娘はおじさんの引退を祝福したい
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──娘はおじさんの引退を祝福したい
「ベニートが引退する」
「え? ベニートおじさんが?」
夕食の席でリーチオが告げたのに、クラリッサが目を丸くする。
「そうだ。あいつももう年だからな。引退させてやらんといかん。いつまでも年寄りをこき使うのはよくない。あいつには引退してもらって、のんびりとした老後の生活を送ってもらいたい。分かるだろう?」
「うーん。でも、ベニートおじさんは納得したの?」
「当然だ。ベニートも体の衰えを感じていた。それにあいつが引退しても、ファミリーへの影響力が皆無になるわけでもないし、引退後の生活はファミリーが面倒を見る。あいつが心配するようなことはなにもない」
ベニートおじさんは第一線を退き、農場で穏やかな隠居生活を始めるだろう。だが、だからといってファミリーから完全に離れるわけではない。
組織の長老としてファミリーに発言権は残るだろうし、引退後の生活はファミリーがちゃんと保証する。ベニートおじさんは引退してもマフィアなのだ。
「じゃあ、ベニートおじさんの引退はお祝いをしてあげなくちゃね」
「まあ、お前がしたいというのならやってもいいぞ」
「パパはお祝いする気、なかったの?」
「良くも悪くも引退だからな。祝うことかどうか」
ベニートおじさんの心は未だに武闘派なのだが、体の方が追い付かないことで引退である。それは祝うべきことなのかどうかリーチオには判断しかねることだった。
「ベニートおじさんの新しい生活の始まりなんだから祝ってあげないとダメだよ。これまで私もお世話になったし、そのお礼をしなくちゃ。パパもベニートおじさんにはお世話になったでしょ? なら、お祝いだよ」
「そうだな。感謝を込めてお祝いしてやるか」
これまで何名かの幹部が引退してきた。
だが、引退を喜ぶものは少ない。ファミリーに自分の存在が不要になったことを残念に思うものたちが多かった。引退後は発言力は残るとは言えど、情報は限定されるし、現役時代ほどの権利はない。
可能な限り現役で残りたいと思うが、新しい世代に道を譲る必要もある。組織とは絶えず循環していなくてはならないのだ。
ベニートおじさんもそれは理解している。だが、やはり現役を外れるのはショックなことだろう。年を取ったと感じるのは辛いものだ。
クラリッサが催すお祝いがせめてもの慰めになってくれればいいのだが。
「お祝いはプラムウッドホテルでやるよ。パパ、予約お願いね」
「お前も贅沢に育ったなあ。しかし、ベニートを祝うのだからこれぐらいはするべきか。日時は何日ぐらいがいい?」
「ベニートおじさんが正式に引退するのは?」
「3月3日だ。お前、お祝いはいいけど期末テストの勉強もしろよ?」
「それじゃ、3月4日にしよう。ベニートおじさんには内緒にしててね。驚かせたいから。こういうお祝いはサプライズの方が喜ばれるんだよ」
クラリッサは自慢げにそう告げた。
「で、期末テストの勉強は?」
「お祝いにいはケーキもあった方がいいよね。でも、そんなに大きくないやつで」
「話題を必死にそらそうとするな」
クラリッサは期末テストの話はしたくないのだ。
「期末テストはその時に頑張ればいいんだよ。無理に勉強をして、期末テストの成績だけよくしようよするのは普段の努力を怠っている証拠」
「ほう。では、お前は普段から勉強を頑張っているんだな?」
「それとこれとは別の問題」
クラリッサはテスト前に慌てなくてもいいような規則正しく勉強している生徒というわけでもないのだ。
つまり、テスト前に一夜漬けするタイプである。ダメなパターンだ。
「ベニートの引退を祝うのもいいが、まずはお前は勉強しなさい。期末テストの成績が悪いとベニートも安心して引退できないぞ」
「ベニートおじさんはそういうのは気にしないよ」
「します」
実際のところ、ベニートおじさんはクラリッサの成績のことであれこれ言ったりはしない。子供はすくすくと育てばそれでいいというのがベニートおじさんであり、成績のことは細かいこととして気にしないのだ。
ベニートおじさんが一言言ってくれればクラリッサも勉強すると思うのだが。
「じゃあ、テスト勉強する。けど、ベニートおじさんのお祝いもするよ?」
「ああ。ちゃんと勉強するならいいぞ。今度の期末テストで10位内に入ったら、お前にもお祝いをしてやろう」
「やったね」
クラリッサは最近は第一外国語と第二外国語と歴史が足を引っ張り、15位くらいをうろうろしている状況である。
「期末テスト、頑張るんだぞ」
「任せて」
リーチオが告げるのにクラリッサがサムズアップして返した。
だが、どことなく心配になるリーチオだった。
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「それでね。今度、ベニートおじさんが引退するの」
