第14話:いざ初配信
『いよいよだな』
マルチモニター上のチャットに表示された財前くんのメッセージを見る。
時計が示している時刻は19:10。
もう少しで、ファイクエの領土戦……そして、それに合わせた私の初配信が始まる。
領土戦はファイクエにおける一大イベントで、サーバー中の大勢の人たちが参加する。
その様子を配信するプレイヤーも多く、私も今回はその中の一人に加わる
財前くんは私の初配信の成功に向けて、本当に色々なことを考えてくれていた。
チャット履歴のそれらをもう一度読み直して、自分のやるべきことを確認する。
『いいか、橘。お前はまず普通の配信者として人を集めるんだ』
『え? VTuberじゃなくて?』
『そうだ。この時代にいきなりアバターを付けて配信しても、初見の視聴者に対する引きにはならないからな。むしろ、妙な印象を与えて忌避される可能性もある。だから、まずはお前が持ってる既存のアピールポイントで戦う』
『私のアピールポイントって?』
『まずはファイクエのトッププレイヤーってところだ。俺の調べたところ、ファイクエ専門で配信してるストリーマーだけで三桁近くいて、中には千人を超える視聴者を獲得しているやつもいる。オンラインゲームということもあって、配信需要はそれなりにあるタイトルらしい。トッププレイヤーの一人であるお前が配信すれば、興味本位で見に来るやつはそれなりにいるはずだ』
『なるほど……』
『でも、大事なのはそこからだ。今のアピールポイントである“ファイクエのトッププレイヤー”を初動には利用するが、そこに留まらないようにする必要がある』
『どういうこと?』
『お前が目指すのは人気Vtuberであって、人気ファイクエ配信者じゃないってことだ。例えば、あるゲームで人気の配信者だけど別のゲームをやると一気に同接が減るなんてことがストリーマー界隈では多々ある。これは本人の人気が、特定のタイトルに強く依存してしまってる時に起こる。もちろん、それはそれでメリットだったり、固いところはあるんだけどお前の目指すVtuber像とは違う』
『はぁ……』
履歴には、長々と語る財前くんとイマイチ理解しきれていない私の相槌が続いている。
これ以外にも戦略的な話を色々とされたけど、正直全部は理解できなかった。
でも、彼がずっと私のために奔走していたのは知っている。
だから私はそれを信じて、その期待に応えるため、全力でやる……だけ、なんだけど……。
どうしよう……ここにきてめっちゃ緊張してきたんだけど……。
心臓が今にも飛び出そうなくらいにドキドキと高鳴っている。
呼吸は荒いし、視界も妙に狭い気がする。
『どうしよう……めっちゃ緊張してきた……ちゃんと話せないかも……』
震える指でキーボードを叩いて、チャットにメッセージを送信する。
『そこまで気を張る必要もないって。試験じゃないんだから一発目で多少失敗したところで、いくらでも挽回できるんだから』
テンパる私を、なんとか落ち着かせようとしてくれている財前くん。
最初は鬱陶しくて嫌いだった人が、今はこんなにも頼りに感じる。
『だよね……』
時計は更に進み、予告してある配信開始まで後五分。
画面の中では、私が率いる陣営の部隊員たちも続々と集結してきていた。
【王国に勝利を! ルナ様に勝利を!】
【ルナ・ヴィクトーリア! ルナ・ヴィクトーリア!】
いつも私のロールプレイに付き合ってくれている人たちだ。
今日も領土戦ということで、私の部隊にも参加してくれるらしい。
財前くんの戦略の一環で、予めペケッターで今日の配信は予告してあった。
フォロワーはまだそこまで多くないけど、この人たちはきっと観に来てくれるはず。
震える手でマウスを操作して、配信ソフトの『開始』ボタンにカーソルを合わせる。
これを押すと、全世界に向けて“私”が発信される。
ここまできて、まだ怖いと思ってしまう自分が情けない。
財前くんは私に向いていると言ってくれたけど、未だに自分ではそう思えない。
私は非リアの陰キャオタクで、今や立派な引きこもり。
その自認には今も変わりはない。
でも、そんな私にまだ期待してくれてる人がいる。
だったら、やるしかないと勇気を振り絞って開始ボタンをクリックした。
すごくエフェクトが出たり、音が鳴ったりはしない。
ただ、この瞬間に私の声が世界へと届くようになった。
【おっ、始まった?】
【映ってる映ってる。ルナ様ー!】
【ルナ・ヴィクトーリア! ルナ・ヴィクトーリア!】
サブモニターに映しているチャット欄に、すぐいくつかのメッセージが表示される。
配信サイトのユーザー名は分からないけど、今の部隊にいる人たちかな……。
視聴者数の欄には、17人とちょうど私を除いた人数と同じ数が表示されている。
【音聞こえないの俺だけ? 何か喋ってる?】
【いや俺も聞こえない】
【ルナ様、何か喋ってー】
【ルナ・ヴィクトーリア! ルナ・ヴィクトーリア!】
私が黙っている間にもチャットが少しずつ埋まっていく。
な、何か喋って……って言われても、何を喋ればいいんだろ……。
「うぇ、え……え、えーっと……き、聞こえてる……?」
時間稼ぎに、マイクのテストをしている風な言葉を紡ぐ。
傍目にも緊張しているのが分かるくらいに、声が上擦っている。
声優になりたくて、中学の頃からボイトレしてたのに全然活かせてない。
【OK】
【聞こえてる!】
【ルナ・ヴィクトーリア! ルナ・ヴィクトーリア!】
き、聞こえてる……じゃあ、何か話さないと……。
とりあえず、自己紹介とか?
