娘は家庭教師を紹介したい
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──娘は家庭教師を紹介したい
その日も午前中にウィリアム4世広場で待ち合わせとなった。
「おお。こんちは、グレンダさん」
「こんにちは、クラリッサちゃん。似合ってるかな?」
「似合ってる、似合ってる」
グレンダは早速クラリッサに買ってもらった白いシャツと藍色のスカートに身を包んでいた。
「それじゃあ、早速行こうか。こいつで行こうぜ」
「これって……自動車?」
クラリッサが通りに止めてある自分の自動車を指し示す。
「前に言ったでしょ。テストでいい成績取ったから自動車買ってもらったって」
「ええ。けど、凄いわね。ものすごく高かったんじゃない?」
「ざっと1200万ドゥカートはしたよ」
「1、1200万ドゥカート!?」
庶民には想像もできないほどの価格である。
「……クラリッサちゃんのお家って凄いわね……」
「まあね。さあ、乗って。出発進行」
クラリッサはイグニッションキーを差し込むと、エンジンを起動させた。
「その、クラリッサちゃん。運転できるの?」
「もちろん。免許も持ってるよ。これからは自動車の時代だからね」
クラリッサはそう告げて自分の名前の入った免許証を見せた。
「本当だ。クラリッサちゃん、凄いわね」
「それほどでも」
クラリッサは自慢げにそう告げると、助手席にグレンダを乗せて出発した。
クラリッサの車は法定速度でウィリアム4世広場をぐるりと回ると、イースト・ビギンの方に向けて進んだ。まだまだイースト・ビギンでも自動車は珍しく、多くの通行人が視線を向けてくる。クラリッサはそれを涼しい顔で受け流し、車を走らせた。
「そろそろつくよ」
「ねえ、クラリッサちゃん。ここら辺って……」
イースト・ビギンの街並みがただの繁華街から怪しげな雰囲気を持ったものへと変わっていく。露出度の高いドレスを纏った魅力的な女性たち。明らかに堅気じゃない黒スーツの男たち。そういうものが通りを占め始めた。
「ん。周りは特に気しないで。今は用はないから」
「え、ええ」
とはいうものの、自動車で明らかに怪しい雰囲気の場所に入っていって、いったいクラリッサは誰を紹介しようというのだろうか。ここは明らかに女性ふたりで過ごすような場所ではないのだ。
「到着、と」
「ここ?」
「そう、ここ」
クラリッサが指さしたのは宝石館であった。
「ここにお世話になってた人たちがいるんだ。グレンダさんが来る前は勉強教えてもらっていた人たち。グレンダさんが来たから、紹介しておこうと思って。今までいろいろとお世話になってきたからね」
「そうなんだ」
グレンダが来る前は宝石館のサファイアたちがクラリッサの家庭教師だった。だが、クラリッサの帰宅が遅くなり、宝石館の営業時間と被るようになったので、クラリッサには家庭教師が必要になったのである。
そもそも宝石館の高級娼婦に勉強を見てもらうということ自体がとんでもないことなのだから、グレンダが来て正常になったというところだ。
「じゃあ、行こう」
「ええ」
こういう高級娼館に行くわけだから上品な服装が必要になったのかと、グレンダはクラリッサのこれまでの行動に納得した。
「こんちは、サファイア」
「あら。こんにちは、クラリッサちゃん」
そして、いつものようにクラリッサがサファイアに挨拶する。
「そちらの方は?」
「グレンダさん。私の家庭教師になった人。グレンダさん、こっちはサファイア」
サファイアが尋ねると、クラリッサがグレンダを紹介する。
「初めまして」
「初めまして。クラリッサちゃんもとうとう家庭教師を受け入れたのね」
グレンダが頭を下げるのに、サファイアがそう告げた。
「オクサンフォード大学に入るからね。これからはバリバリ勉強するよ。推薦枠で入れるのが理想なんだけどね」
「クラリッサちゃん。オクサンフォード大学に入って何を勉強するんだったっけ?」