クラリッサがそう告げるのは宝石館。
そこでクラリッサがサファイアとパールと一緒に第二外国語の勉強をしていた。
「ベニートさんが引退するの? まだまだ若いと思っていたわ」
「私たちからすると若いかもしれないけれどね」
サファイアが驚くのに、パールがそう告げる。
「ベニートおじさん、何歳なんだっけ?」
「67歳ね。そろそろ引退する年齢だったわ」
そうなのだ。ベニートおじさんもそろそろ定年退職するべき時期だったのだ。67歳にもなれば体に故障が生じてくるし、武闘派の心に体力が追い付いてこないということもある。この世界の老齢医療の未発達な現状からして、それはやむを得ない。
それにベニートおじさんは喫煙者だ。長らく煙草を吸っている。それもまた体力にあまりよくない影響を与えていただろう。
ベニートおじさんの引退は仕方のないことだったのだ。
「ベニートさんが引退するとなると、後継者が必要よね。それは決まってるの?」
「分かんない。パパ、教えてくれなかったし」
ベニートおじさんのいた席にはピエルトが座ることになっているぞ。
「けど、ベニートさんもすぐに隠居というわけにはいかないでしょうね。しばらくは相談を受けたりするはずよ。ベニートさんはマフィアに長く在籍していたから」
「そうなのか。ベニートおじさんも大変だな」
サファイアが告げるのに、クラリッサがうんうんと頷いた。
「クラリッサちゃんも大変よ? 今日までにこの文章を全て訳さなければならないんだから。さあ、しっかり文章を読んで。文法を思い出して」
「無理……」
パールが告げるのにクラリッサが机の上にぐでんと伸びた。
「クラリッサちゃん。勉強頑張るって張り切ってたじゃない」
「張り切りすぎてスタミナ切れ……」
まだ勉強を始めてから30分しか経ってないぞ。
クラリッサの集中力はよわよわだ!
「やっぱり友達や家庭教師の人に教わるのがよかった?」
「ううん。サンドラは魔術部、ウィレミナは陸上部で忙しいし、家庭教師は教え方が下手だし、パールさんたちに習った方がいい」
サファイアが心配して尋ねるのにクラリッサはそう告げて起き上がった。
「では、訳してみましょうね。辞書はここにあるわ」
「ええっと。『私は毎朝農園に出かけました』」
「過去形になってるわ。そこは現在形よ。動詞に注目して」
「『私は毎朝農園に出かけます』」
「そうそう。その調子」
クラリッサはそれからパールとサファイアに文法を教えてもらいながら、辞書で分からない単語を引いて覚え、一生懸命に文章を翻訳していった。
日常会話についてはフェリクスとトゥルーデから教わっているので問題はなく、そのおかげか学習速度もなかなかのものになっていた。
パールとサファイアはその仕事柄外国人のお客を相手にすることもあるし、海外の文学作品にも通じていなくてはならない。パールは10か国語を操れるし、サファイアも8か国語に通じている。外国語で詰まったら彼女たちの助けを借りるのは正しいだろう。
「パールさんとサファイアもベニートおじさんの引退記念パーティーに来てくれる?」
「招待してくれるならもちろんよ」
「じゃあ、招待しよう。きっとベニートおじさんも喜ぶよ」
ベニートおじさんは既婚者だぞ。高級とは言え娼婦と遊ぶことはないぞ。
「そうね。喜んでくれるのが一番いいわ」
「クラリッサちゃん。次はこっちの翻訳よ」
サファイアが教科書を開くのに、クラリッサは『死ねる』と言ってまた机にだらんとのびてしまったのだった。
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クラリッサは勉強の合間合間にベニートおじさんの引退記念パーティーの準備を進めていった。プラムウッドホテルを予約し、ケーキや料理の献立を考えたり、当日ベニートおじさんに渡すプレゼントを考えたりと大忙しだ。
それから招待客もしっかりしないといけない。
「カレー支部は安定したか。マルセイユ・ギャングも少しは考えるようになったようだな。まだ安心はできないものの、これから先、本当にマルセイユ・ギャングなどの薬物取引組織の背後に魔王軍が存在するかを探ることができるな」
リーチオが屋敷の書斎でピエルトとマックスから報告を受けていた。
話題はカレー支部のこと。カレー支部は一時は幹部が暗殺されるなどの事態に陥ったが、今ではカレーの官憲や政治家、貴族を買収し、リベラトーレ・ファミリーのフランク王国の拠点として盤石なものとなっている。
ここからが問題だ。
相談役のマックスはマルセイユ・ギャングのような薬物取引組織の背後に魔王軍が存在するとほぼ確信している。その証拠さえ掴めば、マルセイユ・ギャングとて窮地に立たされるし、魔王軍への嫌悪感から薬物取引に対する政治家や貴族たちの姿勢も強固なものとなるだろう。現状では役に立たない官憲がうろうろしているだけだが、魔王軍がかかわっているとなれば軍隊を動員することも可能になる。
