娘は期末テストにあまり挑みたくない
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──娘は期末テストにあまり挑みたくない
ベニートおじさんの引退記念パーティーが終わるといよいよ期末テストだ。
……なのだが。
「パパ。お小遣い頂戴」
「……教師を買収するための金なら出さんぞ」
「そんな」
クラリッサは早速不正を働こうとしていた。
「ちゃんと勉強するって約束しただろう? 勉強しなさい」
「いろいろと忙しかったから」
「じゃあ、ご褒美はなしでいいな」
クラリッサはここ最近はベニートおじさんの引退記念パーティーの準備で忙しかったが、それは言い訳にはならないのである。
「パパ。20位内で妥協しない?」
「しない。お前、オクサンフォード大学の経営学部を目指すんだろう。それこそ学年5位以内ぐらいじゃないと入れない大学だぞ。俺とカジノを経営するという夢はもうあきらめてしまっていいのか?」
そうなのである。
クラリッサはリーチオが計画しているロンディニウム新規開発地区におけるカジノとホテルの経営のために、オクサンフォード大学において経営学の学位を取得するとリーチオに約束しているのだ。
王立ティアマト学園もなかなかにレベルの高い学校であるが、聖ルシファー学園などからも受験者が現れるとなると、それこそ学年5位内の成績は欲しいところだ。クラリッサは一応は生徒会などをやって内申点を稼いでいるが、美術などの科目はダメダメなため、純粋に学力で勝負するしかない。
つまり学年10位内というのは第一歩に過ぎないのである。
「……裏口入学」
「ダメ」
アルビオン王国の大学はたとえ入学できたとしても、それなりの学業の成績を示さなければ卒業できないのだ。よって、裏口入学は出来ない。
「入学試験に歴史とかあるの? 経営学部だよ?」
「社会的一般常識を知っていることは当然だからだ。それに経営学は別に数字だけ扱うわけじゃないぞ。宗教や歴史から経営手腕を学ぶこともある。それに、お前歴史だけじゃなくて、第一外国語と第二外国語も苦手だろ」
「てへっ」
「てへっ、じゃない」
これは参ったという顔をするクラリッサにリーチオが力なく突っ込んだ。
「ほら。分かったら勉強だ。10位以内に入ったらご褒美だぞ。しっかり頑張れよ」
「うーむ。大学に入るためだ。仕方ない」
クラリッサは短く唸ると、自室に向かっていった。
「今日も宝石館、ってのは迷惑かな。図書館で勉強しようか。でも、本の匂いって眠気を誘うしな……。やっぱり宝石館にしよう」
クラリッサは本の匂いを嗅ぐと眠たくなるのだ。
この勉強を生理的に拒否する体質で、本当に学問を学ぶところの最たるものである大学に進学できるのだろうかと心配になってくる。
「そうだ。お世話になるわけだから、菓子折りぐらいは持って行かないとね。日頃の感謝を込めて、美味しいお菓子を贈ろう」
一見すると常識があるような発言だが、実際はあわよくばお菓子とお茶でお喋りして、今日の勉強をなかったことにしようとしているのだ。要らぬところには本当によく知恵の回るクラリッサである。
勉強しないと本当にオクサンフォード大学には入学できないぞ、クラリッサ。
「シャロン。オクサンフォード・ストリートに寄ってから、宝石館に行こう」
「畏まりましたであります、お嬢様」
クラリッサが告げるのにシャロンが準備を始める。
「今度の期末テストで10位内に入ったらパパがご褒美をくれるんだよ」
「そうなのでありますか。しかし、ご褒美とはいったい何でありますか?」
「うーん。好きなものを買ってくれるとか」
リーチオはご褒美をくれると言っていたが、実際にどのようなご褒美なのかは分からない。クラリッサの欲しいものは何でも買い与えていたため、クラリッサに何か特別なプレゼントとなると困ったことになる。
「お嬢様はどのようなものが欲しいでありますか?」
「そうだね……。自動車とか?」
「自動車でありますか?」
クラリッサは暫く考えた末にそう告げた。
この世界では既に自動車が発明されており、量産されて庶民が手に入れられるものにはなっていないものの、富裕層が有するステータスシンボルとしてアルビオン王国でも少数が走っている。蒸気機関で動くものから、初期の内燃機関で動くもの。まだまだ自動車産業は過渡期にあるのが現状だ。
