418杯目「作られた急所」
午後8時半、オープン記念挨拶まで残り30分――。
大広間には一定の距離毎に白いテーブルクロスが敷かれている丸いテーブルが設置され、テーブルを囲むように全国各地の社長が佇みながら談笑する。
椅子のない立食形式のパーティーだ。杉山社長が他の人に気を取られている間、隙を見て気配を消し、誰にもばれることなく、杉山社長に後ろから近づいた。そこまでは良かったが、問題は千尋だ。杉山社長はさりげなく上段のスコーンを皿に移動させ、大広間の端へと移動する。
僕は仕事用スマホを通話モードにしたまま、杉山社長が陣取るテーブルの下に置いて離れた。
私用スマホを通話モードにすると、杉山社長の声が聞こえてくる。
杉山社長が千尋の前に立つ。僕の目の前には高そうな黒い靴が接地している。
「うちの後継ぎになる件だが、考え直す気はないかね?」
「そう言われてもねぇ~。まだ結婚を諦めてないわけ?」
「いやいや、君の家との結婚はとっくに諦めてるよ。気づいているとは思うが、うちには有力な後継者がいない。私は今年で73歳。創業して半世紀が経つ。そろそろ後継者を決めなければならない。杉山グループの社員は優秀だ。だがお世辞にも役員が使い物にならない連中ばかりでね。傾きかけていた村瀬グループを献身的に支え続けた君の活躍は常々窺ってるよ。君なら杉山グループを世界的なグループ企業へと成長させることができるはずだ。私は予てから葉月グループの吸収合併を考えている。君の力を使えば、葉月グループを内側から崩壊させることくらい造作もないだろう」
「冗談きついなー。僕がそんな手に乗るとでも?」
「君なら乗るだろうと思ってるよ。村瀬グループの事業規模が縮小していくことを危惧した君は、海外を相手に事業拡大を目指した。その頃海外は日本酒が流行する兆しを見せていて、しばらくしてから日本酒ブームになったな。もし村瀬グループが君の言った通りに事業を展開していれば、莫大な利益を得ることができただろうが、保守的な役員に猛反対されたんだろう。君はグループに嫌気がさして、葉月グループの社員に甘んじているが、まだ野心を持っている。私には分かる。自分の実力はこんなものではないと」
「――僕の……実力」
刺激を受けたように小さく言葉を口にする千尋。
様子がおかしい。杉山社長の話術にまんまと乗せられている。
杉山グループは大きな課題を抱えている。有力な後継者がいないまま誰かが後を継げば崩壊は必至だ。社員が優秀ということは、小粒の駒は十分に揃っているが、経営するだけの能力は持ち合わせていない。創業して半世紀なら、役員は社員から出世していったような叩き上げばかりのはずだ。
ここに組織としての弱点が隠れている。
社員として有能な人が、役員として有能とは限らないのだ。
特に社員と社長は適性が大きく異なる。雇って使う側と雇われて使われる側となれば、むしろ真逆の適性と言っていいが、両方を兼ね備えた者は希少だ。社長になれるような逸材は就職なんてしないし、叩き上げを除けば天下りで加入した者になるが、前職と職種が異なれば采配には期待できない。杉山社長が自分の娘を次々と経営者の親族に嫁がせていたのは、後継者候補として競わせるためだった。
今でも千尋を諦めてないってことは、全員外れだった可能性が高い。経営はそう簡単にできないってことか。ましてやうち以上の規模を誇るグループだ。経営のことはあまりよく分からんが、並大抵の人間には務まらないってことくらい分かる。だからこそ後継者探しに奔走しているんだ。
「……本当に跡を継がせてくれるの?」
「もちろんだ。葉月グループを飲み込むことができれば、うちの勢力規模は世界へと広がる。しかも今はバリスタの世紀と呼ばれているほど、コーヒー事業が盛んだ。バリスタの仕事をしながら経営もできる。世界的企業に肩を並べれば、偉大な経営者として、君の名が世界中に広まるだろう。自分で言うのもなんだが、うちは総帥権限が強い。後を継げば保守派に邪魔されることなく、君の思い通りに事業を進められるぞ。葉月グループにいても宝の持ち腐れだ。葉月グループの株は持っているのかな?」
「持ってないよ。葉月酒造の株だったら社長だから持ってるけど、本部の株だけは全然握らせてもらえないんだよねー。それに僕、バリスタを引退する気はないよ」
「葉月社長はコーヒー事業しか考えていない。用済みになれば会社の1つや2つくらい処分する。グループ企業の宿命だ。葉月酒造もお情けで吸収合併した企業の1つだろう。君は利用されているんだよ。村瀬君がどんなに頑張っても、葉月グループの後継ぎになることはない」
