娘は登山を張り切りたい
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──娘は登山を張り切りたい
待ち合わせ場所はパディントン駅となった。
「ちーす。ウィレミナ、サンドラ」
「ちーす。クラリッサちゃん」
待ち合わせ場所には先にウィレミナとサンドラが来ていた。
ふたりとも動きやすいズボンとシャツの組み合わせで通気性のいい素材を使っている。そして背中には水筒とお弁当の入っているだろう小さなリュックを背負っていた。
フェリクスが登山の時は万が一に備えて荷物は必要最小限にと言っていたので、ふたりとも小さなバッグできたようである。
「クリスティンたちは?」
「クリスティンさんは鉄道の運行状況を聞きに行っている。あたしたちよりかなりはやく来てたみたいだよ」
「張り切っているなー」
クリスティンにとってこれはデートも同然。張り切るのは当たり前だ。
「よう。クラリッサ」
「よう。フェリクス」
そして、最後にフェリクスとトゥルーデがやってきた。
いうまでもなく、フェリクスとトゥルーデはおそろだった。
「お。揃ったようですね」
そこでクリスティンが駅の中から戻ってきた。
「聞いてきたところ、鉄道は平常通り運行しているようです。8時10分の便に乗るのでそろそろ入りましょう。9時30分にはスノードン山の麓ですよ」
「はいはい。そんなに張り切るなよ」
「うがーっ! 張り切ってなどいなーい……です」
フェリクスが告げるとクリスティンが恥ずかしそうに視線を逸らした。
「じゃあ、そろそろ入ろうぜ。弁当は山頂で食べたいだろ?」
「おうともよ」
というわけでクラリッサたちは鉄道へ。
「けど、フェリクスは荷物多いね。私たちには少なくしろって言ったのに」
「ん。救急セットやランタンなんかが入ってる。万が一のためにな。そのせいだ。俺は男だからこれぐらいは持てる」
「男前ー」
「冷やかすなよ」
クラリッサが冷やかし、フェリクスが渋い顔をした。
「ああ。スノードン山の山頂に上る前に麓でドラゴンのお墓をお参りして、それからドラゴンのお守りを買っておきたい。お守り、効果あるって」
「ドラゴンの墓があるのか? 本物の?」
「そう、本物の。これはぜひとも行かなくちゃでしょ」
「そうだな。興味ある」
フェリクスも男の子なのでドラゴンとかに興味があるのだ。
「ああー! その話は私がするつもりだったのに……」
「え? そうだったの? それなら先に言っておいてよ、クリスティン」
クリスティンがへなへなとしおれ、クラリッサがそう告げる。
「いいですよ。もっと私には話すことがありますから。私たちの王立ティアマト学園の紋章に使われているドラゴンの紋章というのは──」
「そのお墓のドラゴンから取られたんでしょう? 勇敢さと誇りに敬意を払って」
「うぐ」
クリスティンは得意のトリビアを奪われてしまった。残念!
「まあ、楽しみにしておくといいよ。時間的には余裕あるだろうし」
クラリッサはそう告げて、鉄道の窓の光景を見た。
走り出した鉄道の窓からはロンディニウムの街並みからその郊外にある田園風景に場面が移り変わっていっている。
目的地のスノードン山までは1時間30分強の道のりだ。
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クラリッサたちは途中で一度乗り換えて、スノードン山までやってきた。
スノードン山の麓の街は観光地として整備されており、赤いドラゴンの紋章が目に付く。その紋章に少し描き足せば、王立ティアマト学園の紋章だ。
「本当にうちの学園の紋章ってここから取ってたんだ」
「ドラゴンのお墓参りをしよう」
感心するサンドラをよそにクラリッサはお墓に向けて進もうとする。
「待ってください。こういう時に大事なのは集団行動ですよ。観光も山登りも集団行動が安全の秘訣です。きちんと皆さんが揃うまで待ってください」
「クリスティンはクリスティンだなー」
「うがーっ! 何が言いたい!」
クラリッサがやれやれというように肩をすくめる。
「とにかく、集団行動ですよ、クラリッサさん。分かりましたね?」
「はいはーい」
クラリッサは言われたとおりにみんなを待つことに。
「揃いましたー」
「よろしいです。では、出発」
ウィレミナが全員の準備ができたことを確認し、クリスティンが号令を下す。
そして、トテトテと全員で観光地を進んでいく。
「お。お守り売ってる」
「帰りに買うです。こういうのは目的地に行くまでに何軒もあるものですから。見比べてみて、どれがいいのか考えてから買った方がお得です」
「そういうものかな」
「そういうものです」
というわけで、クラリッサたちは立ち並ぶお土産屋さんや屋台の誘惑を振り切ってドラゴンの墓までやってきた。
「これがドラゴンのお墓かー」
「大きいね」
スノードン山の麓をくりぬいたお墓には古代アルビオン語で文字が記されていた。
「“勇敢にして誇りあるドラゴン、ここに眠る。その名が語り継がれ、かのものに安らぎを与えることを祈って”だって」
「ううむ。ここが本当にドラゴンのお墓か」
クラリッサはそう告げるとお墓に向けて頭を下げた。
「お墓を荒らしてごめんね。それからあなたは王立ティアマト学園の紋章として今もみんなに知られているよ」
クラリッサはそう告げて頭を上げた。
「……クラリッサさんがドラゴンのお墓参りなどとおっしゃるので、てっきり金運を上げてくれだとか、そういう俗っぽい頼みごとをするのだと思っていたのですが」
「失礼だね。私だって死者に対する敬意を払うことぐらいするよ」
ちなみに、このドラゴンのお墓。戦場での武勇や金運を祈って参拝する人々が多いのだ。ドラゴンと金は切っても切り離せない関係にあるのである。
