娘はハンブルクの街を楽しみたい
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──娘はハンブルクの街を楽しみたい
フェリクスの誘いでクラリッサはハンブルクの街に繰り出した。
「まずは市場から見ていこうぜ。ここは貿易港だからいろんな品が上がってくるんだ」
「面白そうだね」
フェリクスが告げるのにクラリッサは興味津々でハンブルクの街並みを見渡す。
ハンブルクは昔から貿易と造船で栄えてきた街だ。今の造船所では軍艦から民間の輸送船に至るまで、様々な船が建造されている。そして、貿易は今も盛んで、北海を中心に様々な品がこのハンブルクを中継して、大陸中に広まっていく。
その市場には珍しい品が並ぶことも少なくない。
「おお。新型の魔道式小銃だ。これは北ゲルマニア連邦製?」
「そうだな。輸出用だ。ここから前線になっているスカンディナヴィア王国やクラクス王国に輸出される。このタイプの魔道式小銃は銃身の交換が簡単で、すぐに別の魔術に切り替えられる利点があるって話だぜ」
「いいね。うちのファミリーにも欲しいところだ」
「けど、高いぞ?」
何故か武器の話題で盛り上がるクラリッサとフェリクス。ロマンの欠片もない。
「フェリちゃん、フェリちゃん。銃なんて物騒なものの話で盛り上がるのは、お姉ちゃん良くないと思うわ。こっちにある宝石を見てみましょう?」
「なあ、それよりこの新型マスケットよくないか。弾道の安定性が非常にいいらしい」
「フェリちゃん? フェリちゃん?」
トゥルーデが話題に加わろうとするが壁がある。
「あ。このアクセサリー、お洒落だね。どこのだろう?」
「カラコルム王国産のサファイアを使った品だな。加工したのはスカンディナヴィア王国だ。知ってるか、カラコルム。遥か東の国で、とんでもなく高い山がそびえているらしい。一度行ってみたいもんだよな」
「フェリクスは海外に詳しいの?」
「こう見えても外交官の息子だぞ?」
そうなのだ。
フェリクスは不良少年かもしれないが、表向きは外交官の息子なのだ。
「どういう風に他の国について教わったの」
「地球儀を親父が回して、あちこちの国のあり方や風習について学んだ」
クラリッサの疑問にフェリクスが肩をすくめて返した。
「なるほど。フェリクスは世界について知ってるんだね」
「そんなことはない。俺でも知らないことはあるぞ。例えば魔王軍支配領域とかな」
クラリッサが手を打つのにフェリクスがそう告げて返した。
「それなら私だって知らない。魔王軍は何がしたいんだろう?」
「さあてね。世界征服か。あるいは領土拡大か。いずれにせよ魔王軍の支配する世の中なんかはごめんだね」
「それもそうだ」
クラリッサは内心では自分が魔王軍の魔族の娘であることに気づいているが、だからと言って、魔王軍の支配する世の中で暮らしたいかというとそうでもなかった。
自分と魔王軍の存在は別個の物。自分が幸せになるかどうかを魔王軍の動向に託すつもりはない。魔王軍よりも身近にいる友人たちの方が大事。
それが今のクラリッサの考えであった。
「そのアクセサリー、気に入ったか?」
「それなりには」
「なら、買ってやろうか?」
クラリッサがサファイアのアクセサリーを見つめるのにフェリクスがそう告げた。
「それは君に迷惑になる」
「今さら気にするな。おい、これを包んでくれ」
クラリッサが渋い表情を浮かべるのにフェリクスがそう告げた。
「ほれ。俺からのプレゼントだ」
「ありがと、フェリクス」
クラリッサはフェリクスから手渡されたプレゼントを大切にポケットに納めた。
「フェリちゃん! お姉ちゃんには! お姉ちゃんには!?」
「姉貴にやるものなんて今さらない」
「そうよね! お姉ちゃんはフェリちゃんから多くの贈り物を受け取ったもの!」
「それでいい」
