリッサは言うまでもなく銀髪の美少女。
「ちなみに、誰がいい?」
「……クラリッサ嬢かな」
「あ、こいつ、エロだ。エロ野郎」
「なんでだよ! じゃあ、誰もよくない!」
「お前、ホモかよ」
「どうしろって言うんだ!」
初等部男子生徒たちの世界は理不尽なのである。
「王太子殿下ー。遊ばない?」
「う、うむ。何をして遊ぶ?」
男子生徒は男子生徒たちでつるむ。ジョン王太子も婚約者のフィオナと遊びたかったけれど、あの女子の中に男子がひとりで入っていくことはできなかったのである。王族と言えど、初等部3年生というのはそういうものなのである。
「そうっすねー。殿下、泳ぐの得意です?」
「まあ、それなりはね。いろいろと教育を受けてきたから」
「なら、競争しません? あそこの岩のところまで」
男子生徒のひとりがそう提案して、海辺から25メートルほどの位置にある岩を指さす。ちょうどいい感じの目標だ。
「いいだろう。受けてたとう。位置につきたまえ」
「よっしゃ! ここは勝ちを狙っていきますよ!」
男子生徒たちが盛り上がり始め、その様子にクラリッサたちも気づく。
「何してるんだろ?」
「んー。何か競争するっぽいね。ジョン王太子と男子何名かで」
クラリッサが首を傾げるのに、ウィレミナがジョン王士たちの方を覗きながら告げる。既に野次馬の輪ができ始めており、ウィレミナのところからではよく見えない。
「クラリッサちゃんは泳ぐの得意?」
「私に不可能はないよ」
「よし。なら、こっちでも競争しない? このビーチボールを沖に投げて、最初にゲットした人の勝ちってことで」
「いいね。いくら賭ける?」
「賭け事はしません」
ナチュラルにギャンブルをしようとするクラリッサである。
「フィオナさんとヘザーさんもやります?」
そこでウィレミナがフィオナたちに確認を取る。
「ええ。是非とも参加させてくださいまし」
「ドベの人には何かしらの罰ゲームを……」
ふたりは誘いに乗った。
「サンドラももちろん参加するよね?」
「もちろん。頑張っちゃうよ!」
サンドラはこの夏の合宿で一番元気かもしれない。
「じゃあ、あたしがボール投げるから着水と同時にスタートね」
「了解」
サンドラがビーチボールを構えるのにクラリッサたちが位置につく。
「ていっ!」
そして、ウィレミナが思いっきりビーチボールを投げた。
「ゴーゴー!」
「おりゃ!」
ビーチボールは沖合15メートル付近に着水し、ぷかりと浮かぶ。
それを合図にクラリッサたちが沖合に向けて泳ぎ始めた。
トップを進むのはやはりクラリッサ。それに追いすがるようにウィレミナが続く。それからはサンドラ、フィオナ、ヘザーの順だ。
クラリッサは優雅なフォームのクロールでボールに迫る。それをウィレミナ、サンドラ、フィオナが同じくクロールで追う。ヘザーはひとりだけ平泳ぎだ。それも遅い。
「ホイ、キャッチ」
そして、クラリッサはトップをキープしたままビーチボールをキャッチした。
「ちぇっ。クラリッサちゃんには敵わないかー」
「ウィレミナもなかなか善戦してたよ」
ウィレミナが悔しそうにそう告げるのに、クラリッサがそう告げて返した。
「じゃあ、帰りも競争する?」
「いいね。やろうやろう」
サンドラがそう尋ねるのに、ウィレミナが乗り気になった。
サンドラの体が急に水の中に消えたのは次の瞬間だ。
「サンドラ?」
「どしたの?」
クラリッサが怪訝そうにサンドラがいた方を見て、ウィレミナが首を傾げる。
「嫌な予感がする。ウィレミナたちは先に上がって、先生たちを呼んできて。私はサンドラを探してくる」
「了解。フィオナさん、ヘザーさん。急ごう」
クラリッサが素早く告げるのにウィレミナが応じた。
クラリッサは大きく息を吸い、海中に潜る。
次の瞬間、クラリッサの眼前に現れたのは巨大なイカであった。クラーケン──にしては小さい。クラーケンの幼体というところだろう。
そして、そのクラーケンの触手がサンドラの足を掴み、海底に引きずり込もうとしていた。サンドラは必死にもがいているが、クラーケンの触手が外れる様子はない。
(今から先生たちを呼んできても10分以上かかる。ここは私がどうにかするしかないか。水中戦は初めてだけれど、どうにかなる)
クラリッサは素早く判断を下すと、クラーケンを追って海底に進み、サンドラに向けて進んでいく。サンドラはクラリッサに気づき、助けてくれという風に手を振っていた。
今は海面下5メートル程度。これ以上引きずり込まれると不味い。
クラリッサは水中で魔力を凝集させる。
初等部1年生のころから習っていた全力で魔力を叩き込むという行為。日頃の学習の成果を今、見せる時がやってきた。
魔力が体内から吸い出されるようにして凝集し、それが金属の槍を形成する。
狙いは慎重に。
クラーケンは海中では自由自在に動ける。そして、その触手にはサンドラが捕まっている。下手に狙いを外すことは、親友の命を失うことを意味する。慎重に、慎重に、だが迅速にクラリッサは金属の槍の狙いを定める。
そして、クラリッサは槍を放った。
金属の槍は魚雷のように水をかき分けて瞬く間にクラーケンに迫る。クラーケンは回避行動を取ろうとしたが遅すぎた。
金属の槍はクラーケンに命中し、そのまま体内で爆ぜる。クラーケンの青い血液と臓物が周囲に飛び散り、クラーケンは海底に向けてゆっくりと沈んでいった。
