娘は音楽の都を堪能したい
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──娘は音楽の都を堪能したい
バヴェアリア王国を出発すると次はいよいよ最終目的地エステライヒ帝国である。
エステライヒ帝国は大陸最長の王室を戴き、大陸最大の帝国を支配している。
ボヘミア王国では大規模な工業化がなされ、日夜魔王軍との前線に当たるクラクス王国に対して、武器の輸出が行われている。
だが、帝国は忍び寄る民族主義の圧力にさらされ、帝国議会はなんとか帝国を形成する諸民族の融和を図ろうとしている。独立せずに帝国に残れば恩恵が得られ、独立を断行すれば鉄と血を以てして鎮圧することをちらつかせながら。
そんなエステライヒ帝国にクラリッサとリーチオがやってきた。
「ここが芸術と音楽の都ヴィーンか」
「そうだぞ。大陸文化の先導者だ。楽しみか?」
「あんまり」
「そうか……」
クラリッサは芸術にも音楽にも興味はないのだ。
「だが、今回は興味を持ってもらうぞ。お前の音楽の成績は散々だからな。この音楽の都で音楽を学んで、成績向上に役立ているんだ。ここには劇場やミュージックホールがたくさんあるからな。音楽聞き放題だぞ」
「音楽なんてどうでもいいよ。私の音楽のセンスが理解できない先生たちが悪い」
「一回、お前の演奏を聞いてみるべきかもしれないな……」
やめるんだ、リーチオ。鼓膜と脳をやられるぞ。
「それに音楽の成績が悪くても経営学に進むのには苦労しないでしょ?」
「そうでもない。大学に進むには内申点というものも必要になる。音楽の授業も真面目に受けて、真面目に成績を稼がないと大学受験の時に振り落とされることに繋がる。美術の授業もそうだし、家庭科の授業もそうだぞ。学校に無駄なことはひとつもないんだ」
「そんな」
リーチオが説明するのに、クラリッサが戦慄した。
王立ティアマト学園は次世代のアルビオン王国を担う人材を養成する学園だ。そして、この世界の上流階級の人間たちは美術や音楽に豊かな知識が必要とされる。同じように上流階級を育成する大学においても、その点は変わりない。
そのために内申点というものが存在する。大学に進むことを希望する生徒たちは課外活動などにも力を入れて内申点を稼ぎ、成績が順位で貼りだされる座学以外の分野においても努力を積み重ねているのである。
ウィレミナも大学に進みたいから、陸上部と生徒会会計を頑張っているのだ。
そのウィレミナも音楽はダメダメだが。
「分かったら、芸術と音楽を理解する心を持つんだ。というか、どうしてお前の音楽の成績、あんなにひどいんだよ。授業中、寝てるのか?」
「音楽は眠たくなる……」
「それはリラックス効果というものもあるが……」
クラシック音楽は眠たくなってしまうのだ。
「音楽を聴いても眠らなくなる体質づくりからだな。今日は芸術を鑑賞して、音楽を聴いて、この帝都ヴィーンの街を味わいつくすぞ」
「うーん。味わうなら料理がいいかな?」
「それならウィンナーシュニッツェルが美味いと聞いているが」
さて、こうしてクラリッサとリーチオのエステライヒ帝国観光が始まった。
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クラリッサがまず向かったのは帝国美術史博物館だ。
