父は相談役と話したい
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──父は相談役と話したい
クラリッサが修学旅行に向けてワクテカしている頃、リーチオの方では別に仕事があった。
ドン・アルバーノから推薦されていた相談役との会談だ。
相談役はバヴェアリア王国の出身で、やり手の弁護士であり、マフィアのことを南部人と同程度に理解している人間、だと聞かされている。
しかし、今になってどうして相談役が必要になるのか。
これまでリベラトーレ・ファミリーは相談役なしでやってきた。これからも問題なく進むだろう。七大ファミリーが麻薬戦争に突入し、その被害が考えられる中においても、リベラトーレ・ファミリーが相談役を必要とするとは思えない。
これまで他のファミリーとの交渉はリーチオかベニートおじさんが行ってきた。それが困難な場合はドン・アルバーノに仲介役を派遣してもらった。
リーチオは考える。
ドン・アルバーノは完全にこの世界から引退するつもりでいるのか。もう仲介役の派遣は行えないから、その代わりとなる人材をよこしたのか。
それはないだろう。ドン・アルバーノはどこまでもマフィアだ。マフィアの中のマフィア。ドンの中のドンだ。彼が死ぬまで良くも悪くもマフィア絡みの案件は付きまとうだろう。彼がそう望もうと、あるいは望むまいと。
「いくら考えても理由は分からんな」
リーチオは顎から手を離すと、首を横に振った。
「会ってみるしかないか」
リーチオはそう決意すると、使用人を呼んだ。
「客を通してくれ」
「畏まりました、ご主人様」
使用人が頷き、使用人が客を呼びに行く。
「失礼します」
使用人が呼びに行ってから数分後に男がやってきた。
ブリーフケースを下げたスリーピースのスーツ姿の男で、彫像のように凍り付いた表情を持った男であった。ゲルマニアの血筋であることが窺えるブロンドの、整った顔立ちをした男であった。年齢は30代後半か。
「マックス・ミュラーです。ドン・アルバーノの推薦で参りました」
男──マックスは凍り付いた表情のままに頭を下げた。
「リーチオ・リベラトーレだ。話は聞いている。だが、理由を知らない」
「理由といいますと?」
「今になってドン・アルバーノが相談役を推薦してきたことの理由だ。アルビオン王国にいる他のファミリーはどれもうちのファミリーと揉め事を起こしたがっていないし、七大ファミリーの間での意志疎通はちゃんと取れている。それなのにどうして相談役が必要となるんだ?」
リーチオは率直にそう尋ねた。
「ボス・リーチオ。あなたはアナトリア帝国のアヘン産業の背後に魔王軍が存在するとして、それを信じることはできますか?」
「……魔王軍が間接的に俺たちを潰そうとしていることをか。ありえなくもない話だな。魔王がそこまで頭が回るものだとすれば」
魔王軍絡みの話のためにこの男は派遣されたのか?
