アニー・オーリー 1
(あー、寒い寒い)
いつも通り家を最後に出る私は、扉を施錠しながら肩をすくめた。一角山羊の毛皮のコートのおかげでかなり寒さは遮断できているけれど、コートの袖から出た手はそうはいかない。生まれ育ったリールの町よりは王都は幾分寒さがましとはいえ、真冬になれば大差はないみたい。年も明けて一ヶ月以上経過した今は、どの地域でも寒いだろう。
アイラお姉ちゃんの方が朝は少し早い。商店は店を開ける前にいろいろ準備があるからだ。あたしが勤める冒険者ギルドは特に品物の確認などはないので、その必要がないのはいいと思う。
この三ヶ月ですっかり馴染んだ通勤路を歩く。周りを見るとまだ新しい家や店が目立つ。道行く人もどこか活力に溢れた顔をしているような......というのはさすがに気のせいかな?
灰色の石壁の向こうから建築作業をする人の「工事はじめっぞ!」という勇ましい声が聞こえてきた。何の建物かは分からないけれど、また新しい建物が出来るのだろう。王都、シュレイオーネ王国の心臓部。その息吹は今日も活発なようだ。
(がんばろーっと)
角を曲がり見えてきた職場--冒険者ギルドの建物に歩きながらあたしは自分にハッパをかけたのだった。歩いているうちに寒さも少しましになった。
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「はい、このクエストの受注ですね。ありがとうございます」
私の返事にずんぐりむっくりした髭面の男の人は頷いた。ガチャガチャと金属鎧を鳴らしながら立ち上がる彼の背中に「頑張ってくださいねー」と声をかけると「おう」と短い返事が戻ってきた。無愛想な人--いや、鉱山に住むドワーフ族らしい--と思っていたけど、根はいい人なんだろう。
今のドワーフの人は強そうに見えたし、事実レベル24とこの王都の冒険者ギルドに来る冒険者の中ではかなり上の方だ。しかし比べてはいけないと思っても、どうしても身近なある人と比較してしまう。
「ミランダ先輩、やっぱり勇者様って特別なんですね」
あたしの言葉に、隣のカウンターに座るミランダ先輩は困ったように首を傾げた。栗色のショートカットの髪が大人っぽい細面によく似合う。
「アニーちゃん、レベル70台なんて人、他にいると思う? 比べたらかわいそうよ」
「ですよねー......」
もっともな指摘にあたしは苦笑いするしかなかった。
ミランダ先輩は二十二歳、今年で冒険者ギルド勤務四年目になる。ギルド職員の中では中堅にあたりあたしの指導員的な役も兼ねていた。自然、お昼ご飯もこの人と一緒に食べることが多い。
「さっきの話の続きだけれどね、レベル30前後がたいがいの人間の限界なのよ」
「みたいですね。それはあたしも新人教育で何回も聞きました」
「うん。だからウォルファート様がレベル70後半というのも本来ありえない強さなの。人間の枠を超えているわ」
そう言いながらミランダ先輩はお弁当をまた一口食べた。あたしもそれに合わせて食べる。ギルドの建物には職員が休憩を取れる休憩室があり、そこでお昼ご飯を食べたり少しの間なら談笑したり出来るから便利だ。
「そっかあ、なんか身近にいすぎて気付かなかったけどやっぱり勇者様って凄いんですねえ。あたし、双子ちゃんに振り回されてふて腐れたり、怪しげなお店に行く勇者様しか知らなかったからなあ」
「......ま、まあほら。勇者様も人間だからね? それでも私達普通の人から見たらやっぱり雲の上の人よ」
「実感湧かないんですよー」
ミランダ先輩の言葉も分かる。あの恐ろしい大魔王--姿見たことないけど--を倒してのけた英雄中の英雄だ。一般人と比べること自体が失礼なのかもしれない。
(けどどーしても特別って思えないんだよねえ)
デザートの林檎をつつきながら、あたしはウォルファート様のことをちょっと考える。最初にまともに話したのはシュレンちゃんとエリーゼちゃんのことで金鹿亭に愚痴りに来た時だっけ。あれからもう二年半以上経過する間に色んなことがあった。ウォルファート様とは給与はもらっていた以上、上下関係にあったのだけど頭ごなしに命令されたりした覚えは一度もない。どっちかというと友達感覚で過ごしてきた。
でもよくよく考えたら勇者様なんだよなあ。あんまりそんな雰囲気しないけど、王都に来てからそう感じる機会が増えた。イヴォーク侯爵みたいな偉い方が頭を下げて、今はあんな大きな屋敷に住んでるし、冒険者ギルドでもあたしがウォルファート様と知り合いというと驚かれた。実際は知り合いというより遊び相手に近いと思うけど、空気的にそれは言える感じじゃなかったので止めた。グッジョブ、あたし。
と考えつつもあたしはミランダ先輩の言葉をもう一度考えた。レベル30前後で限界が来る、つまりそれ以上成長しないということだが正確にはちょっと違うのだ。
