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社会不適合者が凄腕のバリスタになっていた件  作者: エスティ
第17章 死闘編
421/500

421杯目「完全監修」

 4月中旬、完全監修という名の構造改革が本格的に始まった。


 神崎と成美に監修内容を伝え、アルバイト全員には改革内容を伝えた上で納得させた。


 時給3000円にアップ、ジョブ制からメンバーシップ制への変更による役割範囲拡大、勤務中のバックヤード退却禁止、調理技術がある者には未経験者への指導義務を負わせた。これが僕にできる最大の手段だ。神崎と成美がバイトたちに怠惰な労働を許しているのは、非正規で給料が低いからだ。ならば時給を上げて、正社員以上の待遇を用意すればいい。社内貢献度次第で正社員昇格もありえると言った。


 約束が違うだって? ふっ、そのための時給アップだろうがっ! 嫌なら他の店に行きやがれっ!


 ――いかん、また虫の居所が悪くなっちまった。


 誰もいない事務室に居座り、指を顎に当てながら思考を巡らせた。バリスタランドはマスターのみ正規雇用者が認められ、他のスタッフは全員アルバイトでなければならない。


 本音を言えば全員を正規雇用し、学校も退学してほしい。うちではまず使わない知識ばかりを学んでいるのが口惜しい。その時間をうちに費やしてくれればどんなに楽か。学生以外を雇う手もあるが、成人組有望株は他の店に吸収されてしまったし、これから迎える()()を考えれば、やはり体力のある学生を起用せざるを得ない。平日は4時から8時までのシフトだ。テスト期間中は来れないし、美羽にバリスタランド近隣に住むバイトを探すよう伝えてはいるが、やはり期待はできないらしい。


「はぁ~、つっ……疲れたぁ~」


 情けない声を出しながら事務室へと逃げ込んでくる理恩。


 かと思えば、下半身の力が抜けるようによろめいた。


「おっと……大丈夫か?」


 理恩の小さな体を抱きかかえた。思っていた以上に軽い肩をあっさりと元の位置に戻す。


 何も食べていないわけではなさそうだが、肌が痩せこけて不健康そうに見える。


「すみません。最近眩暈がするようになって」

「まだ来てから2時間しか経ってないだろ」

「昨日出た週末用の宿題、できそうにないです」

「別にやらなくていいじゃん。どうせ社会に出てから使うことないんだし」

「やらないと成績下がるんですー」


 ハムスターのように両頬を膨らませながら理恩が言った。


「宿題は全部答えを見ながらやればすぐに終わるだろ」

「答えなんて書いてないですよ。先生が持ってるんです」


 宿題なんか百害あって一利なしだ。


 頭の良い子は宿題がなくても勉強できるし、勉強に興味のない子供にとっては写経でしかなく、余計に勉強嫌いになるし、宿題は保護者が授業だけでは足りないからと、教師に追加勉強時間として出すように言い出したのが始まりとされているし、理恩も勉強が得意ではなさそうだ。


 頭が悪いわけではない。ほとんどは興味がないだけなのだ。


「君にとっては酷な現実だろうけど、学校教育を真面目に受けたところで、社会じゃほとんど役に立たないぞ。無事に卒業させることが目的だし、ましてや普通科の勉強なんて、社会に出たら1番使わない項目だぞ。連立方程式の勉強をしたところで、社会に出てから使うのは塾講師か数学者くらいだ。勉強のための勉強は趣味の領域でしかないし、やるにしたって地に足つけてからでも遅くはないと思うぞ」

「大学までいって就職しないと、人生ハードモードになりますよ」

「就職レール以外の生き方を知らない時点でとっくにハードモードだ。会社に入っても常に倒産の危機と隣り合わせだし、潰れなくてもリストラはある。テストだってノルマに形を変えて君を苦しめ続けるだろうな。社員はお客さんじゃない。負け続ければ追い出される。その時点で何のスキルも持ってなかったら一生ハードモードだ。学生期間は社会に出てから使うスキルを学ぶための猶予期間でもある。自覚がないなら教えておくけど、今うちで培っているスキルは()()だ。大変かもしれないけど、これをこなせなかったら、もっとキツイ仕事が君を待っているぞ。将来の君にとって何が価値のあることか、今夜寝る前にちゃんと考えておくんだな」

