娘はおじさんの引退記念パーティーを開きたい
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──娘はおじさんの引退記念パーティーを開きたい
ベニートおじさんが引退する日がやってきた。
ベニートおじさんは既に引っ越しの準備を始めている。イースト・ビギン郊外の屋敷からサンドフォードの牧場に引っ越すのだ。
リベラトーレ・ファミリーを引退した今、わざわざ物価の高いロンディニウムにいることはない。田舎で家畜の世話をしたり、日光浴をしたりしながら、のんびりとした日々を過ごすのだ。それがベニートおじさんの隠居というものだった。
もちろん、ベニートおじさんには警護が付く。これまで武闘派の筆頭格として数々の敵や密告者を処刑してきたベニートおじさんは恨みを買っている。引退したからと言って、はいそうですかと納得してくれるような相手ではない。
リベラトーレ・ファミリーは引退した人間の面倒を見る。
未だに年金制度も未発達で老齢医療も老齢介護も不確かなこの時代に置いて、それはありがたいことである。リベラトーレ・ファミリーはベニートおじさんが悠々とした老後の生活が送れるように金を送るし、若い人間を世話役に付けておく。ベニートおじさんはまだ自分の足で立って歩くことができるので、そんなものはいらないと思うかもしれないが、ベニートおじさんほどの年になるとちょっとした怪我でも大きな障害になる。
ベニートおじさんはこれまでリベラトーレ・ファミリーのために尽くしてきた。ならば、それに報いるのはリベラトーレ家のモットーとして当然のことである。
「ベニート。引っ越しは進んでいるか?」
「ええ、ボス。週末には荷物もサンドフォードに届きます。それからはゆっくりと家畜の世話をしながら隠居生活を楽しみますよ」
リーチオがベニートおじさんの屋敷を訪れて尋ねるのに、ベニートおじさんがそう告げた。屋敷から荷物を運び出しているのはリベラトーレ・ファミリーの構成員であり、彼らがベニートおじさんの引っ越しを手伝うことになる。
「サンドフォードはいい村だと聞いている。ロンディニウムのように空気が汚れていないと。お前は今までよく働いてくれた。これからはのんびりと過ごしてくれ」
「はい、ボス」
それでもベニートおじさんはどこか寂しそうだった。
「それからベニート。今日、パーティーがある。出席してくれ」
「パーティー? 何のパーティーですかい?」
リーチオの告げた言葉にベニートおじさんが首を傾げる。
「それは行ってみてのお楽しみだ。招待状を渡しておく。必ず来てくれ」
「了解です、ボス」
それからベニートおじさんの引っ越しは続いた。
空き家になる屋敷はベニートおじさんの息子と妻が使うことになっている。ベニートおじさんの息子は弁護士として既にリベラトーレ・ファミリーの仕事に関わっていたが、ベニートおじさんの斡旋で、堅気の女性と結婚していた。
まあ、リベラトーレ・ファミリーの仕事をしていると言っても、ちゃんとした弁護士だ。ピエルトのように犯罪行為には手を染めていない。
ピエルトの方は未だに結婚相手が見つからず、40歳を過ぎようとしていた。
ピエルトも全くの童貞だというわけではない。一時期は付き合っていた女性もいた。だが、どうしても結婚まで行きつかないのだ。ピエルト自身は結婚したいと思っているようで、結婚したら女遊びができなくなるということを恐れている節がある。
それでもピエルトもそのうち家庭を持つだろう。
ベニートおじさんが家庭を持てたのだ。不可能ではない。
さて、そんなこんなでベニートおじさんをパーティーに誘えた。
後はクラリッサの采配が光る時!