アルビオン王室にもアルビオン王国の自動車メーカー“ランカスター・モーターズ”から蒸気自動車が提供されているものの、馬車の方が優雅であるとの理由で、王族がそれに乗ることはほとんどない。ジョン王太子に至っては見たこともない。
「自動車で学園に通ったらクールだと思うな。だって、リバティ・シティではもう自動車が走ってるんだよ。私たちも流行に乗っていかなくちゃ」
「けど、お嬢様は自動車の運転方法をご存じなのでありますか?」
「見ればわかるよ。私は天才肌だからね」
「流石であります!」
嘘だぞ。クラリッサは見たところで首を傾げるだけだぞ。
「まあ、まずは10位内に入らないとね。勉強しなくちゃ……」
「頑張ってくださいであります」
クラリッサがだらりとするのに、シャロンが馬車を出発させた。
馬車はオクサンフォード・ストリートに入り、クラリッサはお菓子の詰め合わせを購入すると、そのままイースト・ビギンに戻り、宝石館へと向かった。
「こんちは、サファイア」
「こんにちは、クラリッサちゃん」
いつものように宝石館でクラリッサがサファイアに挨拶する。
「今日も勉強?」
「そ。勉強だよ。今日は日頃のお礼にお菓子も持って来たよ」
「あら。ありがとう、クラリッサちゃん」
クラリッサは買ったばかりのお菓子の詰め合わせをサファイアに差し出す。
「それで、今日も外国語の勉強?」
「外国語はもういいと思う。諦めよう」
「……クラリッサちゃん。そういう時は諦めるのが早いわね」
クラリッサは第一外国語と第二外国語を放棄する姿勢に入った。
とは言え、クラリッサは中等部の生徒である。日本で言うなら中学生。それが自国の言語に加えて、他にふたつの言語も勉強しろと言われたら流石に詰め込みすぎだろう。一部の進学校ではそういうこともやるかもしれないが、クラリッサには無理である。
「じゃあ、今日は何を勉強するの?」
「歴史。これさえ乗り切ればどうにかなる」
クラリッサはドンと歴史の教科書をテーブルに乗せた。
期末試験の範囲は12世紀から14世紀。ほぼ中世だ。
ペストの大流行からルーシへの魔王軍侵攻に至るまで暗い歴史の時間である。
ついでにアルビオン王国国王がさりげなくロマルア教皇国の法王に破門されていたりもする。アルビオン王国にとっては大陸における領土を失ったり、よりによって国王が破門されたりと散々な時期だ。
「クラリッサちゃんは歴史の何が苦手なの」
「歴史の全てが苦手」
「そ、そうなの……」
クラリッサ、それは堂々と言うことではないぞ。
「覚えるのも苦手。興味も持てない。私は過去は振り返らないんだ」
「うん。一見してカッコいいことを言っているように思えるかもしれないけれど、それは歴史に負けたということよ。今があるのは過去があるおかげ。過去の積み重ねで今があるの。過去を否定してはいけないわ」
「そんな」
サファイアが淡々と告げるのにクラリッサが戦慄した。
「というわけで、歴史の勉強をしましょうね。この時期を表すいい文学作品だと“ドゥームズデイ・ブック”かしら?」
「面白い?」
「とっても面白いわよ」
クラリッサは教科書を見て、ひたすら暗記する勉強方法は合わなかった。いくら覚えようにも新しい覚えるべきことが現れるたびに頭から単語や文言が抜け落ちていくのだ。まるでトコロテンだな。
なので、クラリッサの勉強方法は面白い歴史小説を読んで歴史を学ぶことにあった。
クラリッサはお金のことになると想像力豊かになるのだが、勉強のことになると途端に想像力がよわよわになる。歴史の出来事をそのまま伝えられても『?』となるだけで、実際にそれがどういうことだったのかをイメージできないのだ。
その想像力の欠如を小説で補う。
クラリッサはやはり国語もよわよわだったが、初期に比べると読解力も向上している。サンドラの言われた通り、週に1冊の本を読んでいるおかげだろう。
そのため自分で読まずにサファイアなどにお話として読んでもらえば、歴史についての理解力も高まるのである。それから博物館で見た甲冑や武器から、ビジュアルとしてのイメージもできるようになった。博物館や美術館の見学も全くの無駄ではなかったのだ。