マルセイユ・ギャングとて軍隊が動員されれば、大打撃をこうむる。麻薬戦争は一時的にとは言えど七大ファミリーの勝利で終わる。
そういう考えで行動しているリーチオたちは、カレー支部をフランク王国に打ち込んだ楔とし、そこから調査を進めるつもりだ。カレー支部が安定したのは第一歩で、これから本格的な調査が始まる。
「それからロンディニウムの新規開発地区におけるギャンブルの合法化はどうなっている? ホテルとカジノの建設許可は取れたか?」
「ロンディニウム市議会の過半数以上はこちらの考えに引き込めました。ですが、反対派が国会に法案を提出するように動いているようです。アルビオン王国におけるギャンブルは全面的に禁止するというもので、今はその阻止に動いています」
リーチオが尋ねるのにマックスがいつもの氷のような表情でそう告げる。
魔王軍の薬物取引への関与を追及するのと同じくらい大事なのは、ロンディニウムにおける新規開発地区でのギャンブル合法化であった。
リベラトーレ・ファミリーがただの犯罪組織ではなく、合法的な企業として振る舞うために必要とされていたのが、この案件である。
新規開発地区にホテルとカジノを建設し、大陸中から観光客を呼び寄せ、一大ビジネスにする。そうすればいざクラリッサがリーチオの家業を手伝うとしても、それは合法的なものとなる。それが重要だった。
もちろん、ドン・アルバーノが言っていたようにマフィアの繁栄が永遠に約束されたものではない以上、生き残るためにマフィアとしての形態を変えるというのも重要な理由だ。リベラトーレ・ファミリーは企業となり、これから先、世間がマフィアに対する感情を変化させ、敵対的になったとしても生き残るためにこれは必要だ。
リーチオは密輸で培った貿易への知識から一種の商社を作ることも検討しており、将来的にはリベラトーレ・ファミリーのほとんどの事業が合法化されるだろう。
今は莫大な利益を生んでいる酒と煙草の密輸も、政府が税金を下げてしまえば儲からなくなる。このような方針転換は避けられないのだ。
「ギャンブルはこれから大きなビジネスになる。どうあっても合法化は必要だ。マックス、お前の有しているコネを活かして絶対にギャンブル禁止法案の提出を阻止しろ。魔王軍への追及は引き続き、我々が行っていく」
「畏まりました、ボス」
マックスが相談役になって助かっていることは、彼の政界へのコネの強さだ。リベラトーレ・ファミリーも少なからぬ政界へのコネを持っているが、マックスのそれはさらに強い。こうして議員たちの動きを知ることもできるし、その動きを阻止することも不可能ではないのだ。これはギャンブル合法化に当たって欠かせないものだ。
そして、それは同時にマックスが未だに政府側の人間であることを窺わせた。マックスはどこかの情報部の所属であり、魔王軍の動きに対抗するためにリベラトーレ・ファミリーに送り込まれたのではないかと。
ならば、リベラトーレ・ファミリーが魔王軍に対抗している限り、マックスは味方だ。そして、今のリベラトーレ・ファミリーにはそういう味方が必要だった。
「パパ」
そんなときだった。クラリッサが書斎の扉をノックして開いたのは。
「どうした、クラリッサ?」
「ベニートおじさんはいる?」
「今日はいないぞ。ベニートに用事か?」
「ううん。ベニートおじさんの引退記念パーティーのこと」
クラリッサはそう告げると書斎に入って来た。
「招待状ができたからみんなに配って。ピエルトさんも招待するけど、ベニートおじさんには内緒だよ?」
クラリッサはそう告げてピエルトに招待状を手渡した。
「ありがとう、クラリッサちゃん。しかし、ベニートさんが引退するなんて今だに信じられませんよ。後10年は現役でいそうじゃないですか」
「馬鹿言え。ベニートももういい歳だ。楽をさせてやれ」
ピエルトが告げるのに、リーチオが呆れたように告げた。
「いや。でも、ベニートさんって元気そうじゃないですか。いまいち引退って感じしませんよ。ベニートさんは引退するって自分で言ったんですか?」
「俺から尋ねた。これからも続けられるかどうか、と。そこでベニートは自分の体力の衰えを告げ、引退を決めた」
ベニートおじさんは自分から引退すると言い出したわけではない。リーチオが尋ね、それに答える形で引退を決意したのだ。
「決まっちゃったものは仕方ないよ。引退をお祝いしてあげよう?」
「そうだね。盛大にお祝いしてあげなくちゃね」
クラリッサが告げるのに、ピエルトがそう告げた。
「マックスさんも来てね。はい、招待状。ベニートおじさんには内緒だよ?」
「はい。畏まりました」
クラリッサはマックスにも招待状を渡すと招待状の束を置いて、書斎を出た。
「俺も引退するときはクラリッサちゃんにお祝いしてもらいたいですよ」
「お前はまだ働け」
頑張れ、ピエルト。君が引退するのはまだまだ先の話だ。
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