第307話 姉がガードブレイクしている!
朝の登校時間。といっても、俺の早すぎる登校で時間はたっぷり。
というわけで、美玻璃ちゃんの謎の宣言を聞きながら歩くとしよう。
どうにも習慣で続けてきた教室掃除をやらないのはむず痒いのだ。
そして、俺達は学校に向かって歩き出す。
その道中、先ほどの言葉について詳細な理由を尋ねた。
「で、先ほどの言葉の真意は?」
「不本意ながら、早川先輩が悪い人ではないとわかったからです。
悪い人なら断罪して即ポイで終わりだったのですが、逆に考えればそんな相手にお姉ちゃんが惚れるわけないですからね。
だからといって、お姉ちゃんの横に平然といられるのは釈然としません」
「なんて高圧的な怒り。で、具体的には俺は何をすればいい?」
「そうですね。では、手始めにお姉ちゃんの荷物を持ってください」
「荷物を?」
「お姉ちゃんのそばに立つ者、それ即ちお姉ちゃんを一番に考える人です。
であればこそ、お姉ちゃんの手足となるのは当然の理。
一言で言えば、お姉ちゃんの専属執事になるのです!」
というのが、美玻璃ちゃんのテスト内容らしい。
どうにも姉に対する拗らせシスコンの強い思想が垣間見えるが、美玻璃ちゃんと仲良くしたい俺からすれば聞かなければいけない。
それに――、
「拓海君が執事......」
俺の傍らで玲子さんが頬をポッと赤く染めながら、悦に浸っているのも理由である。
俺が執事であることがそんなにいいのかわからないが、喜んでいることは確かだ。
となれば、俺としても喜ばせたいという気持ちがある分、やることもいとわないわけで。
「わかった――では、玲子お嬢様、お荷物をお持ちいたします」
俺なりのイメージする執事所作でもって、俺は右手を左胸に当て恭しく頭を下げた。
正直、姿勢やら何やらが合ってる気はしないが、こういうお題目は気持ちが大切だろう。
つまり、どれだけ恥じらいを持たず、役割に徹することが出来るかが大事。
美玻璃ちゃんにとって、「玲子さんファースト」は絶対である。
であるならば、玲子さんにふさわしい相手にも同じ「玲子さんファースト」を強いる。
少なくとも、今日一日ぐらいは続きそうかな。
「っ!......えぇ、わかったわ!」
そんなことを思っていると、俺の言葉に玲子さんが元気よく返事する。
いつもクール的な印象が強い玲子さんが、珍しくわかりやすい気色の笑みを浮かべていた。
そのことに少しばかりの満足感を得ていると、突然玲子さんに近づき、正面に立つ。
それから俺の右手を自身の背中へ、左手を足方向に伸ばさせると、本人は両腕で俺の首を抱き、
「......どういうことですか?」
「いや、俺に聞かれても」
美玻璃ちゃんが冷たい視線で見つめる中、俺は玲子さんをお姫様抱っこしていた。
いや、していたというより、させられたというべきか。
だから、そんな俺が悪いみたいな視線を送らないで美玻璃ちゃん!
