父は今後について考えたい
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──父は今後について考えたい
クラリッサたちは街の観光名所を何か所か見て回るとお昼にした。
お昼は海産物たっぷりのパエリアやアヒージョ。
「うむ。これは美味い」
「美味しいね!」
クラリッサたちもバルチーノの美味しい料理ににっこり。
だが、量があるので女の子ばかりのクラリッサたちには時間がかかってしまう。
リーチオはその間、コーヒーを飲みながらバルチーノの街並みを眺めていた。
「ミスター・リベラトーレ?」
そんな彼に声がかけられたのは唐突なことだった。
「何か?」
「おお。ミスター・リベラトーレ。お会いできて光栄だ。私はフェリペ。ある組織の代理人を務めさせてもらっている。我々の間にはちょっとした共通の知り合いがいるのだが、ご存じだろうか?」
「いいや。知らんね。それに今日はビジネスのためにここに来たわけじゃない。娘とその友達の旅行の付き添いだ。ビジネスの話をするつもりはない」
フェリペと名乗った男は丸眼鏡でこの温かなバルチーノにおいても分厚いコートを纏っていた。それは少しばかり男にいかがわしい雰囲気を与えている。
「しかし、あなたがアルビオン王国を出るのは稀だ。それも我々と接触するのは奇跡と言っていい。特にあなたに護衛がついていないときは」
フェリペはそう告げてリーチオに笑みを向ける。
「さて、俺が無防備になったところでどんな話をするつもりなんだ? 俺はまともに話を聞くつもりはないからな。改めて言うが、今日は仕事できたわけじゃない。娘とその友達のためにここに来たんだ。分かったなら、さっさと失せろ」
リーチオが苛立った様子でそう告げた。
「いいや。あなたは私の話を聞くべきだ。そのことが大きな利益に繋がるのだから」
それでもフェリペと言う男は食い下がった。
「得体のしれん奴からそんなことを言われて、はいそうですかと言うとでも思ったのか? とっとと失せろ。目障りだ」
「マルセイユ・ギャング」
フェリペがそう告げるのにリーチオが眉を大きくゆがめた。
「我々の共通の知り合いの名前だ。彼らがどれほどの利益を上げているかはご存じのはずだ。あなた方リベラトーレ・ファミリーも同じような恩恵を受けることができる。その手続きは私が仲介する。あなた方はちょっとした金を出しさえすればいい」
フェリペがそう告げるのにリーチオがフェリペを睨みつけた。
「俺にヤクを扱えと、そういいたいのか? 七大ファミリーが麻薬戦争を行っていることは知っているはずだ。お前のような奴を探し出して吊るしてやるのが俺たちの仕事だ。カラス除けのためにカラスの死体を吊るすようにな」
「それは無益な戦争だ。その戦争で誰が得をする? あなた方は本当にその戦争で得をしているか? してはいないはずだ。得をしているのは政府との結びつきの強いドン・アルバーノだけだ。他のファミリーもそう思っている」
リーチオがそう告げるのに、フェリペが言い聞かせるようにそう告げた。
「たわごとを。死にたくなければ10秒以内に失せろ」
「たわごとなどではない。利益の問題だ。このまま麻薬戦争を続けても、七大ファミリーは疲弊していくだけだ。だが、あなた方が薬物取引を認め、アナトリア帝国の農場に投資するならば、その投資は100倍、200倍になって返ってくる。麻薬戦争などと言うものこそたわごとだ。世界の暗黒街はもはやかつてのようなものではないのだから。どの暗黒街でも薬物が求められている。それは人を堕落させるかもしれないが、莫大な利益を生む」
リーチオが話を打ち切ろうとするのにフェリペがまくしたてた。
「興味ない。失せろ」
「……あなたはもうすでに人間ということか?」
ここでフェリペが小声でそう告げた。
「なんだと?」
「リーチオ・リベラトーレは戦士だったはずだ。誇り高い戦士だったはずだ。その忠誠は決して、ケチなマフィアのおいぼれなどに向けられていなかったはずだ」
リーチオはそこでフェリペが何を言わんとしているかを理解した。
