娘は修学旅行の準備がしたい
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──娘は修学旅行の準備がしたい
「パパ。修学旅行の準備しないと」
「おお。そうだったな。今年は修学旅行だったな」
リーチオの書斎にやってきてクラリッサが告げるのにリーチオが頷いた。
「ボス! いらっしゃいますか!」
と、ほのぼのした会話になりそうなところにベニートおじさんの声が響いた。
「どうした、ベニート?」
「やられました。カレーでうちの幹部が暗殺されました。例の魔王軍についての情報を探っていた奴です。しばらくの間、カレーは戒厳令にしておいた方がいいでしょう」
「暗殺か……。よほど探られたくないものを嗅ぎつけられたのか。あるいはそうであるように見せかけようとしているのか」
ベニートおじさんが怒り心頭で告げるのにリーチオが唸った。
「パパ。カレー、大変なの?」
「ああ。ちょっと調べものをしていてな。幹部が暗殺されたとなれば報復しなければならない。リベラトーレ家のモットーはお前も知っているだろう」
「『受けた恩は絶対に返す。受けた害は必ず血を以てして報復する』でしょ。知ってるよ。けど、今度の修学旅行でカレーを通過するんだけど」
「なんだって? 行先はフランク王国か?」
「そだよ。言ってなかった?」
「そういえばそんなことを言っていたな……」
クラリッサたちの修学旅行はドーバーを出発し、カレーを経由してフランク王国に入ることから始まる。カレーはフランク王国の玄関口であり、普通はここを通るのだ。
だが、よりによってそのカレーはリベラトーレ・ファミリーの支配下にあって、今や抗争勃発寸前の状態にあるわけである。そんな危険地帯をリベラトーレ家のひとり娘であるクラリッサが通過しても大丈夫なのだろうか。
いや、問題はカレーだけではない。
リベラトーレ・ファミリーはフランク王国の薬物取引組織と敵対関係にあり、麻薬戦争は継続中である。そのフランク王国をクラリッサは2泊3日の旅で、学友とともに旅行するのだ。これが危険でなくて、何が危険というのだろうか。
「ボス。クラリッサちゃんの修学旅行ってのはフランク王国なんですかい?」
「ああ。そうだ。随分と間の悪いことにな」
ベニートおじさんが尋ねるのに、リーチオが頭を押さえる。
「それなら護衛を付けましょう。うちの奴らから若いのを集めて、クラリッサちゃんに付けておきましょう。そうならば安心でしょう」
「ベニート。確かに護衛は必要かもしれないが、これは学校の行事だ。クラリッサが学友たちにマフィアの娘だと知られるのは喜ばしくない。そして何より、そんな護衛を堂々とつけていたら、それこそ狙われる」
ベニートおじさんは厳つい強面の黒スーツたちでクラリッサの周囲を固めることを進言したが、そんなことをすれば学園にも、学友にも、そして敵である薬物取引組織にとっても、クラリッサが堅気の人間ではないと証明することになる。
「しかし、クラリッサちゃんをこのままフランク王国には送れないでしょう?」
「遠くから警護を付ける。それから、シャロンとファビオだ。ファビオにはちょっとばかり前線復帰してもらわなければならないな。シャロンを信頼しないわけではないが、暗殺や拉致についてはファビオの方が知識がある」
ベニートおじさんが告げるのに、リーチオがそう告げて返した。
「クラリッサ。執事をふたり付ける。シャロンとファビオだ。学園には文句を言わせないように金を握らせる。お前自身も十二分に用心しろ」
「分かった。なら、暗器買って」
「……今回だけだぞ?」
「やったね」
ついに念願の暗器を手に入れることになったクラリッサだ。
「それから修学旅行に行くならいろいろと準備が必要だろう。買い物に行くか?」
「うん。今からリスト作ってくる」
クラリッサはリストを作るために自室に向かった。
「それで、ベニート。報復にはもう動いているのか?」
「もちろんです、ボス。仲間をやったやつは血祭にあげてやりますよ。死体はカレーの城門に吊るして、カラスの餌にしてやります。協力した連中も豚の餌です。俺たちは関係した連中、全てに対して報復しなければなりませんぜ」
そのベニートおじさんの言葉を聞いて、リーチオは修学旅行に行ったクラリッサたちが城門に死体が吊るされているのを見たらどんな反応をするだろうかと心配になった。