「実際のところ、末端での販売を担っているのは街のチンピラどもですが、薬物取引の元締めは魔王軍だという確証の高い情報を我々は握っています。北ゲルマニア連邦やクラクス王国の情報部門の分析結果です」
「そっちの方にも顔が効くのか?」
「こう見えても元々は検事だったのです。ヤメ検という奴ですよ。いろいろと元居た職場には不満がありまして、弁護士に転身し、それからファミリーの仕事に」
なるほど。確かに検事にいそうな顔をしているとリーチオは思った。
「それで? 魔王軍が薬物取引の元締めだとして、それが相談役とどう繋がる?」
「率直にお尋ねしていいですか?」
「構わない」
マックスが尋ねるのにリーチオがそう告げて返す。
「あなたは魔族ですか、リーチオ・リベラトーレさん?」
リーチオはそう尋ねられて、マックスの瞳をのぞき込んだ。
確信を持っている目だ。
「仮にそうだとして、どうする?」
「尋ねます。今も魔族として魔王軍に対して忠誠を誓っているのか。それとも南部人として生きているかと」
リーチオが尋ねるのに、マックスがそう告げた。
「南部人として生きているとしたら?」
「この話はお終いです。何も追及することはありません」
マックスはそう告げて本を閉じるように両手を閉じた。
「なら、追及することはなにもない。俺は南部人だ。魔王軍の潜入工作員でも何でもない。妻が生きていれば確実にそう告げただろうし、俺の部下たちもそう告げるだろう」
「それは結構。私のことはこれからこき使ってください。あなたが取るに足らない連中と考えているファミリーやチンピラの中にも魔王軍の影があるかもしれません。そういうものを洗い出し、魔王軍の影響力を暗黒街から一掃することが私に求められていることです」
「頼りにさせてもらおう」
この男は元検事だと告げていたが、実際は元情報部員ではないだろうかという疑念がリーチオの中に芽生えた。だが、どちらにせよ能力には問題ないようだ。
「お子さんもまだ学生でしょう。いろいろと問題が起きれば私を頼ってください。アルビオン王国にもコネがあります」
「俺たちもコネを持っているが、そこまでいうのなら」
ただの親切な申し出ではないだろう。マックスはクラリッサが人狼ハーフであるということを把握しているぞと言っているのだ。
「それからドン・アルバーノより伝言です。『戦争は未だ続く。戦い抜くには団結が必要だ。我々は血とそれよりも濃いもので結ばれている』と」
「理解した。戦争を戦い抜くとしよう」
リーチオは頷く。
「ただいま、パパ」
クラリッサが学園から帰ってきたのはそんなときだった。
「あれ? お客さん?」
「ああ。これから相談役になるマックス・ミュラーだ。こっちは娘のクラリッサ」
クラリッサが首を傾げるのに、リーチオがそう紹介した。
「初めまして、クラリッサさん。これからボスのお手伝いをさせていただくマックスです。お嬢様も何か困ったことがあったら相談してください。弁護士なので相談に乗れる案件もいろいろとあるかと思いますよ」
「おおー。頼もしい」
マックスがそう告げるのにクラリッサが拍手を送る。
「何かあったら相談するね、マックスさん」
「はい。お任せください」
クラリッサはそう告げてマックスは頷く。
「さて、他に用事はあるか、マックス?」
「いいえ。そろそろ失礼させてもらいます。家族の時間をお邪魔しては申し訳ない」
マックスはそう告げるとブリーフケースを抱えて、書斎から出ていった。
「パパ。修学旅行のお土産、何がいい?」
「お前が送ってくれるのならばなんでもいいぞ」
「なら、ルーヴル美術館から適当に何品か持って帰ってくる」
「おい。他国の国宝を盗み出そうとするんじゃない」
そして、いつも通りの光景を取り戻すリーチオの書斎だった。
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リーチオの屋敷を出たマックスは馬車に乗り、イーストミンスターに位置するヴォクソール橋を目指した。
ヴォクソール橋を抜けてテムズ川に面する広場に出ると、馬車は止まり、その広場にマックスを降ろして走り去っていった。
マックスはそのまま広場の中に向かい、背中合わせに置かれたベンチのひとつに腰を下ろした。
ベンチでマックスが新聞を開いて待っていると、反対側のベンチに男が腰を下ろした。男はマックスと同じように新聞を開く。
「リベラトーレ・ファミリーは?」
「グレーだ。魔族ではあるが、既に魔王軍との連絡を絶っている」
男が尋ねるのにマックスがそう答えた。
