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娘は署名を集めたい

……………………


 ──娘は署名を集めたい



 クラリッサたちは自分たちの思いついた政府に講和を求める署名集めの活動を始めた。放課後に王立ティアマト学園の前に繰り出し、署名を求める。


「魔王軍との講和を政府に求める署名への協力をお願いしまーす」


「お願いしまーす」


 クラリッサ、サンドラ、ウィレミナが呼びかけるのに道行く生徒たちが反応する。


「魔王軍との講和?」


「なんだそりゃ?」


 生徒たちは首を傾げて、クラリッサたちの活動を見る。


「魔王軍との戦争によって毎日100人の命が失われています。その100人には妻がいて、子供がいて、家族がいます。戦争を終わらせなければ、人的にも経済的にも、アルビオン王国は破綻してしまいます。今こそ政府に魔王軍との講和を求めましょう」


 クラリッサがそう告げて、生徒たちが唸る。


「署名するよ」


「ありがとう」


 生徒のひとりがクラリッサの意見に賛同して署名した。


「私の兄が出兵しているの。予備士官としてだけど。早く帰って来てほしいから署名するわ。いつ死ぬか分からないんだもの」


「うん。戦争を終わらせてもらおう」


 生徒のひとりがそう告げて署名する。


 それから次々に署名に人が集まる。


 クラリッサが魅力的で愉快な生徒会長だったということもあろうが、クラリッサたちの訴えかけが心に響いたのも事実だ。この王立ティアマト学園でも自分たちの家族が東部戦線に出兵しているという生徒は少なくない。むしろ、貴族であるからこそ、率先して戦場に向かわねばならず、聖ルシファー学園と比較すれば比率にして倍近い数の親兄弟が出兵しているとされる。


 そんな状況の生徒たちが魔王軍との戦争を終わらせることに賛同するのも当然だった。彼らは参政権こそないものの、どこかで自分たちの意見を反映させてくれる機会を待ち望んでいたのである。


 署名には次第に列ができ始め、通りが通行できないほど混雑する。


「失礼! 失礼!」


 そして、署名を受け付けるクラリッサたちに聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「クラリッサ嬢! 何をしているんだね?」


「魔王軍との講和をを政府に求める署名」


 ジョン王太子である。またクラリッサがよからぬことをしているのだろうと思って、慌てて見に来たというところだ。


「ま、魔王軍との講和を政府に求める署名?」


「そうだよ。ジョン王太子も署名して、手伝ってよ」


「い、いや。今のアルビオン王室は『君臨するとも統治せず』で政治にはあまり関わってはいけないとの決まりが……」


「いいから、署名して手伝って」


「分かったよ……」


 クラリッサの有無を言わせぬ態度にジョン王太子が折れた。


「しかしだね、クラリッサ嬢。我が国だけが勝手に魔王軍と講和して、戦争から抜けるわけにはいかないのだよ。我々にはクラクス王国を始めとする同盟国があり、その同盟国を見捨てるわけにはいかないのだからね?」


「そんなのアルビオン王国が講和したら、他の国も講和せざるを得なくなるだけじゃん。まず私たちが講和の姿勢を見せることによって、他の国にもそれに続いてもらう」


「そんな自分勝手な……」


「自分勝手じゃないよ。一種の戦略だ」


 アルビオン王国は対魔王軍の軍事同盟として大陸諸国と同盟している。あくまで対魔王軍に限定した軍事同盟であり、アルビオン王国は戦争が終われば、また『栄光ある孤立』の状態に戻るつもりだ。それでも、今は同盟のひとりとして義務を果たす必要がある。クラクス王国、スカンディナヴィア王国への財政支援と軍事支援。そのふたつを止めるわけにはいかない。


 だが、クラリッサが訴えかけているように政府が魔王軍との講和に前に向きなれば、それは大陸諸国への裏切りである。大陸諸国からは恨まれることだろう。


 それでも、アルビオン王国が講和に向けて動いたとなれば、他の国もそろそろ重い腰を上げて講和に向かうはずだ。アルビオン王国は今のところ、この戦争の人類側の背骨であり、それが抜けてしまえば大陸諸国は戦い続けられない。


 恐らくブラッドもそう考えてアルビオン王国との講和を求めたに違いない。


「それともジョン王太子は今のままでいいと思ってるの? スカンディナヴィア王国で遠征軍を慰問したときの様子、もう忘れた? もうみんな限界なんだよ」


「それは……確かに」


 遠征軍の兵士たちは明らかに参っていった。日に日に戦友がいなくなっていくという状況に、遠くに家族を残し異国の地で死ぬかもしれない任務に就き続けることに。彼らの精神は限界に近づいていた。


