娘は連続殺人鬼に警戒したい
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──娘は連続殺人鬼に警戒したい
「はい。今日の授業はこれでお終いよ、クラリッサちゃん」
「うーん。我ながらよく勉強した」
今日も今日とてクラリッサはグレンダから勉強を教わっていた。
予習復習と入試に備えてのテスト勉強。
クラリッサは数学はバリバリいけるので、困った成績の第二外国語を懸命に勉強していた。単語を覚え、文法を覚える。リスニングとヒアリングは完璧なクラリッサだが、残念なことにその能力が活かされるのは入学してからだ。
「グレンダさん。今日もありがとう。夕食は予定ある?」
「うーん。何か作って食べるつもりだったけど」
「それならうちで食べていきなよ。御馳走するよ」
「それは悪いよ」
「そんなことないない。グレンダさんにはとってもお世話になっているんだから、恩返しくらいはしておかないと」
クラリッサはそう告げると、部屋を飛び出し、1階に降りていった。
「パパ。今日の夕食、グレンダさんも一緒でいい?」
「ん。いいぞ。世話になってるしな」
リーチオも快諾した。
というわけで、今晩はグレンダはリベラトーレ家の食卓に招かれた。
「グレンダさんは南部料理、大丈夫?」
「ええ。オリーブオイルとニンニクは大好物よ」
「それはよかった」
今晩のメニューは南部料理である。
「いつもすまんな。こんな夜遅くまで」
「いえいえ。クラリッサちゃんは教え甲斐がありますから。一生懸命勉強してくれるので、次々に知識を吸収していってくれています」
リーチオが夕食の席で謝罪するが、グレンダはまるで気にしていないという風であった。実際、彼女はクラリッサが懸命に夢を持って勉強しているので、教えるのが楽しくなっていたのであった。
「しかし、暗くなるのが遅くなったとは言え、この時間帯では外も暗い。今日はシャロンに家まで送らせよう」
「そこまでしていただかなくても……」
リーチオの言葉にグレンダが困った顔をする。
「あれ? グレンダさん知らないの? ここ最近、夜中に連続殺人鬼が出るんだよ」
「え?」
クラリッサの告げた言葉にグレンダが首を傾げる。
「ああ。これまで4人殺されている。同じ手口だそうだ。被害者は若い女性ばかり。このロンディニウムもちとばかり今は治安が悪い」
リーチオは僅かに苛立たし気にそう告げた。
彼が苛立つのも当然だろう。ロンディニウムの治安が悪いというのは、この街の犯罪者の元締めであるリベラトーレ・ファミリーの意向に反して犯罪を行っている人間がいるということを意味するのだ。
実際、犯人はリベラトーレ・ファミリーの維持する治安に反発するように、リベラトーレ・ファミリーのシマの娼館で働く娼婦をひとり殺している。このことでリベラトーレ・ファミリーには火が付き、犯人に懸賞金をかけて、チンピラまで動員して犯人捜しを行っているところである。
そんな状況のロンディニウムであるからにして、グレンダがひとりでこの夜更けに帰るのは危ないのだ。
「グレンダさんに何かあったら大変だから、シャロンに送ってもらって?」
「うん。そうするよ、クラリッサちゃん。しかし、この街がそんなに物騒になっているだなんて思いもしなかったわ」
グレンダは赤ワインで喉を潤してそう告げる。
「いつまでも好き放題にはさせておかない。物事の道理を理解しない人間には、それ相応の報いを与えなければならない」
リーチオは静かにそう告げた。
「ええ。法を犯す人たちは処罰されるべきです」
おっと。目の前にいるのはマフィアのボスだぞ。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま」
そんなこんなで夕食の時間は終わった。
「美味しかった、グレンダさん?」
「とっても。こんなに美味しい料理を食べたのは久しぶりかな」
「今度、美味しい南部料理のレストランに案内するよ。友達も紹介したいし」
「ありがとう、クラリッサちゃん」
ひとりっ子のクラリッサにとってグレンダは姉のような存在なのかもしれない。
決してお姉ちゃんセンサーとかを搭載しているような変態ではなく。
「では、シャロン。グレンダさんを家まで送って来てくれ。気をつけてな」
「畏まりましたであります」
シャロンはそう告げて馬車の準備を始めた。
「それじゃあ、また明日ね、グレンダさん」
「はい。また明日」
そして、その日、クラリッサとグレンダは別れた。
5人目の被害者が出たのはその日の夜のことだった。
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「クラリッサちゃん。聞いた? 5人目の被害者だって」
「聞いた。我らがロンディニウムの治安を乱す連中がいるようだ」