「となると、アルビオン王国における工作は誰か別の人間か」
「情報部は?」
「よりによってフレディ・フィルビーが黒だ。ダブルスパイだった。情報は全ておじゃんだ。何を信用していいのか分からない。アルビオン王国における魔族の活動については調べなおしになる。苦労するぞ」
「情報部のトップがダブルスパイか」
マックスと男が告げている情報部とは王立軍事情報部第6課のことだ。王立軍事情報部第5課と並んで、アルビオン王国における情報戦に携わっている。
魔王軍に対しても同じように。
「魔王軍は明らかに方針を転換した。無能な魔王に対するクーデターの噂は事実らしい。奴らは間接的アプローチ戦略で人類の継戦能力を削ごうとしている。かつてのように大陸支配とまではいかなくとも、人類を脅威ではないというレベルまでには貶めようとするだろう。そうなればクラクス王国の陥落程度は覚悟しなければならないだろう」
「アヘンを始めとする麻薬の流通による人類の弱体化。社会のはみ出し者であるギャングたちを味方につけて、治安を乱す。こちらもマフィアとの連携は不可避、か」
男が告げるのに、マックスがそう呟いた。
「敵の敵は味方。今はどんな人間でも利用したい。暗黒街が魔王軍の影響下に置かれるぐらいならば、マフィアに支配させておく方がいい。情報部はそう判断している」
「マフィアと体制が協力関係を取るのは何もこれが初めてのことではない。彼らがシチリーの農地に関する癒着をしていた時から、マフィアは体制の側にあった。マフィアは確かに犯罪組織だが、話の通じない相手ではない」
マフィアは貴族や大地主から農地の管理を委ねられ、そこから体制との癒着を始めた。シチリー王国の風土が生み出したマフィアは、街のチンピラや山賊たちと違って、体制と協力し合える関係だった。その利害が一致している限り。
「それで、私に対する新しい指示は?」
「引き続きリベラトーレ・ファミリーを監視しろ。リーチオ・リベラトーレはグレーなのだろう。彼がどういう経緯で魔王軍を抜けたのかは分かっていない。魔王軍の多くは魔王の無能さに腹を立てていたという情報もある。クーデターが起きて、魔王が表舞台から姿を消した今、リーチオ・リベラトーレが魔王軍に復帰する可能性がある」
マックスが尋ねるのに、男はそう告げて返した。
「保険が必要だな」
「娘がいる」
マックスが告げるのに、男がそう告げて返した。
「今は良くも悪くも戦時下だ。前線はクラクス王国だけではない。その背後に及んでいる。それを考えるならば、我々も前線の兵士と同様に汚れ仕事に手を染めるべきだろう」
「そうかもしれないな」
男が告げるのにマックスはただそう告げて返した。
「私はまずリーチオ・リベラトーレからの信頼を勝ち取らなければならない。ドン・アルバーノがこちらに協力的だったおかげで懐には入り込めたが、ここからが勝負だ。彼の信頼を得て、彼を我々の戦争に引きずり込まなくてはならない」
「誰もが戦争を嫌う。リーチオ・リベラトーレとて例外ではないだろう」
戦争。魔王軍と人類の戦争は既に始まって半世紀が経過しようとしている。
「望むと望むまいとだ。私とて好きでこの仕事をしているわけではない。できれば他の誰かに代わってもらいたいぐらいだ。だが、それでも人類のために戦う兵士は必要だろう。誰かがやらなければならない。たまたまそれが私たちだっただけだ」
「全く。早く平和が訪れることを祈るのみだ」
マックスが告げるのに、男はため息混じりにそう告げた。
「平和は祈って得られるものではない。行動して得られるものだ。いくら祈ったところで神が平和を与えてくれるわけでもあるまいし」
マックスは僅かに苛立たし気に告げる。
「それより調べてもらいたいものがある。リーチオ・リベラトーレをアルビオン王国に渡らせた人間だ。大陸ならともかく、アルビオン王国に魔族が渡るとなれば、それ相応の協力者がいたはずだ。それが誰なのか突き止めてもらいたい」
「それを知ってどうする?」
「密入国が組織的なものなら対策を講じなければならない。ただでさえ、このアルビオン王国は魔族の静かな侵略を受けているのだ」
「分かった。可能な限り調査しよう」
マックスが告げるのに男は新聞を畳み去っていった。
マックスも男から時間をずらして新聞を畳み、ベンチから立ち上がる。
彼は自分が尾行されていないことを確認すると、静かにロンディニウムの街並みの中に消えていったのだった。
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