「報復は行わなければならん。それは分かる。だが、今は少し待て。慎重に調査し、確実に関わった奴らだけを吊るせ。一度吊るせば、吊るす前には戻せん。間違いでした、ということがないようにカレー支部を中心に慎重に慎重を重ねて調査しろ」
「ですが、ボス。そうしている間にも敵には逃げられるかもしれませんぜ。ここは電光石火で動き、疑わしき連中は片っ端から始末して、見せしめにしませんと。俺たちは既にフランク王国のクソッタレな薬物取引組織とは抗争状態にあるんです。その関係者ならいくら吊るしても問題になんてなりませんよ」
「いいか、ベニート。恐怖は時として武器になるが、ある場合においては怒りを生み出す。無関係の人間を吊るして、民衆の怒りを買えば、それはフランク王国の貴族や政治家の怒りを買うことにもつながる。そうなれば俺たちはカレーからの撤退を迫られるかもしれん。時には頭を冷やして、冷静に行動することも大事だ」
報復を急ぐベニートおじさんにリーチオがそう告げた。
実際のところ、フランク王国におけるリベラトーレ・ファミリーの活動は、買収した貴族や政治家によって、アルビオン王国と同じように成り立っている。だが、アルビオン王国における活動と違って、フランク王国における活動はそこまで安定していない。
地の利というものだろう。フランク王国ではフランク王国の犯罪組織の方が活動はしやすいのである。リーチオたちも、絶対に味方につけておかなければならない政治家などについての知識が不足している。
そうであるがゆえに、フランク王国ではアルビオン王国のように横暴には振る舞えない。カレーを確保しているとしても、カレーの外は敵の支配地域といっていいのだ。
そんな状況で無差別な報復などに手を染めたら、アルビオン王国においては無事であっても、フランク王国においては問題になり、カレーから蹴り出されるかもしれない。カレーを失えば、リベラトーレ・ファミリーは麻薬戦争において一歩後退する。
よって慎重に動かなければならない。
まあ、それもあるのだが、本当のところはクラリッサたちが修学旅行を行っている間に抗争が勃発して、修学旅行が中止になったり、クラリッサの学友が吊るされた死体を目撃したりということがないようにしたいのである。
「分かりました、ボス。ですが、敵は確実に追い詰めますよ。連中は畜生どもの餌になるのがお似合いだ。生きたまま目玉を抉り出して、犬にくれてやりますよ。それから野郎のナニを切り取って、目の前で豚に食わせてやります」
「ああ。本当の犯人を見つけたらそれぐらいはしてやれ」
リーチオもベニートおじさんの報復方法については異論はなかった。
何せ、幹部を殺されているのだ。これはリベラトーレ・ファミリーの面子に関わる。
マフィアはその本質的に恐怖を武器とする。マフィアが恐れられなくなっては、それはもうマフィアと呼ぶことはできなくなる。いくら金があって、政界にコネがあっても、街のチンピラどもや、対抗する組織とやり合うには恐怖が必要だ。
残虐な報復はマフィアの恐怖を知らしめ、人々に逆らうべきではない存在ということを教育するだろう。マフィアの故郷であるシチリー王国の貴族や大地主と結びついていたときから、マフィアは仕事を手に入れるために、自分たちの組織を守るために、儲けるために恐怖を利用してきたのである。
「パパ。リストできたよ」
「よし。早速買い物に行くか」
クラリッサが書斎をのぞき込むのにリーチオがそう告げた。
「ねえ、ベニートおじさんが暗殺者を豚の餌にするところ見せてもらっていい?」
「ダメ」
そして、ちゃっかり話を聞いていたクラリッサであった。
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買い物はそこまで難儀しなかった。
新しい下着。新しい寝間着。新しい私服。新しいドレス。新しい旅行鞄。
リーチオはクラリッサの望むものはほぼ全て与えてきた。妻であったディーナから、クラリッサを任されてから、クラリッサが不自由するようなことがないように配慮してきた。少しばかりわがままに育ったかもしれないが、それもまた愛嬌だ。
これまでは女物の服や下着を買うのにはサファイアについてきてもらっていたが、今回はクラリッサが自分で選ぶと言って、自分で私服や下着を選んでいた。そういうところを見せられると本当に成長したなと思わされるものである。
「この服、いいよね。袖口にナイフが仕込めそう」
「……ほどほどにな」
……成長したものと思わされるはずである。
買い物はつつがなく終了し、クラリッサは今度の修学旅行の話をするために宝石館に向かった。自分で選んだ服が似合っているかどうかも確かめてほしいのだ。
