娘は署名を提出したい
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──娘は署名を提出したい
ウィレミナの面接の練習が続ている中、放課後はクラリッサたちの署名活動も行われていた。当初はクラリッサ、ウィレミナ、サンドラだけだった活動員も今では学園中に広がって、時間のある高等部1、2年生や中等部の生徒が手伝ってくれている。
そして、かなりの署名が集まった!
「署名。70万人分だ」
「凄いね」
どっさりと積みあがった署名を見て、クラリッサとサンドラがそう告げる。
「問題はこれをどこに提出するかだな」
「それ、考えてなかったの……?」
「全く考えてなかった。どこに提出すればいいんだろう。市議会? いや、国会?」
クラリッサの署名の行方は如何に。
「首相に直接渡すっていうのは?」
「なるほど。いいね」
サンドラの提案にクラリッサがグッとサムズアップする。
「それじゃあ、早速首相に会いに行こう」
「会いに行こうって、そう簡単に会える相手じゃないよ。そもそも私たちは所詮は男爵家の次女とかで、クラリッサちゃんに至っては平民でしょ? 首相がまともに取り合ってくれるとは思えないよ」
「む。階級差別とはけしからん首相だ」
「政治家の人ってそういうものだよ」
アルビオン王国では首相も貴族なのだ。
「フィオナさんに頼んでみたら?」
ここでウィレミナがアイディア投入。
「フィオナさん。公爵家のひとり娘でしょ? その子の願いとあっては首相も無視できないはずだよ。ジョン王太子が一番いいんだけど、この前逃げたし、期待はできない」
「ふむ。フィオナに聞いてみる」
クラリッサはきょろきょろと教室を見渡し、フィオナを発見すると近寄っていった。
「フィオナ、フィオナ。首相に伝手ってある?」
「首相閣下ですか? 確かにうちのパーティーにはよくいらしていたようですけれど」
「なら、いけるね」
「?」
何がいけるのか説明しないと分からないぞ。
「この間からずっと署名を集めてたんだよ。それを首相に渡そうと思うんだけど、私たちは首相に伝手がないから門前払いされちゃうと思って。よければフィオナが渡してくれないかな? なんなら首相にアポを取るだけでもいいから」
「そういうことでしたらお父様に頼んでみますわ。明後日以降にはアポが取れるかと思います。取れたらご連絡しますね」
「よろしく、フィオナ」
というわけで首相に渡す段取りは取れた。
「さて、フィオナのおかげで首相には渡せそうになっている」
「いいじゃん。問題なしだな」
「それがあるのだ」
クラリッサは深刻な表情をしてそう告げた。
「首相が所詮は子供が集めたものだからと、署名を破棄する恐れがある」
「ええー……。首相ってそこまで外道かな……?」
「権力者は汚い」
「確かに生徒会の時のクラリッサちゃんは汚かった」
「おい」
クラリッサ。否定はできないぞ。
「というわけで、確かに署名を渡したということを確認してもらう人間が必要だ。私たちが署名を首相に渡したということをニュースとして発信してもらい、アルビオン王国の全国民が知るようにに仕向けなければならない」
「新聞部に取材してもらうの?」
「新聞部風情じゃごまかされるよ。ここはロンディニウムで最高級の新聞社ロンディニウム・タイムスに動いてもらおうじゃないか」
「はあ。大きく出たね」
サンドラが呆れたような態度でクラリッサを見る。
「ロンディニウム・タイムスだって急には動いてくれないよ?」
「そっちは私にコネがあるから大丈夫。腕のいい記者を引っ張ってくるよ」
「クラリッサちゃんとかかわりのある記者……」
この時点でサンドラたちはその記者とは碌でもない人間だと当たりをつけたぞ。
「それじゃあ、フィオナからの連絡を待とう。その間、この大切な署名を保存しておかないといけないよ。サンドラ、持っておいてくれる?」
「わ、私じゃ荷が重すぎるよ」
「そうか。なら、カジノ部の部室の金庫に仕舞っておくしかないな」
「カジノ部。金庫あるんだー……」
カジノ部はいろいろと貴重品を保存するために金庫が設置されているのである。中身は部外秘であり、フェリクスとクラリッサ以外開ける方法すら知らない。
「それでは各自、フィオナからの連絡が来るまで待機。フィオナから連絡が来たら、気合を入れて渡しに行くよ。世紀の瞬間はロンディニウム・タイムスが取材するから、それにも備えておいてね」