「……はい」


 理恩が力なく返事をしながらオープンキッチンへと戻っていく。


 こんなこと親にも言われたことないのにと目が言っている。レールに乗る能力じゃなく、レールを作る能力が大事だってのに、お花畑で潰しが利くかどうかばかりを教えられてきた弊害が表れている。


 施設の連中は言った。実学を習得したかったと。


 Fラン大学を卒業した連中よりも、特別支援教育を受けた連中の方が社会に適合できているのだ。実学が座学を上回っている証拠である。当たり前のように進学している連中が後を絶たないが、座学だけで就職できる時代が終わっていることに気づいてすらいない者ほど、生活費のためだけに、好きでもなければ得意でもない労働をやらされる破目になるのだ。僕はそんな連中と一緒に働きたいとは思わない。本気になれない奴が労働市場に出てくるんじゃねえよ。生活保護でも受けてろ。


 急いで美羽にメールを打った。だが数分もしない内に無駄な作業だったと悟る。


 昨今のバリスタブームもあり、福井市の失業率は極限まで下がっている。しばらくは集まった6人で耐え忍んでほしいとのこと。何のスキルもない無職の人であればいくらでもいるが、今はバリスタの仕事を基礎から教えている余裕はないし、こっちが客寄せの術を教えてほしいくらいだ。


 正規雇用なら、他の店舗にいるプロを配属させ、すぐにでも基盤を整えられるんだが……。


 ――ん? 待てよ。アマチュアチームは店舗スタッフとして働いている。つまりアマチュアチームは全員非正規雇用ということか。だったらあの中にマスターはいないということになる。誰か別の人がマスターをしていると考えれば説明がつくが、一体誰なんだ?


 疑問を重ねているところに成美がやってくる。


「戦略は考えたの?」

「僕は戦術家だぞ。戦略を考えるのは璃子の専門だ」

「ふふっ、理屈っぽいところは昔っから全然変わってないね」

「軽音部の連中は元気にしてるか?」

「うん。理恩ちゃんは軽音部員だった友達の娘なの。たまたま近くにバリスタランドができて、葉月グループのお店があるって知ってから、私に連絡してきて、それで美羽さんにお願いしたわけ」

「またコネかよ」

「理恩ちゃんはあず君に憧れてて、将来バリスタを目指してるの。でもどうやって立ち振る舞えばいいのかまでは全く分からないみたいでね。誰かお手本になる人がいればいいんだけど」

「だったらもう叶ってるだろ。アルバイトだろうと学生だろうと、カフェで仕事をし始めた瞬間からバリスタだ。理恩はバリスタ気分を味わったところで満足してる。僕は人の気持ちを察するのは苦手だけど、全力を出してるかどうかくらい、言動や仕草を見れば分かるぞ」

「それで時給を上げたんだね。理恩ちゃん、とっても喜んでたよ。これで学費が払えるって」


 呑気に笑みを浮かべる成美だが、単に喜ばせるためではない。


 時給3000円は額だけで言えば正社員レベルだ。当然サボりなんて許されるはずもなく、一定以上の社内貢献度を記録しなければ首を切られてしまう。最初は非正規から初めて、実力が認められれば正社員昇格という仕組みにしてきたが、学費のためだけにバイトしている連中までは想定していなかった。


 学費とか生活費なんて腑抜けたことを抜かしている内は、社会に出た後のギャップに苦しめられてしまうのが自明の理だ。お情けで雇ってくれる企業なんて、絶滅危惧種だってことを教えてやらねば。


「家が貧乏なのか?」

「うん。皮肉な話だけど、軽音部員の友達で就職できた人が全然いなくて、理恩ちゃんの家はシングルマザーで生活保護も受けられない状況でね……しかもお母さんが過労で倒れちゃって、このままだと学費が払えない状況なの。ほら、追い詰められてる人って、死に物狂いで頑張るでしょ。だから――あず君?」

