娘は買い物の邪魔をされたくない
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──娘は買い物の邪魔をされたくない
ヒスパニア共和国旅行最終日。
今日はお土産を買うショッピングの日程である。
「あ。このカレンダー、いいかも」
「おー。聖家族贖罪教会の絵が描いてあるね」
サンドラはバルチーノの街の商業地区にあるお土産屋さんで、さまざまなイラストが描かれているカレンダーを手に取っていた。
「お母さん、喜びそう。お父さんには何がいいかな」
「うちは余裕ないから家族全員でひとつのお土産にするつもりだよ」
ウィレミナは確かに魔術大会の賭けで稼いだのだが、旅費などでほとんど消費してしまっていた。お土産を買ったらそれでお終いである。
「ウィレミナちゃんのお土産は何にするの?」
「ん。みんなで食べられるチョコレート。クラリッサちゃんがおすすめだって」
「ああ。ヒスパニア共和国のチョコレートってちょっと有名だったね」
ヒスパニア共和国では冬の間にチョコレートが市場に並ぶのだ。冬の間は気温も低いので、溶ける心配をしなくていいのがありがたいところだ。
「ところで、クラリッサちゃんは?」
「リーチオさんと生徒会のみんなのためのお土産を選びに行ったよ。フィオナさんも旅行に一緒に行きたがってたからね」
この旅行計画が立ったとき、フィオナも一緒に旅行に加わりたがっていた。だが、予定が合わないことと、リーチオが公爵家の御令嬢を預かるのは不安だとしたことから、敢え無くフィオナは旅行には加われなかった。
そんなフィオナとついでにジョン王太子のためにお土産を買って帰るとクラリッサは言っていた。10分ぐらいで戻ってくるという話である。
「クラリッサちゃんも知り合いにはチョコレートを贈るらしいから、その時は一緒に買えばいいよ。私たちは家族の分をサクッと選んでしまおう」
「おー!」
というわけで、ウィレミナたちは買い物を継続。
サンドラは母、父、兄のためにそれぞれカレンダーや小物を選んでいった。観光地のお土産屋さんなので他よりもちょっと値段が高いが、そこまで貧乏でもないサンドラには予算内の買い物であった。
「クラリッサちゃん。遅いね」
「探しに行こうか?」
「やめとこう。私たち、この街に詳しいわけじゃないし、迷子になったり、入れ違いになったりしたら後で困ったことになるよ。大人しくここでクラリッサちゃんが帰ってくるのを待っておくことにしよう」
ウィレミナが告げるのにサンドラが首を横に振った。
「それもそうだ。クラリッサちゃんのことだから心配することもないし」
「リーチオさんもついてるしね」
そう告げ合って、ウィレミナとサンドラは最初のお土産屋さんでクラリッサの帰りを待つことにした。
そのころ、クラリッサは──。
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クラリッサとリーチオは同じ商業地区でも観光客向けのお土産屋さんとは違う場所にいた。彼らがいたのは食品販売専門の店舗だ。
「イカの缶詰」
「それ、酒飲みのつまみなんじゃないか?」
クラリッサがお土産に選ぼうとしていたのは缶詰だった。
バルチーノの街では魚介類の缶詰が多く売られており、種類も豊富で、お土産には持ってこいのものであった。何と言ってもアルビオン王国にはこれだけヴァリエーションの豊富な缶詰は売られていないのである。
だが、リーチオの言う通り、食品保存のために塩で味付けをし、オイリーな缶詰はどちらかというと酒飲みのつまみである。
「うーん。いいアイディアだと思ったんだけどな」
「チョコレートでいいんじゃないか? 缶詰はベニートやパールの土産にすればいい」
「よし。そうしよう」
というわけでクラリッサたちはベニートおじさんやパールのために何種類かの缶詰を購入。ベニートおじさんは晩酌が楽しくなると喜んでくれるだろう。