「本当にロンディニウム・タイムスが来てくれるのかな……」
不安な点は残れど、クラリッサたちの作戦方針は決まったのだった。
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「パパ、パパ」
「どうした、クラリッサ」
放課後、クラリッサが帰宅してリーチオに話しかけるのに、リーチオが怪訝そうな顔をしてクラリッサの方を向いた。
「今度、首相に署名を渡すんだ。だから、ロンディニウム・タイムスの記者の人をその時の現場に呼んでほしい」
「署名? 何の署名だ?」
「魔王軍との講和を政府に求める署名」
「講和を求める……」
リーチオは碌でもないことだろうと思ったのだが、帰ってきたのは意外な答えだった。魔王軍との講和をすることを政府に求める署名。それはリーチオがやろうとしている魔王軍との講和の仲介にも関係することだ。
「誰かに頼まれたのか?」
最初にリーチオが考えたのはロンディニウムに潜伏している魔王軍の誰かがクラリッサのことを利用しているということだった。
「いいや。自分たちで考えたよ」
クラリッサはグッとサムズアップして自信満々にそう答えた。
「そうか。お前も大人になったな」
「それほどでも」
リーチオがクラリッサの頭を撫でてやるのに、クラリッサがテレテレした。
「しかし、どうしてロンディニウム・タイムスの記者が必要なんだ?」
「私たちは首相に署名を渡すわけだけれど、権力者は汚いから子供の署名なんぞと思って捨てちゃうかもしれない。そうならないようにロンディニウム・タイムスの記者に渡す現場を取材してもらって、アルビオン王国の全国民が私たちが首相に署名を渡したことを知っておいてもらうの」
「なるほど。確かに子供の署名だと侮られそうだな」
リーチオはこれはいい機会だと思った。
クラリッサたちが署名を提出し平和を望んでいることをアピールすれば、国民の中にもそろそろ戦争を終わらせようという機運が生じる。首相が阿呆でなければ、この機運に対応しなければならないと分かるだろう。
そこでリーチオが魔王軍との講和を仲介すれば。
「分かった。ロンディニウム・タイムスの記者を派遣するように手配しよう。署名は大体何人分集まったんだ?」
「70万人分。凄いでしょ」
「凄いぞ。よく頑張ったな。勉強も忙しかっただろうに」
「へへっ。何と言ってもパパの娘だからね」
70万人分の署名なら首相も無視はできまい。
「シャロン。ファビオかピエルトを呼んでくれ。ロンディニウム・タイムスを動かしたい。準備させるために一度俺の屋敷に」
「畏まりました、リーチオ様」
シャロンは頭を下げると、即座に外に飛び出ていった。流石元軍人だ。命令された速攻で実行する。
「しかし、まず首相にアポを取らんといかんな」
「それはフィオナがやってくれてる。首相はパーティーにも来る仲だって」
「そうか。流石は公爵家だな」
「うん。流石公爵家だよ。それとフィオナが私たちの活動に理解を示してくれてよかった。ジョン王太子はなんだかんだいいながら逃げたもん」
「まあ、王太子はな。王室はあまり政治に口出すと貴族たちに嫌がられるから仕方ない。今の王室は権力も制限されている」
「だとしても、ちょっとは手伝うべきだった」
クラリッサはおこです。
「お前たちだけでも70万も署名が集められたんだからいいじゃないか。お前たちは頑張った。偉いぞ、クラリッサ」
「ありがと、パパ」
こうしてロンディニウム・タイムスを動かす準備も整った。
後は首相に署名を手渡すだけだ。
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フィオナから首相とアポが取れたという連絡が来たのは4日後。凄い早い。
「淑女諸君。首相の前だからお行儀よくするんだよ」
「クラリッサちゃんにそれを言われたらお終いだよ」
クラリッサはサンドラたちを乗せた馬車の中で宣言する。
「私は完璧な淑女だし」
「どこがどう完璧なんだ……。今にも首相にため口ききそうだぞ」
クラリッサは謎の自信にあふれていた。
「で、誰が署名渡す?」
「フィオナがよくない? カメラで撮影するわけだし、映えると思うよ」
そう告げてクラリッサはフィオナを見た。
「もう、クラリッサさんったら。そんなことはないですよ。署名活動を最初に始められたのはクラリッサさんたちなわけですし、クラリッサさんが渡すべきですわ。その権利はクラリッサさんたちにあります」