「普通のやり方だとそれくらいでもうレベルが上がらなくなる。だから何かプラスアルファが必要なんでしたっけ?」
「そうね。極端に次のレベルまで必要な経験が大きくなるから大勢の人はそこでレベルアップが止まるの。何かきっかけ--幸運があればそれを乗り越えられるのだけど」
ミランダ先輩はどこか遠い目をして言う。思うところがあるのかもしれない。先輩のいうきっかけとは人によって様々らしい。ある人は竜の生き血を啜ることで人の能力の限界を超える。またある人は、地下深くに封印されていた能力覚醒の魔法陣の恩恵を被ることにより爆発的な成長力を得る。だがそれはやはり極めて稀らしい。
「ということは、双子の実のお父さんのシューバーさんも素質バリバリだったんですよねー」
「お名前だけはアニーちゃんから聞いたから覚えているわ。もし何の恩恵も無しにレベル40超なら間違いなくトップクラスね。人の価値は強さだけでは測れないけれども」
「確かに強さだけで測られたらあたしなんか底辺ですから!」
先輩の言葉にギクッとしつつ、レベル1のまさに最弱のあたしは何故か胸を張った。ふっ、鍛えてもいないし戦闘訓練も受けていないならこんなものよ、文句ありますかー。
そんなあたしを生暖かい視線で見守りながら、ミランダ先輩は「午後は学習時間からでしょ? そろそろ行かないと」と促してくれた。おっと、そうだった。「危うく忘れかけてました、てへ☆」と舌を出すとぺしんと軽くおでこをはたかれちゃいました。あたしってば根っからお調子者だな......
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王都の冒険者ギルドは各地に散らばるギルドの中でも規模が大きい。それゆえ資料も充実しているし、勤めている職員には定期的に研修機会が設けられている。特にあたしのようなまだ新人職員にはその機会が多い。
冒険者が就く各クラス、有名どころの魔物の名前と特徴、クエストの場となりやすい魔物の発生地域、各地に点在するダンジョンの情報、さらには冒険拠点となる町の位置やそこで利用出来る店の情報など覚える科目は山のようにある。
「けど、全部暗記する必要がある部分て実はそんなにないのよね」
独り言を言いながら、あたしは資料室から運んできた書物を机に広げた。天井に開いた窓から採光出来るよう工夫されているので、冬の弱い日差しでも十分本は読める。今日あたしが読んでいるのは"冒険者のクラスとは 初心者用"と"不死者に対する傾向と対策"の二冊だった。
冒険者ギルド職員が知らなければならない情報は相当量があり、それを全部暗記するのは無理な話だ。むしろ必要なのは重要な部分だけピンポイントで覚えて、あとは何がどこに書いてあるかを自分なりに整理したノートを活用して素早く資料閲覧出来る技術だ、とギルド職員になった初日にギルドマスター(冒険者ギルドのトップ)が教えてくれた。
その教えに従い、ざっくりとした印象と記憶を信じて抜き出してきた本を開く。まずは"冒険者のクラスとは 初心者用"から。前に読んだ記憶の通り、とにかく分かりやすいのが特徴のこの本はざっと知識を固めるにはうってつけ。
基礎の基礎、冒険者が就ける基本の3クラスをパラパラとめくる。
各武器を装備し主に前衛で体を張る戦士、機敏な動きと罠を外す器用さでパーティーの安全を確保するスカウト、自らの内から湧き出る魔力を消費し様々な現象を生み出す魔術師の三つが基本だ。
もちろん戦士の中でも重武装を備えて押しまくるタイプもいれば軽武装を着けてスピードを特徴とするタイプもいる。基本は偵察、陽動を得手とするスカウトにも弓による遠距離攻撃を得意とするタイプもいれば、短剣による一撃必殺を磨きに磨いた暗殺者と呼ばれるほど攻撃スキルを高めたタイプもいるらしい。
(それに比べると魔術師はシンプルなのよね)
ページをめくる手を止めて魔術師の項目を見つめた。基本的には魔術師1クラスしかない。戦闘場面では大多数の敵を相手に遠距離攻撃を仕掛けられる魔術師は人気職であり、希望する冒険者も多いけど魔力がない人間はどう頑張ってもなれないという関門があるのでここで弾かれる人も多い。ざっくりと冒険者の総数を各クラスで表すと戦士:スカウト:魔術師が3:1:1くらいとなる、とはミランダ先輩の言葉だった。
偵察向きのスカウトは比較的なりやすいクラスだが主戦力にはなりえず、そういう面から絶対数が少ない。中には戦士でありながらスカウトの持つスキルを幾つか持ち兼務する人もいるからなおさらだ。そういう意味からいえば、なりたいのになれず絶対数が少ないのは魔術師ということになる。やはり魔法を使えるというのは誰でも憧れるらしい。
(その中でも回復呪文の使い手はさらに少ない、かあ。難しいんだろうなあ)