5人目は工場勤務の女性だった。工場から帰宅するところを襲われたとみて、都市警察が捜査を進めている。朝刊を読んでいたリーチオからクラリッサはそう聞いた。
「怖いよねー。あたしも部活で帰るの遅いし、馬車はボロだし、襲われるかもな」
「ウィレミナ。仇は必ず取るよ」
「いや。まだ襲われたりしてないからな?」
勝手に友人を殺してはいけない。
「でも、犯人いつ捕まるんだろう?」
「都市警察には任せておけないね。私が動くべきだ」
「凄い自信だ」
クラリッサが謎の自信を発揮するのにサンドラが突っ込んだ。
「これまで襲われてるのは16歳から20歳までの若い女性ばかりでしょ。犯人って多分変態だよ。碌でもない奴だと思うね」
「これを機に変態を一掃しよう」
「これこれクラリッサさんや。無関係の人まで逮捕したらダメだぞ」
ヘザーとかトゥルーデまで逮捕されてしまう。
もっとも、突然ヒステリーを起こしてフェリクスと無理心中を試みるような姉はちょっと逮捕された方がいいのかもしれない。
「あたしたちにできることはないし、都市警察に任せよう」
「いや。都市警察は当てにならないよ。犯人捕まえたらうちのパパから500万ドゥカートでるから、私たちで捕まえない?」
「……その500万ドゥカートは何故に?」
リベラトーレ・ファミリーが懸賞金をかけていることを知っているのは、基本的に暗黒街の住民たちだけである。
「はーい。席についてー」
クラリッサたちがそんな話をしていたとき、教室の扉が開き、担当教師が入ってきた。クラリッサたちもいそいそと席に急ぐ。
「皆さん、既に知っているかと思いますが、ロンディニウムで事件が相次いでいます。警察の人たちが警戒に当たっていますが、夜遅くまで残るのは危険です。これからは事件が解決するまで部活動も委員会活動も午後5時までとします。以上です」
教師の言葉に部活動に入っている生徒たちからは落胆の声が漏れた。
「あーあ。どこかの迷惑な殺人鬼のせいで部活できないじゃん」
高等部ではカリキュラムが増えたので、5時帰宅となると全く部活動は行えない。
「やっぱり私たちの手で殺人鬼を捕まえるしかないね」
「いや。それは無理だよ……」
クラリッサが張り切るのに、サンドラがそう告げた。
「でも、殺人鬼がいつまでも捕まらないと部活ができない。夏の大会が近くて、練習しなきゃいけないのに困るぜ。情報提供ぐらいなら何かできないかな?」
「ウィレミナちゃんまで……」
ウィレミナは陸上競技に青春をかけているので走れないと困るのだ。
「警察に事件の発生地点と時間帯。それから被害者の死因について聞こう」
「教えてくれないよ」
「袖の下をそれなりに渡せば教えてくれるよ」
「官憲を買収しようとしている……」
だが、残念なことに都市警察にも汚職警官が多いのだ。
リベラトーレ・ファミリーの犯罪を摘発しないように、金を積まれた警官は犯罪を意図的に見逃すのだ。情報料を渡せば捜査中の事件の情報を渡す警官もいる始末である。
これだから警察は頼りにならないと言われてしまうのである。
「じゃあ、いつ行く? 今日の放課後?」
「善は急げだ。今日の放課後に行こう」
というわけで、クラリッサ探偵団の活動が始まった!
……勉強もちゃんとしような!
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放課後。
クラリッサたちは都市警察の建物までやってきた。
「ええっと。これからどうするの?」
「知り合いの警察の人を呼ぶから待ってて」
サンドラが困惑するのに、クラリッサがそう告げた。
クラリッサは受付に行って何事かを話すと、戻ってきた。
「少し待っててって」
「本当に大丈夫なの?」
「私を信じろ」
クラリッサはそう告げると受付付近の椅子に腰かけた。
都市警察は慌ただしい様子で書類が運ばれたり、人相の悪い男たちが手錠をされて移送されたりしている。警察官たちは煙草を良く吸うので、都市警察の中は非常に煙たかった。現代の地球と違って、まだ副流煙の発がん性などが分かる前なので、こういう光景はどこででも見られたものであった。
ただし、煙草は税金が高いので、警察官たちが吸うのは特別安くて不味い煙草である。ニコチンが体に入ればいいというだけの、安物しか手に入らない。まともな煙草が吸えるのは貴族ぐらいのものである。
「リベラトーレのお嬢ちゃん」
クラリッサたちが待つこと15分。その男性は現れた。
「レストレードさん。おひさ」
「ああ。おひさ。さ、外に出ようぜ。お前さんと会っているのを組織犯罪対策部の連中に見られると面倒なことになる。おじさんが奢ってやるからカフェにでも入ろう」
男性はやせ型の男でふっさりとしたひげを生やしている。少し厳つい顔をしているが、近寄りがたいというほどのものでもない。
「クラリッサちゃん。この方は?」