フィオナはクラリッサにそう告げた。
「よし。分かった。そこまで言われたら私が渡そう。思わぬ行動で首相の度肝を抜いてやろうではないか」
「クラリッサちゃん? 淑女、淑女だからね?」
首相ドッキリパーティーに来たんじゃないんだぞ、クラリッサ。
「まあ、首相は驚くと思うよ。だって高校生が政府に魔王軍との講和を求める署名を集めるだなんて、思いもしないだろうし」
「うむ。一つの矢も三つ束ねると三連射とは言ったものだ」
「それ、どういう意味なので?」
遠い国のことわざを豪快に間違えるクラリッサであった。
と、そんなことをしているうちに馬車はダウニング街に到着した。
「ここが首相官邸のある場所か」
「緊張するね」
ダウニング街の入口にはゲートが設置され、武装した都市警察の警察官が警備している。魔王軍のアルビオン王国侵入の可能性を受けてから、ダウニング街は警備されることとなっていた。魔族の中でも強力な人狼や上級吸血鬼の侵入に備えて、警察官は最新式の魔道式小銃を装備している。
「ヘイ! 首相にアポがあるんだけど」
「首相に? 本当かね?」
クラリッサが警察官に声をかけるのに警察官がいぶかしんだ。
「本当ですわ。フィッツロイ家からのものだといっていただければ通じるかと思います。ご確認をお願いできますか?」
「それではしばしお待ちを」
警察官のひとりは確認に向かった。
「確認が取れた。アポはある。通していい」
「どうぞ。お通りください」
武装した警察官たちがゲートを開く。
「ロンディニウム・タイムスの記者さんは?」
「そこでスタンバってる」
サンドラが尋ねるのにクラリッサが首相官邸前を指さす。
そこにいたのはカメラを持ったカメラマンと記者のふたり。
記者の名はブレンダン・バーンスタインという。そろそろ現場仕事からは上がってもいい年齢だろうが、今回は特ダネということで自ら志願して現場にやってきた。……ということになっている。
実際はリベラトーレ・ファミリーに弱みを握られており、逆らえないためにこの現場にやってきたという次第だ。だが、特ダネの臭いは感じているぞ。
「首相ってどう呼べばいいの? 『ヘイ、首相! 会いに来たぜ!』でいいかな?」
「ダメに決まってるじゃん。普通に目上の人に接するようにして」
首相官邸前にやってきてそんな言葉を交わす、クラリッサとウィレミナである。
「首相閣下。いらっしゃいますか?」
クラリッサはそう告げてドアをノックした。
「やあ。君がクラリッサ・リベラトーレ君かね」
首相はブラッドリー・バルフォア。やせ形の長身で知的な風貌をしている。
「こんにちは、首相閣下。この度はお会いいただきありがとうございます」
「ああ。会えてうれしいよ。それで用件はなんだったかな?」
ブラッドリーは用件を知っているのにとぼけたふりをした。
「この署名を提出するためです」
クラリッサはずっしりとした70万人分の署名をブラッドリーに差し出した。
「これは君たちが?」
「はい。私たちが集めました」
「頑張ったね」
ブラッドリーは保守党の所属ながら、女性の参政権に賛成の立場だった。ここ最近は女性の立場も向上しているし、不足している労働力を補っている。そうであるがために、女性にも参政権を与えようという考えの持ち主だった。
そのためクラリッサたちは女の子だからと言って無下にはしなかった。
「これを受け取ってください」
「ああ。分かった。確かに預かろう」
その時にカメラのフラッシュが瞬いた。
「首相。国民から講和を求める声が上がっていることについてコメントをお願いします。政府はこれから講和を視野に入れて、魔王軍との戦いを進めるのでしょうか?」
「政府は常に戦争を終わらせることを考えてきた。そのことに変わりはない。国民の声は真摯に受け止め、これからの政策に反省させていくつもりだ」
「つまり魔王軍との講和はあり得ると?」
「ありえる。すぐにではないが」
ブラッドリーはそうとだけ告げて官邸に戻った。
「首相に何を望みますか?」
インタビューはクラリッサの方にもやってきた。
「魔王軍との徹底的な和平を望みます。二度と互いが衝突しないように」
クラリッサはそう答えたものの、その答えに応じられるかどうかは首相次第だった。
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