「じゃあ、ウィレミナたちのところに戻ろう」
「ああ。……だが、その前にしなければならんことがあるようだ」
リーチオはそう告げて周囲に視線を走らせた。
「変な人たちにつけられているね」
「分かるか?」
「まあね」
クラリッサの人狼ハーフの感覚にはリーチオと同じように自分たちを付け回している妙な集団の姿を捉えていた。数は5、6名。だが、この規模の尾行だと予備の人員が何名もいることだろう。20、30名は控えているかもしれない。
「心当たり、あるの?」
「昨日、妙な奴に絡まれた。俺にヤクを扱えと言ってきた連中の使いだ。もちろん、断ったが、どうやらそう簡単に諦めるつもりはないようだな」
疑わしいのは昨日のフェリペという男だった。
リーチオのことを魔王軍だと見抜き、それをネタに薬物を扱わせようとしていた。リーチオは彼に対して明確な拒絶の意志を示したのだが、彼の方はそれを『はいそうですか』と受け入れるつもりはないようである。
「クラリッサ。お前は全力でダッシュしてこの場を離脱しろ。連中は俺が始末する」
「私も手伝うよ」
「やめておけ。連中は銃も持っている」
「銃火の中で戦ったこともあるよ」
「お前はなあ……」
そうなのである。
クラリッサは税関の襲撃と修学旅行の帰り道で銃を持った男と戦っているのだ。
「だが、ダメだ。お前は逃げなさい」
「二手に分かれて戦うんだね?」
「違う」
お父さんは愛娘を危険にさらしたくないのだ。
「3秒数えたら走れ。いいか?」
「オーケー。3秒数えたらぶちかます」
「クラリッサ?」
全くわかってないクラリッサであった。
「3、2、1。逃げろ!」
「ていっ!」
リーチオが叫ぶのにクラリッサが前方に鋼鉄の壁を作り出した。
マスケットの銃声が響いたのはその直後で、銃弾が壁に命中する音がする。
「逃げろと言っただろう!?」
「逃げてたら蜂の巣にされてたよ。ここは腹をくくろう?」
「お前は変なところでディーナに似たな」
「えへへ」
「褒めてはいないからな?」
照れるクラリッサにリーチオが真顔でそう告げた。
「おらあっ! ぶち殺せっ!」
クラリッサのそんな反応をよそに尾行集団が攻撃を仕掛けてきた。
予想通り、数は20名程度。それぞれがマスケットやナイフを抱えてつっこんでくる。
「畜生。クラリッサ! やるぞ!」
「オーケー!」
リーチオの合図にクラリッサが動く。
「はああああっ!」
リーチオは敵集団に向けて突撃した。
「う、撃て! 撃て!」
敵集団はこのリーチオの突撃にパニックになってマスケットを乱射する。
「ふんっ!」
だが、リーチオは無傷である。
人狼としての感覚が銃弾を避けさせ、さらには当たった銃弾を弾く。
リーチオはそのまま敵との間合いを詰めると、腕を薙いだ。鋭い爪の並ぶ腕が敵を八つ裂きにし、敵は呆気なく地面で死体に変わる。
「ひ、ひるむな! 仕掛けろ!」
男たちはマスケットを撃ち続け、さらには魔道式小銃も使用する。
「えいっ」
クラリッサは男たちの銃弾から身を守るように鋼鉄の壁を形成すると、そこから金属の槍を形成して男たちに叩き込んだ。
「ぐあっ!」
「手が! 手が!」
男たちは金属の槍で手足を貫かれ、そのまま戦闘不能になる。
リーチオも敵を撃破しながら、あることを思っていた。
それはディーナとロンディニウムに暴れた日々のことだ。
あの時もディーナがリーチオの背後を守りながら大暴れし、リーチオもディーナの支援の下で活躍したものだ。ふたりして大暴れし、敵に恐怖を植え付けた。そのことで今のリベラトーレ・ファミリーが存在するのである。
そんな状況に今は似ていた。
クラリッサがリーチオの背後を守りながら攻撃を繰り広げ、リーチオは思う存分敵を屠る。ディーナとともに戦っていた日々のことを思い出させる状況だった。
それは懐かしく、もう二度と体験できるはずではなかった状況。
「な、何をしている! 敵はたったのふたりだぞ! それもひとりは子供だ!」