1700年代からの美術品が貯蔵されている皇室の美術品が展示されている美術館で、希少な品が多く展示されている。だが、芸術品はどれも厳重に警備され、ガラスケースに収められており、手出しができないようになっている。
まあ、どれも城が買えるほどに高価な品なので仕方がない。
「どうだ、クラリッサ。少しは芸術の息吹を感じるか?」
「この人、顎凄いね。凄い顎」
「お前なあ……」
かつての神聖ロムルス帝国皇帝の肖像画でクラリッサは顎に注目していた。
顎……。
「これなんてどうだ。神話の女神が描かれた絵だぞ」
「こっちの農民戦争で騎士が農民を虐殺している絵の方がいい」
「…………」
クラリッサの美的センスはずれているのだ。
アルフィが可愛いというのだから、分かり切った話であるが。
「もうちょっとこう、マイルドな絵にしないか? こっちの騎士が凱旋する絵とか」
「農民を虐殺している絵がいい」
「…………」
クラリッサは騎士たちが蜂起した農民たちを槍で大虐殺している絵に夢中だ。
「美術の時間にそういう絵をかくなよ」
「え」
「え、じゃない」
農民を虐殺している絵は確かに価値のある品なのだが、素人がこういうものをテーマにするとただの悪趣味な絵になってしまうのである。
「うーん。退屈な美術の時間に刺激的な光景を提供できると思ったんだけどな」
「刺激が強すぎるぞ」
クラリッサは常にエンターテイメント性を求めているのだ。
「他に農民を虐殺する絵はないかな。無辜の一般市民が酷い目に遭っていたりする絵がいいよ。処刑の絵なんてないかな。公開処刑は民衆のエンターテインメント」
「いつの時代だ」
確かに中世では公開処刑はエンターテインメントだったが、そんなのは昔の話である。今では他にエンターテインメントがあるので、公開処刑なんかじゃ喜ばないのだ。そんなのはもう野蛮なのである。
「もっと心が豊かになる絵を見なさい。残虐性は上げなくてよろしい」
「将来、私がボスになったら抗争で死体になった敵対組織の絵を描かせるよ」
「やめろ」
碌なことを考えない娘である。
「彫刻なんかはどうだ? 美しい像がいろいろあるぞ」
「うわ。この彫像、丸出しだ」
「そこに注目するな。昔は普通だったんだよ」
クラリッサの視線は彫像の下半身に釘付けだ。
「でも、なんというかどれも普通だね。あんまりエンターテイメント性がないよ。私だったらアルフィをモチーフにした彫像を作るね。その方が絶対に受けるから。きっと1000年に渡って評価される作品になる」
「発狂者を出したことでか」
アルフィはバスケットの中でサイケデリックな色合いに変色した。
「さて、美術的な感性は身についたか? ちゃんとどんな作品が有名か覚えたか?」
「農民を虐殺する絵」
「それはもういいんだよ!」
クラリッサは数百点に渡る作品を見たが、最後まで覚えていたのは農民を虐殺する絵のことだけだった。ある意味では特殊な美的センスが身についたのかもしれない。
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エステライヒ帝国初日のスケジュールは美術館見学と一般公開されている昔の宮殿の見学で終わった。そして、クラリッサは美的センスを──特に得たりはしなかった。
得たりはしなかったのだ。美しい宮殿を見ても、クラリッサは感動しなかった。
しかし、宮殿の庭園にいた蝶にだけはちょっとだけ興味を示したぞ。
男子小学生かな?