本を綴じてあたしは軽くまぶたを押さえながら考える。ほとんどの魔術師が得意とするのは何らかの攻撃呪文--火や氷や雷などを呼びだしぶつけるやつ--だがまれに傷の治療や解毒の呪文を使える魔術師もいる。そうした回復呪文の使い手は、本人が名乗ろうと思えば治療術士というクラスを名乗ることが可能だそうだ。あたしは会ったことないけれど。
もう一度本を開き治療術士について書かれている箇所を読む。レベルの高い治療術士になると切断された腕や足の再生すら可能になるという。想像もつかない。
(ウォルファート様でも回復呪文は苦手って言ってたから治療術士が少ないのは無理ないのかなあ。傷が回復薬無しで治ったらすごく便利だし、町ごとにいれば怪我人や重病人も激減するのに)
あたしは冒険者じゃない。自分で武器を持って戦うなんて冗談じゃないし、攻撃呪文で魔物を黒焦げにするなんてのも願い下げだ。けれどもし回復呪文が使えたなら......治療術士なら色んな人が救えるな、とふと思った。
自分でも別に特別優しかったり助け合い精神に溢れた人間じゃないと思う。だけど身近な人が怪我したり病気になった時に自分の力で治せたらやっぱりそれはとても嬉しいだろう。治療術士が活躍するのは戦闘中に負傷した人を治す時だけど、それとは別に戦いとは関係ない平和な時でも人を幸せに出来るのはやっぱりちょっと憧れるな。
(まあ、あたしには魔力はないから仕方ないけれどね)
もう一冊を手に取る。"不死者に対する傾向と対策"の方だ。不死者という種類の魔物がいるのは知ってはいたけどちゃんと学んだことはなかったからこれはいい機会だ。それにウォルファート様にも関係あるし。
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不死者という種類の魔物がいる。
通常の生体活動--食事、睡眠、排泄--を行う魔物と違い、不死者はこれらを必要としない。通常夜間に活動し生き物を見つけると襲ってくる。襲ってくる理由は定かではないが、一説によると生身の生き物が発する生命力のオーラが疎ましいからではないかと言われている。
不死者は通常あまり知能が高くない。これは多くの不死者が頭が働いていない(特に人間の骸骨がそのまま動くようなスケルトンにいたっては頭自体がからっぽだ)からだが、まれに高位の不死者には豊富な知識と高い知能でもって人間を凌駕する者もいる。代表的なのは死霊の王とも呼ばれるリッチであろう。
この本を読むあなたに留意していただきたいことがある。
不死者はアンデッド--死なない者と呼ばれていても彼らはけして無限の命を得た超越者でもなんでもないということだ。ごく一部を除き、不死者は生き物が通常の死を迎えた後、死霊に魅入られて不死者として復活した魔物である。死後の安息を奪われ死にたくても死ねず、生者を憎むことしか出来ぬ哀れな存在である。
願わくば彼等を倒しその魂に安息を与えんことを。
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読んでいた本はそう結ばれていた。後のページには代表的な不死者が何種類か挿し絵と共に書かれている。
動く骸骨のスケルトン、動く死体のゾンビ、透き通った幽霊そのもののゴーストが御三家らしい。特にゴーストは直接攻撃が当たりづらいらしく、清めた銀の武器や聖水など特殊な攻撃方法が必要なようだ。
(なんか怖いなあ。生きてないってだけでやっぱりちょっとね)
ブルッとあたしは体を震わせた。冬とはいえ厚い絨毯が敷かれる資料室はかなり寒気は遮断出来ているはずなのに、不死者の魔物の挿し絵を見ていると怖くなってくる。人里で悪さをするゴブリンやオークといった小型の人間型の魔物も怖いけれど、行動パターンが動物と同じなので得体のしれない恐怖はない。あたしみたいな一般庶民にとっては日常生活の延長上にある脅威という感じ。
けど不死者はそうじゃない。命自体が無く、霊気漂う墓地などを徘徊する不死者は想像の領域を超える存在だ。文字通り住む世界が異なる者としか思えなかった。
そろそろギルドのカウンターに戻らなければ、と思ったあたしは最後に本をぱらりとめくった。年季の入った紙に1ページまるまる使って描かれた詳細な挿し絵が目に留まり、思わず目を奪われる。
「何これ、怖いんだけど」
挿し絵にもかかわらずその不死者から伝わる迫力、薄気味悪さはスケルトンなどとは段違いだ。幽鬼めいた肉がこそげ落ちた人型の顔、その下にあるのは概ね人と同じ体型のようだが、灰色を主とした高そうなローブに身を包んでいるため体自体はよく分からない。骨ばった手には魔法杖を握り、頭には人骨で編み上げたらしき王冠が乗っている。
挿し絵の端に書かれた文字をあたしは読んだ。「これがリッチ......」という呟きは自分の声とも思えず、気味悪くなって慌てて本を閉じた。
もう一回アニー視点の回があります。