「何が言いたいの?」
「村瀬君はいずれ葉月社長に裏切られる。そこでだ、私と手を組まないかね?」
「……考えとくよ」
迷いを抱く千尋を前に、杉山社長がほくそ笑んでいる姿が遠く離れた場所からでも見える。スマホを仕掛けて盗聴するためだけに千尋を向かわせたけど、流石に企業秘密までは教えてくれないか。
そればかりか、千尋は心の隙を突かれている。千尋に限って早まった行動をすることはないが、確かに千尋がうちに居続けるメリットは薄い。あいつ自身がどうありたいのかはずっと分からないままだ。葉月酒造の技術を継承して、コーヒーカクテルに使える日本酒を研究つもりだと千尋は言った。村瀬グループを見限ったとはいえ、内に秘めた野心にはまるで気づけなかった。
杉山社長が千尋から離れると、僕は机の下に隠したスマホを回収した。
午後9時、遂に杉山社長のオープン記念挨拶が始まった。
照明が暗くなり、段差のある位置にいる杉山社長に一筋のスポットライトが当てられた。
全員の視線が杉山社長に集中する。杉山社長自らが目の前に設置されたマイクを手に取り、杉山グループについた関東地方を拠点とするコーヒー会社の社長たちが出資者として紹介され、あからさまに優遇していることを口には出さずとも宣言する。無論、それだけで終わるわけもなく、今年中に行われる予定の活動情報を解禁する。バリスタランドはまだ未完成だ。これだけ広大な面積を使いきれていない。いくつもある広場にテラス席があるのが証拠だ。テイクアウト商品を充実させ、店内の席が埋まってもテラス席で補えるようになっているが、雨の日は集客がしにくいのが弱点だ。飲食店と土産物店だけでは大規模になっただけのショッピングモールだし、飲んでからコーヒーカップに乗って回るのも気が引ける。
課題が多く残る中でも、杉山社長は意に介することなく演説を続けた。
「無事にバリスタランドをオープンさせることができたのも、全ては皆さんの協力があってのことです。園内全てのエリアにアトラクションを充実させ、全店舗のバリスタには、アトラクションスタッフの活動にも参加していただこうと考えております。目の前のお客様に対して命を懸ける。サービスを提供する企業として当然のこと。営業12時間で飯を食える店員は無能です。命懸けで全てのお客様を見ていたら、命懸けで全てのお客様を気にしていたら、料理など……口に入るわけがありません。水ぐらいですよ」
優しい顔から放たれる強烈な言葉に、僕は思わず耳を疑った。
――何だこいつ……まるで意味が分からんぞ!
周囲の社長たちは首を縦に振りながら傾聴している。
うちのスタッフもオープニング期間が終わればアトラクションスタッフをやらされるってことか。そうなればカフェとアトラクション、両方のスタッフを務めることになる。ただでさえどちらかだけでも十分すぎるほど忙しいというのに、二足の草鞋で長時間活動すれば、過労死一直線じゃねえか。
しかもあろうことか、杉山社長の手下である議員たちが労働基準法の中身を改悪しようと企んでいることがニュースで分かった。バリスタランドは労働市場では珍しく、アルバイトに対して裁量労働制を採用している。中山道葉月で働くスタッフも同様ではあるが、業務が増える一方で残業代は出ない。経営者に優しく、労働者に厳しいのは昔っからだが、その流れを更に加速させようとしている。
「皆さんもご存じの通り、各社が出店しているカフェの粗利益からロイヤリティが支払われますが、私も鬼ではありません。そこで1つだけ緩和条件を出そうと思います。バリスタランドに存在するカフェは全部で47店舗ありますが、その中の年間売り上げランキング上位5店舗につきましては、ロイヤリティは一切頂かない方向で検討させていただきます」
「「「「「おお~っ!」」」」」
大広間からは湯水が溢れ出るように歓声が湧いた。
上位5店舗はロイヤリティなしだと。随分太っ腹だな。
ロイヤリティなしとなれば、利益が丸々うちに入ってくる。今後バリスタランドには世界中から多くのコーヒーファンが集まってくるわけだし、集客さえできれば、莫大な利益を出すことができる。
「これだけではありません。今年度売り上げランキング1位に輝いた店舗のオーナーには、株式会社オリエンタルモールの株20%分を贈呈します」
「「「「「おお~っ!」」」」」
株の20%を贈呈って――今株価が上がっている中でやるのか?