 それなのに戦争は未だに終わる気配がない。権力者たちは行動しようとしない。このまま戦争を続けて、続けて、魔族が絶滅するまで戦争をやろうとしているかのように、講和への意志を示していない。


 魔族に対する不信感とよりよい講和。これが全てだ。


 特に魔族に対する不信感は絶大なものだ。政治家は誰ひとりとして、魔王軍も魔族も信用しようとしていない。人間同士でもフランク王国と北ゲルマニア連邦が険悪な関係にあるのだ。異なる種族である魔族と険悪であってもおかしくはない。


 半世紀に及ぶ戦争の間、和平交渉はおろか、停戦協定すら結ばれたことはなく、最前線にあるスカンディナヴィア王国とクラクス王国は国土が荒れ果て、国家存亡の危機に立たされたことすらあった。


 魔族は絶対に話し合いで物事を解決できない。政治家たちはそう信じている。


 だが、それが違うことはリーチオとブラッド、そしてクラリッサが証明している。


 魔族の血が流れていようとも、話し合いはできるし、それによって物事を解決することもできるのだ。そして、今人類が比較的優位な間に講和しなければ、魔王軍による反撃でまた犠牲を出すか、戦線が元の位置に戻ってしまう。


 そうなれば講和は遠のくばかりだ。


「今は人類側が優位。今のうちに講和して、戦争を終わらせよう。これ以上父親や夫を失ったアルビオン王国の人々を生み出すのは間違っているでしょう?」


「ううむ。それはそうなのだが……。私の立場からは何とも言えない。アルビオン王室は政治に関わらないことで存続を保証されているといってもいいのだ。だから、魔王軍との講和を行うべきとか、そういうことを言ってはダメなのだよ」


「はあ……。とんだチキン野郎だね」


「君という奴は! 君という奴は!」


 王族が政治に口出しせず、貴族を中心とした議会に政治を委ねているというのは民主主義──立憲君主制への一歩なのだ。アルビオン王国国王は外交について宣戦布告と同盟締結の権利を有するが、それについても議会の賛成が必要になる。講和については完全に議会の権限だ。首相が講和交渉を始めるか否かを決める。


「だから、私が君たちをこうして手伝っているのは不味いのだよ。では!」


「あ。逃げた」


 ジョン王太子はすたこらさっさと逃げ出してしまった。


「ジョン王太子のことはこれからチキン野郎と呼んでやろう」


「こらこら。クラリッサさんや。ジョン王太子もいろいろと都合があるわけだし、その点は考えてあげようぜ」


 憤然とするクラリッサにウィレミナがそう告げた。


「ジョン王太子のことで考える必要はない。あれはチキン野郎だ。王太子なら王太子らしく、国民に平穏な暮らしを与えるべきであるのに」


「それはそうなんだろうけどさあ……」


 アルビオン王室が政治に口出ししてはいけないことはウィレミナとて知っている。完全な立憲君主制ではないものの、アルビオン王室の権利は憲法によって部分的に制限されているのだということは授業で習った。