「……何でもない」


 過去の自分を思い出したためか、ついボーッとしてしまった。


 だったら尚更全力を出せなかった理由が分からない。


「その目は心配してるね」

「理恩はバリスタの仕事こそこなしてるけど、コーヒーを淹れる以外の動きはさっぱりだ」

「理恩ちゃんは家事も勉強もやってるから、実質フルタイムなんだよねー」

「どうりで気の抜けた動きが多いわけだ」

「その内理恩ちゃんまで倒れないか心配」

「――! じゃあこうしよう」


 咄嗟に妙案を思いついた僕は指を鳴らした。


「どうするの?」

「要は理恩が仕事に集中できるようにすればいいんだ。ポテンシャルも意欲もあるし、学業と家事が忙しいというなら、そこを補強すればいい」

「でも退学させるわけにもいかないでしょ。家事だってお母さん1人じゃ大変だろうし」

「忘れたのか? うちにはハウスキーパー制度がある。家事育児の忙しさが仕事に支障をきたす領域であると認められた場合、葉月グループ専属のユーティリティー社員の内、ハウスキーパー研修を受けている者を無償で派遣できる。僕の彼女が育児に追われて仕事ができない時期が長引いたことがあってな。最初は抵抗あるだろうけど、うちの売り上げアップのためだ。この店が他の店舗と争っているのは純利益じゃない。あくまでも売上総利益だ。経費でプラマイゼロになっても、売上総利益で勝ち越せば――」

「オリエンタルモールの株をゲットできるってわけでしょ」


 笑みを浮かべながら成美が言った。


 早速理恩を呼び出してから提案するが、そうは問屋が卸さなかった。


「ええっ! そっ、そんなの駄目ですっ! 家に知らない人を入れるなんて」

「つまらない意地を張る余裕があんのか?」

「……そう言われても」

「嫌なら稼いでから言え。意地を張って生きるにはお金がいる。なのに貧乏人ほど意地を張って、使わなくてもいいところに財産と労力を費やす。働かずに稼ぐ方法とか、制度を利用して生きる方法とか、肝心なことに限って何も教わってないだろ。学校は君が生きていくために何を教えてくれた? 君の母親が倒れたのは、何でもかんでも全部自分で背負い込む癖がついてるせいじゃねえのか? 今の理恩のように」

「お母さんが倒れたこと、あず君に話しましたっけ?」

「社内のことは何でも知ってる。どこにいても勝手に情報が入ってくるからな。学校は社会でうまく生きていく方法は何1つ教えてくれない。なのに迷惑をかけないことだけは毎日執拗に教え込む。貧乏になっても、社会福祉を利用させないようにするためだ。それこそが君の持っている無意味な抵抗感の正体だ。君は親と学校から真面目で優しい性格を褒められてきたんだろうけど、社会は真面目で優しい情弱ほど食い物にされる。生命保険会社が何で利益を出せてるのか考えたことあるか? いい加減気づけよ。君はありとあらゆる方面から、都合の良いようにコントロールされてんだよ!」

「……本当に……ハウスキーパー制度を利用してもいいんですか?」

「もちろん。君の母親がまともに家事をこなせるようになるまでの期間であれば、労働を補助する正当な理由として、ハウスキーパーを無償で派遣できる。何なら宿題も代行してもらえ。総帥命令だ。今君がやるべきことは、社会で通用する人間になることじゃねえのか?」

「――分かりました」


 少し間を置いてから、渋々と理恩が答えた。


 不本意なのは分かってる。だがそれこそが貧困者の弱点だ。


 意地を張るのは課金行為だ。面倒なことを全て引き受けて生きるには相当な労力が必要だ。仕事や生活の一部を誰かに代行させるのは、全く恥ずかしいことではない。


 自立とは誰にも依存しないことではない。むしろ積極的に依存先を増やし、いつでも足りない部分を補ってもらえる状態でこそ、安心して自分の人生を歩むことができる。これこそが本当の意味での自立だ。誰もが1人で生きていけるのであれば、そもそも自立という言葉自体がいらないわけで、若い人ほど自立を意識して独り立ちしようとするが、すぐ親元に戻ってくることも少なくない。