一瞬、杉山社長と目が合うと、口角を上げ、歯を見せながら目を細めた。
間違いない。これは僕への挑戦状だ。コーヒーイベントとは別に直接対決を仕掛け、経営手腕でリードしていることを証明して、こっちの士気を下げるつもりだ。
「但し――」
杉山社長の不穏な一言で、水が止まったように大広間が再び静まり返る。
隣まで移動していた皐月が、何かを伝えたそうに僕の腕を優しく掴んだ。
「年間売り上げランキングワースト5店舗に入った場合、ペナルティとしてロイヤリティを100%献上していただき、更に店舗オーナーからは本部の株を20%献上していただきます。社内貢献度がマイナスを記録した場合、組織の足を引っ張ったものとして扱い、ペナルティとしてロイヤリティを増やします」
「「「「「!?」」」」」
この場にいる社長たちは至って冷静だが、他は周囲の人と顔を合わせながらざわざわと騒ぎ始めた。
ロイヤリティ100%に加えて本部の株20%か。ワースト5店舗に入れば一方的に損をする。
だがそんなことは契約書には――まさかっ!
「契約書にちゃんと書いてありますよね。売り上げが少なかった場合、もしくは社内貢献度がマイナスを記録した場合、ペナルティを課せられることがありますと。貢献できない分を回収するのは当然のこと。これくらいの余興がなくては面白くない。社内貢献度につきましては、葉月グループ傘下の株式会社葉月データによって算出される社内貢献度を参照します。それでは皆さん、良い1年になることを祈ります」
ねっとりとした言葉を残し、杉山社長が去っていくと、スポットライトが意味を成さなくなるほどに、照明が戻っていく。少しばかり長い夢でも見ていたかのようだ。
出資した社長たちが一斉にスマホを取り出した。
人よりも機械との睨めっこが得意な連中だ。葉月データの社員たちが作製した社内貢献度だが、数学や統計学を専攻していた氷河期世代組の高学歴非正規労働者を優先的に引き抜き、僕の監修の下、未完成要素があるものの、おおよその合理的な貢献度を算出できるようにはなった。会社に貢献できている人と足を引っ張っている人が年単位で浮き彫りになる指標を作ってほしいと懇願すると、彼らは喜んで応じてくれた。人間観察や社会学に詳しい人も社内貢献度指標作成プロジェクトに加入させ、データ分析やモデル化にまで至り、結果的に人材の効率化、メジャー店舗とマイナー店舗の序列化に貢献した。
まさかうちが作った社内貢献度を逆用されるとは思わなかったな。
周囲の社長たちが一斉に僕を真顔で睨んだ。狼が巣くう真夜中の森に迷い込んだかのようだ。あくまでも代替可能社員と比べてどれくらい利益を出せたかが問われるわけだが、多くの社員が代替可能社員であることを知っている者は少ないだろう。所詮はクビを容易にするための根拠にすぎん。
早くここから出よう。安心していられる場所じゃない。あのじじい、喧嘩を売ったついでに社長たちが僕の敵に回るよう仕向けやがった。葉月グループのせいで自分たちの株が危機に瀕している印象をみんなに植えつけた。連帯責任を全員に押しつけ、原因となった個人に敵意を向けさせる担任教師のようだ。
契約書には、少なくとも1年は撤退しないことが義務付けられている。
守れない場合、ペナルティとして本部の株を20%没収される。裁判になっても杉山グループには優秀な弁護士がいて、裁判長すら手懐けているという噂だ。正面から戦うのは危険だと誰もが分かっている。たった1年の戦いとはいえ、水面下で二重に戦いを仕掛けてくるとは思わなかった。
これは保険だ。コーヒーイベントで勝てなくても、別の手段でうちの牙城を崩そうと企んでいる。杉山グループはあらゆる手段を講じて、他企業を飲み込んできた悪の帝国だ。無条件で20%も株が渡れば、残りは自力で買い込んでくるのは目に見えている。相手本部の大株主になってしまえば、吸収合併とまではいかずとも、組織を支配されるのは時間の問題だ。穂岐山珈琲もそうやって飲み込まれた。
僕は逃げるようにタクシーで帰宅した。行き先以外は何も口にすることはなかった。
「はぁ~」
子供たちが寝静まったところで、僕はリビング中央で息を吐いた。
「もう24回目ですよ。そのため息」
アイロンがけをしている唯が心配そうに声をかけた。
「数えてたのかよ」
「あず君は本当に分かりやすい人ですね。まっ、私はそういうところも好きですけどね。細かいことは分かりませんけど、バリスタランドで何かあったってことくらい分かりますよ」
落ち着いてから唯に事情を説明する。話しながらココアを淹れてもらい、目の前に湯気が立った。
何もかも包み込んでくれるこの温かい甘味、ほっこりする風味だ。
「してやられましたね」
