5-12.
その少女は自身が置かれた状況を非常に恐れていた、本当ならば後少しで上手く行く筈だったのだ。
愚かにも少女を排斥しようとする者たちは居なくなり、学校にもそろそろ戻るつもりだった。
もうあの学校であの連中の顔を見る事は無いので、非常に有意義な学校生活を送れたことだろう。
しかし元の日常を取り戻そうとしていた少女の居る街に、あの招かれざる客が現れてしまう。
「私は悪くない、私は悪くないの。 先に手を出したのはあいつらよ、あのままだと私も追い込まれたかもしれない。 だから私は自分を守るために…」
少女から見ればあれは正当防衛であったのに、それを知らない正義の味方気取りの男がこの街にやって来てしまった。
幾ら正当な行為だったとは言え、あれが少女の起こした事態であると周囲に知られたら色々とまずい事になる。
下手をすれば少女が世間から、魔法少女の力を悪用する連中と同類と思われてしまうかもしれない。
無実である少女がそんな目に遭うのは不当であり、あの男は余計なことをする前に一刻も早く街から出るべきなのだ。
「なんで早く街から出ないのよ、私より悪いことをしている魔法少女なんて幾らでも居るじゃない。 こうなったら、他の連れも一緒に…」
学校に通い始めた知り合いから、例の男がクラスメイトたちから聞き込みをしている話を聞いた。
どうやら昨夜の一件だけでは男の動きを止められなかったらしく、彼らは今も少女へと迫ろうとしている。
自身の秘密が街中に知られてしまう、まさに悪夢のような未来を少女は酷く恐れていた。
この苦境から脱するために少女は、また新たな犠牲者を作り出すことで男たちの動きを止めるべきかと思案する。
「そうよ、私は悪くない…。 悪いのはあいつらなのよ!! ふふふ、例え相手がマスクドナイトNIOHでも、変身する前に呪いに掛けられれば…」
次の瞬間、少女の目の前にはあの鏡が現れていた。
血の様に紅いクリスタルの嵌められた土台の上に設置された丸鏡、その鏡の中には怯えた顔をした少女の姿が映る。
幽鬼のように血走った眼の自身の顔を対面しながら、少女は自身のために新たな呪いの被害者を出すことを決意していた。
紗良、それがあのクラスで美波の次に虐めのターゲットとなった少女の名前らしい。
美波と言う玩具が無くなった連中は、彼女と似た立ち位置だった紗良に目を付けたようだ。
もっとも千春たちが聞いた限りでは、紗良への扱いは虐めと言うほど酷い物では無かったそうだ。
精々、虐めを主導した連中が、紗良の容姿や内気な趣味ををからかう程度であった。
ただしそれはかつての美波の時と同じであり、時間が経つにつれて徐々に虐めはエスカレートしていった事だろう。
「あの呪い騒ぎが起きて、クラス全員に呪いが掛けられるまではね…」
「結果だけ見れば紗良って子が、美波の二の舞になることは無くなった。 虐めを主導した連中は未だに呪いに苦しんでるし、もう学校で虐められることも無いだろう」
自殺した美波による復讐の線が無くなった場合、あの呪い騒ぎで一番得をする人物は紗良と言う名の少女で間違いない。
オカルト染みた呪い騒ぎを引き起こしたことで、誰もがこの事件を美波が起こした物だと思い込んでいた。
多分このような展開になることを想定して、あんな特殊な能力を作り出したのだろう。
後は適当なタイミングで呪いに巻き込まれた犠牲者として、何食わぬ顔で学校に復帰すれば誰も紗良を疑う事は無い。
彼女を虐めていた連中を呪いで排除したことで、紗良は平穏な日常生活を取り戻せるのだ。
「…そいつが犯人なんですね! よーし、今すぐその女の所に行きましょう!!」
「駄目よ、残念だけど紗良って子を犯人と断定できる証拠が無いのよね…。 これは状況証拠から見た推測でしかないから、否定されたらそれで終わりでしょうし…」
「力技で問い詰める手も有るかもしれないが、別に俺たちは警察でも何でもないしな…。 仮に俺たちが全然見当違いな推測をしていて、紗良って子が無実だったら俺たちが警察の世話になっちまう」
「ええ、でも…」
説明を聞いて状況が呑み込めた邦珂は、すぐにでも紗良に会いに行こうと意気込んでいた。
しかし千春たちは今の話はまだ推測でしか無いから、今は動けないと邦珂を諫める。
相手は未成年の子供であり、千春たちが下手な真似をすれば罪に問われるのはこちら側だろう。
千春たちが具体的な動きに出るためには、本当に紗良が事件の犯人か確かめる必要があった。
