娘は新大陸に行きたい
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──娘は新大陸に行きたい
「ニーノから返事が来た」
夕食の席でリーチオがそう告げた。
7月下旬のこと。クラリッサたちの生徒会の仕事も一段落し、夏休みが訪れていた。生徒会では夏休みが終われば、すぐに9月には水泳大会があるので、その準備を行わなければならなかった。クラリッサは渋々と仕事をし、ようやく夏休みを迎えた。
「ニーノおじさん、なんて?」
「来てもらっても大丈夫だそうだ。リバティ・シティの一部は危険だが、大部分は既に制圧したらしい。是非とも遊びに来てくれと書いてあった」
「やったね」
クラリッサの思いが通じたのか、リバティ・シティの治安は一時的にヴィッツィーニ・ファミリーによって確保され、観光客としてクラリッサたちを迎えることができるようになっていた。本当にやったね。
「新大陸までは長い船旅になる。準備をしておきなさい。それからグレンダに礼を言っておくんだぞ。5位内に入れたのはグレンダのおかげだろうからな」
「了解」
クラリッサはびしっと敬礼を送ると、自室にトトトと駆け上がっていった。
「暇つぶしのカードゲームはいるよね。それから下着とドレスは新調したい。見えないところもお洒落しないとね。それから、それから……」
クラリッサは持っていくべきものリストを作成し始めた。
「できた」
そして、またトトトと階段を駆け下りて、リーチオの下に行く。
「パパ。必要なもののリストができたよ」
「ふむ。新しい下着、新しいドレス、新しい寝間着、新型魔道式小銃……。クラリッサ、俺たちは抗争の手伝いをしに行くんじゃなくて、観光に行くんだぞ?」
「また暗殺者に襲われるかも」
「襲われるようなら旅行はキャンセルだな」
「分かった、分かった。武器の類は諦める」
リーチオがため息をつき、クラリッサが頷いて返す。
「問題があるのは魔道式小銃と暗器だけか。他はいいな。しかし、ニーノへの土産というのは何を準備するつもりだ? ものによっては税関を通らんぞ」
「カレドニアン・ウィスキー。新大陸は酒税は高くないでしょ?」
「ああ。酒か。しかし、あれは高いぞ?」
「大丈夫。税金を払うのは嫌だけどニーノおじさんに送るだけだから」
そして、クラリッサはちゃっかりお土産の見返りをピエルトからもらって味をしめているぞ。ピエルトからはリーチオの許可を得て、猟銃を買ってもらったのである。それもライフリングがしっかりと刻まれた新型猟銃だ。
この世界のマスケットもライフルマスケットに進化し、そろそろ後装式ライフルが実用化を目指している頃だ。マフィアも精度の高く、携行しやすいライフルマスケットで武装するようになるだろう。
しかし、技術ツリーが少しおかしいような気も。
「お小遣いは足りるか?」
「足りる。ここ最近は勉強ばっかりで遊ばなかったからね」
期末テスト前のクラリッサは真面目に勉強に勤しみ、遊んでいなかったぞ。それだからこその5位内という成績だったのだ。
ちなみにクラリッサの毎月のお小遣いは100万ドゥカートだ。それにブックメーカーやら闇カジノやらの収益が加わるのだから、クラリッサが金に困るということはあり得ないことだ。よほど金遣いが荒くない限りは大丈夫。
「旦那様、お嬢様。グレンダ様がいらっしゃいました」
「よし。クラリッサ。まずはグレンダに礼を言ってこい」
「了解」
クラリッサは玄関に向かう。
「こんばんは、クラリッサちゃん。期末テストの成績はどうだったかしら?」
「5位内に入ったよ。グレンダさんのおかげ。ありがとう」
そう告げてクラリッサはグレンダに抱き着いた。
「よしよし。よく頑張りました。いい成績が取れたのは私のおかげじゃないよ。クラリッサちゃんが自分で勉強を頑張ろうと思ったからよ。これからも大学合格を目指して、勉強に勤しんでね。私も可能な限り手伝うから」
「うん。頑張るよ。グレンダさんも応援してね」
「もちろん」
クラリッサがこぶしを握り締め、グレンダがトントンとクラリッサの頭を撫でた。
「今日の夕食は一緒に食べようね。レストランに行くから」
「ええっと。それは悪いんじゃないかしら?」
「そんなことないよ。私が5位内に入ったお祝いでもあるんだからね。それから5位内に入ったご褒美で新大陸旅行に行くんだよ」
「まあ、新大陸旅行なんてご褒美がもらえるの? よかったね、クラリッサちゃん」
「えへへ」
そういうわけでクラリッサは今日の分の勉強──期末テストの見直しを行うと、グレンダとともに食事に向かった。南部料理のお店で思う存分、南部料理を楽しむと、グレンダはシャロンが送り届け、クラリッサは新大陸旅行に思いを馳せた。