「よく他人事みたいに言えるよな」
「私にとっては他人事です。バリスタランドには特に惹かれるような何かを感じませんから」
「同感だ。あれはバリスタの名を借りたでっかい貯金箱だ」
「ふふっ、あず君の言葉を借りるなら、心のない空間ですね」
「……しばらくはバリスタランドから目を離せそうにない。もし売り上げを伸ばせないようなことがあったら地獄を見るからな。でもどうすればいいのか全然分からん」
僕はすぐに現実を思い出し、強く揉み解すように頭を抱えた。
「だったら中山道葉月に居座ればいいじゃないですか」
「プロバリスタは務められないルールだ」
「マスターを務めるのではなく、完全監修という名目でスタッフを指導しながら、実質マスターのように振る舞えばいいんです。アマチュアバリスタの指導役であれば、文句は言えないはずです」
「――そうか……その手があったかっ!」
そういや僕、葉月珈琲を伊織に譲ったんだった。
株式会社葉月珈琲の社長も伊織だし、本部だって普段は優秀な役員たちが事業を回してくれている。
僕は実質フリーだ。今のまま家に居座ったところで、動画投稿と子供の遊び相手くらいしかすることがない。完全監修を行うには丁度良いタイミングだ。中山道葉月のバリスタは全員アマチュアだし、葉月珈琲塾の卒業生でもない。当然ながらゼロから指導をしなければならない。
最低限のマニュアルこそあるが、営業時間12時間の中できっちりこなせているかどうかも心配だし、それならつきっきりで面倒を見ればいいんだ。
杉山社長にとって中山道葉月は、バリスタランドに作られたうちの急所である。
しかし、完全監修を行ってはいけないという条項はどこにもない。プロとして腕を振るうことはできないが、アマチュアの連中に手を貸すことはできる。バリスタランドのルールがようやく分かった。
「ところで、このバリスタカードって何ですか?」
「国内で活躍した歴代バリスタが100種類も収録されてる。これからもっと増えていくだろうな」
「あず君が表紙を飾ってるってことは、珍しいカードだったりするんですか?」
「僕がバリスタオリンピックに参加していた時のカードは世界に5枚しかない。帰る時に店の中を覗いてみたら、全部売り切れてた。みんな狙ってるんだな」
「また依存症の材料が増えちゃいましたね。開けてもいいですか?」
「ああ。手伝ってくれ。唯と伊織のカードもあるぞ」
「まさか自分自身を当てるために買ったんですか?」
「そうだな。丁度次の趣味を探してたし、価値が高騰すれば、億千万で売れるかもな」
「これってバリスタが活躍したら、価値が上がったりしますか?」
「もちろん。国内予選で優勝して、世界大会で活躍したバリスタほど価値が高くなる。もし海外のコーヒーファンたちがこのことを知ったら、どれだけ良い商売になるか――!」
――そうか、そういうことかっ!
璃子が大会に出ることを勧めていた理由が今分かった。
プロバリスタの価値が上がれば、当然プロバリスタのカードも価値が上がる。
これからバリスタを目指している人も、既にアマチュアのバリスタとして活躍している人も、カードを買う子供たちも、必然的にレアカード率の高いプロバリスタのカードを当てたがるし、当たった時の喜びを噛みしめ、やがて憧れを持った時、プロ契約制度を目標として意識するに違いない。プロ契約制度が民衆に認められれば、プロ契約制度廃止条例を取り下げられるかもしれない。
バリスタカードを通して、プロバリスタの実力を広く知らしめる。あいつらは儲けるためだけにバリスタカードを作ったはずだ。でも都合が良かった。より多くの人にバリスタが知られるには良い機会だし、海外のコーヒーファンからもプロ契約制度が支持されれば、保守派の連中に大きな外圧がかかる。
「どうかしたんですか?」
一瞬止まった僕を心配しながら左肩に寄り添ってくる唯。
ふんわりとした髪を指で触りながら抱き寄せると、花の香りが鼻に入ってくる。
「完全監修、やってみる。本来はプロを志している人にしかやらないけど」
「アマチュアバリスタってことは、バイトなんですよね」
「ああ。いつ辞めてもおかしくない。穂岐山珈琲で育ったバリスタのレベルの高さを思い知った」
「――きっと大丈夫ですよ。あず君なら」
何も心配するなと顔が言っている。唯の後ろ向きの体を僕の手前に持ってくると、両腕を伸ばし、小柄に似合わぬたっぷりとした柔らかい感触を堪能する。一瞬体がブルッと震えるが、すぐに受け入れた。
気持ち良さそうな顔のまま呼吸が激しくなる唯。
久しぶりの恋人同士の時間は、僕には緩やかに感じた。
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