「噂を聞いた。チンピラを使ってアナトリア帝国から輸出されたヤクをばらまいているのは魔王軍だと。魔王軍がそういうアプローチの方法をするようになったと聞いたことがある。お前はマルセイユ・ギャングを共通の知り合いといった。つまり、マルセイユ・ギャングの使いじゃない。お前の背後にいるのは魔王軍か?」
ゆっくりとリーチオはフェリペにそう尋ねた。
「そうだとしたら?」
「俺はとっくの昔に魔王軍とは縁を切ったと教えてやろう。今の俺はリベラトーレ家の当主であり、リベラトーレ・ファミリーのボスであるリーチオ・リベラトーレだ。魔王軍など知ったことではない。そして、俺は魔王軍云々よりも、自分たちのシマがヤク中で汚染されることの方を警戒する。俺のシマを荒らそうというなら──」
リーチオの瞳が人狼のそれに代わる。
人々を恐怖させる獣の瞳。この瞳で睨まれたものは言葉を発せなくなる。原始的な恐怖が湧き起こり、訓練された兵士でなければ身動ぎすらできなくなる。
フェリペはそうなった。
フェリペは動けず、額から汗をだらだらと垂らしている。
「こちらには銃がある」
「やってみろ。その前にその喉笛を噛みちぎって悲鳴ごと血の海に沈めてやる」
フェリペが辛うじてそう告げるのにリーチオが犬歯をむき出しにした。
やろうと思うならばリーチオは宣言した通りにフェリペの喉笛を噛みちぎって、彼が悲鳴を発する暇もなく、その命を刈り取ることができる。彼は純血の人狼なのだ。人狼ハーフであるクラリッサが高い能力を示したように、その親であるリーチオ自身も高い身体能力と──殺傷能力を有している。
彼がリベラトーレ・ファミリーを設立する際には、暗黒街に元から居た住民たちは恐れたものだ。膨大な魔力を行使し、敵を一瞬で血の霧に変えてしまうディーナと、肉食獣のような鋭敏な感覚能力と身体能力を有し、敵対者を次々に血祭に上げるリーチオのふたりを。
何人もあらがうことのできない力。
フェリペが分厚いコートの下に隠し持っているだろうピストルモデルのマスケットごときではリーチオを殺すのは無謀だ。その前にリーチオがフェリペを殺してしまう。
「この交渉ができる機会は限られている。あなた方がイエスと言わなければ、もっと多くの血が流れることになるぞ。それでもかまわないのか」
「血を流すのはお前たちだ。自分たちの血の海で溺れるがいい」
フェリペが緊張した様子で告げるのに、リーチオはそう告げて返した。
「後悔することになるぞ」
「捨て台詞としては上出来だな」
フェリペは椅子から立ち上がると、足早に去っていった。
「パパ。そろそろ行こう」
フェリペと入れ違いにクラリッサがやってきてリーチオにそう告げた。
「ああ。そろそろ行くとしよう」
リーチオは立ち上がり、会計を済ませると再びバルチーノの街に繰り出した。
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バルチーノの街は見どころがたくさんある。
古代から貿易拠点として栄えてきた街だ。古い建造物が残っているし、今も地中海貿易の一翼を担う港町として活気に満ちている。
クラリッサたちは動物園でアルビオン王国では見ることのできない動物たちを見学したり、古い建築物を見たり、革命戦争で傷を負った建物を見たりして、楽しい時間を過ごした。クラリッサのお気に入りは動物園のオオカミと革命戦争跡地。
シーズンオフということが幸いし、どこも余裕を持って見て回れる。クラリッサたちはゆったりとした時間を過ごしたのちにホテルに帰った。
「明日はどうする?」
「明日は帰らないといけないからお土産を買って、それでお終いだね。お土産はどんなものがいい? 私のおすすめはチョコレートだよ。バルチーノで買ってもいいし、また途中で立ち寄るマジェリトで買ってもいい」
クラリッサたちは2泊3日の予定でヒスパニア共和国を訪れていた。明日は帰る日だ。
楽しかったヒスパニア共和国ももうお終い。時間が流れるのは早いものだ。
「それじゃあ、明日はチェックアウトできるように荷物をまとめておかないとね」