なんだがフェリクスはトゥルーデの相手がいい加減になっている。
「市場はこんな感じか。次は体験型美術展に行ってみるか?」
「よし来た」
フェリクスが告げるのに、クラリッサがガッツポーズを取った。
その後、クラリッサは体験型美展に行ってみたものの、アルフィのごとき謎の芸術が完成しただけに終わった。クラリッサは何とも言えない表情で、完成品を眺め、そしてそれをそっと置いて立ち去ったのだった。
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その後のスケジュールはハンブルクの名所である倉庫街の探索だ。
ハンブルクには古来から多くの倉庫街がある。赤レンガで作られた多くの倉庫が所狭しと並んでいる。かつてはこの倉庫いっぱいに交易品が収められていたが、今では倉庫の役割を終えて、別の道を選んだものもある。
それが今回のクラリッサたちの目的地であった。
「この倉庫街は北ゲルマニア連邦の成立以前から存在するんだ。あまりに歴史が長いから、歴史家でないといつからどの倉庫が立っていたのか分からないぐらいだ」
フェリクスは倉庫街を歩きながらそう説明する。
「へえ。そんなに歴史ある倉庫街なのか。でも、今はそこまで繁盛してないね」
「歴史なんてのはそんなものだ」
今では倉庫街のうち、使用されているのは7割ほどである。
「こっちの方だ。そこにいい店がある」
「ついていこう」
フェリクスが告げるのに、クラリッサが続いた。
「お姉ちゃんを無視しないで、フェリちゃん!」
「はいはい」
トゥルーデも後に続き、フェリクスは倉庫街を進んでいる。
倉庫街は通りが狭まり、通りが広がり、迷路のように込み入って進む。
「この店だ。ハンブルクで一番美味い海産物の料理を出す店だ」
「おおー」
フェリクスが立ち止まったのは、海産物の匂いが香ばしく漂う店だった。
「これは期待できそうだ」
「期待していいぞ。前にここで食事をしたときも、満足できるものだった」
ハンブルクは貿易港であると同時に、港町でもある。
毎日大量の海産物が水揚げされ、この付近のレストランや加工されて遠方の食卓のテーブルなどに上る。ハンブルクそのものは人口密集地であり、近くには生活排水などの汚染もあるものの、沖に出れば気にならないレベルだ。
それに生活排水にしたところでプラスチックや合成洗剤などが存在しない世界なので、自然のものが自然に帰っていくだけである。
まあ、生活排水も垂れ流しというわけではなく、ある程度浄化されているのだが。
「おすすめのメニューは?」
「カレイのベーコン焼きだな。美味いぞ。香辛料もふんだんに使われている」
この世界の香辛料はそこまで高価なものではないが、ただの庶民が気軽に使えるものでもない、香辛料の多く存在する東までの航路はきちんと開発されており、以前まではアナトリア帝国に牛耳られていた交易ルートを使わずに済んだ。
それでも船旅は長きにわたり、その分の報酬を求める船員がいる。
そう考えると香辛料を投げ売りできない理由もわかるだろう。
今の時代の船は短距離の航行には蒸気船が使われているが、遠洋航海には昔ながらのガレー船が使われている。蒸気船は未だ新しい試みであり、船乗りたちは信頼性に疑問を抱いているのである。だが、その状況もやがて変わるだろう。
それはともかく、早速店の中にクラリッサたちが突入した。
「おー。レトロな雰囲気だ」
「1700年から続いているらしい。こういう雰囲気、好きか?」
「それなりには。真新しいものも好きだけど、こういうレトロな雰囲気も嫌いじゃないよ。歴史は嫌いだし、覚える気もないけれど、歴史を感じるってのは悪くない」
クラリッサは歴史ダメダメだが、歴史の感じられるものは嫌いじゃないのだ。
考えるのではなく、覚えるのでもなく、フィーリングで。それがクラリッサの歴史の感じ方である。クラリッサにとって歴史とはそういうものなのだ。