「今日は楽しかったね、パパ」
「まあ、お前が楽しかったならそれでいいぞ」
クラリッサが夕食を終えて、ニコニコの笑みで告げるのに、リーチオは何とも言えない表情で頷いていた。
今日、クラリッサが獲得したもの。
農民を虐殺する絵に対する異常な執着のみ。
これではリーチオも喜ぼうにも喜べない。
「なあ、ここは芸術の街だぞ? 街中にも彫像や絵画などの芸術があふれていたが、本当に何も感じなかったのか?」
「……? 農民を虐殺する絵は素晴らしかったよ?」
「…………」
本当にこれだから全然喜べない。
「それで、美術の成績は上がりそうか?」
「無理。私に絵をかいたり、彫像を作ったりすることを求めるのは間違っている」
「美術史は少しは学べただろう?」
「……ルネサンスは凄い」
「それだけか?」
「それだけ」
美術史ではもちろんルネサンス以外の分野のことも扱っているぞ。
「過去は振り返ってもしょうがないんだよ。未来を見なくちゃ。新しいものを想像していく若い世代こそ覚えていくべき人材だと思うな」
「ちゃんと勉強しなさい」
普通に怒られたクラリッサである。
「明日は音楽だ。演劇と音楽。演劇の質はアルビオン王国の方が上だろうが、音楽の質はエステライヒ帝国に分がある。今度こそ、身に着けるべきものを身に着けるんだぞ」
「明日になったら頑張るよ」
「本当に頑張るんだぞ?」
どうにも疑わしいクラリッサである。
「それよりもこのホテル、なかなかいいね。お風呂もついてるし、レストランもいいものだった。私がホテルを経営することになったら見本にしておきたいものだ」
「その前に経営学の学位を取得するんだぞ」
「まあ、明日から頑張るよ」
すっかり気分はホテル経営者。
「それじゃあ、そろそろ休みなさい。子供は寝る時間だ?」
「パパは?」
「ちょっとバーに行ってくる。珍しい酒が出ると聞いたんでな」
「ずるい」
「大人の特権だ。さあ、寝なさい。明日の音楽鑑賞の途中で寝ないようにな」
リーチオはクラリッサにそう告げると、ホテルのバーに向かった。
時刻は夜10時30分。大人が寝るにはまだ早い。
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翌日は演劇と音楽の鑑賞となった。
演劇はクラリッサ好みのサスペンスもの。
だが、流石に大陸的にも名高い劇作家を生み出したアルビオン王国のそれと比較すると、些か見劣りする。演出や役者の演技などではアルビオン王国に軍配があがあるだろう。だが、音楽という面からするとこの帝都ヴィーンの演劇は素晴らしいものがある。
流石は音楽の都と名がついているだけはあり、劇場に関しても音響の響きやすい構造をしている。そして、楽団はどこも一流だ。
「楽しかったか?」
「人がバタバタ死ぬのが楽しかった」
「そうか」
もはや突っ込む気力すらないぞ。
「次は音楽鑑賞だ。……寝るなよ?」
「寝ないよ。……多分」
どうにも心配になるクラリッサであった。
「音楽の成績を上げるためだと思って、ちゃんと曲を聴くんだ。楽曲は歴史的にも有名なものばかりだから、パンフレットを見て、音楽史についても学ぶんだぞ。音楽の成績も上がらないと、大学に入るのは難しいからな」
「大丈夫。私の音楽のセンスはちょっと常人には理解されないだけ」
「何を理解されない天才みたいなこと言ってるんだ?」
クラリッサのはただの不協和音である。
「アルフィも音楽を楽しもうね」
「テケリリ」
クラリッサがバスケットに向けて告げるのに、アルフィがひょいと目玉を出した。
「おい! それは引っ込めておきなさい! 全く、油断も隙もない。それはホテルに置いてきなさいと言っただろう?」
「アルフィも音楽を楽しみたいって」
「そいつに音楽は理解できない」
アルフィはサイケデリックな色合いに発光した。
「ほら! 光ってやがるじゃないか! バスケットを閉じてなさい!」
「ぶー……。アルフィは何も悪いことしてないのに」
アルフィはバスケットの中に押し込まれた。
「さあ、音楽が始まるぞ。しっかりと聞くんだ」
「最初の楽曲は……」
クラリッサがパンフレットを見ている間に音楽が始まった。
見事なオーケストラ。楽器と楽器の奏でる音色が調和し、見事なハーモニーが流れてくる。それもこれは50年前に作曲された曲だというのだから、音楽史の勉強にもなるというものだ。観客たちはオーケストラの奏でる音楽にうっとりと耳を傾けていた。
「…………」
「クラリッサ?」
「…………」
「クラリッサ?」
「……むにゃ……そんなにいっぱいのお金、置く場所がないよ……」
「こ、こいつ寝てやがる……」
そして、クラリッサはものの見事に眠りの中に落ちていた。
リーチオは楽曲の合間にクラリッサを起こしたりしたものの、クラリッサは音楽の半分も聞かずにほとんどの時間を眠りの中で過ごしたのだった。
頑張れ、クラリッサ。音楽でリラックスすると眠りが深くなるぞ。
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