第303話 お返しのホワイトデー#7
屋上に出れば、やはりというか肌寒い。
風はそこまでないし、太陽光が体を温めてくれるが、それでも拭いきれない寒さがある。
そんな中を、玲子さんは何も感じていないように歩き進めた。
「玲子さんは寒くない? その、さ」
何がとは言わんが、女子の場合下半身の装甲が薄すぎるからな。
冬用のレギンスを履いてたって、もともと装甲の薄さを考えれば、絶対寒いだろうし。
なんたって、男の俺の下半身ですらそうなのだから。
地肌直撃が寒いくないはずがない。
そんな俺の心配に対して、玲子さんはチラッと俺を見ると、
「大丈夫よ。今日は暖かいから」
「そう、たくましいね」
本当に、ね。まるで肌寒く感じてた自分が愚かしく感じる。
女子はなんだかんだたくましいと聞くが、こういう所から起因するのだろうか。
ともあれ、無理してる様子はないし、とりあえず様子見でいいか。
というか、俺自身も屋上に出ることを想定してなかったから、防寒具とか持ってないし何も助けてやれないんだが。
「さ、食べましょ。移動で時間を取られてしまったしね」
そう言って、まるで準備万端のようにレジャーシートを広げる玲子さん。
その場に自身が重石になるように座ると、俺を手招きした。
なので、遠慮なくお邪魔させてもらうと、俺もお弁当を広げる。
瞬間、目に飛び込んできたお弁当に、俺は思わず瞠目した。
これはキャラ弁.....なのだろうか。いや、キャラじゃないのでただのお弁当だろう。
ただし、ご飯の部分に文字があり、一言「ファイト」とあった。
一体いつから仕込もうと考えていたのか。
というより、まるで受験シーズンに送りそうな言葉を、今の俺に送るのか。
今の俺ってば、ただバレンタインのお返しをするだけなんだか。
「ふふっ、可愛らしいお弁当ね。お母様の手作り?」
そんなことを思っていると、玲子さんが俺のお弁当を見てそんなコメントをする。
その言葉にそこはかとない羞恥心を感じながらも、冬の風に頬の熱を冷やしてもらいながら、
「そうだね。どうやら俺のことを応援してるみたいだ。
ま、今に始まったことじゃないけどね」
「素敵なお母様ね」
「あぁ、自慢の母さんだよ。それは間違いない」
いつだって自分以上に俺優先が玉に瑕だけど、そんな母さんが俺は好きだ。
そんな純粋な愛の気持ちを、一度失ってからやっと気づくってんだから俺は愚かしい。
だからこそ、今を大切にしなきゃいけないと心から思う。
「もうすぐ一年ね.....」
食べ進める箸を止めて、玲子さんが突然空を見上げる。
その瞳は少しだけ揺れていて、どこか懐かしそうに目を細めていた。
いや、きっと見ているのは空ではないのだろう。たぶん、過去。
それも、俺達が過ごしてきた過去よりも、もっと次元を超えた過去を見てる気がする。
言葉にしている意味とは違うけど、同じ存在だからわかる。
「玲子さんはこの一年......いや、やり直した高校生活一年生はどうだった?」
「そうね.....言葉にしようとすると、色々あって簡単にまとめられそうにないわね。
でも、今こうして拓海君と過ごしている結果と比べると、拓海君と出会うためにやった行動は正しかったと確信できる」
そう言う玲子さんの表情は、とても嬉しそうだった。
過去の懐かしい思い出に想いを馳せるように。
その表情は見た目の若々しさとは違う大人の色気があるように感じる。
だからか、気が付けば俺はその表情に箸を止めて見惚れていた。
マグマのようにぐつぐつと煮えたぎるような情欲が一瞬垣間見えてる。
そんな俺を見て、一瞬キョトンとした玲子さんであったが、すぐに口元を弓なりに変形させると、
「拓海君、そんなに見つけられると恥ずかしいわ」
「え.....あ、ごめん」
「いいわよ、私を見てくれてるってわかって嬉しいし。
でも、そんなに見たいなら、さっきみたいに盗み見なくてもいいわ。
言ってくれれば、いくらでも好きなだけ――見せてあげる」
「――っ」
僅かに上半身をくねらせ、俺をねめつけるように見る目はどこか卑しい。
まるで人が必死に心臓が爆発しないように耐えているのに、耐え切れなくなるギリギリを責めるように見えない魅了の手が心臓を撫でるのだ。
こんな感情を抱いてしまうのは、きっとさっきの情欲のせいもあるだろう。
思春期特有の妄想というべきか、高校男児のあるべき性というべきか。