準備は3日で完了。いよいよ新大陸旅行だ。
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クラリッサたちは新大陸に向かう船に乗り込んだ。
大きな船舶で、蒸気機関と帆走の組み合わせだ。ここ最近では外洋航行に蒸気機関を使うことも珍しくなくなりつつある。蒸気機関の安全性が急速に上昇し、火災の危険性が減少したことが主な要因だ。船にとって火災とは致命的なのだ。
これから10日近くは船の旅だ。帰りも同じくらいかかる。
つまり夏休みのほとんどは船旅に費やされるのである。
というわけでクラリッサは船の中で夏休みの宿題を進める。あらかじめグレンダに概要は教わっておいたので、そこまで大変なことではない。……はずである。
蒸気機関のパワフルな推進力で船は力強く進み続け、大西洋を横断し、そしてついに新大陸──コロンビア合衆国が見えてきた。
かの有名な自由の女神像がリバティ・シティ湾を見渡し、クラリッサたちを乗せた船はゆっくりと入港していった。
そして、船から降り立てばそこは新大陸である。
「おおー。ここが新大陸かー」
「そうだな。まあ、港だけ眺めても実感は湧かないと思うが」
「そんなことないよ。いろんな国籍の人がいる。流石は世界で一番国際的な国」
クラリッサの言うように港の人種は雑多であった。
アルビオン語が聞こえれば、ゲルマニア語が聞こえる。かと思えば、クラクス語が聞こえてきたりもする。アルビオン王国の港でもここまで多くの言語が飛び交うことは稀だろう。この新大陸にはチャンスを求めて世界各地から人々が訪れているのだ。
「では、早速ニーノに会いに行こう。本当に問題が起きていないといいんだが」
リーチオはどうにも心配になりながらも、入国手続きを済ませて、税関を出た。
「ボス・リーチオ。お待ちしておりました」
「ああ。出迎えありがとう」
税関の出口ではヴィッツィーニ・ファミリーの構成員が待っていた。
「ボスのところにお送りします。こちらへどうぞ」
ヴィッツィーニ・ファミリーの構成員は馬車にリーチオとクラリッサを案内した。
「リバティ・シティだから自動車が迎えに来ると思ってた」
クラリッサはリバティ・シティは馬車なんてものはもう走っておらず、皆が自動車でびゅんびゅん道路を走っている光景を予想していた。だが、リバティ・シティにおいても自動車に乗れるのは裕福層だけである。
「リバティ・シティにも4人も乗れる車はないだろう」
4ドアの車は開発中である。内燃機関が効率的になったら、お披露目されるだろう。
そんなこんなで馬車は出発し、ゴトゴトと道路を進む。リバティ・シティの中を進み、リバティ・シティの郊外にあるニーノの邸宅を目指す。
「おおー。凄い高層建築。まさに摩天楼」
「確かに凄いな。ロンディニウムが田舎に思える」
リバティ・シティでは高層建築が立ち並んでいた。
このコロンビア合衆国の経済中枢であるリバティ・シティには様々な需要があり、その需要に応え、土地を有効活用するために高層建築が選ばれたのだ。
だが、それでも地球におけるニューヨークほどではない。まだまだ発展途上だ。
「私たちのホテルとカジノもこれぐらい大きくできるかな?」
「あまりデカいと景観を損ねると苦情が来そうだがな」
クラリッサは摩天楼を前にワクワクだ。
そして、馬車はリバティ・シティの中でも穏やかな住宅街を抜け、郊外に出た。
「ニーノの屋敷だ。やはり警備は厳しいな」
ヴィッツィーニ・ファミリーも依然として麻薬戦争に従事しているためか、ニーノの屋敷には魔道式小銃で武装した男たちがおり、正面ゲートは固く封鎖されていた。
「ボス・リーチオをお連れした」
「分かった。開けろ!」
ヴィッツィーニ・ファミリーの構成員が告げるのに正面ゲートがゆっくりと開かれる。相手が馬車を突っ込ませてくることに警戒しているのか、自爆テロ防止用の重々しい車両止めまで置かれていた。
「リーチオ! よく来てくれた!」
「ああ。出迎えに感謝する、ニーノ」
馬車が屋敷の敷地中にはいると、ニーノが出迎えに出てきた。
「ニーノおじさん、こんにちは」
「クラリッサちゃんもよく来てくれたね。ささっ、中に入って」
ニーノはリーチオとクラリッサを連れて屋敷の中に入る。
「おおー。凄いデカい鹿の剥製」
「ヘラジカだ。一昨年仕留めた。新大陸は獲物がデカい。狩りのし甲斐がある」
クラリッサがリビングに飾られている立派な角を持った鹿の頭部の剥製を眺めて告げるのに、ニーノが自慢げにそう告げた。
「さて、新大陸に来たからにはいろいろとやりたいこともあるだろう。何せ、ここはチャンスの国だ。アルビオン王国も立派な国だと思うが、やはりあそこは階級社会だろう。そういう点では、ここは遥かに自由だ。階級なんてものはない」
