書籍化記念SS 私はあなたの影になりたい
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「会長、少し出てきます」
上着を羽織りながら会長であり養父でもあるクレメンス・ギルモアに声をかけると、ニヤニヤという表現がぴったりな笑みを向けられた。
「今日はやけに急いで仕事を片付けてると思ったら。どこに行く気だ、ジスラン」
「すぐそこの大通りです。王女様がホロックス王国を撃退されて凱旋されるので」
「あぁ、そういや今日だったか。騒がしいと思った。つーか、お前はフレイヤ王女殿下一筋だな。恋人でも作りゃあいいのに。この前食事に誘ってくれたあのお嬢さんはどうなんだよ。最近の子は積極的だな? あの時はお前、のらりくらりしてたがちゃんと断ったのか? 曖昧な態度はダメだろうが」
そんなことがあっただろうかと頭の中を探って、あのことかと行き着く。あんなものはただの社交辞令だろうに。
「会長、書類の間違いがないならば私は少し出てきます」
「分かった、分かった。早く行ってこい」
会長が引き留めたにもかかわらず、最後は早く行けとばかりに手を振って送り出されるのは解せない。
商会の建物の外に出ると、秋が近いので頬をひんやりした風が撫でて去って行った。王女が国境に向かったのは春だったが、仕事に追われているうちに気づくととっくに季節は移り替わっている。
とりあえず、あの武器はもっと小型化させなければならない。両手で扱うような銃では遠距離での攻撃でない限り隙ができすぎる。威力は保持したままでどうにか小型化できないものか──。
開発中の商品について頭の中で考えながら、以前から目をつけていた場所へと向かう。
大通りには凱旋を待っている人々がすでにちらほらといた。
私は商会から離れるように大通りを横切って進む。
王女はきっと左側を歩くはずだ。右側を身分が高い方が歩くのが常だが、きっと王女はそうしない。
幅の広い場所で待っているとすぐに横入りされてしまう。比較的狭い場所の先頭に陣取ってから一時間ほど待ち続けると、徐々にだが凱旋を見物するために人が増えてきた。
冬になると王都には雪がちらつく程度だが、国境にはうず高く雪が積もるので、冬本番になる前に国境での小競り合いは終わるだろうと推測していた。果たして、その通りになった。
十八歳の王女は王族であるにもかかわらず、毎回最前線に出ていたという。おかげでウィンナイト王国側の士気は全く落ちることなく、隣国の軍を撃退したのだ。
頭の中で忙しくそんなことと商品のことを交互に考えていると、いつの間にか王国軍が大通りに姿を現していた。
凱旋の行列の先頭は、敵から捕った武器や宝物だ。見せしめのための捕虜である場合もあるが、今回はいないようだ。
国境には魔物も出るため、王女たちが狩ったらしい魔物の素材も幌のない荷馬車に載せられている。
一際大きな歓声が向こうで上がっているのは、馬に乗った王女の姿が見えたからだろう。
魔物の素材などを横目に、私は王女のいる方角を見た。
陽光に綺麗な金髪が煌めいている。
白い軍服を着て行列の中で一際輝いているのが彼女だ。
大通りに集まった群衆に手を振りながら、彼女は着実に近づいてくる。
やはり、彼女は左側を馬で歩いていた。一番の功労者だろうに、戦場になりかけた国境を治める貴族に右側を譲ったのだ。
ふと視界に何かが舞ったのが見えた。
凱旋の警備に立っている軍人の隙間を縫うように、とある少女が腕を精一杯伸ばして、王女に薄紫色の何か差し出していた。
王女はそれを見つけたらしく素早く馬から下りると、少女から何か受け取って視線を合わせて丁寧に礼を言っている。
王女の手の中にあるのは、彼女の目の色のような薄紫色の花を集めた花束だった。
あぁ、彼女は何も変わっていない。あの時と同じで、どんな相手にも目線を合わせてくれるのか。
王女は小さな花束を持ったまま、少女と話している間に先に進んでしまった馬を追いかけ、さっとまた馬上の人になった。
それがほとんど私の目の前だった。
王女はもちろん私の存在に気づくこともなく、馬上からあちこち遠くに手を振っている。
視界に入らなくてもいい、存在も認識されなくていい。
ただ、私はあなたの影になりたい。
でも、ほんの少しだけ浅ましく期待してしまった私がいた。一瞬だけ目が合うのではないか、視界に入れてもらえるのではないかと。
なんと浅ましいことか。
彼女の歩いたのと同じ道を遥か後方から歩けるだけで感謝すべきなのに。彼女の姿をこんな距離で眺めることができるのも奇跡なのに。
ふわりと目の前に薄紫の花びらが落ちてきて、思わず掴んだ。
王女の持っていた花束の中の花びらだ。
白い軍服の王女の背中を名残惜しく見送って、そっとその花びらを口に当てる。何の花か分からないが、ほのかな甘い香りがした。
あの少女が羨ましい、王女の視界に入れてもらえて。何が仕込まれているか分からない花束でも王女に躊躇なく手に取ってもらえて。