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ベニートおじさんは馬車でパーティー会場であるプラムウッドホテルまでやってきた。プラムウッドホテルを借りてやるからには、それなりのものを祝うパーティーだろうとは思ったものの、それが自分の引退と関係するとは思わなかった。
これまでベニートおじさんも何名もの引退を見届けてきたが、引退するときは静かなものであった。ボスからのこれまでの感謝の言葉が述べられ、ワインを一本もらって、ファミリーから静かに立ち去る。
もちろん、引退した構成員の面倒をリベラトーレ・ファミリーは見ている。他のファミリーと比べても、引退後の処遇は格段にいい。だが、引退というのは祝うものではない。ファミリーが必要としなくなった男たちは静かに去るのみなのだ。
そんなわけで、ベニートおじさんはこのパーティーの意味が分からず、何を祝うのだろうかと思いながら、プラムウッドホテルの中に入った。
「失礼。招待状を拝見させていただいてよろしいでしょうか?」
ベニートおじさんがホテルの受付でパーティーのことを告げるのに、ホテルの従業員がそう告げる。
警備は強固なものだ。七大ファミリーが麻薬戦争に突入して以降、ますます状況は厳しくなっている。街のチンピラがマルセイユ・ギャングのような犯罪組織に雇われて、リベラトーレ・ファミリーの幹部などを狙う可能性は非常に高かった。
ベニートおじさんは一度襲われて、脇腹を刺されている。ベニートおじさんは大したことではないというが、あの騒ぎから幹部たちの周辺警備が強化されたのだ。麻薬戦争が始まってからはさらに強化されている。
「招待状。これでいいか?」
「はい。確認いたしました。どうぞ、中央レセプションホールへ。スタッフがご案内いたします。この度は当ホテルをご利用いただきまことにありがとうございます」
ベニートおじさんが招待状を見せるのに、ホテルのスタッフがベニートおじさんをこのプラムウッドホテルでももっとも広く、豪華な中央レセプションホールに案内した。いつもはクラリッサの誕生日パーティーなどが開かれる場所だ。
さて、何を祝うのだろうかと思いながら、ベニートおじさんはホールに入った。
「ベニートおじさん、ご苦労様でした!」
パアンとクラッカーの鳴る音がして、紙吹雪が舞い散る。
ベニートおじさんは突然のことにきょとんとしていた。
「ベニートおじさん。引退記念パーティーにようこそ」
そして、クラリッサが前に出て、ベニートおじさんにシャンパンのボトルを手渡す。
「まさかこのパーティーは俺の引退のために……?」
「そうだよ。みんな、ベニートおじさんにお世話になったからその恩返し。私もベニートおじさんからいろいろ教えてもらったから、今日のパーティーの準備は張り切ったんだよ。是非とも楽しんでいってね」
ベニートおじさんがそう告げるのに、クラリッサがにこりと笑った。
「ありがとう、クラリッサちゃん。わざわざ俺のためにこんな豪勢なパーティーを開いてくれるだなんて。とても感激したよ。俺は引退するけれど、これからもクラリッサちゃんとは仲良くしていくからな」
「うん。私もベニートおじさんの農園に遊びに行くからね」
ベニートおじさんが感動で溢れた涙をぬぐうのに、クラリッサはそう告げた。
「さあ、ベニートさん。シャンパンを開けてください。上物ですよ、それ」
「おう。俺の引退を祝して!」
ベニートおじさんはそう叫んでシャンパンのボトルのコルクを飛ばした。ポンッと威勢のいい音が響き、シュワワワッと炭酸があふれ出す。
「ベニートさん! お疲れさまでした!」
「お世話になりました!」
リベラトーレ・ファミリーの幹部たちが最年長のベニートおじさんに感謝の言葉を述べていく。ベニートおじさんはその言葉に無言で頷き、それぞれのシャンパンのグラスで乾杯していった。
「ベニート。これまで俺たちを支えてくれて感謝する。これからゆっくり過ごせ」
「ありがとうございます、ボス。俺のためにわざわざ」
「クラリッサがやりたいと言ったんだ。それにお前には特に世話になったからな」
リーチオが告げるのに、ベニートおじさんが頭を下げる。
「俺もボスには世話になりました。これからさらに世話になるでしょう。それだけの働きができていればいいのですが」
「お前の働きは十分だった。パーティーを楽しめ。ケーキもあるぞ」