 理恩が通学しているのは、早く独り立ちしたいからだ。


 数日後――。


 この日以降、理恩の怠惰な労働はなくなった。


 何から何まで全てを引き受け、断ることを知らなかった理恩は学業も家事も労働も見境なくやり始め、驚くべきことに、学校のあらゆる部活にも助っ人として参加していた。己の体力と相談することもなく、限界ギリギリのところまで体に鞭を打っていたのだ。無知だけに。


 理恩の怠惰な労働とは、適切な休息を怠ったことである。


 人当たりの良い女性ハウスキーパーを派遣することで安心感を持ってもらい、家事から宿題代行まで行っているという。しかも理恩の母親がフリーになるため、復職するまでは延長することとなった。本来であれば、元夫に養育費を支払う義務が生じて然るべきなのだが、あくまでも努力義務でしかない。


「いらっしゃいませー。3名様ですねー。こちらの席へどうぞー」


 やつれていた肌は質感を取り戻し、声は明朗快活な音色を響かせる。


 客は最大限のサービス精神に快感すら覚え、注文の仕方がとても丁寧だ。


 以前とは異なり、惜しみのない笑顔で接客をするようになると、理恩はたちまち客からの評判を得た。接客や調理の仕事に専念できるようになってからは完璧なまでにこなしている。バリスタを目指しているだけあって才能はあるようだ。体力自慢がどれかに特化することほど頼もしいものはない。


 理恩が言うには、無表情で淡々と接客をしていたのは、笑顔の表現方法が全く分からなかったからであるとのこと。そこでボールペンを横向きになるように口に咥えさせ、笑顔の定義を覚えてからは接客態度が劇的に改善した。理恩目当てで毎日やってくる固定客がつき、噂を広めてくれている。


「なんか少しお客さん増えてるねー」


 嬉しそうに顔を近づけながら成美が言った。


 彼女は神崎と共同マスターを務めているが、神崎がいる時はクローズキッチンで調理したり、バイトたちの調理指導を担当したりしているが、神崎がいない時はマスターの仕事にスイッチする。かつてはマイナー店舗の1つであるラテアート葉月のマスターを務めていただけあり、手慣れている様子だ。


 客数の変化にも敏感なようで、分かりやすくテーブル席が埋まるようになった。


 客を案内する時は真っ先に窓際の席へと案内するよう指導した。これにより客が立ち寄る店であると、外にいる人が錯覚するようになる。評判であると勘違いさせるだけでも大きなきっかけになる。


「看板娘ができたお陰かな」

「何でそこまで理恩ちゃんを買ってるの?」

「見てみろ。客層の大半が男だ。バイトは全員女で統一してる。これは男性客をターゲットに絞るために璃子が考えた戦略だ。バリスタランドの客層は7割が男性客だから、男向けの方が集客できる。ところが大半の店が女性客をターゲットにしてる」

「そういえば、男性客が多いのに、他のお店は女性客が多いよね」

「女性客をターゲットにしたところで、女は体重を気にしてる人も多いし、ヘルシーメニューを出してもあまり食べないから飲食代を稼ぎにくい。法律ギリギリだけど、看板娘で男性客を誘い込むのが1番だ。今の若い男は女性経験がない人が多いから、容姿端麗なスタッフが外でビラ配りをしているだけでコロッと落ちる。一部の客層を確保できれば後は勝手に宣伝してくれる。みんなには内緒にしてるけど、ここのバイトは例外的に全員顔採用だ。技能も実績も考慮してない。職人が整形するよりも、美人に技能を磨いてもらう方がコストが安いからな」

「サラッと酷いこと言うよね」

「コーヒーマシンの中で1番コストが重い部品、何だか知ってるか?」

「バリスタでしょ。動画で言ってたじゃん」

「正解。いくらコーヒーマシンが優秀で、最高のコーヒー豆を使っていたとしても、バリスタが無能だったら、どんなコーヒーもただの泥水だ。もしかしたら、いつかこんな日が来るとは思ってたけど、これほどの最終兵器が出てくるとはな」