「経営学。私はホテルとカジノの経営者になるよ」
サファイアの問いにクラリッサがバチリと答えた。
「そうだったわね。なら、勉強頑張らないと」
「頑張ってるよ。ね、グレンダさん?」
サファイアが告げるのに、クラリッサがそう尋ねた。
「クラリッサちゃんは一度興味を持ってくれれば自分で勉強しようという意思がありますね。やっぱり勉強と言うのは自分で面白いと感じて、探求し、そうやって学び取っていくものだと思うんです」
「あら。クラリッサちゃん。随分と優等生になったのね。家庭教師からこんな言葉が出るなんて。前のクラリッサちゃんは『ニンジンの騎士』で音を上げていたような子なのに。自分から興味を持って、勉強しているの?」
グレンダの言葉に、サファイアが意地悪くそう告げた。
「む。私は変わったんだよ。今では寝る前に本をちゃんと読んでるし。外国語の成績も上がったし。もうサファイアたちには迷惑をかけないよ」
クラリッサはむすっとしながらそう告げた。
「それはそれで寂しいわね。クラリッサちゃん、もうあまりここに遊びに来てくれなくなるのかな?」
「そんなことはないよ。サファイアとパールさんに会いに、週末とか遊びに来るよ」
サファイアたちにとってクラリッサは子供や妹のようなものだ。手はかかるものの、そこが可愛い。クラリッサは普通の子供より人懐こいし、喋っていても面白い。大金持ちの貴族やブルジョワ層の男性を相手にしているばかりのサファイアたちも、クラリッサと喋ったりすることで癒されていたのだ。
「ありがとう、クラリッサちゃん。じゃあ、今日はお茶でも飲んでゆっくりしていって。グレンダさんからいろいろ話も聞きたいし」
サファイアはそう微笑むと、お茶を入れるように他の女性に頼んだ。
「パールさんは今日はいる?」
「ええ。いらっしゃるわよ。下がにぎやかになってきたからそろそろ降りて来られるんじゃないかしら?」
クラリッサが尋ねると、サファイアが階段の方に視線を向けた。
「あら。いらっしゃい、クラリッサちゃん」
「こんにちは、パールさん」
そして、パールが階段を下りてやってきた。
「そちらの方は?」
「グレンダさん。私の家庭教師。パールさんたちには今まで勉強見てもらったけれど、これから私も学校から帰る時間がどんどん遅くなるから、宝石館で勉強見てもらうのは難しくなるんだよね。だから、家庭教師を雇ったの」
クラリッサはそうグレンダを紹介する。
「まあ、もしかしてクラリッサちゃんからリーチオさんにお願いしたの?」
「そだよ。私もオクサンフォード大学目指して頑張ってるからね。目指せ、ホテルカジノ経営者。私が経営者になったらアルビオン王国の観光客は10倍に増えるね。それも全部私のホテルとカジノ目当てだよ。経営学を学ぶとそういうことができる」
「それはどうかしらね?」
クラリッサは経営学を1ミリも理解していないぞ。金儲けのマニュアルでもあると思っているぞ。まあ、まだ中等部だし、仕方ないね。
「しかし、クラリッサちゃんが自分から勉強したいって言いだすなんて驚きね。前に家庭教師を付けてもらった時は半年も経たずに辞めちゃったのに」
「私も進歩しているってことさ」
クラリッサはふふんと鼻を鳴らした。
「あのー……。失礼でなければお聞きしたいんですけど」
「なにかしら?」
「おふたりはエルフでいらっしゃいますか?」
おずおずとグレンダがそう質問した。
「私はハーフエルフよ」
「私はエルフね」
サファイアとパールがそれぞれそう告げる。
「わあ。私、どちらも初めてお会いしました! やっぱりハーフエルフの方も、エルフの方も、どちらも長命でいらっしゃいますから、教育に関しても人間とは異なるのでしょうか? 昔から疑問だったんですよ」
そこでグレンダが教育学部らしい質問をする。