「その子が魔法少女であることを証明できれば、話が早いんだけどな…。 魔法少女を探知する能力を持った魔法少女って、何処かに居ないかな?」
「居る訳無いでしょう? そんな力を持った魔法少女が知り合いに居るなら、そもそも地道に調査なんかしてないでその子に丸投げしているわよ」
「だよな…。 そんな使い道が限られた能力を、誰が構築するんだって話だし…」
魔法少女も能力を使わなければただの人であり、一般人と区別を付けることは不可能である。
状況的に紗良が魔法少女である可能性が高いのだが、今の千春たちにはそれを確かめる手段が無かった。
都合よく魔法少女を探知する能力持ちが居る筈も無く、どうすれば紗良の正体を暴けるのだろうか。
いい考えが思いつかないのか、千春と朱美は共に同じような表情で唸っている。
真犯人を目の前にしながら動けない状況がもどかしいらしく、一方の邦珂は不満げな表情で千春たちの話を聞いていた。
「…あの、その紗良って人の写真とかは有るんですか?」
「え、ええ…、一応確保したわ。 今日会った子からクラス行事の時の写真を貰ったんだけど、そこに紗良も映っていたわ。 ほら、この子よ」
「住所とかはこれからだけどな…。 顔と名前と年齢が分かっているから、どうにか探れるとは思うけど…」
朱美は今日の調査で紗良と同じクラスの学生から手に入れた写真データを表示させて、その中に居る紗良を指し示す。
そこには何処か美波と似た印象を抱く、気弱で大人しそうな女子学生が慎ましく笑っていた。
とりあえず犯人候補の名前と素性と顔が分かっただけでも、今日の調査は十分な収穫だろう。
後は住所などの個人情報などで入手難度は困難であるが、朱美ならば何とか出来る筈だ。
「いっその事、モルドンに偽装して襲って見るか。 相手が魔法少女なら、力を使って…」
「バカ春、それこそ犯罪行為じゃない…。 もう少しまともな意見が…」
「これが…、美波お姉ちゃんの振りをして事件を起こした犯人…」
この時の千春と朱美は、紗良の正体を暴く方法を見つけることに集中し過ぎていた。
そのため彼らは二人揃って、横に居る邦珂の変化に気付つく事は無かった。
朱美から受け取った携帯に映る紗良の顔を、食い入る様に見ている邦珂の内心に渦巻く思いを…。
数分後、トイレと嘘を付いて千春たちの元から離れた邦珂は空の上に居た。
使い魔であるスカイに乗って飛んでいる目的は当然ながら、真犯人である紗良と言う名の少女の探索だ。
千春たちが言っていた通り彼女の住所なども分かっておらず、そもそも今外出しているかどうかも分からない。
邦珂が分かっている事と言えば、こっそり拝借した朱美の携帯に映し出された紗良の顔だけである。
こんな当ても無く探し回っても紗良が見つけられる筈も無いが、居ても立っても居られずに邦珂は飛び出していた。
「何処、何処に居るの! 絶対に見つけて、白状させてやるんだから!!」
「▽▽▽▽っ!!」
「な、なんだ?」
「使い魔!? あれって、昨日NIOHと戦った…」
紗良の顔を頼りに探す関係で、地上に居る人間の顔が判別できる高さに居なければならない。
その程度の高さであれば、地上の人々も普通にスカイの存在に気付いてしまう。
彼らは頭上を飛んでいく翼の生えた犬の姿に驚き、中にはスカイと邦珂の事を知っている者も居た。
しかしやはり無謀だったのか、邦珂は未だに紗良の姿を見付けることは出来なかった。
この奇跡と言うべき結果には、それを実現させた幾つかの要因が存在していた。
一つは千春たちが今日の集まりに選んだ場所は、呪いに掛かった浅田の状況を考慮して彼らの宿の近くにしていた。
一つはマスクドナイトNIOHを排除するために紗良は、昨日と同じく浅田たちの宿へと向かっていた。
つまり探索を開始した邦珂の開始地点は、今まさに紗良が向かっている目的地点の間近だったのだ。
そして奇妙な偶然が重なりあったことにより、邦珂は浅田たちの宿に向かう紗良の姿を見つけてしまう。
「…居た、居たよ! 美波お姉ちゃん、見ててよ。 スカイぃぃぃぃ!!」
「▽▽▽▽▽っ!!」
「きゃっ、何っ!? あ、あんたはNIOHと戦った…。 嘘でしょう、私のことが…」
紗良を見つけた邦珂は、即座にスカイに命じて地上へと急降下していく。
その時に紗良も頭上の邦珂たちの存在に気付いたらしく、思わず悲鳴を漏らしてしまう。
マスクドナイトNIOHの動向を把握していた紗良は、その過程で邦珂たちの事も知ったらしい。
明らかに自分に狙いを定めている邦珂とスカイの姿を前に、紗良は自分の秘密が暴かれた事実を突き付けられた。