この花びらだけを見た感じであれば、何も仕込まれてはいないようだ。王女も相手が少女だったから敢えて馬から下りてまで受け取ったのだろう。
花を口元に持っていく様子も見受けられなかったし、何か仕込まれていても大丈夫か。
王女の見事な金髪と背中が遠のいていく中、急に彼女が振り返った。
一瞬、彼女の綺麗な薄紫の目が見えた。
あの薄紫色の目に一瞬でも映してもらえたのならば、どれほど幸せだろう。きっと私はそれだけで狂喜する。
見えなくなっても私は王女の背中が消えた方向ばかり見ていた。
気づくと凱旋の行列は終わり、集まった人々は帰り始めている。
紫の花びらを上着のポケットに丁寧にしまってから、商会に戻ろうとした時だった。
「あら? ジスランさん」
呼びかけられて振り返ると、見覚えのある若い女性がいた。最近、取引で会長に連れられて行った先の裕福な家のお嬢様だ。汚れ一つない白いワンピースを着ている。
「ジスランさんもフレイヤ王女殿下の凱旋を見に?」
「はい。仕事を抜けてきました」
彼女の後ろには屈強な護衛も控えている。
彼くらい恵まれた体躯が私にあったなら、迷いなく軍人になっていた。孤児には厳しい話だった。
「もう戻ります。失礼します」
そう告げると、目の前の戦場も争いも労働も知らないだろうお嬢様はやや不満げな顔になる。
「そう言わずにお茶でも一緒に」
「仕事を抜けてきましたので。会長に怒られてしまいます」
「あら、会長さんは許してくださるわよ。うちと取引したいでしょう? 付き合ってくれたらお父様に口をきいてあげてもいいわ。お父様はまだお返事をしていないもの」
自信満々に口角を上げる動作を見て、同じ動作でも王女がやれば全く違うだろうにと思ってしまう。
社交辞令だと思っていたが、わざわざ出かける前にからかってきた会長の目は確かだった。
後ろの護衛はやや顔をしかめている。
おそらく、父親の名前を振りかざして彼女は自身の願望を毎回通してきたのだろう。
羨ましいことだ。
実家が裕福で、願望を言えば周囲が忖度して何でも通るのが当たり前だなんて。しかも、それを親の権力のおかげだと感謝もしていない。彼女が偉いのではない、親が偉いのだ。
羨ましいことだ、平和で。
私はいつも浮かべている笑みを意識的に深めた。
「ご心配ありがとうございます。しかし、我が会長は許してくださいます。なにせ、会長は奥様一筋ですから。私が愛する人以外とたかが取引のために食事や茶になど行こうものなら、顔の形が変わるほど殴られるでしょう」
その程度のことで取引が潰れるならさっさと潰れちまえ。あの人はそう言ってしまえる人だ。
私は王女以外の女性に何の興味も湧かない。
目の前にいるのは真っ白なワンピースを着た、ただの甘やかされた女性だ。それはそれでいいのだろう。
戦争を経験しろとか、飢えを体験しろとか、ゴミ箱を漁って泥水をすすれなんていうつもりはない。そんな地獄は経験しなくていい。でも、きっと、この人は私と同じ景色を同じ目線で見ることは一生ない。一生分かり合うことも、同じ世界の美しさを分かち合うこともない。
私はただ、あがく。
王女と同じ景色を影として見るためだけに。
「なっ」
「お嬢様も遅くなる前にお帰りになった方がいいでしょう。それでは失礼します」
お嬢様は誘いを断られたことがないのだろう。
護衛に驚きの視線を向けられながら、私はすぐに踵を返した。
「ん、帰ったか。じゃあ、あの書類のチェックをしといてくれ」
商会に戻ると、会長は酒の準備をしながら机に積まれた書類を指差す。
「会長の仰っていたお嬢様に会いました」
「あぁ、アッシャー家のな」
「お茶を断ったので、もしかしたらおかしなことを言われるかもしれません」
「あぁ。パパ~、ジスランさんに言い寄られたからギルモア商会と取引しないで、とか? どうせあのお嬢様が言い寄ってきたんだろ」
野太い声でパパなんて口に出しているのは、聞いているとなかなかに不気味だ。
「そうです」
「あぁ、気にすんな。アッシャー氏は娘を可愛がってはいるが仕事と娘は別物だからな。ま、あそこのお嬢様はお前みたいな顔の男がタイプだから」
「こんな平凡な顔がですか?」
「まぁ、俺に比べれば平凡だな。で、どうだったんだよ、久々の王女様は。ちゃんと目に焼き付けたんだろうな?」
「はい」
ポケットに入った花びらを上から撫でる。
「必ず二年以内に完成させて王女様の役に立ってみせます」
もっと頑張らなくてはいけない。
私はあなたの影になりたい。せめて、あなたを支える影に。
それどころか、あの目に映して認識してほしい。
なら、もっと役に立たなければならない。そうでないなら、こんなことさえ思うのも浅ましくおこがましい。
王女の役に立てないなら生きている意味がない。あの日、生き延びてしまった意味が何もなくなる。
「期待してるぞ。じゃあ、王女様の現在の活躍とお前の未来の活躍に乾杯」
会長が酒をグラスに注いでいるのを横目に、私は積まれた書類を手に取った。