「それより署名集めようぜ。この調子ならかなりの量の署名が集まるはず」


「おうとも」


 クラリッサたちは署名集めを続ける。


「まあ、クラリッサさん。何をなさっていらっしゃるのですか?」


「やあ、フィオナ。政府に魔王軍との講和を求める署名活動だよ。よかったら署名していって。戦争は終わらせるべきだってフィオナも思うでしょう?」


「はい。そう思いますわ。スカンディナヴィア王国に派遣されていた遠征軍の将兵の皆さんは本当に疲れ果てていましたもの」


 フィオナはそう告げて署名をした。


「私も手伝わせてもらってもいいですか?」


「もちろん。チキン野郎はさっさと逃げたから、フィオナのような勇気ある女性は歓迎するよ。一緒に頑張ろう」


「はて。チキン野郎……?」


 まさか自分の婚約者のことだとは夢にも思っていないフィオナだ。


「署名お願いしまーす」


「魔王軍との講和を政府に求める署名をお願いしまーす」


 クラリッサたちは署名活動を続ける。


「なにやってんだ、クラリッサ?」


「政府に魔王軍との講和を求める署名活動」


 フェリクスが怪訝そうにクラリッサの前まできて、クラリッサはそう告げた。


「へー。お前はそういうのには興味がないかと思ってた」


「一応はあるよ。私のビジネスも平和がなければ成り立たないからね。それにいつまでも戦争が続ているのにはもうたくさん。そろそろ終わってしかるべきだ」


「それもそうだな。俺も署名しよう」


「サンキュー、フェリクス」


 フェリクスも署名した。


「フェリクス君、フェリクス君。何をしているのですか?」


「フェリちゃん。何しているの?」


 そして、フェリクスの後ろからクリスティンとトゥルーデが。


「戦争を終わらせようって署名活動だ。お前たちも署名しておかないか?」


「政府に魔王軍との講和を求める署名ですか。クラリッサさんにしてはあくどい要素がありませんね。いいでしょう。私も署名します」


 フェリクスが誘うのにクリスティンが署名。


「よく分からないけど、フェリちゃんが署名したなら私も署名するわ!」


 相変わらずなトゥルーデである。


「む。なんだ、署名活動など珍しい」


「あ。先生。お久しぶりです」


 クラリッサたちが署名活動を続けていると、ちびっこ魔術教師がやってきた。


「政府に魔王軍との講和を求める署名か。確かに戦争はそろそろ終わらせるべきだ。私のように義務を放棄して、学園に逃げ込んだものもいる。他の人間もそろそろ戦争から逃げ出したいだろう。私も署名しよう」


「おお。ありがとう、先生」


 ちびっこ魔術教師も署名した。


「おい! なんだ、これは!」


 男の怒号が響いたのは次の瞬間だった。


「政府に魔王軍との講和を求める署名活動だけど?」


「ふざけるなっ! 俺は魔王軍に息子を殺されたんだ! この学園では次に魔族を殺しに行く人材を養成しているんじゃないのか!」


 顔をアルコールで赤らめた男が叫ぶ。


「おい。てめえ、そいつを寄越せ。破り捨ててやる!」


「ダ、ダメです! 渡せません!」


 暴漢がフィオナに襲い掛かる!


「フィオナ。こっちへ」


「クラリッサさん!」


 クラリッサがすかさずフィオナを自分の背後に庇う。


「てめえ! 餓鬼だからって容赦しねーぞ!」


「ああん? 餓鬼が何だっって?」


 暴漢の前に立ちふさがるのはフェリクス、ちびっこ魔術教師、クラリッサ。


 LV.1のスライムがLV.99の冒険者パーティーにうっかり遭遇したような状況である。こいつはひでえや。


「な、なんだよ。暴力を振るうつもりか。官憲を呼ぶぞ……」


 この3人を前にして臆さない人間の方が少ないだろう。


「先に暴力を振るおうとしたのはどっちだ? 行っておくが私は都市警察にも知己の友がいるからな。貴様のような酔っぱらいの言い分を彼らは信じんぞ」


「おい。おっさん。邪魔するなら“転んで”もらうことになるぞ?」


 ちびっこ魔術教師とフェリクスが凄むのに暴漢はしおしおとしおれていった。


「まあ、待ちなよ。そこのおじさんは魔王軍に息子を殺されたんだよね」


「あ、ああ。2年前だ。連中は獰猛で、残忍で、暴虐なんだ!」


 クラリッサの質問に暴漢が答える。


「それならもうこれ以上、自分のような思いをする人間がでないようにしようとは思わない? これ以上戦争を続けていたら、また誰かが死ぬ。それは誰かの夫かもしれないし、息子かもしれない。戦争が続く限り、おじさんのような思いをする人間がいるんだ」


「そ、そうか。そうだな……」


 そう呟いて暴漢は項垂れた。


「俺も署名するよ。紙をくれ」


「はい、どうぞ」


 クラリッサは紙を差し出し、暴漢はそこに署名した。


「じゃあな。あんたらの活動が上手くいくことを祈っている」


 暴漢はそう告げて立ち去っていった。


「ありがとうございます、クラリッサさん」


「このぐらいお安い御用さ、フィオナ」


 クラリッサに庇われたフィオナが礼を言う。


「でも、ああいう人もいるんだね」


「気にする必要はない。現状を見ておらん愚か者だ」


 ちびっこ魔術教師はそう吐き捨てた。


「ううーむ。憎悪の連鎖って奴なのかな?」


 クラリッサは今後の活動に曇りが生じるのを感じた。


……………………

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― 新着の感想 ―
[一言] 今までの魔王軍関係を見て一番気になるのは、リーチオパパ死なないでと思うことです。 クラリッサは友人もできたし人間的にも成長しましたが、あと少し常識人のパパの存在が必要に思うのです。 なにより…
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