けど、そんなの今更だよね……みんな知ってるだろうし……。
じゃあ、もっと面白いことを言えばいいのかな……。
でも面白いことって、何……!?
【おーい】
【どうしたー?】
【ルナ・ヴィクトーリア! ルナ・ヴィクトーリア!】
どうしよう、どうしようどうしよう……。
第一声の正解が全然分からない。
てか、もう領土戦も始まっちゃうし……。
連合チャットで、戦略的な話が流れてるけど全く頭に入ってこない。
『財前くん、どうしよう……どうすればいい……?』
チャットで彼に助けを求めるが、返事は戻ってこない。
それどころか、既読の文字すらつかない。
なんで、なんでなんでぇ~……!?
配信中に困った時は助けてくれるって約束だったのに……!?
と、とりあえず深呼吸しよう……深呼吸、深呼吸……。
あれ? 呼吸って、いつもどうやってしてたんだっけ……。
やばいやばいやばい……もう始まるのに何も準備できてないし……。
そもそも私、何でこんなことしてたんだっけ……。
画面の中では領土戦が開始され、大勢のプレイヤーが戦場へと突入している。
私の頭の中も同じように、グチャグチャのゴチャゴチャになっていた。
まるで走馬灯でも見ているように色んな記憶が脳内で混線している
このままじゃ完全に放送事故だし、一旦配信は停止した方がいいかもしれない。
そう思ってマウスカーソルを動かそうとしたところで――
『全部まとめて、この部屋に……お前の世界に引っ張り込んじまえばいいだけだろ?』
あの時、彼が私に言ってくれた言葉がちょうど頭の中に蘇った。
【ルナ様、そろそろ持ち場についた方がよくない?】
【うんうん。第二陣が前線に到着する前に攻城兵器の準備しないと】
【ルナ・ヴィクトーリア! ルナ・ヴィク――】
「作戦変更!」
画面上に流れていくチャットメッセージに向かって、大きな声で叫ぶ。
【え?】
【いや、攻城兵器……運ばないと……】
【ルナ・ヴィクトーリア……】
「なんで私がそんなことしないといけないの!?」
【だって、ギルド間の会合で決まったことだし……】
「ギルド間の会合って、それがまずおかしくない!? そもそも同じ勢力なんだから大前提として領土戦は協力すべきでしょ! なのに、私が間に入ってようやくまとまったと思ったら今度は自分たちがおいしいところを持っていくための役割を独占してさあ! なんで一番頑張ってる私がこんな端っこで泥を被んないといけないわけ!? おかしくない!?」
【気持ちは分かるけど一旦落ち着こ】
【いや、俺は同感。正直これで勝ってもしこりが残る】
【確かに、貸しって言っても向こうは借りてるつもりもなさそうだし】
一度堰を切った怒りがどんどん溢れ出してくる。
中でも最も大きいのは、彼へと向けられているものだった。
一体なんなの!? あのノンデリ男は!
いつも鬱陶しいくらい顔を出してくるのに、頼りたい時に限っていない!
ほんとに最悪! なんで私はあんなやつを信じちゃったの!?
その怒りを、私は今最も手近にいる相手へと向ける。
「全軍突撃! 見敵必殺! 視界に入った敵は全員ブッ殺せーーッッ!」
【【【うおおおおおおおおおおおッッ!!!!】】】
だったらもう知らない!
そっちがその気なら私も好き勝手にやらせてもらうから。
私の情緒と同じように、全部グッチャグチャのめっちゃくちゃにしてやる!
***
『全軍突撃! 見敵必殺! 視界に入った敵は全員ブッ殺せーーッッ!』
ヘッドホンから響く、橘の絶叫を聞いてほくそ笑む。
配信画面では、敵味方が大混乱している中でルナ一派が大暴れしている。
予想通り、こいつは多少パニくらせた方が面白い行動を取る。
アフターケアは必要になるかもしれないが、今はこのまま暴れさせておこう。
「さてさて、数字の方はどんな感じだ……?」
画面上、視聴者数を示す数字は23人と表示されている。
初回としては上々と言っていいが、まだまだこんなもんじゃ足りない。
「かずくん、ちゃんと終わったら返してよ」
「分かってる分かってる。すぐに返すから」
部屋の扉から顔を半分だけ覗かせている未希に言う。
コントローラーを握って、パソコンの画面からテレビのゲーム画面へと向き直る。
全世界に橘瑠奈の存在を知らしめるために、ここからは俺が裏で動く番だ。