「こんちは、サファイア」
「あら。久しぶりね、クラリッサちゃん」
クラリッサがカバンを抱えて宝石館を訪れるのにサファイアが出迎えた。
「今度、修学旅行があるんだよ。知ってた?」
「そういえばお客さんのひとりがそんなことを言っていたわね」
サファイアの顧客には貴族も大勢いるのである。その中には王立ティアマト学園に子弟を通わせている貴族もいる。
「それでね。修学旅行のために新しいドレスや洋服を買ったんだ。パールさんはいる? パールさんにも審査してもらいたい」
「ええ。そろそろ降りて来られると思うわよ」
クラリッサが告げるのに、サファイアが階段の方を向いた。
「まあ。クラリッサちゃん。今日はどうしたのかしら?」
パールは今日も露出の少ないドレス姿で階段から降りてきた。
「パールさん、パールさん。修学旅行のために新しいドレスと洋服買ったから見てみてくれる? 似合っているかどうか審査してもらいたい」
「いいわよ。着替えはそこの部屋を使うといいわ」
「ありがとう、パールさん」
クラリッサはカバンを抱えてトテトテと部屋に向かった。
「じゃん。まずは修学旅行の自由時間で着る私服。フランク王国はアルビオン王国より暑いって聞いたから、涼し気な格好の洋服を選んだよ」
クラリッサがそう言って着てきたのは薄手の生地で作られた活動的なスタイルの洋服であった。スカート丈は短く、上に着るシャツ半袖で、羽織るカーディガンも薄い生地だ。色はスカートが白で、シャツは黒、カーディガンは赤だ。
「悪くないわ。フランク王国は確かにアルビオン王国より温度が高いけれど、女の子があまり肌を晒すのはよくないからカーディガンは正解ね。スカート丈はもうそれぐらいがお洒落って感じる年ごとかしら?」
「太ももにナイフを仕込むから取り出しやすい長さがいいんだ」
「ああ。そういうことなのね」
クラリッサが告げるのにパールが苦笑いを浮かべる。
「ナイフを持っていくのをリーチオさんは許可されたの?」
「うん。今回の修学旅行は危険だからいいって」
「修学旅行が危険……?」
パールたちはフランク王国で何が起きているかを知らないぞ。
「それからカーディガンの袖にもナイフが仕込めるよ。悪漢どもが襲ってきたら、これで眼球を抉り出して、犬の餌にしてやるんだ」
「……ベニートさんの影響ね」
何もかもベニートおじさんが悪い。
「それから次はドレスだね」
クラリッサは再び部屋にトテトテと戻る。
「じゃん。私のシンボルカラーといっていい朱色のドレス。スリットが色気を出してるでしょ。向こうの姉妹校である王立ベルゼビュート学園の生徒とのダンスパーティーの時に着るんだ。我ながら似合っていると思う」
「そうね。クラリッサちゃんは朱色が良く似合うわ。その銀髪がいいのね。同じ銀髪のディーナさんも朱色のドレスを好んでいたわ」
「本当? 私のセンスはママ譲りだったか」
パールが告げるのにクラリッサがうんうんと頷く。
「そして、そのスリットはガーターベルトに仕込んだナイフを取り出すためよね?」
「おおー。パールさんは私の心が読めるの?」
「ディーナさんも同じようなことをしていたから」
ディーナもガーターベルトにナイフ仕込む系女子だったぞ。遺伝であるな。
「ドレスも洋服も問題ないかな?」
「ええ。とても似合っているわ。フランク王国で彼氏ができるかもしれないわよ」
「それはない」
まだまだ自分の男女の付き合いには関心の薄いクラリッサだ。
「パールさん。フランク王国のお土産、何がいい?」
「そうね。買ってきてくれるなら、フランク王国のルーヴル美術館で販売している小物がいいわね。あの美術館の小物はセンスがいいのよ。このお店においても喜ばれるわ」
「了解。ルーヴル美術館の小物だね」
クラリッサがメモにカリカリとメモする。
「サファイアは何がいい?」
「うーん。私はワインがいいな。フランク王国のワインは絶品なの。チーズでもいいけれど。あまり高くなるようだったら気にしないで」
「大丈夫。私の財布は分厚い」
クラリッサはリーチオからたっぷりとお小遣いをもらっているのだ。
「それじゃあ、お土産楽しみにしててね」
「ええ。クラリッサちゃんも旅先では気を付けて」
「私のナイフ捌きがものをいう世界だね」
クラリッサはそう告げると宝石館を去っていった。
楽しい修学旅行までもう少しだ。
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