そういうわけで、クラリッサはサファイアの読み聞かせる歴史小説に聞き入りつつ、それとなく覚えるべきであろう点をメモする。
メモの効率的な取り方はウィレミナが教えてくれたので、最近のクラリッサのノートは割合綺麗である。最初の時はヴォイニッチ手稿も真っ青の後になって読み返せないタイプのノートだったのが、最近では本人ならばちゃんと読み返せるようになっている。
クラリッサも日々成長していっているのだ。
「ふむふむ。アルビオン王国って結構しょぼいね」
「そういうこと言ったらダメよ。クラリッサちゃんもアルビオン王国臣民なんだから」
この時期のアルビオン王国は確かに偉大な業績はない。
「ねえねえ。今度、学年10位に入ったら自動車を買ってもらうんだ」
「自動車? そういえば買ったって言っていたお客さんがいたわね」
この宝石館のお客は超高級品である自動車を買えるほどに裕福なのだ。
「その人、自動車がどんな感じか言ってた?」
「馬車よりも楽しいとは言っていたわ。けど、乗馬に比べると微妙だとも」
「うーむ。私はあんまり乗馬はしないから比べられないな」
アルビオン王国も昔は馬術が必修科目だったのだが、生徒数の増加もあって必要な馬を確保できず、馬術の授業はなくなってしまっていた。クラリッサも馬には乗れるものの、そんなに頻繁に乗ったりはしない。
「けど、どうして自動車なの?」
「流行だからだよ」
自動車は確かにリバティ・シティでは走っているものの、アルビオン王国ではあまり見かけないぞ。それを流行りと言うのはちょっと無理があるぞ。
「馬車の方が優雅じゃないかしら?」
「自動車は自分で運転できるんだよ。馬車は自分で運転できないし、自動車買ってもらったら自動車で学校に乗りつけて、注目の的になるんだ」
クラリッサは自動車を見せびらかす気満々だ。
「あら。クラリッサちゃん?」
「こんにちは、パールさん。お邪魔してます」
そんな会話をサファイアとしていたとき、パールが2階から降りてきた。
「パールさん、パールさん。自動車、乗ったことある?」
「1回だけあるわね。お客さんが自動車を買って、乗せてくれるって言われて」
「どうだった? 楽しかった?」
「うーん。新鮮な経験ではあったわね」
正直、この時代の自動車は蒸気で動いているのが多いので煙たいし、サスペンションもそこまで発達していないので乗り心地はあまりよくないのだ。
「今度、テストで10位内に入ったらご褒美に自動車買ってもらうんだ」
「本当に? だって、自動車って1000万ドゥカートはするわよ?」
とんでもない値段である。
日本の家庭でも成績が上がったらご褒美にゲームを買ってもらったりするかもしれないが、成績が10位内だったからといって高級自動車メーカーのスポーツカーを買ってもらったりする中学生がいるとは思えない。いたとしたら凄いとしか。
「大丈夫。パパはご褒美の値段の制限はしてなかったから」
テストのご褒美に1000万ドゥカートもする自動車という名の超高級品を買わされようとしているリーチオの明日はどっちだ。
「それじゃあ、頑張って勉強しないとね。10位内に入らないと自動車は買ってもらえないのでしょう? 今日は何を勉強しているの?」
「歴史。サファイアに読み聞かせてもらってた」
クラリッサはそう告げてサファイアの語った物語でテストに出そうなところをメモしたノートをパールに見せた。
「まあ、よく勉強しているわね。じゃあ、続けましょう。テスト範囲は12世紀から14世紀ぐらいかしら?」
「よく分かんない。教科書のここからここまでぐらい」
クラリッサはテスト範囲すらよく理解していないぞ。
本当にこの子はアルビオン王国でも有数の大学に行けるのだろうか……。
「そうね。なら、これはいいかもしれないわ」
「その本、面白い?」
「面白いわよ。聞かせてあげるわね」
クラリッサは小説を読み聞かせてもらいながら、勉強を続けた。
果たしてクラリッサの成績はいかに!
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