「レストレードおじさん。私の知り合い」
クラリッサはそう告げると馬車でカフェに向かった。
「レイモンド・レストレードだ。都市警察殺人課警部。リベラトーレのお嬢ちゃんとはいろいろとあって知り合いだ。このことはここだけの話だからな?」
カフェに入るとレストレードはそう自己紹介した。
「レストレードおじさんはうちのファミリーの事件をちょっとごにょごにょしてくれたことがあるんだよ。けど、その代わりにうちのシマを荒らしていた連中を逮捕させて、今では警部に昇進したんだ」
「おいおい。そういうことをペラペラしゃべるなよ」
その話を聞いて連続殺人鬼並みにやばいのが近くにいるのではと思ったサンドラとウィレミナであった。
「で、今日は何の用事だ? さては、連続殺人鬼について聞きに来たな?」
「ご名答。流石は警部。知ってる情報教えて。報酬は100万ドゥカートで」
「いいだろう。話してやる。ところで、リベラトーレ・ファミリーの犯人にかけてる懸賞金ってのは警察でももらえるのか?」
「犯人を引き渡してくれればね」
「そいつはいい。犯人を捕まえたらそっちに連行しよう」
やっぱりこれ凄い汚職なのではと思ったサンドラとウィレミナであった。
「で、何が聞きたい?」
「犯行現場。時間帯。手口。この3つ」
レストレードが尋ねるのにクラリッサがそう告げた。
「犯行現場はブラックチャペルで3件、ウェストインディアンドッグ再開発予定地区で2件だ。時間帯は19時から24時。手口は鋭利な刃物によって喉を引き裂くことによるもの。全て共通している」
「ウェストインディアンドッグ再開発予定地区か……」
クラリッサたちのホテルとカジノが建設される予定地がその場所なのだ。
「全部同一犯って証拠、あるんです?」
「ある。凶器が間違いなく同一のものだ。それから若い女ばかり狙っている点も同一だし、それからここだけの話だ。ブン屋どもには喋るなよ?」
レストレードが声を落として告げる。
「内臓の一部がなくなっていたんだ。死後に抉り取られたみたいでな。どういう頭をした殺人鬼かはしらんが相当いかれてる。どの死体もむごいものだったぞ」
「うへえ……」
ウィレミナはレストレードの話に軽く吐き気を覚えた。
「殺人課はもう犯人に目星をつけてるの?」
「まだだ。最初はブラックチャペルの貧困層を相手にすれば碌な捜査が行われないだろうと踏んだどこかの頭のおかしい奴の仕業だと考えたが、ウェストインディアンドッグでも殺しは起きた。それも今度は娼婦とか貧困層の女じゃなくて、劇場帰りの中流階級の御婦人だった。これはもう無差別殺人だ」
最初の3件の殺人はブラックチャペルという治安が悪く、娼婦やホームレスなどの貧困層が暮らす地区で連続して発生した。警察はブラックチャペルに監視の目を光らせたが、犯人はそれをあざ笑うように今度はウェストインディアンドッグで裕福な家庭の女性を殺害して見せた。
「中にはアルビオン王国に密かに上陸した魔族の仕業と言う人間もいる。人間の内臓を抉り取るような奴は心底頭のおかしい狂人か、カルト宗教か、あるいは魔族ぐらいのものだからな。まあ、すぐには犯人は見つからんだろう」
レストレードはそう告げて注文したコーヒーをすすった。
「証拠品は何かあるの?」
「凶器も何も残しちゃいねえ。血痕と臭いを警察犬で追ったが、途中で途切れちまった。犯人を捕まえても何の物証もないのが現状だ」
クラリッサの問いに、レストレードは肩をすくめた。
「ところで、どうして殺人鬼の情報を聞きたがるんだ? 興味でも湧いたか?」
「私たちで捕まえようと思って。殺人鬼のせいで部活ができないんだ」
「おいおい。こういうのは警察か懸賞金狙いに任せとけよ。お前さんたちはまだ子供だ。こういうことに首を突っ込むとろくなことにならんぞ」
クラリッサがさらっと告げ、レストレードが眉を歪めた。
「大丈夫だよ。それに警察はいつまでも犯人を捕まえてくれないしさ」
「悪かったな。しかし、俺から情報を聞いたとリベラトーレの旦那に言うなよ。俺はまだ豚の餌にはなりたくないからな」
「ちゃんと秘密は守るよ」
レストレードが渋い顔をするのに、クラリッサはグッとサムズアップして返した。
「じゃあ、情報ありがとう。これは情報料ね」
「毎度あり。新しい情報が入ったら教えてやるよ」
クラリッサは100万ドゥカートをポンと手渡すと、カフェを出た。
「さて、犯人はやばい奴だね」
「怖い相手だよ。やっぱり警察に任せよう?」
「大丈夫。世の中には内臓を取り出すだけじゃ済まないこともあるんだから」
「余計に怖くなってきたよ!」
頑張れ、クラリッサ探偵団。犯人を見つけるんだ。
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そして、書籍化決定です!詳細はあらすじをご覧ください!