「森に住んでいるエルフたちはのんびりとしたものね。特にアルビオン王国は国王命令でエルフが保護されているから。けど、私たちのように街の中で暮らすエルフは人間と変わらない営みを送るようになるわ。結局は寿命の問題というより、環境の問題なの。環境に適応しなければ生き残れない。都市のエルフは都市を生きる人間のようになるわ」
「そう。私たちも最新の文学や芸術に通じていないとこの商売はできないからね」
パールとサファイアがそれぞれそう告げる。
「なるほど。やはり教育は個人の素質より環境なのですね。適切な環境を設けることができれば、多くの人々を教育することができると」
「その結論に至るのはちょっと早いわ。同じ王立ティアマト学園中等部の生徒でもクラリッサちゃんなんかはまた別の要素を持っている。だから、学校の授業だけじゃ成績は維持できない。環境も大事だけれど、その環境は必要性を生み出すものであって、必ずしも教育を促進するものではないの。個人、個人に応じた教育環境こそ必要なものよ」
「ふむ。そうですね。環境は教育の必要性を生み出すが、それに応えるのは個人。そして個人は素質の違いがある。教育環境はそれぞれの個人に応じたものに。私の研究室の教授が言っていることと凄く似ています」
そして、教育学部らしい話題に花を咲かせるグレンダであった。
「ぶー……。グレンダさん、私も話に混ぜてよ?」
「あ。ごめん、ごめん。つい、エルフの人をみちゃったからテンションが上がっちゃって。ないがしろにするつもりはなかったんだよ」
自分がついていけない話題に頬を膨らませるクラリッサだった。こういうところはまだお子様である。
「それでね。サファイアとパールさんにはすっごくお世話になったんだ。夏休みの自由研究とか読書感想文とかも手伝ってくれたもんね?」
「クラリッサちゃん。これからは宿題は自分でやるのよ?」
クラリッサがにこりと微笑み、パールが笑顔でそう告げた。
「……グレンダさんは夏休みの宿題、手伝ってくれるよね?」
「うーん。基本的には自分でやらないとダメだよ?」
「基本的にはね。基本的には。ダメなところはお願いするよ」
クラリッサは勝手に納得した。
「クラリッサちゃんもそろそろ夏休みね」
「そうだよ。その前に期末テストでグレンダさんとの努力の成果を見せつけるんだ」
「自信はある?」
「ばっちり」
クラリッサはここ最近、勉強を楽しく頑張り、グレンダと一緒に期末テスト対策を進めてきた。苦手だった第一外国語と第二外国語もかなり克服し、歴史も何とか年表を自分で書けるようになっている。後は国語の問題がもう少し改善すればこれまでにない成績を獲得できるかもしれない。
少なくともクラリッサが早めにやる気を出したのは正解だった。
クラリッサは大学進学を目指している生徒からすると出遅れていたが、この時期ならまだ巻き返すことができる。これからこれまでの分、頑張ることができたなら、普段の成績も向上し、内申点も申し分なくなるだろう。
クラリッサが生徒会活動に深くかかわり、部活動としても大会で成績を出していることを考えるならば、本当に内申点は申し分ない。高等部に入ってからクラリッサが何か部活を始めれば完璧だろう。
「グレンダさんには家庭教師をしてもらうけれど、宝石館にはこれからも遊びに来るからよろしくね、パールさん」
「ええ。クラリッサちゃんならいつでも歓迎するわ。遊びに来て頂戴」
クラリッサはそう告げ、パールがそう返す。
「それじゃあ、またね」
「また来てね、クラリッサちゃん」
クラリッサは話を終えて、グレンダと一緒に宝石館を出た。
「素敵な人たちだったね」
「でしょ? 私の人生の師だよ」
グレンダが微笑むと、クラリッサが自慢げにそう告げて返した。
「グレンダさん。家まで送っていってあげる。乗って、乗って」
「ありがとう、クラリッサちゃん」
クラリッサはグレンダを愛車に乗せると、賑やかなロンディニウムはイースト・ビギンの街並みを駆け抜けていった。
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