「任せた」
「任せた、じゃないよ。クラリッサちゃんも自分の分は纏めるんだよ」
面倒なことは相変わらず他人に投げようとするクラリッサだ。
「仕方ない。後でやろう」
「ちゃんとやるんだよ?」
クラリッサはいまいち信頼できない。
クラリッサは最後にこのホテルを堪能しておこうと、自室の外に繰り出した。
ホテルにはバーとカフェが併設されており、クラリッサたちと同じ目論見でこのシーズンオフ期間を狙った僅かな客が、寝る前のちょっとした飲酒を楽しんでいた。
「お。パパ」
そんなバーでリーチオがウィスキーと思しき酒と煙草を味わっていた。心ここにあらずという雰囲気で、煙草を燻らせ、ウィスキーの杯を傾けている。
「パパ。どうしたの?」
「ああ。クラリッサか。ここはお前が来るところじゃないぞ」
クラリッサがバーに入ってリーチオに声をかけるのにリーチオは渋い顔をした。
「そんなこと言わないで。私にも一杯」
「私にも一杯じゃない。ここはバーで、お前は酒は飲めない」
クラリッサがバーテンを呼ぶのに、リーチオがそう告げた。
「ノンアルコールカクテルなどありますが」
「じゃあ、それを」
バーテンが告げるとクラリッサはそれを注文した。
「全く。お前の傍じゃ煙草は吸わないようにしていたというのに」
「私は気にしないよ?」
「俺が気にする」
リーチオはクラリッサが煙草臭くならないように気を使っていたのだ。
この旅行でもクラリッサたちに同伴しているときは煙草は1本も吸っていない。
「煙草臭いのなんて嫌だろう。子供が漂わせるものじゃない」
「私は気にしないって」
「気にしろ」
クラリッサが隣に座ったのに、リーチオは煙草を灰皿に押し付けてかき消した。
「……クラリッサ。お前は自分のルーツを知っているか?」
不意にリーチオがクラリッサにそう尋ねた。
「パパとママの子。それだけだよ」
「じゃあ、父さんと母さんがどこから来たのかは知っているか?」
「んー。知らない」
クラリッサは首を横に振った。
「南部人じゃないのはもう分かってるんだろ?」
「そうなの? 少しも南部人じゃないの?」
「ああ。少しも南部人じゃない。南部で長く暮らしていただけだ」
クラリッサが首を傾げるのにリーチオがそう告げる。
「お前、気づいているんだろ。他とは違うって」
「まあね。小さい時から分かってたよ。私は少し違うんだって」
クラリッサは自分の血筋に人狼の血が混じっていることを本能的に知っていた。
「……お前は将来、そのことで嫌な思いをするかもしれない。その時はディーナを責めるな。俺を責めろ。全ての原因は俺にある。お前が人と違って生まれてしまったことは、俺のせいなんだ。俺はディーナを愛しているし、お前を愛している。だから、この先嫌なことがあった時は俺を責めるんだ」
リーチオはそう告げてウィスキーを呷った。
「誰も責めたりなんてしないよ」
だが、クラリッサはそう告げる。
「私はこの世界に生まれてこれただけで幸せ。それもパパとママの子供だったってことでとっても恵まれている。少しくらいつらいことがあったって、幸せの方が大きいから気にならない。私は幸せ者だよ」
「クラリッサ……」
クラリッサは優しく微笑んでそう告げた。
「それにみんなより頑丈に生まれたおかげで得をしたしね。王太子の腹にグーでパンチを叩き込んだのは私ぐらいだよ」
「クラリッサ?」
誇らしげにクラリッサが語るのにリーチオがジト目でクラリッサを見た。
「まあ、パパは何も心配しなくていいよ。私は友達もいるし、自分の身を守る術も知っている。だって、パパの娘なんだから。だから、何も心配しないでいいよ」
「そうか。ありがとう、クラリッサ」
「どういたしまして」
リーチオがクラリッサの頭を撫でてやるのにクラリッサがそう返した。
「ノンアルコールカクテルとなります」
「サンキュー」
そして、クラリッサとリーチオはバーで静かな時を過ごした。
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