正直、玲子さんを抱っこするとは思わなかったので、今俺の手は凄く敏感だ。
制服越しに伝わる体温だったり、右手の指先に感じるブラらしき感触だったり、左手の指先から感じる太ももの肉感だったりと。
さながら、無防備の体にデンプシーロールからの連続パンチを受けているみたいだ。
視覚、聴覚、嗅覚、触覚と俺の五分の四の感覚を刺激されているために、とても精神的に辛い。
これに悪気が無いというのが余計に質が悪い。
「あの......これは一体?」
玲子さんの腕が首から離れないので、そのままの状態で尋ねることに。
すると、近い距離にある顔についた綺麗な瞳が俺に向き、
「私の荷物は私の大事なものが入った大切な物。
それは例え拓海君であろうとも、安易に渡せるものではないわ。
でも、せっかくの拓海君の好意に甘えないのも勿体ないし、私が荷物になればいいと思って」
前半の二文は実にスムーズに理解できた。
それこそ、安易な貸し借りは余計なリスクを生みかねない。
それに、無いとは思うが「防犯」という意味合いでも最適解だと思う。
だからこそ、最後の一文はどうしてそうなるのか。流れが変わり過ぎだろ。
荷物を渡せない、だから申し訳なく感じる→わかる。
俺の好意に答えられない、だから勿体なく感じる→わかる。
荷物が無いなら、私が荷物になればいい→わからない。
言っちゃ悪いが、玲子さんを荷物とするなら明らかに過載積なんだよな。
いや、玲子さんが重いとかそういうのじゃなくて。俺の想定重量的にというか。
筋トレしていたおかげで抱える分には十分なんだが......にしても、まさか筋トレのせいかがここで発揮されるとは思わなんだ。
「......美玻璃ちゃん、判定は?」
玲子さんの言葉に対してツッコみたいことは色々だが、それに対して判断を下すのは俺じゃない。
テストを仕掛けた張本人――つまり、美玻璃ちゃんの一存によってルールが決まる。
とはいえ、このルールは美玻璃ちゃんにとっても厳しいものだろう。
美玻璃ちゃん的には、俺と玲子さんがベタベタしないためのテストだ。
もっと言えば、玲子さんから俺という人物の低スペックさを露見させて、好意を失わさせることが目的だろう。
にもかかわらず、大好きな姉の突飛な行動でご破算になりかけている。
しかも、姉が自らの意思で行動したというのがミソだ。
シスコン美玻璃ちゃんからすれば、姉の行動は出来る限り尊重したい。
しかし尊重した結果、俺と玲子さんがベタベタする形になっている。
もはや姉を取るか自分を取るかの究極の板挟み状態。
俺が美玻璃ちゃんの立場になったとしても、それが辛いのはとてもわかる。
とはいえ、卑怯ながら俺は俺の立場を全力で死守させてもらう。
そして少しの間、美玻璃ちゃんが悩みに悩んだ末の結論は――、
「続行!」
「さすが、私の可愛い妹だわ」
玲子さんに褒められて、美玻璃ちゃんはとても複雑な笑みを浮かべていた。
俺がしばらくの間玲子さんとベタベタするのを見続けなければいけない苦痛。
対して、姉の意思を汲み取り、そしてそれに対する褒められたことの喜び。
まるで彼女の表情に天使と悪魔が混在しているようで、とても女の子がしていい顔じゃないと思った。
だからこそ、今にも血涙しそうな目で睨むことは甘んじて受け入れよう。
というわけで、玲子さんの奇行によって始まった登校タイムはしばらく続いた。
正直、誰かに見られることにそこはかとない羞恥心を覚悟していたが、幸いにも人払いの結界が張られていたように誰とも会わずに学校へ到着。
あまりにも人に会わないので、今日登校日か不安になるぐらいだったが、廊下から僅かに人の声がしたので安堵した。
「ありがとう。とても貴重な体験だったわ。
もしかしたら白馬の王子様に横抱きされて移動するお姫様はこんな気持ちだったのかもね」
「それはどういう致しまして」
どういう気持ちなのかはさすがの俺もわからない。
それよりも白馬の王子役の俺は馬も兼任していたために、もう足がプルプルである。
もう今日一日の俺の体重を支える耐久値を超えてしまったというか。
しばらく休憩させて足を回復させないと、ちょっと歩くのに難儀しそう。
あ、でも、掃除はしなきゃ! くっ、効率が悪くなるけど、やってから休むか。
そんなことを考えていると、下駄箱に到着してから無言だった美玻璃ちゃんが口を開いた。
「お姉ちゃんを一回も地面に立たせず、ここまで運んだことは褒めてあげましょう。お疲れ様です。
とはいえ、これごときで私が早川先輩を認めるとは思わないように! では、先に失礼!」
そう言って一方的に言葉を叩きつけ、美玻璃ちゃんは教室へ向かった。
そんな彼女の小さくなっていく後ろ姿を見ながら、俺は――
「褒めてくれるんだね。んで、普通に労ってくれた」
「根は良い子だから。この調子で美玻璃を攻略しましょ。
そうすれば、もはや実質家族挨拶を済ませたといっても過言ではないわ」
「いや、それは過言だろ」
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