そこでクラリッサが一気にサンドラの下まで潜っていく。
サンドラは意識を失っている。不味い兆候だ。
クラリッサはサンドラを抱えて、海面に上がり、そのまま岸まで泳いでいく。
「クラリッサさん! 今、ウィレミナさんが先生を呼びに行かれましたわ!」
「分かった。でも、少し遅い」
クラリッサはサンドラが呼吸していないことに気づいた。
「フィオナ。手伝って。心肺蘇生をする」
「は、はい。何をすればいいんですか?」
「まずは私が人工呼吸をする。それから胸骨圧迫を。私ひとりだけでできるかどうか分からないから、そこにいて」
「分かりましたわ」
フィオナが頷き、クラリッサは行動に移る。
クラリッサはサンドラの頭をやや反らせ、彼女の喉を広げて気道確保を行うと、サンドラの鼻をつまみ、サンドラの口に自分の口を重ねた。
「ク、クラリッサさん。何を……」
フィオナの問いには答えずクラリッサはサンドラの肺に空気を送り込む。そして、口を離すと息が漏れるのを確認してから、もう一度人工呼吸を行う。クラリッサは淡々と、だが正確にサンドラの心肺蘇生を続ける。
「続いて胸骨圧迫。これで生き返ってくれるといいんだけど」
そう告げてクラリッサはサンドラの胸を押して、心臓マッサージを試みる。これで血流が循環し、肺が空気を吸って、サンドラが自分で呼吸ができるようになることを願う。
「げほっ」
サンドラが海水を吐き出して自分で呼吸を始めたのは、次の瞬間だった。
「サンドラ。大丈夫? 起き上がらなくていいよ。横向きになって、水を吐き出して」
「う、うん」
クラリッサはサンドラの動きを手伝い、サンドラを横向けにするとサンドラが海水を吐き出すのをサポートした。海水はすぐに肺から抜け、サンドラの呼吸も安定する。
「凄いですわ、クラリッサさん。どこでこんなこと覚えられましたの?」
「昔から怪我人の治療はよくしてたから。そこで覚えた。それから医者の知り合いに習って、いろいろと教わった。それだけだよ。大したことじゃない」
「そんなことありませんわ! サンドラさんは死にかかっていたのに、それを生き返らせるだなんて、凄いことですわ! クラリッサさんは本当に博識で、行動力のある方なのですね。私、感動してしまいましたわ」
クラリッサは昔からリベラトーレ・ファミリーの抗争に顔を出しては、負傷者の手当てなどをこっそりしていたのだ。それからリベラトーレ・ファミリーのお抱えの闇医者──抗争などで負傷したときに都市警察などの治安機関に報告しないで治療してくれる医者のことだ──に応急手当についていろいろと教わっていた。そのおかげで、包帯の巻き方から腹部を刺された時の応急手当までできるようになったぞ。
「クラリッサちゃん! 先生たちが来たよ!」
サンドラが海水を吐き出し終えていたときに、表情を青ざめさせた教師たちがやってきた。貴族を預かる学校で、死人でも出てしまっては、責任問題どころの騒ぎではない。
「もう大丈夫。一応保健室に運んで温めてあげて」
「は、はい」
担当教師はサンドラをゆっくりと抱きかかえると他の教師と一緒にサンドラを保健室に連れていく。まあ、今は自発呼吸も行われているし、少し体を温めて、血流の巡りを回復させるだけでいいだろう。
「それからクラーケンの幼体が忍び込んでいた。湾の魔物除け網に穴が開いている可能性があるから、生徒たちを海から上げた方がいいよ。あれ一体とは思えない」
「分かりました。すぐに生徒たちを海から上がらせましょう」
残った教師にクラリッサが告げるのに、その教師は頷き、生徒たちに海から上がるように告げて回った。ジョン王太子たちも異変に気付いて、海から上がっていく。
魔物除け網というのは海水浴場を保護するサメ除けネットのようなもので、クラーケンだったり、マーマンだったりの海洋の魔物の侵入を阻止し、安全な海水浴ができるようにするためのものである。だが、どうやらそれが機能していないようだ。
「クラリッサちゃん。何というか慣れていらっしゃる?」
「この程度のことで取り乱してたらやっていけないから。けど、サンドラは心配」
マフィアの子は肝も太いのだ。
「確かにサンドラさんも心配ですわ。何もないといいのですけれど。それにしても本当にクラリッサさんは冷静で、的確で、格好良かったですわ!」
「ありがとう、フィオナ。けど、これぐらいはできないといけないんだ」
クラリッサは既に刺したり刺されたり、弾丸が飛び交ったりする抗争に参加する自分の姿を想像しているぞ。けど、リーチオには内緒にしておこう。
「お嬢様!」
そんなことをクラリッサがしていたら、ファビオが慌ててやってきた。
「お嬢様、お怪我は!?」
「ないよ。けど、ほら、やっぱり魔物に襲われてたりしたでしょ? ファビオ、パパにこのことちゃんと報告しておいてね。やっぱり武器は必要だって」
「……全くお怪我などないようで安心しました」
ファビオは明日からはクラリッサに常に同行しようと心に決めたのだった。
「はあ。クラリッサさん、本当に素敵な方……」
「はあ。私も海底に沈められてみたかったですよう……」
そして、欲望がだだ洩れになっているふたりである。
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