もうなんか最近、こんなんばっかだ。不純な目で見ることが増えてきた。
「タンマ、それ以上はいけない。色々と、ホント、良くない」
咄嗟に左手で両目を覆い、それでも足りないと顔を逸らす。
箸を持った右手は前に突き出し、攻撃態勢の玲子さんを制止させた。
それで止まるかどうかわからないが、やるだけやった感じだ。
そんな俺を見ただろう玲子さんからは、
「ふふっ、拓海君も随分と変わったわね」
と、お褒め? の言葉を受け取った。
指の隙間からチラッと玲子さんの様子を覗けば、クスクスと笑っているではないか。
しかし、実に楽しそうというか、嬉しそうというか。
恥ずかしいのに悪い気がしない。
「そうだね.....自己肯定感という意味じゃ、まだ全然だと思う。
このやり直しの生は自分軸というよりも他人軸だった気がするから」
「でも、自分自身を顧みられない人は、他の人にも優しく出来ないわ。
だって、誰かに奉仕するというのは、自分という存在ありきなんだから」
「全く、ごもっともな意見だと思うよ」
自分を大切に出来ないやつが、他人を大切にできるわけがない。
自分という人間を傷つけている時点で、すでに超えちゃいけないラインを理解してないのだから。
耳が痛い話だが、それを受け止められる程度には俺も変われたのかもしれない。
そう思うし、同時にそう信じることにしている。
だって、でなきゃ、俺を信じてくれている人達に申し訳ないしね。
「それじゃ、そんな拓海君は私にどう優しくしてくれるのかな?」
その時、玲子さんがわかりやすく仕掛けてきた。
表情を見れば、なんだか待ち遠しそうな顔をしている。
わかりやすく例えるなら、目の前のご飯をお預けされてる飼い犬みたいな。
そこまで求められてるなら、親バカ飼い主としては甘やかしたくなるもので.....いや、飼い主ではないんだけどね?
「本当はもう少し気持ちを整えてからにしたかったんだけど.....はい、お返し」
「ありがとう。早速開けてみてもいい?」
その問いかけに頷けば、すぐさま玲子さんが小袋に結ばれていたリボンを解き、中身を見た。
瞬間、玲子さんの頬にわかりやすく熱が宿る。
「マカロン......意外なチョイスね。いえ、そうではないのかしら」
そう独り言を呟きながら、玲子さんは一つのマカロンを摘まみ出した。
それから、それを口の中に運び、味わうように口を動かしていく。
「美味しい......美味しいわ」
「お気に召してくれて何より」
「それで拓海君、一つ聞きたいんだけど......マカロンの意味、知ってる?」
二つ目のマカロンに手を伸ばし、それを見せつけるようにして玲子さんが尋ねる。
その質問の意味、勇姫先生の講義を受けた俺なら理解できる。
つまり、ホワイトデーのお返しとしてのマカロンの意味を尋ねているのだろう。
だから、今の俺に出来る回答とすれば、
「もちろん。玲子さんは今の俺にとって色んな意味で『特別な人』だからね。
最初にこの意味を知った時、玲子さんにはこれがふさわしいと思ったんだ。
ただ、捻りも何もない安直なお返しになっちゃった気がするけど」
「いいわよ、別に。えぇ、いいわ。むしろ、これがいい」
俺の返答に対して、玲子さんがマカロンの入った袋を大事そうに抱え始める。
まるで今にも溢れ出そうになる気持ちを必死に理性で押さえつけてるようにも見えて。
いや、この捉え方はまた俺の思春期補正が掛かってるな。
玲子さんの精神年齢は大人ぞ。体に引っ張られている俺なんかとは違う。
でもまぁ、ここまで喜んでもらえるなら、選んで良かった。
「拓海君」
「ん?」
「本当にありがとう」
「......どういたしまして」
少し潤んだ瞳がニコッとした瞼に閉じられ、可憐な少女が華を咲かせる。
目の前にある笑顔は、それこそ絵画にでもありそうな魅力を放っていた。
そんな笑顔に照らされた俺はただ安心した気持ちが大きい。心が安らぐというか。
でも、同時にドキドキとした気持ちもある。手放したくない衝動的欲求が。
そんな二つの相反する気持ちが、ぐちゃぐちゃなのに、どこか悪く無い気がして。
「確かに、あったかいや」
輝かしい空に視線を向け、頬を撫でる風を感じて俺はそう呟いた。
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