リーチオが告げるのにケーキが運ばれてきた。
そのケーキにはチョコレートで“ベニートおじさん、お疲れ様”と書かれており、クラリッサが準備したであろうことが窺えるものだった。
「ベニートおじさん、甘いもの好き?」
「ああ。大好きだ」
クラリッサが尋ねるのにベニートおじさんが頷いて、ホテルのスタッフがケーキを切り分けていく。ベニートおじさんは手に持った皿にケーキを受け取り、フォークでケーキをまるかじりした。
それはこれまでベニートおじさんが食べてきたケーキの中で、結婚式で食べたケーキに次ぐ美味しさだった。
「ベニートさん。引退おめでとうございます」
「お疲れ様です」
パールとサファイアもクラリッサの誘いでパーティーを訪れていた。
「ありがとう、パール嬢、サファイア嬢。これからもクラリッサちゃんを頼むぞ」
「ええ。もちろんですわ」
ベニートおじさんが口ひげに生クリームを付けたまま告げるのに、パールが微笑んでハンカチでひげについたクリームをぬぐってやった。
「今回のパーティーは全部クラリッサちゃんが?」
「そうですわね。ケーキや料理、プレゼントには相談を受けましたけれど、実際に準備したのはクラリッサちゃんですよ。クラリッサちゃんは大好きなベニートおじさんのためだからってとっても張り切ってましたわ」
ベニートおじさんが尋ねるのに、パールがそう告げて返した。
「そうか。嬉しいねえ。人にここまで感謝されるっていうのは」
マフィアとは人に感謝されるような商売ではない。確かにみかじめ料を納めている店を守ってやることで表向きは感謝されるし、南部人のよしみで融資をしてやっても表向きは感謝される。だが、その本質にあるのはマフィアの恐怖だ。
マフィアが心から感謝されることなどない。マフィアとはそういう職業なのだ。
そうであるがゆえにベニートおじさんも感謝され慣れていなかった。こうして構成員たちや、リーチオ、そしてクラリッサに心から感謝されるというのは思わず涙が出るほどに嬉しいことであった。
「さあ、今日はパーティーの主賓ですからパーティーを堪能なさって」
「ああ。そうするよ」
それからベニートおじさんは他の幹部やかつての部下たちと言葉を交わしながら、乾杯していき、ピエルトに絡み酒をしたりしていた。
「ベニートおじさん。これは私たちからプレゼント」
「おお。ありがとう、クラリッサちゃん。開けてみてもいいかい?」
「いいよ」
ベニートおじさんはクラリッサから渡されたプレゼントの包装を解く。
「おお。こいつは……」
プレゼントは絵画だった。
ポリニャック事件の際のものだろう。ピストルモデルのマスケットで武装し、部下を引き連れてフランク王国の犯罪組織のアジトに突入していくベニートおじさんの姿が描かれている。指を食い千切った犬も一緒だ。
「クラリッサちゃん。わざわざ俺のために?」
「うん。ベニートおじさんが寂しくなったらこの絵を見てね。リベラトーレ・ファミリーは絶対にベニートおじさんのことを忘れないから。いつでも力になるよ。その絵はベニートおじさんはファミリーに欠かせない人物だったって証だから」
ベニートおじさんが感動して尋ねるのにクラリッサがサムズアップして返した。
「そうか。本当に嬉しいよ、クラリッサちゃん。ファミリーが俺を必要としていたという証か。本当にいいプレゼントをもらってしまったな」
ベニートおじさんがいままで見てきた引退していく人間は、ファミリーから必要とされなくなってさっていくものたちだった。
だが、クラリッサは送ってくれた。ベニートおじさんをファミリーが必要としていた証を。これほどまでに嬉しいプレゼントもない。
「リビングにでも飾ってね」
「おいこら。そういう物騒な絵をリビングに飾らせようとするんじゃない」
クラリッサが告げるのにリーチオが突っ込んだ。
「いや。こいつはリビングに飾らせていただきますぜ。どんな絵よりも素晴らしい」
ベニートおじさんはそう告げてにやりと笑ったのだった。
パーティーが終わり、ベニーとおじさんさんがサンドフォードに旅立ったのは、翌日のことだった。ベニートおじさんはクラリッサからもらった絵を丁重に梱包すると、それを抱えてサンドフォードの村に去っていった。
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