「あれは化け物だ!」
男たちが叫びながら銃を乱射する中でひときわ叫んでいる人間がいた。
「フェリペ」
そう、フェリペだ。
昨日リーチオに接触してきた薬物取引の疑いがある犯罪組織の男が、既に10名程度にまで減った男たちを鼓舞して、リーチオにけしかけようとしていた。
「てめえ、よほど死にたかったらしいな。覚悟はできてるだろうな?」
「ひいいっ! 撃て、撃て!」
リーチオが人狼の威圧感を最大限に発揮して、フェリペに迫る。
男たちはその威圧感に気圧され、銃を地面に落とし、地面にへたり込み、失禁する。
「な、何をしているんだ! 撃て! 撃たないか! この男を殺せ!」
フェリペは叫ぶが命令は男たちに響いていない。
「フェリぺ」
リーチオはそう告げてフェリペの胸倉を掴むと大きく持ち上げた。
「待て! 待ってくれ! これは不幸な誤解だ! 今からでもやり直せる! そちらが取引を飲めば、もうそちらに手出しはしない! このことについては謝罪する! だ、だから、頼むから、殺さないでくれ……!」
フェリペは子供のように泣き叫びながらそう告げた。
「俺は言ったはずだぞ。薬物取引なんぞに興味はないと。そんなことも覚えてられなかったのか? それじゃあ、お前と交渉しても無意味だな。今、ここで生きたまま八つ裂きにしてやる。覚悟しておけ」
「あ、ああ! 分かった! 取引はもういい! そちらの立場はよく分かった! もう取引の話はしない! そちらにはもう手を出さないことを約束するから助けてくれ!」
リーチオが睨むのに、フェリペが必死に叫ぶ。
「ここで起きたことは官憲にどう述べる? これだけの騒ぎを起こしたんだ。官憲がやってくるぞ。その時、俺たちに罪を擦り付けるんじゃないだろうな?」
「そ、そんなことはしない! 本当だ! 責任は全部我々が取る! そちらに迷惑はかけない! 本当だ! 信じてくれ!」
フェリペはこの場で助かろうと必死になっていた。
「いいだろう。俺たちを謀ってみろ。その時は貴様に死よりも恐ろしいものが降りかかるぞ。分かったな、フェリペ?」
リーチオは人狼としての威圧感を全開にしてフェリペに告げる。
「は、はい」
フェリペはそう告げて失禁した。
「汚い野郎だ」
リーチオはそう告げてフェリペを床に投げ飛ばした。
「クラリッサ。怪我はないだろうな?」
「ないよ。全然平気」
リーチオが背後を振り返って尋ねるのにクラリッサが平然とそう告げた。
「それならいいが。今度からはちゃんと俺の言うことに従うんだぞ? 逃げろといったら逃げるんだ。一緒になって暴れるんじゃない」
「でも、かなり敵をやっつけたよ?」
「そういう問題じゃありません」
お父さんは娘には安全な場所にいてもらいたいのである。
「今回は怪我がなかったらよかったものの、こういう場面は何が起きても不思議じゃないんだからな。ちゃんと分かったか?」
「はーい」
クラリッサは絶対に理解していない顔でそう返事を返した。
「分かったならよろしい。では、買い物に戻るぞ。ここにいつまでもいると官憲に絡まれる。そうなると非常に面倒だ。ここは逃げるに限る」
「了解」
というわけで、クラリッサとリーチオは現場から逃走。
その後、ヒスパニア共和国国家憲兵隊がやってきて、現場の様子を調べた。建物の損壊などはほとんどがマスケットと魔道式小銃によるものと彼らは断定し、その場にへたり込んでいたフェリペたちを拘束した。
目撃者の情報ではフェリペたちはふたりの親子と思しき人物たちを襲撃していたようだが、国家憲兵隊はその親子を見つけ出せず、フェリペたちを器物損壊などの容疑で留置所にぶち込んだ。その後、フェリペたちが薬物取引を行っている犯罪組織のメンバーであるということが分かり、フェリペたちの情報から国家憲兵隊は取り締まりに動き出すことになる。
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