「あたしは金運を祈ろうっと」
「私は合格祈願を」
もうお墓というより神社の類である。
「フェリクスは何か祈らないの?」
「ドラゴン頼みするほどじゃない。それにドラゴンは何百年も前に死んだんだろ。今さらここで祈ったからと言って聞き届けてくれるとは思わんな」
「確かにここにドラゴンの幽霊はいないかもしれない。けど、ここは天国にいるドラゴンに声を届けられる場所かもしれないよ。私もママのお墓の前でこれまであったことやお願いしたいことを祈るもん」
「そうか……」
クラリッサが告げ、フェリクスはただ頷いた。
クラリッサの母親──ディーナが死んでいることはフェリクスももう知っている。いつもはそんなことなど気にもしていないという態度のクラリッサが、どこか力なく見えるのはその母親の死と無関係だとは思えない。
「さて、ドラゴンにお参りもしたし、お土産屋さんでお土産を買って、屋台でちょっと何か摘まんでから山に登ろう」
「そうだな。山登りに必要なのはエネルギーだ。だが、消化のいいものじゃないと、消化に体力を使って、逆に動きにくくなるから注意しろ」
「任せろ」
というわけでクラリッサたちは消化がいい(?)アイスクリームを食べると、いよいよ登山道に入って、スノードン山を登り始めたのだった。
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スノードン産は標高1085メートル。
高いと言えば高い山なのだが、ある程度の高さまでは馬車も出ており、登山道もしっかりと整備されているため、初心者にもお勧めの山である。
また晴れた日は景色もよく、麓に広がる湖や雲海、山頂からの景色が楽しめる。
そんな山の初心者コースからクラリッサたちは登山に挑んだ。
「しっかりした道があるね」
「登山靴、要らなかったかな?」
クラリッサたちは自分たちのペースで山を登っていく。
山は急勾配の道もなく、なだらかな登山道が続いている。
「まあ、お店の人もハイキング気分で楽しめるって言ってたしね」
「油断は禁物です。山では毎年死者が出ているのですから」
動きやすい格好にいつの日かクラリッサに買ってもらったシューズを履いたウィレミナが軽く告げるが、横からジャージの上下で身を固め、登山靴を履き、ヘルメットまで被ったクリスティンがそう告げる。
「クリスティン。君はもうちょっと色気のある格好をした方がいいよ。フェリクスをものにしたいんでしょう? だったらジャージなんてやめないと」
「で、ですが、うっかり怪我でもして、フェリクス君に迷惑をかけては……」
クラリッサが告げるが、クリスティンは躊躇う。
「男の子は少しくらい守ってほしいって思っている子の方が好きなんだよ。完璧超人はあまり好かれないんだ。ここで転んで怪我のひとつでもしたら、フェリクスの注意も君に向くし、君のことを守ってやらなきゃって思うようになると思うよ?」
「そ、そうなのですか?」
「そうなのです」
彼氏いない歴16年の自称恋愛マスターの言葉を信じるべきか否か。
「し、しかし、やはり迷惑をかけるのはよくないです。それは私だってフェリクス君に守ってもらいたいと思いますが、私はもうすでにフェリクス君に守ってもらっているのです。そもそもそれが始まりなわけで……」
「なになに。おふたりの馴れ初め?」
「うがーっ! 部外者は向こうで大人しく山を登ってろー!」
ウィレミナが興味津々で顔を突っ込むが、クリスティンに威嚇された。
「とにかく、今のままじゃ距離は縮まらないよ? 弱いところを見せて、庇護欲を誘うのはひとつの手だと思うけどな。フェリクスってなんだかんだで面倒見がいいし」
「うう。私は今、ものすごく迷っています……」
クリスティンは頭を押さえたまま登山を続ける。
「あわっ!」
注意があまりにフェリクスのことに向いていたためか、クリスティンは近くに落ちていた石に躓いて、ごてんとうつぶせに地面に倒れた。
「大丈夫か?」
そこでやってきたのがフェリクスだった。
「え、ええ。大丈夫です」
「一応見せて見ろ。頭はヘルメットで大丈夫そうだが」
クリスティンが顔を赤くして告げ、フェリクスが救急セットを準備する。
「ひざを擦りむいたみたいだな。消毒して、絆創膏を貼っておいてやる」
「は、はい」
手際よくフェリクスがクリスティンの手当てをしていく様子に、クリスティンは顔が茹蛸のように真っ赤になっている。
「他に痛むところは?」
「ないです。その、ご迷惑おかけしました」
クリスティンがしなしなとフェリクスに頭を下げる。
「気にするな。登山初心者ばかりみたいだったから、こういうものを準備してきたんだ。迷惑だとは思っていない。ただ、気を付けろよ?」
「え、あ、う、うん」
クリスティンの顔からは今にも蒸気が噴き出しそうだ。
「さあ、山頂まで頑張ろうぜ」
「そうですね! 頑張ります!」
そう言ってクリスティンはフェリクスの横に並んだ。
「よきかな、よきかな」
「クラリッサちゃーん! 待ってー!」
クラリッサがフェリクスとクリスティンの関係に頷く中、後方ではサンドラが悲鳴を上げていた。体育の成績がそこまでよくないサンドラにこの道のりは辛い。
「サンドラ。ガンバ。水分補給も忘れずにね」
「はあ。山登りって意外と大変……」
なだらかなように見えて、意外と傾斜のある登山道だった。山登りというだけはある。確かに山を登っているのだ。
「私がペース合わせるから一緒に登ろう」
「ありがと、クラリッサちゃん」
クラリッサたちは後方からゆったりと山頂を目指した。
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