 オープンキッチンに置かれている最新式『ドリップコーヒーマシン』が目に映る。


 エスプレッソどころか、ドリップコーヒーすら機械化された。熱湯の温度、熱湯をコーヒーに投入するタイミング、投入する回数を設定することで、誰でも最適なドリップコーヒーを淹れられるのだ。ドリップコーヒーの大会には姿を現さないが、エスプレッソの大会ではシグネチャーの材料としてのドリップコーヒーを作るために利用するバリスタも増えた。


 ただコーヒーメニューを作るだけなら人を置くだけで済む時代。


 何ならこの設備だけでワンオペできそうだ。


 シフト制で営業時間の長い店であれば、必要最低限の人数で店を回すことが何より重要となる。メニューはすぐに作れるファストフードのみにしたが、観光地価格にできる分利益率が高い。コーヒーメニューはカフェラテのように混ぜるかフロートするだけのメニューにし、効率化を図っている。どんな仕事でもこなせるようにするのではなく、誰でもできる仕事にすればいいのだ。


 理恩と渚は高校生のため制約が大きい。午後4時以降に接客とオープンキッチンを担当してもらおう。澪と百美は大学生とフリーターで比較的自由な立場だ。シフトに入れる日が極端だが、休日なら他の人に入ってもらえばいいし、主に平日の朝から昼の間に入ってもらえばいい。主力は真凜と実莉、この2人には週6日フルタイムで入ってもらう。指導もできる立場だ。神崎と成美はマスターとしてシフトの管理から人手が足りない仕事の穴埋め。ある意味ではメジャー店舗のマスターより多忙かもしれない。


「なあ、前々から気になってたんやけど、何であんなに人を雇うんや?」

「もうじき分かる。8人でも足りるか怪しいくらいだ」

「いくらシフト制やゆうても、50人分の席でこの集客率やったら、3人でも回るで」

「杉山社長がアトラクションの範囲を拡大するって言ってただろ。今は中央エリアにばっかりあるけど、今後はこのエリアにもアトラクションが設置されることになってる」

「そしたらどうなるんや?」

「客足が落ち着いた時間でも休めなくなる」


 神崎が腕を組みながら不思議そうに首を傾げた。


 バリスタランドには多くのテーマパークスタッフが在籍している。


 しかし、ここのテーマパークスタッフはいずれも杉山社長の支配下であることを僕らは思い知らされることになる。神崎はバリスタトレーナーとして、バリスタを始めたばかりの連中の指導担当だ。


 最初は苦戦するものと思われたが、意外にも神崎は研修の時からあっさりと中山道葉月に順応した。


「神崎はバリスタ歴何年?」

「最初の就職先がカフェやから、16年は経つなー。断続的やけど、飲食店を渡り歩いとったわ。子供の頃は宇治抹茶に囲まれながら生活しとったから、毎日お茶ばっかりでな。それですぐ飽きてもうて、あず君の活躍を見て、初めてゲイシャっちゅうもんを飲んでみたら、これがもうめっちゃ美味くてな。それで穂岐山珈琲に入ろうと思ったんやけど、まさか杉山グループに乗っ取られるとは思わんかったわ。でも色んな飲食店におったから、他の人が知らんような、都会風から田舎風までの和食に中華に洋食の味まで覚えたし、何度か外国も行ったで。年取ったら旅行したくても体力が持たないと思っとったし」

「バリスタトレーナーになりたがっていたのは、バリスタに味の極意を伝えるためなんだろ?」

「せやな。俺はずっと中途半端な仕事ばっかりしとった。せやからもう仕舞いにしたいんや」


 過去の自分を憂うように1杯のエスプレッソを淹れた。色んな店を渡り歩いてきたジャーニーマンだからこそ、フレーバーをすぐ掴み取れるわけか。うち以外じゃまず使わない経験だな。


 親にバリスタを勧められているあたり、後を継がせることは諦めているようだ。


 神崎はエスプレッソの液体を口に含むと、味わうこともなく、あっさりと飲み干した。

読んでいただきありがとうございます。

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