ニーノはそう告げてクラリッサたちに席を勧めた。
「確かにな。だが、お前のシマを荒らすわけにはいくまいよ」
「新南部に行ってくれるなら歓迎するぞ。正直、新南部の人間は未だに人種や宗教で人を区別しようとする。南北戦争後も相変わらずだ。向こうの人間は俺たちにとってビジネスパートナーになりえない。お前のような信頼できる人間が新南部を治めてくれれば、うちとしては歓迎する。俺たちの勢力は今西部に向かっているからな」
新大陸南部はかつて奴隷制の維持と自由貿易を掲げて独立を試み、南北戦争を引き起こした。結果としては北軍が勝利し、奴隷は解放されたものの、未だに新南部の人間たちには根強い宗教的価値観と人種的価値観があった。
彼らは有色人種はもとより、南部系の移民も嫌っている。真にこのコロンビア合衆国を統治すべきは自分たちの所属する宗教と人種であるという思想を持ち、奴隷として連れてこられた黒人をリンチしたり、南部人の経営する店に火炎瓶を投げ込んだりした。
そういう人間たちにはヴィッツィーニ・ファミリーもかなり苛立っており、せっかく禁煙法──誰がこの馬鹿げた法案を可決したかは謎だが、今コロンビア合衆国では医者の処方箋がない限り煙草は吸えない──で高値になった煙草と葉巻の原産地であるアンティル諸島から近い新南部が言うことを聞かないことに腹を立てていた。
何度も新南部を掌握しようと人を送ったが、現地の人種差別主義者たちは巧妙に行動し、マフィアに対して攻撃を仕掛けてきた。
さらにここで麻薬戦争が勃発する。
ヴィッツィーニ・ファミリーは新南部どころではなくなり、新南部から得られるだろう膨大な利益を横目に眺めるしかなかった。
誰か信頼できるパートナーが新南部にいれば。そう思うところだ。
「そっちも大変だな。しかし、西部に向かっているということはゴールドラッシュに乗じて儲けようというわけか?」
「ゴールドラッシュにはそこまで期待していない。だが、期待する人間は大勢いるし、西部への植民は確実に進んでいる。そこでだ。西部の州に働きかけて、ゴールドラッシュ後も人口流入を維持するためにカジノを合法化するって案を提案している。ノウハウはお前から教えてもらったからな。西部には新南部のような馬鹿野郎もいないし、自由に商売ができる。西部に巨大なカジノ都市を築いて、合法的に儲けるってわけだ」
西部のゴールドラッシュは終焉に向かいつつある。
金鉱山を発見して大儲けという夢が潰えれば、西部へわざわざ移住しようという人間は少なくなるだろう。西部の州知事たちはそれを恐れている。フロンティアは途絶え、西部にはいくつかの小さな都市が残るだけになることを恐れている。
そこにヴィッツィーニ・ファミリーが“親切な申し出”をした。
西部においてカジノを合法化し、カジノ産業で西部の振興を図るというものだ。
金鉱山で大金持ちになる代わりに、カジノで大金持ちになる。夢は潰えないというわけだ。そして、カジノ産業が基幹産業になり、それに付随する産業が盛んになれば、西部への移民と入植は続く。西部の州知事たちが恐れていた事態は避けられる。
コロンビア合衆国においては州の自治権が強く、独自の政策が行える。それもまたカジノ産業への投資を呼び込むのに役立つだろう。
「凄いね、ニーノおじさん。カジノ都市とか新大陸はスケールが違う。これは手ごわいライバルになりそうだ」
「ああ。そういえばクラリッサちゃんは大学を卒業したら、リーチオからホテルとカジノを引き継ぐんだったな。俺たちの方が先に始めるかもしれないが、そのときは視察に来てくれ。クラリッサちゃんなら喜んで歓迎するぞ」
「ありがとう、ニーノおじさん」
そんな儲け話をしているころにはすっかり日は落ちていた。
「ホテルは決めているのか?」
「ああ。マリーナ・オリエンタル・ホテルだ」
「そいつはいいホテルだ。それにこちらの勢力下でもある。だが、万が一に備えてこちらで警備を付ける。麻薬戦争はまだ進行中だからな」
ニーノはそう告げて部下に警護を命じた。
「夕食は食べていくだろう?」
「いただこう」
ニーノが尋ねるとリーチオがそう答える。
「ニーノおじさん。これ、お土産。カレドニアン・ウィスキー」
「おお。ありがとう、クラリッサちゃん。高かっただろう?」
「ニーノおじさんとの友情を思えば安いものだよ」
「なかなかいうようになったじゃないか」
その日は夕食をニーノの屋敷で取り、夕方までリーチオとニーノはマフィアのこれからについて話し合うと、リバティ・シティのホテルに向かったのだった。
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