「テーブルや椅子も1700年から?」
「どうだろうな。そこまで物が持つものか」
クラリッサが首を傾げるのに、フェリクスがそう告げる。
「それはそうと注文しようぜ。俺はカレイのムニエルだ」
「私はおすすめの品にしよう」
フェリクスが告げるのにクラリッサが続いた。
「トゥルーデはフィッシュバーガーを食べるわ。ここのフィッシュバーガー美味しいの! 付け合わせはフライドポテトよ!」
「フィッシュバーガー?」
クラリッサが聞きなれない単語を耳にして、首を傾げる。
「ハンブルクじゃハンバーグって料理をチーズや野菜と一緒にパンに挟んで食べるハンバーガーっていう料理があるんだ。そのハンバーグを魚にしたのがフィッシュバーガーだ」
「ハンバーグは知っていたけど、そういうものもあるのか」
クラリッサはハンバーグは知っていたがハンバーガーの存在は初めて知ったぞ。
「ううむ。帰る前までにはハンバーガーも味わっておかないとな」
「ハンバーガーの店なら今度紹介してやるよ。ハンブルクに美味い店がある」
「ありがと、フェリクス」
これと同時期に新大陸でもハンバーガーに似た商品が生み出され、どちらが元祖なのかを争う大論争になるのはまた別の話。
「それで、クラリッサはエステライヒ帝国まで行くのか?」
「うん。音楽の都ヴィーンにいって音楽の才能を磨くよ」
「お前、狂っているみたいに音感ないもんな……」
「私の音楽のセンスに文句があるなら聞こうじゃないか」
クラリッサの音痴加減はフェリクスもよくよく知っているぞ。
窓は割れんばかりに振動し、鼓膜が揺さぶられ、ピアノから発されている音とは思えないほどの不協和音がクラスメイトを襲う! サンドラ辺りの上級者になるとクラリッサが演奏する番になるとそっと耳栓をするのだ。
「そういえば、今度合唱コンクールがあるわ」
「諦めよう」
それで思い出したというようにトゥルーデが告げるのに、フェリクスは即答した。
「そう簡単に諦めるのはよくないと思う」
「誰のせいで諦めることになってるか分かっているのか?」
「……分かんない」
クラリッサはそっと視線を逸らした。
「大丈夫よ、クラリッサさん! トゥルーデ、音楽得意だから教えてあげるわ! お友達のウィレミナさんも誘ってね!」
「ウィレミナも?」
「ウィレミナさんも」
ウィレミナも音響兵器2号なのだ。
クラリッサとウィレミナの夢の共演となると音楽教師まで逃げ出すぞ。
「分かった。ウィレミナも誘ってみる。それにしても親切だね、トゥルーデ」
「だって、お友達だもの! トゥルーデは友達を大事にするのよ!」
「おおー。私もそれはいいと思う」
初めてまともなことを言っているトゥルーデを目にした感があるクラリッサだ。
「それで、トゥルーデたちはお友達だから、フェリちゃんに色目は使わないでね?」
「使ってない」
やっぱり、トゥルーデはトゥルーデであった。
「合唱コンクールでも賭けるか?」
「いいね。デカいシノギの匂いがするよ」
合唱コンクールはまず学園代表を決めるために対抗戦が行われる。
その後は全国大会だ。
前回の優勝校は聖ルシファー学園であり、今年も有力視されている。
王立ティアマト学園が勝てないのは合唱部の層の薄さにある。例の部員減少問題で、合唱部の新入部員が少なく、高度に訓練された合唱部員は少ないのだ。
部員減少問題はジョン王太子たちがさまざまな手を尽くして、解決しようとしており、それは少しずつ効果を上げているものの、一朝一夕で解決できる問題ではない。
「合唱コンクール。どう稼ぐかな」
「まあ、俺たちが勝つのは無理だろうな」
「そんなこと言わない」
頑張れ、クラリッサ。音感を手にして、音楽の才能を手に入れるんだ。
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